「次に、小児の便通に対しよく潅腸を行ふが之は大いに不可である。潅腸の結果、逆作用を起し、便秘する事になる。便秘するから、潅腸を行ふ。潅腸を行ふから便秘するといふやうになるので、之等も、反自然の為である。爰に面白い事は、潅腸に因る便秘は、肛門の口許が秘結する事で、此事によってみても、潅腸の為の秘結がよく判るのである。
人間は生れながらにして、自然便通があるべく造られてあるのであるから、潅腸などの必要はないのである。もし潅腸をしなければ便通がないとしたなら、昔の小児はどうであったらうか。昔の小児は便秘であったといふ事を誰も聞いた者はあるまい。全く、現代医学の理念は解するに苦しむのである。
私は、幾人もの腹部が腹膜炎の如く膨大した児童を扱った事がある。それは生後間もない時から、潅腸によって便通をつけ、それが癖になって、潅腸を行はなければ絶対に便通がないといふやうになり、其結果漸次、腹部が膨大したのである。そうして、潅腸によって便通をつければ幾分縮小するがそうでないと膨大するのである。これによってみても、如何に潅腸が有害であるかを知るであらう。」 (「小児病 脱腸」明医二 S17.9.28)
「次に便秘であるが、便秘などは、乳幼児にはあるべき筈はないのである。寧ろ大人と違ひ、液体便とその回数も一日二三回が自然である。にも係はらず便秘するといふ事は何等か反自然的の原因があるからである。その反自然とは、例へば青便等の場合、医家は消化不良の為として故意に乳量を減ずる事がある。
如何なる場合と雖も乳児の欲するままに乳を与へるのが自然であるに係はらず、乳量を減ずる如きは、反自然である。其結果としての便秘であるが、原因に思ひ及ばずして結果のみを恐れ潅腸を行ふのであり、潅腸の逆作用に因る便秘に対し又潅腸をするといふ具合に畢に既説の如き腹部膨満となり、生命の危険にさへ曝(サラ)さるるのである。之によってみても、育児は飽迄自然でなければならないのである。」 (「乳幼児及び小児病」天 S22.2.5)
「よく医学では、便秘は健康に害があるように云ったり、病気によっては原因を便秘にする事がよくあるが、之は本当の病原が分らないからである。処が便秘は何等健康には影響はないもので、安心して可なりである。そうして前にもかいた事があるが、滑稽なのは子供の病気によっては原因を便秘の為、自家中毒が起ったからと言うが、実に馬鹿々々しいにも程がある。
之は便が溢れて全身に廻るように思う為であろうが、そんな事は決してない。便通がなければ、便は糞袋の中に段々固まるだけである。右のような訳で、下剤や浣腸で無理に出させるが、此方が反って悪いのである。何となれば排便機能を退化させる事になり、反って常習便秘者となるからである。」
(「便秘の誤解」医断集(九)
S27.5.14.)
「(生後五ケ月の男児、月足らず(九ケ月)で生れ、生ながらに非常に胃腸が弱く、青便、粘液便等の下痢又は便秘等が絶えず、一度も平常な便はありません。)
(中略)便秘は差支えない。物をよく噛んで、水分を摂らねば便秘する。」 (「講話集補」S24.6.23.)
「(中略)茲で浣腸に就ても注意したいが、之も非常に悪い。ヤハリ之も下剤と同様、腸の活動を鈍らせるからである。考へてもみるがいい。糞便といふ汚物が溜れば、自然に肛門から出るやうに出来てゐる。それだのに外部から誘導して出すなどは、何たる反自然的行為であらうか、考へる迄もなく駄目に決ってゐる。又よく解熱手段として浣腸を行ふが、之は熱と糞便とは何等関係ない事を知らないからである。
以前斯ういふ患者を扱った事がある。それは三歳の男児で、腹が太鼓のやうになってゐる。訊いてみると生れて早々から浣腸を続けて来たので、段々癖になり、浣腸をしなければ便が出ないやうになって了ったので、遂悪いと知りつつも、余り苦しがるので止める事が出来ないと言うので、私は医学の無智に呆れたのである。
今一つは医学は便秘すると自家中毒を発すとよく言はれるが、之なども全然意味をなさない。医学は便が溜ると、便毒が身体中に廻るやうに想うのだらうが、実に滑稽である。便はどんなに溜っても便の袋以外に滲出するものではない。溜れば溜る程段々固くなるだけであるから、何程溜っても健康には些かも支障はないのである。」
(「薬毒の種々相」文創 S27.)
《浄霊》
腹部(臍の周囲)、腎臓、腎臓下部から腰骨および仙骨あたり