〔癲 癇〕
「癲癇には二種類あって、体的と霊的とあります。(中略)
今一つは霊的の場合で、此方がはるかに多い事と悪質であります。霊的の原因は「死霊」が憑依するので、「死の時の苦悩の状態」そのままを表はすのであります。多くは変死又は急死であります。脳溢血での死霊は、特に多いのであります。発作が起ると「脳溢血で仆れる状態」その儘をする。それは-脳溢血などで急死した霊は「死の準備」がないから「自分が何時迄も現世に在るつもりの想念」でゐる。其為、生きた肉体を見付けて憑依するのであります。
仆れて泡を吹くのは「水癲癇」で、「水死した死霊」が憑るのであります。又よく水を見て仆れるのがありますが、之は「水へ落ちて溺れた死霊」が憑くのです。死の刹那「ア丶水は恐ろしい」といふ想念がこびり着いてゐるから、水をみると恐れるのであります。
又「火癲癇」といふのは、火を見て恐れる。以前扱った癲癇で、斯ういふのがありました。それは必ず夜中に寝てゐる時に発作する。起きてる時は決してない。それは最初火が燃えるのが見へ、段々近くへ燃えてくると、意識が無くなるのであります。之は、震災直後であったから、多分震災で焼け死んだ病人の霊に違ひないと思ひました。(中略)
癲癇の治療を始めると、一時は反って余計に発作し、それが或期間過ぎると、段々治るのであります。大体に於て、時日は長くかかりますが、治るのであります。」
(「癲癇」療講 S11.7.)
「癲癇は、精神病と同じく霊的ではあるが、唯だ異なる所は、癲癇の方は一時的発作的である事と、その症状が人により頗る多種多様である事である。そうして癲癇の方は其殆んどが動物霊ではなく人霊であって、稀にはそれに動物霊が、複数的に憑依してゐる事もある。そうして死霊の憑るや、その霊の死の刹那の状態を表はすものである。
例へていへば発作するや、泡を吹きながら苦悩の状を呈するのがよくあるが、之は水死の状態で、俗に水癲癇といふのであり、又火癲癇といひ、発作するや、焼けるが如き苦悩の状を呈するのがある。又水を見、火を見て発作するのを水癲癇、火癲癇といふ事もある。
次に多いのは脳溢血の如き病によって急死した霊である。そういふ霊が憑ると、その通りの状態を現はすので、顔面蒼白、眼は上吊り、殆んど死せるが如き相貌と状態を呈し、片方の手足が麻痺状態となるのである。又変死--例へば轢死、縊死、墜死、殺害、による死霊等も、すべては死の刹那の苦悶の状態そのままを表はすものである。之によってみても、霊界に入るや、死の刹那の状態が持続するといふ事は間違ひないのである。
癲癇なる病気は右の如くであるから、死霊の憑依である事は一点の疑ふ余地はないので此意味に於て、医学が如何に唯物的に研究すると雖も全然的外れであるから、徒労以外の何物でもない事である。
(中略)そうして右に説いたのは本格的癲癇であるが、茲に擬似癲癇なるものがある。それは全然霊的ではなく、延髄附近に溜結せる毒素が第一浄化作用による固結強化によって、一時的血管を圧迫する場合がある。その刹那何秒位の間意識を失ひ倒れるのである。之等は霊的作用ではないから、簡単に治癒するものである。
癲癇の例として、今でも私の家に使用してゐる下婢の事に就てかいてみよう。之は余程面白い例であって、最初の頃は、発作するや意識を失ひ倒れるのであるが、その面貌は物凄い程である。それは顔面蒼白、唇は紫色で大抵の場合舌を噛み、口唇から血液が流れ出てゐるので、其状は殺害された死人の如くである。
それが本療法によって漸次快方に赴き、近時は、発作するも意識不明等の事はなく只だ頭脳がやや朦朧となり、不快感が伴ふ位である。其際、前頭部深部に霊を放射するや、憑霊は非常に苦しみ、助けてくれと--繰返し、悲鳴を上げるのである。それは勿論本人の口からである。其際私は『助けてやるから此肉体から離れろ』と言ふと"行く所がない"--と曰ふのである。それは、その行く所とは人間の肉体であるが、曩に説いた如く、血縁のない他人では憑依不可能であるから行き所がないといふのである。
そうして霊の放射二三分にして移動するのである。それは大抵肩、腹部、左右の腕等である。その個所を一々霊射する中、終に何れへか潜んでしまひ分らなくなるのである。そうして霊が逃げつつ憑依する個所は、痛みと不快感があるから判るのである。然し乍ら、漸次霊は畏縮しつつある事は、その発作的の苦悩が軽減するに察て明かである。これは死霊とそれに憑依せる狐霊との作用である。」
(「癲癇」明医三 S18.10.23.)
「癲癇は、精神病と等しく原因は憑霊であるが、ただ異る所は癲癇は一時的発作的である事と、その症状が多種多様である事とである。そうして癲癇の殆んどは死霊の憑依であるから、発作するや死の刹那の状態を表はすのである。例へばよく泡を吹く、之は水死霊で俗に謂ふ水癲癇であり、火癲癇は焼死者の霊であり、又脳溢血によって急死した霊も多いが、之は半身麻痺状態になるからよく判る。其他変死者即ち轢死、縊死、墜死、銃死等々、凡ては死の刹那の苦悶の状態そのままを表はすのである。(中略)」
(「癲癇」天 S22.2.5.)
「次は癲癇であるが、之は精神病と似て非なるものであって、此病気は悉く死霊の憑依である。何よりも癲癇の発作が起るや、人間死の刹那の状態を表はす。例へば水死した霊が憑ると泡を吹き、藻掻き苦しむし、又水癲癇といって、水を見ただけで発作が起るのは、過って水へ落ちたり、突落されたりした霊で其刹那の恐怖が残ってゐるからである。
又火癲癇といふのもあるが、之も火に焼かれた霊であり、其他獣や蛇、種々の虫を見ただけで恐怖し、発作するのは其物の為に死んだのである。又斯ういふのがある。人込みへゆくと発作が起るが、之は人込みで踏み潰されて死んだ霊であり、汽車電車に乗るのを恐れたり、誰かが背後に近寄ると恐れる人なども同様である。
以前斯ういふ変ったのがあった。それは一人での留守居は、恐ろしくて我慢が出来ず、門の外へ出て人の帰る迄佇んで待ってゐるといふので、之も前世一人で家に居た際、急病などで死んだ其恐怖の為である。(中略)」 (「精神病と癲癇」文創 S27.)
「(21歳女子、癲癇の様な発作を起し、顔面引吊り、全身硬直し意識不明に、その後日精神異常となり、泣き笑い、夜も歩き廻り精神病院に入院。発作は遠退きましたが、智能は次第に鈍り、仕事も出来ずブラブラしておりました。浄霊を戴き、三日目より癲癇症状の発作が激しく、一晩に数回連続的に数日続き、その時も精神病の如くなりました。)
癲癇から精神病ですね。之は霊ですよ。余程救われない霊が、此処の家に居るんですよ。それから、癲癇ですね――癲癇があとで精神病になつたんですが、之も同じものです。つまり一時的の精神病が癲癇なんだから、それで医者が色んな事をして、癲癇が一時減ります。それで、浄霊受けると非常に増えるものです。それを間違えない様にしなければならない。癲癇が、段々増えて治るんですからね。
医者が熱冷しをやつてますが、一時熱が冷めます。処が熱冷しを止(ヤ)めて、浄霊すると一時馬鹿に熱が出ますが、それと同じ意味なんです。だからそれを前以つて言つて置くと良いです――癲癇はね。
そうして、その霊も救わなければいけないんだから、光明如来様をお祀りしなければ駄目ですよ。絶対に治りません。お祀りして、その部屋に本人を寝かせる様にする。そうして、憑いている霊を救うんです。それで、変死とか或いは家出して行方不明になつたとか調べて、そう言うのがあつたら早速祀つてやる様にするんですね。そう言うのがありますよ。
浄霊は、やはり前頭部の中です。ここに霊がいくと癲癇を起すんですね。ここに憑ると言う事は頭に曇があるからです。それで、頸の廻りを浄霊すれば良いです。その代り非常に長くかかります――治るのはね。良く御神書を読ませ、話を聞かせ、気長にやれば必ず治ります。普通に――正気に――まあ、安心と言う様な状態になるには四、五年かかりますからね。その積りでね。」
(「御教集8号」
S27.3.17.)
「(中略)小児麻痺は霊が全身を支配し、癲癇は一部を支配する。」 (「講話」未定 年代不詳)
「(髪の毛に一寸でも触ると必ず癲癇(テンカン)を起す子供が居りますが、・・・)
癲癇ていふのは死霊が憑くんですが、この癲癇の霊は、死ぬ時に髪の毛を引張られるとか何とかして、髪の毛に関係のある事で死んだので、髪の毛に触られると恐怖を感じるんですね。癲癇といふのは死ぬ時の状態がそのまゝ出るんですからね。」
(「御光話録9号」S24.7.30.)
「(癲癇について、一、周期的に発作の起る理由、二、喜怒の情に関係して起る原因、三、それが治った時には憑依してゐる死霊も救はれて居りませうか。)
周期的に来るのは死霊が憑依する為です。だから憑依がずっと続けば精神病になる訳です。周期的に来るのは、例へば夜中に死んだ霊が憑依すると、夜中に発作を起すんです。その時間になると霊が思ひ出して人間に憑依するんですね。そして死霊が頭の脳天に来ると癲癇になるんですが、脳天には永く居られないんで、又下へさがるんです。
以前、東京の人で、何時も夜発作を起すんですが起すと目の前が火事で、その焔が燃えて来るのが見えるといふ人がゐましたが、これは火事で焼け死んだ人が憑いてるんですね。(中略)
それから死霊は勿論救はれますよ。祝詞を上げてやるといゝですね。又、死んだ日なんかにも霊はよく来るもんですよ。」
(「御光話録12号」S24.9.21.)
「(4歳女子、一日一回から三回位発作を起し、発作の時倒れ、両手を握りしめ痙攣し、目は据(ス)へて動きません。約一分間位にて起き上り、何食わぬ様子で遊ぶ。父親が癲癇で、発作の時は泡を吹きます。父親の弟他家へ養子に行き、養母が水で死んでいます。)
霊が前頭部の奥へ上った時発作が起る。水死の霊である。泡を吹くのは土左衛門の霊である。すべて死の様相を表はす。他にも、無人癲癇、人癲癇、火癲癇等がある。延髄部等浄霊する。」
(「講話集補」 S24.)
「(水死等不慮の死に遭った人の霊は地縛の霊となる様に御教えを戴いて居りますが、癲癇に憑って来る霊は地縛の霊とはどんな関係になっているので御座いましょうか。)
癲癇はその人の系統で、関係はない。地縛の霊は必ずしも癲癇にならぬ。地縛の霊は一定部以内しか動けぬ。」
(「講話集補」 S25.2.21.)
「(脳切開及び腸肉移殖手術を行った12歳少女です。三年前より月数回の発作が起ります。浄霊を続けても効果がはかばかしくありませんが・・・。)
脳切開をした為だと思ふ。之をやったのは実に治りが悪い。名古屋医大に此専門家がある。霊的のものをこんな事するので反って悪い。切開すると霊が反って活動し易くなる。然し治らぬ事はない。治るには治るが、癲癇を浄霊するとよけいに起るようになる。それを過ぎて段々快くなる。その人に憑いてる霊が、浄霊すると霊は苦しんでもがくからである。頭へ行くと霊は非常に愉快で面白い。
癲癇の霊などは浄霊すると苦しいので、頭へ上らう上らうとする訳である。段々やってると、起り方が少なくなり、段々軽く、時間が短くなる。回数は減らないものである。気長にやれば治る。脳切開の具合では何ともいえぬ。発作しない時は普通と変らぬなら、それ程に脳は犯されていないとしてよい。」
(「講話集補」 年代不詳)
「(6歳児、一昨年春と秋に痙攣を起し、昨年春一回。昨年八月又痙攣を起し、その時から右手右足が不自由となり、いまだに数分づつ痙攣を起します。)
脳溢血で死んだ霊である。浄霊で治る。額へ行った時痙攣を起す。入信して光明如来様をお祭りしてお願いすれば治るが、相当時日が掛る。霊を浄化すると共に子供も助けるのであるから、大変いい事である。
痙攣は前頭部をする。そして延髄をする。前頭の中心へ曇りが行くと痙攣する。延髄に毒(曇り)があり、始終前へ行くものである。」 (「講話集補」 S24.1.27.)
「(28歳で癲癇。言葉が従前通りはっきり言へません。)
中風霊である。出来るだけ光明如来様の御軸の部屋へ寝るようにするとよい。」 (「講話集補」 年代不詳)
「(5歳の時右半身不自由になり、現在11歳。右手首、右足先が不自由。)
「天国の福音」にある如く、中風で死んだ霊である。急死の霊は生きてるつもりでいるが、肉体がないから探す。霊線の繋りあるものに憑く。子供は一番憑きやすい。
人間は急死したのは不幸せである。反って幸せだなどというのは間違いである。霊界あるを信じ、覚悟があれば、霊界へ行っても間誤つかぬ。小児麻痺は簡単に治る。」
(「講話集補」 S23.10.26.)
「癲癇は浄霊を始めると一時余計に起る。制へられていたのが除れるのである。段々時間短縮され、発作は軽くなる。そして段々治る。水死の霊も何れ判る時期が来る。他人の霊の憑く事はない。元使っていた人間とか、知ってる人で、家が絶へたりした場合とか、死人で行方不明になった場合とか、海で自殺して血統が絶へた場合とかである。そういふのが一番近い所へ、祀られたくて頼ってくる事がある。
判ってから祀ってやれば早く治るし、功徳になる。本当に泡を吹くのと、泡を吹く真似をするのとあるが、これは水死でなく、脳溢血で倒れた霊である。」 (「講話集補」 年代不詳)
「(35歳の男子、人混みや疲労時等フラフラと倒れる。普段は普通。時々夜中に裸で外出。)
死霊が懸る一種の癲癇である。人癲癇といふのである。」
(「講話集補」 S25.2.7.)
「(10歳男子、癲癇を起しました。蛙が這ふ様な四つん這いになってこわいと申したりします。)
四つん這いになるのは動物霊で、前頭部に憑いている。祖先中四ツ足に生れたものの霊――祖先の中四ツ足に落ちたものがあり、祖先が之を救はれたい為に憑る。祝詞を奏げてやる。」
(「講話集補」 S24.10.19.)
「(癲癇にて柱や物に額を打付け、押さへやうと致しますと足で蹴倒します。)
動物霊で、牛か何かである。牛の死霊であらう。気長に浄霊すれば治る。」 (「講話集補」S24.11.19.)
「(33歳男子信者、13歳より癲癇が起き、毎年一、二回位倒れてました。倒れる時直径五分位の光の玉が眼先三尺程の処に現はれ、だんだん近づいて眼の所まで来ると意識がなくなり倒れるとの事・・・)
昼間太陽に向っている時殺されたか、死んだかした人の霊に想念が滲ついている。首のまわり、肩などを浄霊する。」
(「講話集補」 年代不詳)
「癲癇は、精神病と同じもので、時間的精神病である。癲癇の長く続くのが精神病である。浄霊をすると、今迄の制へがとれて、余計に起る。その霊は生きてる時犬が好きだった。そして子供の生命を奪らふとした。子供は罪穢が沢山ある場合、お恵みを下さるのに罪をとらなくてはならぬ。そして極くひどいのは子供をとられるのである。」 (「講話集補」 S24.6.5.)
《浄霊》
頸の廻り、肩)
※ 御神体奉斎、その部屋に寝かせる、御神書を読ませ、話を聞
かす、慰霊祭等
〔夢 遊 病〕
「(中略)又、夢遊病者といって、発作するや自己意識を失ひ、所定めず彷徨する症状があるが、之等も死霊の憑依であって一種の癲癇である。そうして凡ゆる癲癇は、前頭部中央深部に死霊が憑依するといふ事は疑なき事実である。それは右の部に対し、本医術による霊的施術を行へば、忽ち常態に復するにみて明かである。(中略)」 (「癲癇」明医三 S18.10.23.)
「(中略)次に夢遊病者といって、発作するや自己意識を失ひ、家を飛出し、所定めず彷徨するといふ始末の悪い症状であるが、之等も一種の癲癇であって、此憑霊は幼児の霊である。(中略)」
(「癲癇」天 S22.2.5.)