〔皮 膚 病〕
「此病気は、千差万別であり、大小軽重のあるのは誰も知る所であるが、之は毒素の性質その人の体質によってそれぞれ違ふのである。勿論、浄化作用であるから、自然療法で必ず治るのである。然し、医学はそれを知らないから、薬剤塗布又は光線療法等によって治さうとするが、之は実は治さない方法なのである。
折角、浄化作用の為皮膚面まで集溜し、皮膚を破って排除せられんとする毒素に対し、塗布薬の毒素を塗るからそれが滲透して浄化作用を停止する。又、光線療法も浄化作用を停止するのである。
従而、排除せられんとする毒素は、皮膚下に凝結する結果となるばかりだ。後続的に集溜せんとせし毒素の医療を受けたる部分をさけて他の新しき皮膚下に集溜するのである。然るに此際も医療を加へんか、又、他の新しき方面に集溜する。之に加ふるに、塗布薬の毒素が一旦侵透して、浄化作用によって排泄運動を起すから、病気は悪性となり、増大するのは勿論である。
斯の如くして、初め一部分の小さな皮膚病が、数年もかかってつひに全身的に拡大し、非常な苦痛に悩むものは稀でないのである。此やうな経路を経たる患者及び医師諸君は、之を読んで実際と思ひ合せ、首肯し得ると思ふのである。」 (「皮膚病」医試 S14.)
「(中略)元来皮膚病は体内毒素が溶けて、皮膚から排泄されやうとする症状で、それを医療は薬を塗布したりして出さないやうにする。その為毒素は皮膚下に停滞し、青ん膨れになったり苦しむのである。
故に如何なる皮膚病でも、放っておけば膿が出るだけ出て、必ず治るのを逆解して治さないやうにするのだから、一種の加害的行為といえやう。私の長い経験によっても最初一寸した皮膚病でも、医療を受け乍ら段々拡がり、手が付けられないやうになり、命さへ失ふ人の事を聞くが、全く可哀想なものである。」
(「皮膚病」医革附 S28.)
「皮膚病(白アザ)と言うのは、霊的以外は薬毒ですがね。この白アザも薬毒ですよ。霊的のアザですね――あれは生まれつきです。それは一寸治りません。之は、親が飲んだ薬毒ですから、治るんですが――太陽燈、紫外線――之をやつてから固めてあるから、治り悪(ニク)くなるんですよ。それから、薬名不明の(注射)――之がやつぱり禍しますね。腕なら大した事はないが、患部をすると、やつぱり大変悪影響します。睫毛が白くなるのは、無論薬毒ですよ。之は気長にやれば治りますね。それで、光明如来様をお祀りして、その部屋に寝る様にして、良くお願いするとずつと良く治りますね。(中略)」 (「御教集5号」S26.12.8.)
「(中略)近頃の化粧品はいろんな薬毒がはいってますから、それがしみ込んで行って、顔の皮膚病が起こる人が随分あります。」
(「御教集24号」S28.7.26.)
「(生れつき荒れ性で、医師は遺伝性の皮膚病と申します。寒くなりますと全身がガサガサになり、丁度魚の鱗の様に表膚が荒れ、皮がむけます。自分の母も罹ってます。)
伝染はしない。内部の毒が皮膚へ出るので、そういふ毒をもっているのである。
祖先の中、特殊の毒を服んだものがあるので、母からの遺伝である。長くかかるが、浄霊しているうち段々治る。」
(「講話集補」 S24.11.7.)
「(鮫膚(皮膚が蛇皮の網目状に乾燥してカサカサになるもの)に就て・・・)
大抵生理的である。蛇の網の目のようなのは滑っこい筈である。毒素によるのである。浄霊で治る。」
(「講話集補」 年代不詳.)
「(うるしの木を見たり、うるしの木の話をしただけでかぶれるといふ方もある様でございますが、)
特殊の毒があるからである。」
(「講話集補」 S24.10.2.)
《浄霊》 患部、
〔皮 膚 癌〕
「皮膚癌などは滅多にないが、よく治る。之は皮膚が重なるようになって感覚がなくなるので、痛まぬ。痛むのは消毒薬が滲みて痛む。痛むのは凡て薬毒である。治る。」
(「講話集補」 S24.10.8)
《浄霊》 患部、