O-⑪ 生霊と死霊
〔生 霊〕
「生霊――之は男女関係に多いもので、色情関係の怨みは殆んど男女の性器へ来るのも面白いのであります。流産などの原因には、此怨み生霊の場合が多い。妾と本妻の場合なども、両方で怨み合ふから、どちらか弱い方が病気に罹るのであります。
私は以前、俗に茄子といって、つまり子宮脱出症を治療した事があります。起った時には口許まで出る、座って半分位出るので、之が治らなければ離縁されるといふので、私も可哀想に思って、何とかして治してやりたいと思ったのでした。
其時「貴女は女に怨まれた事はないか」と訊くと「ある」と曰ふのです。それは結婚前主人に約束した女があった為、その女が非常に怨んだそうです。つまり、其約束の女の怨みが、自然性交不能にすべく、前述のやうな病気にしたのであります。それから暫く通ふ内に半分位治り、田舎へ帰って半年位経ってから全治した-といふ礼状が来たんですが、全く之など生霊の好い見本であります。」
(「病気と憑霊」療講 S11.7.)
「(中略)又生霊の憑依の特徴としては、死霊の憑依は悪寒又は冷気を感ずるに反し之は全身殊に胸部辺の暖くなるのと、心臓の鼓動が激しくなるので見当が付くのである。又嫌忌せる者の生霊の憑依は不快感を催すが、好愛せる生霊の憑依は非常な快感を催すものである。
又よく恋愛は熱病といふが、恋愛の極度に達した際は、一分時と雖も離れてゐる事は出来ず、仕事も碌々手に付かないので、空蝉(ウツセミ)の如くなる事は人の知る所であるが、之等は両方の生霊が憑依し合ふので、魂が空ろの如くなるからである。そうなると、別離してゐる時間は堪えられないほどの苦痛となるので、畢に情死に迄至るものである。
私の研究によれば、可憐なる恋愛即ち純情的恋愛は鳥霊が多く、邪恋即ち不義の関係等は狐霊に多い事は、幾多の経験によって明かである。」 (「恋愛と霊作用」明医三
S18.10.23)
「(中略)茲で生霊に就て一言する。死霊の外に生霊の憑依がある。生霊はその殆んどは男女関係が原因であって、善悪の二種がある。善の方からいへば純なる恋愛、例へば男が女を愛する場合、その生霊が女に憑依すると、女は一種の快感を催すものであるが、それは女もその男を愛してゐるからで、もし愛してゐない場合、即ち一方的愛の生霊は反対に不快を感ずるものである。そこに相愛と片愛との異ひさがある。
そうして相愛の場合は霊線によって愛の想念が交流する為に、其思慕の情禁じ難く、別離してゐる事の苦悩に堪えないもので、終に前後を忘れて、情死や馳落ちするまでに到るのである。然るに此際注意や意見等をするがそれは逆効果となり、反って取返しのつかぬ不幸な事態が生ずる危険があるから放任しておくに限る。
何となれば霊線の交流は一時的のもので決して続くものではないからで、恋愛は熱病といふが全くそうである。又片愛の場合、失恋者の生霊が憑依するから、失恋者の想念通りの感じがし、淋しく味気なく憂欝に堪えないのである。」
(「霊的病気の種々相」天
S22.2.5.)
「(中略)生霊は総て男女間の恋愛関係が殆んどである。そうして右の令嬢の憂欝症は如何なる訳かといふと、相手の男が失恋の為の悲観的想念が霊線を通じてその儘令嬢に反映するからである。右の如く生霊は相手の想念が反映する訳である故に、右と反対に両者相愛する場合は相互の霊線が交流し、非常な快感を催すもので、男女間の恋愛が離れ難い関係に陥るのは此快感が大いに手伝うからである。又死霊が憑依する場合は悪寒を催し、生霊が憑依る場合は温熱を感ずるものである。
次に右のやうな他愛もない生霊なら大して問題ではないが恐ろしい生霊もある。それは本妻と妾等の場合や三角関係等で、一人の男を二人の女が相争ふ場合その嫉妬心が生霊となり闘争するのであるが、大抵は妻君の方が勝つものである。その理由は正しい方が勝つのは当然であるからで、その場合妻君の執念によって妾の方は病気に罹るとか死亡するとか、又は情夫を作って逃げるとか結局旦那と離れるようになるものである。
人間の生霊はそれ程でもないが、茲に恐るべきは管狐の生霊である。之は昔から飯綱使ひといひ、女行者が使ふのであって、人に頼まれ、怨みを晴らす等のこと引受けるのであるが、管狐といふのは大きさはメロンの少し小さい位の大きさで、白色の軟毛が密生した頗る軽くフワフワとしたもので、その霊は人間のいふ事をよく聞き、命令すれば如何なる悪事でも敢行するのである。此飯綱使は昔から関西地方に多く、その地方では飯綱使と縁組するなといふそうであるが、之は少し感情を害しでもすると返報返しをされるからである。
又狐霊の生霊も多く、肉体だけが稲荷や野原に棲居し、生霊だけが活動するのである。」 (「生霊」自叢三 S24.8.25.)
「(中略)人間の霊は外部へ発散したり集中したりする。仕事する時は集中し、眠る時は発散する。であるから生霊の憑く時など非常に眠いものである。(中略)」
(「脳波とは」教の光
S26.5.20.)
「(60才の女、子宮が下るので困つております。)
子宮を吊つている筋が弛むのである。其原因はいろいろあるが、多くは筋の附近に毒が溜つて筋の活動を鈍らせるのである。子供をたくさん生んだ人に多い。若い人だとじき治るが、老人は治るが長くかかる。一名「なす」とも言う。子宮の両側から上へかけてよく浄霊する。以前に農婦でこの病気のものを治した事があつたが、これは生霊のためであつた。生霊は男女関係に多い、特に美人に多くあつて、子宮卵巣等の部を犯すものである。」
(「地天13号」 S25.2.20.)
「(中略)それから、婦人病には霊的のが多くて、多くは生霊ですね。霊にも人間霊と動物霊とありますしいろいろです。まあ経験とその人の霊感の働きによって見分ける事ですね。」
(「御光話録6号」 S24.3.)
「(生き霊が憑依する場合、その本人の状態及び想念はどの様に・・・)
成程ね、之は知りたい事でせうね。(笑声)生き霊が憑いた場合、本元はボンヤリして気の抜けたようになるんです。生き霊が憑るのは親子、兄弟でもいくらかはありますが、一番強くかゝるのは恋愛関係で美人と美男に多いんです。だから、あんまり美しくない人は安全ですが、美しい人は大いに気をつけなくちゃいけない。(笑声)
そして死霊が憑くと背中が寒くなりますが、生き霊の場合は体が熱くなり、先方の霊の感情が映るんです。例へば、いくら女を思っても女がさっぱりなびいて来ない場合、失恋して悲観してしまってボーッとしてますね、そのボーッとしてるのが女の方へそっくり映って、女の方は非常に気持が悪くて憂鬱になるんです。で、生き霊が極く強く映った場合は本元は眠くなるんです。霊が来る場合なんて本人は大抵眠ってるもんです。つまり、霊が脱出するんですね。脱出すると言ってもこの場合は副守護神の方ですよ。
今のは失恋の場合ですが、今度は両方が愛し合ってる時には、生き霊が霊線を伝はって行ったり来たりするんで、両方ともボンヤリしてますが、之は憂鬱とは違って快感を催すんです。こんな風に霊線で以て交流するから、そこで恋愛は切らうと思っても切れないんですよ。快感といっても普通の快感と違ひますからね。恋愛の快感です。之は経験のある人なら判るでせう。(笑声)
それから、一人の男に対し二人の女、三人の女が恋愛する場合は、その生き霊が男の体や想念の中で喧嘩するんで一つの邪念になり、快感の様な、むしろ煩悶の様な、おかしな気持になるんです。私にはそういふ経験はありませんがね、(笑声)」
(「御光話録9号」 S24.7.30.)
「(中略)生霊は何でもない。胸と背中である。生霊は殆ど恋愛関係である。生霊の中でも一番恐いのは、愛人を捨て他の女と結ぶと、愛人が嫉妬を起して関係させないようにする。子宮に憑く。
先に子宮脱出症をやった。之が治らねば離縁になるといふ。一週間程したらすっかり治ったといふ手紙が来た。結婚の時、夫を他の女が愛していて、邪魔したといふ。(高崎)夫婦仲を妨害しようとして陰部を犯した。」 (「講話集補」 S23.10.26)
「(50歳の女子、腹部に大きな固結あり、入信致し、三回程施行して戴いた頃、固結は小さく握り拳程に成りました。其の後固結は早朝の間は右上部、午前十時頃には右下部に移り、又は恥骨上に移動します。)
子宮癌ではない。生霊らしい。男女関係が多く、偶には親子もある。生殖器附近に憑く生霊といっても、その人に憑いてる大抵は動物霊である。動物霊でも大抵管狐である。祝詞を自分に聞かすようにいう。浄霊は玉のある所である。」
(「講話集補」
年代不詳.)
「(26歳婦人、時々下腹部にユタンポを当てた様な熱さを感じる・・・)
生霊かもしれない。男女関係が多い。殆どそうである。生霊が憑くと熱い。恋愛関係であるから、それは下腹部へ来る。性器へ生霊は来る。熱くなる前に一時的に熱の出るのは普通の熱である。恋愛している生霊は下腹部へ来るものである。」
(「講話集補」
S24.6.19.)
「(生霊の憑依に就て・・・)
相愛の場合は快感あれど、片愛の場合は不快感である。」
(「講話集補」 年代不詳.)
「(動物の生霊は人間に憑依出来ますでしょうか。)
狐の生霊など、とても人間に憑依する。狐などよく『死んでいるのか生きているのか』と言うと「どこそこに居る」という。人間より狐の方は何でもなく憑く。人間でも執着が強いと憑く。大抵若い男女とか親子である。男が惚れ女が嫌ってると、男が悲観しているその想念がそっくり女へ映り、憂鬱になる。美人などそういう生霊が多い。そして神経衰弱のようになる。又妾と本妻などそうである。」 (「講話集補」 年代不詳.)
「(結婚し、一週間後より主人が昼夜眠られず、他人の妻の様な気がして本妻の気がせず、一緒に居ないと夜良く眠られるのです。)
生霊である。心当りがある筈だ。信仰に入れば生霊は憑けなくなる。嫉妬で憑いている。右延髄塊の為、脳へゆく血管が圧迫される。前頭部と後延髄の浄霊を受ける。祝詞奏げるといい。希望せざればやめよ。異例もある。例えばその家の母が、生前非常に可愛がり、それが嫁にとられたのを嫌う為の場合もある。」
(「講話集補」 S24.2.20.)
「(生霊が来たり帰ったり致しますが、二度と来ない様にするには・・・)
生霊は美男とか美人に多い。美人薄命といふのは生霊の為である。女の嫉妬の生霊が曇らすとか、男の色欲による執着などが集ってくる為に、美人でゐて運が悪い。」
(「講話集補」 年代不詳.)
《浄霊》
前頭部の奥、後頭部、延髄部、胸、下腹部、陰部、背中、
固結個所、
〔死 霊〕
「(中略)次に、死霊ですが、以前斯ういふ例がありました。
五つになる男の子の喘息ですが、之が、死霊が憑いてゐてとても喉を締めつけられるやうに苦しがる。判明した所によると、現在は継母に育てられてゐるのですが、右の死霊は死んだ実母が、子供を自分の方ツマリ彼の世へ連れてゆかふと、絶へず努力してゐる。それが病原であったのです。症状は非常に苦しそうで、普通の咳と異ふのであります。顔色も死人の如く蒼白でありましたが、之も全治したのであります。
(中略)死霊が病気を起さした面白い例があります。数年前、私の家内に肺病の死霊が憑いて、それはとても苦しそうな咳嗽が出ては、血痰が出るのです。其時霊査法をしたら、死霊が憑いてゐたのでした。それは、一年前に死んだ鈴木といふ肺患の青年の霊でした。実は其男が亡くなった時に祀ってやったのですが、其霊が曰ふのには「祀ってもらって有難いが、一年祭をしてくれなかったから憑いた」といふので、それでは直にお祭をして上げる-と言ったら、其場で家内の肺的症状はケロリと治ったんであります。
本療法によれば、別に祭ってやる必要はない。霊光によって、祀らなくとも、其霊の病気や苦痛はなくなる。つまり祀る以上に、霊が浄化されるんであります。
要するに、死霊、生霊等は、確かに在るといふ事、それの病原も多いといふ事を、参考にお話したのであります。」
(「病気と憑霊」療講 S11.7.)
「(中略)そうして死霊が憑依する場合、人間が元気旺盛であっては憑依し難いものであるが、心身共に疲労又は衰弱するに於て、憑依し易くなるものである。医学に於て心身過労し、抵抗力薄弱になると発病するといふのは、実は之等の原因による事もあるのである。従而、最初単なる感冒位であったものが拗れたる結果、相当衰弱した時憑依するものである。」
(「肺結核」明医三 S18.10.23)
「(中略)そうして死霊の憑るや、その霊の死の刹那の状態を表はすものである。」 (「癲癇」明医三 S18.10.23)
「(中略)何故死霊が憑依するやといふに、脳溢血の如きは、発病するや猝(ニワ)かに霊界人となるので、その霊としては死の覚悟がない故、霊そのものの想念は生きてゐるつもりなのである。然るに肉体がないから、無意識に肉体を求めるのであるが、其場合他人に憑依する事は天則上出来得ないのである。何となれば、人間は家族友人等すべて近親者間には霊線なるものの繋がりがあるからである。勿論夫婦の霊線は最も太く、次に親子・兄弟・親類・友人等、縁の薄くなる程細くなるものである。此理によって、死霊が憑依せんとする場合、霊線を伝はるのである。」
(「小児麻痺」明医三 S18.10.23)
「(中略)死霊が憑依する場合、私の多くの経験によれば、成人者と健康者は憑き難いのである。故に、小児及び衰弱者に限って憑依するので洵に始末が悪いのである。そうして最も恐るべきは、小児が衰弱の結果、如何なる食餌を摂ると雖も、咸(コトゴト)く嘔吐する症状がある。之は死霊が憑依したので、斯様になったのは治癒は困難でその殆んどが斃れるのである。面白い事には、斯様な症状になった日又は死亡の日は、祖霊の命日に中(アタ)る事がよくあるのでその祖霊が憑依した事が推定さるるのである。(中略)
右に説いた例は、何れも死霊の憑依であるが、右の外に生霊の憑依といふ事もある。之等も相当禍ひするのであるが、著るしい病気症状はないから説く必要はないと思ふ。」
(「霊的病気の種々相」明医三 S18.10.23)
「(4歳児、急に食欲が減退し、排泄も少なく、熱も普通より低く、特に足は冷たく、大変にむずかります。毎日浄霊してますが、余り変化がありません。普段より御浄霊を嫌い、特に此度の浄化を戴きましてより、むずかつて浄霊を受けるのを大変厭がります。)
之は霊ですね。死霊が憑つているんですね。前頭部を主にして浄霊して、出来る丈――善言讃詞だとか御神書を読んで聞かせるんです。何か、死霊で要求があるんですね。或は、無縁かも知れないですね。祀つて貰いたい為にね。そうしてやつているうちに救われていくから、病気が治つていきます。之は浄化じやないですね。之で見るのが一番早いですね。熱が出るですね――之は浄化と思つて良い。霊でも熱が出ますが、全然熱が出ないのは憑霊と思つて間違いない。そうして、こう言う病人は光明如来様の前に寝かせる様にして、良くお願いするんです。」 (「御教集5号」 S26.12.6.)
「(心臓の動悸激しく、不眠の状態になり、心臓を圧迫する様な痙攣の発作があり、頭の状態は皮膚と肉とが離れて引吊つた感じで、後頭部、延髄は入信当時は冷たかつたのが暖くなり、足は常に浮いた様な感じがし、皮膚は弾力なく、常に恐怖を感じ、喜怒哀楽の感鈍く、食欲も余りありません。)
之は死霊ですね。死霊が浮ばれない訳ですね。それで、この人にくつつくんだから、之は光明如来様を一日も早くお祀りしなければ駄目ですね。大体それ丈ですよ。死霊を救つてやらなければならない。ですから、光明如来様をお祀りする事と、御神書を出来る丈読む事と――それ丈で治りますよ。」
(「御教集6号」 S27.1.16.)
「(死霊等憑依した場合、日月地大御神様の三唱で・・・)
良いです。つまり、観音様が出世されて光明如来様になり、又出世されて日月地大御神様になる。出世と言うのは世に出ると書くでしよう。之が本当の出世になる。これより、神様が表面に出ると言うのですね。」 (「御垂示録6号」 S26.6.2.)
「(入信前から頭がぼやっとしており、浄霊をいただき指先が痺れるようになり、浄霊で思うようにゆかず、入院、筋肉萎縮硬化症にて治らないから駄目だという事で、それから信仰を一生懸命に。体中が痺れ、今では全然動く事ができません。)
最初はどの指ですか。
(指先全部で、最初は一節でしたが、二節、三節という工合に・・・)
霊的ですが、そういう霊は、毒で自殺して死んだ霊です。それで強い毒は体が全然痺れてしまうのです。その霊が憑って、最初は人間の方にも生きる力があるが、その内にだんだん霊と同化してしまうようなものです。それで丁度死んだ時と同じ状態になってしまうのです。それは治らない事はないです。一番に浄霊するのは頭ですが、それで気長にやれば、つまり霊の、死霊の毒を浄霊するわけです。(中略)」 (「御垂示録28号」
S29.2.1.)
「(痔出血が約50日位続き、出血が収まった頃より震いが来て心臓の動悸をおぼえる様になり、御浄霊も毎日続けて居ります。)
之は貧血による霊の憑依であるから、血液が充実するに従って、憑依されなくなる。併し此死霊は救われたい為であるから、常に祝詞、善言讃詞、御讃歌を聴かせるようにすれば、それだけ早く治る。」 (「地天36号」教の光 S27.5.25.)
「(27歳婦人、胸、下腹に痛みを感じ御浄霊にて楽にして戴きましたが、その後物を考えるに考えがまとまらず、御浄霊中腕がだるくなり、それが治ると胸につき上げ、それも治ると大きくアクビをなし、翌日は顔色に血色を見ましたが次第に青味を帯び、現在は家の光明如来様にお参りするも大儀がります。(お参りする時は祝詞、御讃歌も一緒に奏上)悪い時は物を問うも即答出来ず、暫時考えても自己の考えがまとまらず、御浄霊は主に前頭部を中心にして居りますが、・・・)
死霊が憑つているので浄霊の急所は首の廻り、特に延髄部、淋巴腺部に固結があるから、其処のところと、前頭部を気長にやれば治る。」 (「地天37号」教の光 S27.6.25.)
「(中略)狐仲間にもいろいろあってね、階級もいろいろあるんですが、稲荷に祀られる様な狐は正一位といふ位がありますが、この外に野狐も沢山ゐるんです。まあ、浮浪人ですね。この中にボスが居るんですが、人間を大勢気違ひにしたり殺したりした狐程子分も余計出来るんです。死霊がとっつくなんて言ひますがね、あんなのもよく狐がやるんですよ。轢死だとか首縊りだとかよくある場所がありますね、あれなんかも殆ど狐がやってるんですよ。」
(「御光話録8号」S24.3.)
「(中略)死霊の場合身体全体に憑るのと、一部に憑る事がある。死霊の場合背中が寒い。新しい死霊などの時は水かけられた如くゾーッとする。これは頭と胸、背中をする。背中が一番いい。割合い離れやすい。」 (「講話集補」 S23.10.26)
「(死霊憑依のための結核患者を御浄霊した場合の治癒過程は・・・)
憑いて間のないのはすぐ出る。実にはっきりしている。死霊が憑依せず、身体が弱ってから死霊の憑くのがあり、健康の時は憑けない。衰弱して血が少くなる――霊が薄くなる時憑けるのである。聞いて答えさす。霊に訊問する。観音様にお願いして査べる。」
(「講話集補」 S23.8.28.)
「(8歳女児、子供らしくない程おとなしく、又依頼心も強く小心者です。食欲も至って少ないので身体も痩せて居り、殊に胸がせまいのですが、余り病気はしない・・・)
死霊が憑くと腺病質になる。」
(「講話集補」 S24.7.28.)
「(時々急に胸騒ぎがして気が落着かず、体ががたがたふるへ動悸がして来て何とも言へない淋しさと苦しさに悩んでます。)
死霊が憑るのである。胸騒ぎするのは霊の苦しみが映るのである。淋しさは、地獄から出て来た霊であるから、こういふ状況である。斯ういふ時には祝詞か御讃歌を奏げるとよい。光明如来様をお祭りし、祝詞を奏げると段々よくなる。」
(「講話集補」
S24.2.25.)
「(主人62歳が、二階で縊死。)
死霊を助けるには光明如来様を是非お祭りする。これだけで助かる。」 (「講話集補」 S25.5.7.)
「(57歳の男子、突然発病致、発熱、苦痛甚しく、暫くは起居不可能。日を経るに従い癒りましたが、神経衰弱の様になり、夜間は楽で安眠しますが、日中は苦しい。妻が傍にいれば畑へも出ますが、一刻でも離れると茫然として何も手につかなくなり、離れる事が出来ません。妻が便所へ行くにもついて行きます。)
妻君に関係のある霊が憑ったのである。死霊の憑りたてには熱が出るものである。入信して、光明如来様をお祭りすると段段よくなる。」 (「講話集補」 S24.11.21.)
「(45歳女、両腕や腰に力が入らず、何時も全身が冷たく、特に立つ時にはふらふらになる訳。)
両腕、腰に力なくて死んだ死霊がついている。地獄だから冷たい。浄霊で段々治る。」 (「講話集補」 年代不詳.)
「(家主の叔父に当る人が世をはかなみ縊死した家の二階を借り昨年一月より住んでますが、私の咽喉に異常が現れ、咽喉笛が食違った様な感じがあり、追々ひどくなり、五月頃からは咽喉を締められる様な感じで、縊死した人の霊を慰めようと思い水、御茶、御飯等をあげ、善言讃詞を朝夕あげました。その朝は咽喉ばかりでなく気分がいらいらして、気狂いになるのではないかと心配しましたが、供養を始めてから一週間目には気分も大分落着いて来ましたが、それでも時々気分が落着かぬ事もあり、何となく不安でなりません。)
地縛の霊が苦しいので、助けて貰いたくて憑るのである。祝詞や御著書等出来るだけ奏げ、又読んでやる。すると成仏する。判ったら早くお祀りさせる。その人の仏壇でもいい。位牌を小さくして戒名を付ける。」 (「講話集補」 S24.6.8.)
「(中略)背筋が寒いのは死霊に決っている。」
(「講話集補」 年代不詳.)
《浄霊》
前頭部の奥、頸部、延髄、淋巴腺部、胸、背中、患部、
※ 御神体奉斎、祝詞奏上、御神書の音読、慰霊祭等