「食と農」
「食」について
《参考資料》
『明主様の食生活』 (「景仰」より抜粋)
私が明主様の料理人として奉仕させていただくようになったのは、昭和23年からでした。
最初はどういうものをお出ししたらいいのか、見当がつきませんでした。けれど、二、三回料理しているうちに、明主様のお好みは、だいたいこうだと、カンでわかってきました。明主様は江戸前ですから、いわゆる関東流の味です。
清水町へ移ってからですが、一度も作ったことのないもの・・・たとえば、フルコースの中国料理などのご注文があったときも、「やったことがない」とは言えず、ベストをつくしておいしいものを差し上げようと苦心しました。
この“やったことがない”と言えなかったのは、ほかならぬ明主様からのご下命だということばかりでなく、私の腕を見込んでのご注文だという自負心も手伝って、大いに勉強したものでした。
私は、明主様が関西へお出ましになられる時は、いつもお供をしてまいりました。そして、其の土地で一流の料理店で会食される場合は、私にも同じものを食べさせて下さました。
これは、早く私を一流の料理人にするためのご配慮からで、私はいつも緊張して十分吟味しながらいただきました。それというのも、お帰りになると、明主様は、「あそこで食べたあれを作れ」とよくおっしゃいますので、ただ、言い気になってばかりはいられなかったのです。
明主様のお好きなものと言えば、まっさきに思いだされるのは天ぷらです。非常にお好きで、きのうお出ししたから、続けてきょうは同じ献立は書けないわけですが、他の料理の名を書いておきますと、側近の奉仕者を通じて「なぜ天ぷらを出さないのだ」とおっしやるのです。
そこで、「きのうのきょうで、メニューとして書けません」と申し上げますと、「きのう出したから、きょう食べないとは言えないだろう。好きなものは毎日でも食べたいのだ。すぐ“明主様は天ぷらがお好き”と書いて、お前の部屋へ貼れ」と言われ、その通り貼られてしまいました。
「私の言ったものは断るまで作れ」とも言われ、メニューのほかに天ぶらと書いてお出ししましたら、それをおいしく召し上がるので、またまたメニューのほかに、天ぶらと書いて出すということもありました。
その天ぶらでは、特に、エビ、ボラ、アナゴがお好きで、サツマ芋を揚げて、青味の揚ものを添えてお出しすると、大変お喜びになりました。青味といえば、セロリーの揚げたものもお好きでした。
それから、アユの塩焼きが大好きでいらっしゃいました。解禁になってから、箱根から熱海にお帰りになる10月の末まで、毎晩アユをおつけしなかったことはありませんでした。信者から献上されたアユも、いろいろの川のものがあって、これはどこのアユと、いちいち申し上げるのですが、中でも長良川のアユを一番喜ばれました。
また、スズキやタイのあらいがお好きで、寿司のマグロもとろをお好みになりました。それから、海のものでは、ワカメ、生ノリも大好物で、貝類は歯がお悪いので、赤貝は召上がりましたが、堅いものはお食べになりませんでした。
洋風のものでは、ビーフステーキも非常にお好きなので、裏から包丁を入れて柔らかくして差上げますが、そのタレは明主様独特のもので、味附と醤油、それにブドウ酒を加えたものを作りました。
ムニエルもお好きで、舌鮃と太刀魚を特に好まれました。マスもお好きで、よくバター焼をお出ししました。
ブリをボイルしてスープで煮込んで、マョネーズをかけて召上がるのがお好きでした。鶏の柔らか煮・・・シチュウのようにしたのもお好きでした。鶏といえば、チキソカレーも、物凄くお好きで、それも頭に来るくらい辛いのをお喜びになりました。このことでもわかるように、明主様のアタリ(味かげん)は、普通の人よりも強いのがお好きで、煮物でも濃く煮ます。
また、野菜でお奸きなのは、クワイ、サツマイモ、セロリーで、このセロリーで叱られたことがあります。
というのは、このセロリーのスープ煮をいつもお出しするのですが、ある時、それをお出ししなかったら、『わたしに、どういう恨みがあって、スープ煮を食べさせないのだ』とおっしゃるのです。「つい途切れることもあります」と申し上げると、『そうか、それで食わせないんだな。大好きだからチョイチョイ出せよ』とおっしゃるのでした。
夕食は七品で、昼はムニエルで、スープをつけるとか、あるいは、生野菜とか、野菜のスープ煮をつけるとかします。天丼の場合も、他に何か野菜を一品つけます。甘辛く煮たもの、野菜のウマ煮もお好きでした。
献立も毎月きめておいて、それを廻すなんていうことは出来ません。材料に季節がありますし、物の出初めを特に注意してお出しするようにしました。他の人の食べないうちに明主様に差上げたいと、私はいつも心をくばっていました。
明主様は、お夕食の献立が洋食とか、中国料理の時は、おやつは召上がりません。そして、『私はもう食事が一番の楽しみだから、出来るだけ私の好みのものを食べさせてくれ』とおっしゃいました。
お夜食には、お茶づけ、鯛茶もお好きで、ほかにおかずをつけますが、明主様のは口直しではなく、鯛茶そのものが大変お好きなのです。
味覚と目ということでは、明主様は、ゴテゴテしたものはお好きでありませんでした。美的感覚が実に鋭く、洗練されていらっしゃいますので、スカッとした垢ぬけのしたものでないといけないのでした。チャカチャカした色彩のもの・・・たとえば、毒々しい赤とか緑とかは好まれませんでした。
三弥子さまのご婚礼のとき、私は折詰をつくりましたが、折箱が尺二寸という大きなものなので、それに盛るものを大きめにしました。すると、明主様は、『なぜ、もっと細かくしないのか。大きすぎて気持が悪い。大きくしないといっぱいにならないのなら、小さくして数を多く入れればいい』と、あとから私を呼ばれてご注意をいただきました。
ですから、お嫌いなものは、怖いような、グロテスクなもので、一度、鯛のカブト揚げを、そのままの形でお出ししましたら、『怖くて食えないから、もっと小さく切ってくれ』と言われました。
タコでも、頭の大きいものを、そのものズバリでお出しすると、『気味がわるい』とお嫌いになります。グロなものは、本能的にお嫌いなのです。
それに、とても几帳面で、ネギは何センチと、その料埋によってきまっていました。これは、また、“気をくばれよ”というおさとしの意味もあったのだと思います。
とはいえ、明主様は、ほとんどお嫌いというものがなく、なんでもおいしいと召上がって下さいました。ご晩年になっても、を変えなければならないということもなく、丈夫な胃で、たくさん召し上がりました。
しかも、その召し上がるスピードが旱いのです。フルコースの洋食の場合でも、とても早く全部をお食べになりました。
そのかわり、お酒は、盃に三杯だけで、毎晩それだけを味わわれました。ブドウ酒は、甘くない生ブドウ酒がお好ぎでした。
といっても、明主様は、ただお好きなものは、なんでもたくさん有食べになるというのではなく、ご自分の口で、適当に、動物性、植物性を配合して召上がっていらしたと思います。私の方から一応献立をお出しするとき、動物性に植物性のものをあしらってはありますが、明主様は、カロリーの点でも、その料理を配合して召上がっていらしたと、私は思っています。要するに、食事のバランスを考えておられました。
明主様のお好きな金ツバとか、ホットケーキのようなものを、よくおやつに作りましたが、明主様は、
『よそで作ったものには誠がない。家で作ったものは、私のためにという誠が働くからおいしい』とおっしゃって、家で作ったものをとても喜ばれました。
そして、お客さまに対しても、家の料理をけなされたことはありません。よく世間では、「まずいものですが・…:」などと言って勧めますが、明主様は、『うちのものは、おいしいから食べていきなさい』と言われました。料理人としても、ほんとうにありがたいと思いました。 (側近奉仕者)