〔魚の目〕
「魚の目をメスにて疵をつけたと言うのは、切ろうとした。それで膿でも出そうとした。この為です。私は、針一本でも疵つけてはいけないと書いてあるでしよう。だから神様のお咎めです。お詫びが一番良い。他には何もないんです。それを覚る様に正守護神がひどく叱つたんです。お詫びすれば治ります。
つまり、神様の言う事を守らなかつたからです。それを心から悔い改めて、お詫びして、それで治つていきます。そうして、あとは悪い処ですね。熱の高い処とか、悪い処から、出るんだから、固まりを――つまり之だけの毒があるんだから、魚の目を浄霊していれば――気長にやつていれば、苦痛なく治るんです。こう言う事をした為に苦痛が出るので、悪い事ではないが、腫れた処とか、熱の出た処は分りますから、そこを浄霊する。(中略)
神様は身体に疵をつけると言う事は非常に厳しい。一寸悪い時に切るとか、突くとか言うのは、霊を信じない事になる。体的を信ずる事になる。喰い違つて来る。御守護していたのが、パツと切れちやう。そこに持つていつて正守護神が怒りますからね。之は良い教えです。」 (「御教集3号」S26.10.15.)
「(足の裏に出来る魚の目は)
薬毒の古いのの塊である。段々良くなる。魚の目は無痛であるから、恐らく遺伝梅毒であろう。」 (「講話集補」 S24.7.8.)
「(魚の目が12、3位出来て歩行不能)
浄霊で治る。原因は薬毒である。上から垂れてくる。足の上から膝裏へかけて痛い所がある。それと腎臓、尻、股等の裏を上からする。」 (「講話集補」 年代不詳.)
「魚の目は本当はイオの目と言う。薬毒が固まったものである。薬毒にも硬くなる性質とそうでないのとある。」
(「講話集補」 年代不詳.)
「(魚の目が内側に出来ますと家族の者が死亡し、外側に出来ますと親戚の者が死亡すると謂はれて居り、然も其の魚の目は、死亡と同時に無くなるそうですが・・・)
魚の目(イホ)――正守護神が知らすものである。相応の理で、いろんな事が相応するものである。
故に人相など或程度あたる。細かに研究すれば相当あたる。例えば、目の上下は上は祖先等であり、そこに目下等の想念が何等かの形で表われる。画相などはそれをよく見る。祖先の執念なども表われる。人間の身体は洵に微妙なものである。」
(「講話集補」 S24.2.1.)
「イヲの目といふ。足の裏へ出来る。一種の毒素が流れて足の裏へ溜る。漢方薬と思ふ。」 (「講話集補」 年代不詳.)
《浄霊》
足は患部、足の上から膝裏、腎臓、尻、股等の裏を上から、
〔疣(イボ)〕
「(中略)いぼもとれるのととれないのとあります。やはりその人の運命のしるしですね。」 (「御光話録1号」 S23.11.18.)
「(浄霊を頂き顔面の疣が多くなりました・・・)
これは結構な事ですよ。いづれは出るべきものが一寸早く出たゞけのもんですよ。だから出るだけ出れば治りますよ。チビチビと少しづつ出るのが一ぺんに出て治るんですから、大いに喜ぶべきですよ。」 (「御光話録18号」 S24、5.)
「(中略)人間の肉体はどれでも研究すれば或程度まで運命、性格等が判る。疣、ホクロ等によっても判る。」
(「講話集補」年代不詳.)
「(顔面の疣を浄霊致したら益々多くなりますが・・・)
出るだけ出れば治ってくる。」 (「講話集補」S24.5.26.)
「(頭部に血疣が出来、現在八ケ月で指頭大に・・・)
大きくなって、割れ目が出来て、血膿が出て治る。」
(「講話集補」
S23.10.2.)
「先天性の疣は治らぬ。」 (「講話集補」
S24.9.19.)
「除れる疣と除れぬ疣とある。大抵は除れる方である。一種の毒が寄る。毒は特殊の薬である。浄化が起った時に疣になる。先天性の方はホクロのように、しるしのようである。前の世の事で――。」
(「講話集補」 S24.8.1.)
「(疣、ほくろ、痣は・・・)
霊的で、疣は先天的と後天的とあり。」
(「講話集補」
S24.9.16.)
「(中略)疣は除れるのと除れないのとある。何れも運命に関係がある。それ等は運命を表現されている。」
(「講話集補」S23.11.18.)
「(姙娠毎に疣が増し、現在全身疣だらけ・・・)
動物の生れ代りである。蛙のようなものである。出るだけ出れば治る。気長にすれば心配はない。」 (「講話集補」S24.7.15.)
「(大豆位からゴマ粒位の疣が無数に出来、次第に増えて行く)
疣のある動物の生れ替りである。子供であるから治るであろう。疣のある所を浄霊する。」 (「講話集補」S24.11.8.)
「(身体の一部に疣が出来、全身に拡がって其の数幾千、固くなく軟かくフカフカ・・・)
ひどいのはブラ下るのがある。色は普通の皮膚の色であるとすれば蛙の霊の祟りであろう。薬毒の場合は色が変っている。軽い疣は沢山ある。疣蛙とか、蟇も疣だらけである。」
(「講話集補」S24.10.11.)
「(全身疣の様なものが大は卵大位、小は小豆粒位のものが無数・・・)
よくある。私は写真でみた事がある。よほどの罪である。怨みの執着(業)である。強い霊的祟り、動物の怨みかもしれない。
浄霊して光明如来様を拝ませると、怨みの霊の執着が減る。身内の人が一生懸命人助けすると違ふ。」 (「講話集補」S24.2.4.)
「疣は、画相といふのがあって意味がある。(先天、後天とある)治る疣は、その人の罪もあり、運命的の事もある。生れつきの疣も決ったものがある。」 (「講話集補」 年代不詳.)
《浄霊》 患部、