B-① 眼 病

①-4,底翳(そこひ)(白内障、緑内障、黒内障)
「(中略)底翳なども皆、膿や毒血の集溜固結によるのであります。

 

  黒底翳は、一番重いとされてをります。之は眼底へ黒い毒血が凝結するので黒く見え、青底翳は青く見えるので、之は膿の青いのが溜るのであり、白底翳膿の白いのが溜るから白く見えるのであります

 

  白底翳が一番治りいいといふのは、白い膿が一番弱性だからで、青いのはそれより悪性なもので、毒血は之以上の悪性であります。癌なども膿と毒血のと両方あるが、毒血が頑固であります。

 

  白内障は、眼球へ膿が集溜するんで、之は必ず治るのであります。白内障や白青底翳は治るが、黒底翳は難しいものであります。眼の玉が白くなってゐるのが白内障で、眼球そのものが、まるで田螺(タニシ)を茹(ユ)でたやうになります。早期に膿が固まらない内ですと容易に治りますが、時日を経過して固まったもの程日数がかかるのであります。」                (「眼病」療講 S11.7.)

 

 

「次に最も恐れられてゐる眼病に底翳(ソコヒ)がある。之は白底翳、青底翳、黒底翳の三種があって何れも眼底に毒素集溜固結するのである。その毒素とは白底翳は白い膿、青底翳は青い膿、黒底翳は黒い毒血であって、黒底翳が最も重症とされてゐる。医療に於ては充分の毒素溜結を待って眼球を剔出(テキシュツ)、眼底部の着毒を払拭し、再び原処(モト)に復させ、手術治癒後特殊の眼鏡を用ひる方法を執るのである。

 

 その結果は丁度強度の近視眼位の視力であるが、それで満足するより致し方ない。然し乍ら今迄全然盲目であったものが兎も角幾分の視力が復するから患者の歓喜と共に、医家も医学の進歩に随喜するのであるが、本医術の見地より観る時、右は完全治癒とは言ひ難く次善的方法でしかない訳である。然るに本医術による時完全に治癒するのである。但だ薬毒の多寡によって治癒の速度に長短があり、最も困難なるは彼の六百六号の薬毒に因る底翳であるが、この底翳は片眼が多いのである。」    (「眼病」天  S22.2.5)

 

 

 

「(中略)最初眼の発病産後眼を使った為である、それは産後古血が全部出切れない中に、神経を使うと、其個所へは必ず古血が集溜するものである、此患者もそうで、眼底に集血したのでその浄化発生によって、涙や目脂となって排泄されようとした処其時の医師がトラホームと錯覚して薬毒を注入したのでそれが為、漸次悪化したのである、忌憚なくいえば、自然に放置しておけば治るべきものを、誤れる医学が失明に迄追い込んだ訳である。」

               (「自然放置で治療  古血の集溜が発病のもと」S25.3.18.)

 

 

「(中略)白内障、緑内障は、眼球そのものに毒素が固結するので、之も放置しておけば自然に溶解し全治するが、医療は点眼薬や眼球注射等を行ふから、此薬毒の為毒素は固まって了ひ、治るべき眼病も治らない結果になるのである。そうして凡ての眼病は、頭脳に集溜した毒素が、出口を求めて眼球から排泄されやうとし、一旦眼球に集中し、再び溶けて膿、目脂、涙等となって出るのであるから、放任しておけば長くはかかるが、必ず治るものである。」

                         (「腎臓病と其他の病」文創 S27.)

 

 

「(中略)白内障等にて水晶体が曇った場合、恰度艶消硝子のようなものであるから、透明硝子を入れ替えれば一時見えるのが当然である。然し時日が経つに従って亦元通り見えなくなるのである。何となれば白内障の原因は前頭内にある毒素が、浄化作用によって眼球から排除されようとして集溜するものであるから、一時消失してもいつか元通りに再び集溜するのである。

 

 それは原因である頭脳内の毒素が皆無にならない限り、そうなるのは当然で、而も頭脳内の毒素は案外に多量であるものであるからである。従而根本的に治癒するには現在眼球に集溜せる毒素と、前頭内に残存せる毒素との両方を排泄されなければならないのである。(中略)」  

                       (「医学の発見に就て」未定稿  年代不詳.)

 

 

「底翳など眼を多く使う人に多い、眼を多く使うと溶解した頭の毒が集溜してくるからである。

 

  底翳は眼球の裏で、白底翳は白い膿、青底翳は青い膿、黒底翳は毒血で、一番黒底翳が悪性である、浄霊は前頭部と眼球を主とし、次は延髄附近次は肩腎臓部である。

 

  迄余り効果がなかつたのは眼薬のために固まつたためと、浄霊が急所を外れた事浄霊者の霊力が弱い事である、気永に浄霊をすれば治る。」    (「光4号」 S24.4.8.)

 

 

眼がかすみ始め、医師は底翳(ソコヒ)と申しますが、・・・

 

  眼薬ってのは固めますからね、一滴さしても固まるんです。この道の信者以外なら、先づ普通眼薬を使ひますからね。眼の固まった奴はなかなか溶けないんです。(中略)

 

  御浄霊は前だけでなしに、後ろから眼を狙ってやる事が大切です。そして目やにや涙が出だしたらしめたもんですよ。それから眼の上が肝腎ですね。毒素は眼の後ろ、延髄の所から前に来て眉毛の上に出て、それから眼に下るんですからね、眼の上は肝腎です。やってみて、眼の上が触って熱くなればしめたもんです

 

  又、霊的な原因の事もありますね。然し霊的のは若い人に多いんで、年寄にはあまりないですよ。で、之は大抵蛇で、蛇を殺す時頭を砕き眼玉も一緒に潰してしまふんで、それが憑くんですよ。この人はまあ年寄りだから、霊的とは考へられませんね。(中略)」 (「御光話録9号」  S24.)

 

 

「(中略)眼の膿を取つた。一時見えたが、直ぐ見えなくなり・・・

 

  直ぐに膿が溜つたんだ。之は治りますよ。眼の裏に溜る毒を、溶かして溜らない様にすれば良いんです。やつぱり後頭部――眼の裏ですね。そこをやつて――毒と言うのは、後の方から首筋を通つて(頭の上を通り)前頭部から下がつて来るんです。

 

 処に一番毒があるかと言うと一番熱い処があるから、そこを多くやる。眼と言うのは、前から奥の方を狙つてやるんですね。結構ですよ。気長にやれば、きつと治りますよ。別に難かしい処はない。之は、最初近眼だつたんでしよう。

 

左様で御座います・・・

 

 近眼だから後頭部に毒がある人だね。(中略)

 

一度位の手術で、治り方に差支えは?・・・

 

  手術にも因るんです。眼の裏の膿を取るのは、別に差支えない。之は取つても直ぐ溜るんです。(中略)そこだけの膿を取れば良いと思うが、後続部隊があるからね。(中略)」               (「御教集3号」  S26.10.8.)

 

 

「(中略)網膜炎は眼球の外面ですからね。底翳と言うのは、裏面ですからね。(中略)ですから之は、底翳には違いないです――裏に溜つているんだからね。然し、普通の底翳とは違う。内出血が溶けたものですからね。だから之は、放つて置けば段々出て来て、目ヤニになつて治つたんですが、良い塩梅にお医者さんに悪くされたんですね。眼球注射と言うのは悪いんですよ。大体、常識で考えても分るんですよ。目の玉に直接入れるのは悪いんですからね。ですから、目の玉に注射して、治るのは一人もありませんよ。(中略)眼球注射と言うものは、段々目ヤニになつて出ますからね。その代り何年か経つて出るんですがね。(中略)」             (「御教集6号」  S27.1.16.)

 

 

底翳と言うのは、みんな膿なんだからね。(中略)浄霊は、一番肝腎なのは、後頭部の真中ですね。目はここが元なんですからね。之は何の目でもそうですね。近眼でも乱視でもね。後頭部から下つた真中の処ですね。ここが、一寸丸位の処が、目の一番の急所なんです。あとは、目の外からやつて、ここ(後頭部)と――それが急所ですからね。あとは頸の廻りと――無論固まりがありますから、そこを浄霊する。それで治りますよ。」

                            (「御教集8号」  S27.3.5.)

 

 

六年前両眼失明、三ケ月前より浄霊、今明るさが分る・・・

 

  見えるようになる。明るくなったのは、それだけ毒が減った。気長にやればよい。どんな眼も治るには治る。ひどく固まったのは効果が現はれぬ。薬をつけたりなどして固めたのは受けるのに手間がかかる。眼球へ溜ったのは白内障――底翳であるから、治るには治る。」                  (「講話集補」 年代不詳.)

 

 

視力が急に衰え、明き盲・・・

 

  底翳は治り易い。眼薬はちょっとつけても治り難い。」

                              (「講話集補」年代不詳)

 

 

白内障、浄霊二年、変化なし・・・

 

  固まってるのである。目薬を一滴でも非常に固まるものである。目の固まったのはなかなか溶けない。一回やっても見えるようになる底翳もある。(全然薬を使はぬ場合)浄霊して変化のないのは固まっているのである。目の裏をよく浄霊する。目を狙ってやる。目脂など出ればきっと治る。又、目の上も肝腎ある。(後ろから眉間へ来て目へ下るのである)故に眉間が熱いとか、熱くなるのは結構である。霊的の原因もあるが、若い人に多い。霊的なら早く出る。大抵蛇の霊である。盲は蛇を祀るとすぐに治る。」

                             (「講話集補」 年代不詳.)

 

 

「青底翳は治る。注射の毒が頭へ行って固まっている。薬をとるのが一番肝腎である。浄霊で元の病気が溶けて出るのである。」            (「講話集補」 年代不詳.)

 

 

三年前失明し「視力神経腺衰弱」と病名を付けられ、現在電灯が見える位・・・

 

  段々見えないなら底翳である。青底翳は眼底に青い膿が固まる。眼などはお浄めしてみて幾分でも見えれば治る訳である。」              (「講話集補」  S23.)

 

 

底翳の霊的原因に就て、・・・

 

  普通、体的原因が多い。頭の毒が眼の裏へ固まる。たまには霊的もある。蛇である。蛇の霊が憑くと見えなくなる。浄霊だけで治る。薬を用いたのは手間がかる。何にもしてなければ、それだけ早く治る。」 (「講話集補」 S24.1.22.)

 

 

青底翳と云はれ、二十日位治療、効果なし・・・

 

  固まったのを溶かすまでかなり日数がかかる。」

                             (「講話集補」S24.4.23.)

 

 

「霊的ではない。浄化である。青底翳は流産で目を使ったからである。」           (「講話集補」S24.5.13.)

 

 

右眼が白底翳、初めは眼をつむって居りますと黒い玉があちこちに移動、最近は両側が黒で中が金色の帯状のものが円型、渦巻型等に変形してそれが移動し、又その背景が赤、黄、青、紫等色々に見える・・・

 

  毒が眼の裏で変化するのである。変化するのはいい。治らぬ事はないが暇がかかる。結局薬の量による。涙が出ればよい後頭部に熱がある。(白内障浄霊個所)

 

  治る筈。頭から来ている。例えば右の眼の悪い時は天帝に熱がある。之は又延髄部に熱があり、之は腎臓から来ている。霊力の差異によって違ふ。差異は生れつきと、多く救った人と違ふ。此症状は白内障であるから、涙、目脂が出れば楽になる。目薬を用いたのは治り難い。」          

                               (「講話集補」 S24.8.22.)

 

 

医者は、黒底翳と申し点眼薬等を使用、その後両眼失明・・・

 

  治る背中から腎臓が因ある。相当暇はかかるが、治るには治る。此家には罪が多い。或峠を越すと天国になる。」               (「講話集補」  S24.11.15.)

 

 

「(三年前突然片目を病み、瞳に白く雲がかかったまま・・・

 

  頭から来ている。右の目に毒がある頭の熱い所を浄霊する。又、背中から腎臓も浄霊する。急所を外れてるから治り難い。霊は生れつき強い人弱い人がある。目はすべて頭から来てるので、頭の毒が目から出ようとする作用である。目から目脂や涙が出れば、治る道程に入った訳である。目薬をさすと固めるからズーっと悪くなる。」              

                               (「講話集補」年代不詳.)

 

 

医者は黒底翳との事。霊的因縁か、・・・

 

 霊的の場合は蛇である。蛇を祀ると治る浄霊で治る。薬で固めたのは治り難い。目、頭、首、肩、腎臓を浄霊する。黒底翳は毒血であり、青白底翳は膿である。赤目――目から離れると白い膿になる。目は溶ける事がある。目を蒸した所、膿が集中し、裏から押出されて瞳が飛出し、落ちそうになった。確かに流れる事がある。」

                             (「講話集補」年代不詳.)

 

 

 《浄霊》 後頭部、延髄部、目の上、上方から眼部、前頭部、       頸廻り、肩、背中から腎臓

 

 

      眼(瞳の真中)と其辺一帯、特に熱い所

 

 

    ※ 浄霊は前頭部と眼球を主、次は延髄附近、           次は肩腎臓部の順で一番熱い処

 

 

   (その他眼病の急所として、頭の奥、前頭部、額の熱部、     眉及び眉の上、瞼の奥、顳(コメカミ)、顔面、等も確認)