第三章 信仰の向上を図るために

 

3、信仰の向上を目指して

 

⑧ 社会事業について

 

「宗教の使命は魂を救う事」

「今日の宗教と名の付くものが、大部分は宗教本来の使命を、没却してゐるのは、困ったものである。大宗教団の多くが、社会事業が、重なる仕事になってしまって、病院や養老院や、孤児院などを営(ヤ) ってゐるが、本当の意味から言へば、是等は、都市の公共事業か、富豪の慈善事業の範囲である。宗教が社会事業を、行ると言ふ事は、最早それは、宗教ではなくなってゐる。
  又宗教は、教化事業でもない、教化事業は文部省あたりの仕事である。又、宗教は、道徳でもない。倫理道徳は、教育家の任務である。又宗教は哲学でもない。世に、宗教哲学などといふ言葉や、クリスチャンサイエンスや、神学なぞといふ言葉があるが実に、誤れるの甚しきものである。宗教は宗教である。哲学は哲学である。科学は科学である。宗教は、あらゆる分野の最高峰に、超然と立って、普く人類を救うべき最大権威と力を有って居るべきものである。唯然し、宗教の一部としては、教化も、道徳も、哲学も、科学も含まれてゐる事は、否めない。故に宗教は宗教としての、独自の使命があって、一切衆生の霊体を不幸から永遠に脱却さす事である。教化や道徳や、倫理や哲学では一時的の救ひである。無量無辺に、魂を救ふ事は出来ないのである。」            

(「大光明世界の建設  宗教の使命」昭和10年9月15日)

 

「宗団は社会事業経営により存在を理由づけている」

「(前略)社会から、宗教は、無用の存在として非難を享ける、それが苦しいのだ、苦しいから何かを行らなければならない。其防弾チョッキとしての、宗団の社会事業経営なのである。寧ろ同情すべきではあるが、どうか一日も早く、宗教本来の使命に覚醒して、真の救ひに精進して貰いたいのである。(後略)」 

       (「大光明世界の建設  真の救ひ」昭和10年9月15日)



「(前略)現当利益を不可とする宗教は、実は、現当利益を与へる丈けの、力即ち奇蹟が無い為の詭弁(キベン) である。夫は、其宗教に最早、生命が無くなってゐる證拠である。そういふ宗教に限って、社会事業に依って、漸く、其存在を、理由づけてゐる有様である。如何なる宗教と雖も、その創めは、相当の現当利益が有ったであらふ事は、史実も物語ってゐるし、又そうでなかったなら、其時已に滅びてゐる筈である。
では何故に、開教時と異って今日は、其力が無くなったかといふと、其真相は斯うなのだ。何れの開祖も真面目で、真剣で、神仏の代行者として恥しからぬ人達ではあったが、惜い哉、世は夜の時代であったが為、年を経るに従い、邪神の為に、力をそがれて終った為であって、遂に、今日見る如き生命の無い状態となったのである。(後略)」

 

   (「大光明世界の建設  現当利益」昭和10年9月15日)

 

「宗教に由る治病は不可であり、異端であるといふ論を多く聞くが、之程不思議な事は無いであらふ。そうして、一方には反対に斯ういふのである。病気治療は医療ばかりではいけない、本来病気とは気を病むのであるから、精神が肝腎である。病気によっては精神から治してかからねば駄目である、との論であって、右の二様の説は、同じ人の口から出るとは又不可思議である。治病上、精神治療が必要であるならば、其精神治療は一体誰の役目であらふか。まさか教育者でも学者でもあるまい。どうしても宗教家より他に無いであらふ事は明である。それは人間以上の力、即ち超人的力に縋る意味で、其力とは神仏其ものでしかないのである。
  前述の如き相反する矛盾を、平然と曰ってゐる宗教家も尠くないのである。それでゐて既成宗教の大部分は、之等の救済に頗る無関心である。否無関心であるより、止むを得ないのであらふ。何となれば、其超人的力に縋らす事すら不可能である程に、無力になって居るからである。それが為に、社会事業を経営しなければ、其存在の意義さへ無くなるので、病院を建設し、医学の力を藉りて治病するの止むを得ない事実である。(後略)」
                    

(「世界的宗教は治病宗教なり」 昭和11年6月18日)

 

  

「人間の智慧でやる宗教は、社会事業となる」

「(前略)人間の智慧でやる。宗教の最後は、社会事業となって了ふ。神の力と、神の智慧で行く宗教は、奇蹟から奇蹟で、本当に世を救ってゆく。」       

 

 (「大光明世界の建設  真の救ひ」昭和10年9月15日)

 

 

「社会事業其物は形而下のもの」

「(前略)社会事業は、決して悪い事ではない、多々益々発展させなければならない事は勿論である。然し乍ら、社会事業其物は形而下のものである、形而上のものである宗教が社会事業に専念するといふ事は適切ではない。本来の使命を没却してゐると謂はれても、一言の辞は無いであらふ、唯、宗教の一部門として、社会事業を援助する位が、適当であらふ。
故に、吾人をして、忌憚なく言はしむれば、既成宗教家諸君が病気治しも、霊的教化も行なわないとすれば、其宗教は最早生命を失って居るので、宗教としての本質は無いのであるから、宜しく宗教家の衣を脱却し、専門的に社会事業家に成るのが至当ではなからうか、そうして殿堂も伽藍も、社会事業の為に利用した方がどの位-国家社会にとって効果的であるかは、考える余地は無いであらふ(後略)」  

 (「観音運動は一切の病気治しなり」昭和11年1月1日)

 

「宗教と病院」

「此事に就てはよく訊かれるから、茲に詳しくかいてみるが、成程現在相当名の知れた宗教は、残らずといゝたい程病院を経営しているか、或いは之から建てようとしているのは衆知の通りである。処が我メシヤ教に限って病院を造らないので、不思議に思う人も世間には随分あるであろうが、之には大いに理由がある。それは本教の浄霊療法は医療に比べて、比較にならない程卓越しており、病院の必要がないからである。
之に就ていつもいう事だが、本来宗教なるものゝ地位は、科学以上であらねばならないもので、其処に宗教としての尊い価値があるのである。といっても形式だけで、実が伴わないとしたら、単なる観念の押売にすぎないといえよう。
そこへゆくと我メシヤ教は観念などの必要はなく、どこまでも現実一本で進んでいる。此事に就て特に言いたい事は、人間の生命を救う力が宗教よりも科学の方が勝っているとしたら、宗教は科学以下になるのは当然であるから、無神論を非難する訳にはゆかないであろう。其結果理論や御説教、祈りなどでお茶を濁すより致し方ない事になり、現実生活とは掛け離れた存在となって了うから、識者から無用の長物扱いされるのも、止むを得ないであろう。之も全く宗教の罪であると思う。
  とはいうものゝ実は誰も知らない処に大いなる理由が潜んでいるので、今それをかいてみよう。先ず其根本であるが、之はどうしても霊的に説明しなければならないから、其つもりで読まれたいが、何といってもキリスト教始め、今日尚命脈を保っている多くの宗教は、開教当時は相当病気が治ったと共に、大なり小なり奇蹟があったに違いないと思われる。でなければ其宗教の発展もなければ、今日迄続いている筈がないからである。吾々の知る限りに於ても、天保時代に生れた彼の天理教始め、明治、大正、昭和の初め頃迄の新宗教にしても、開教以来相当病気が治った事実はよく耳にするのであるが、今日それらの宗教が揃いも揃って病院を作る事である。成程時世の為とは言い乍ら、実をいうと病気が治らなくなったのが真の原因である。此事は当事者と雖も気附かない筈はないが、其原因も判らず、どうしようもないので、病院を造らざるを得ない羽目になったのであろう。
  それに就て詳しくかいてみるが、いつもいう如く長い間世界は夜であったが、霊界の事とて人間には分らなかったのである。それが愈々時期到来夜と昼との交替が始まったのである。それに就ては先ず霊界に於ける黎明期であるが、以前もかいた通り、昭和六年六月十五日をエポックとして、漸次昼の世界に転換しつゝあるので、此表われとして其頃から各宗教に於ては、漸次病気が治らなくなって来たのである。
では何が理由かというと之こそ今日迄の凡ゆる宗教は夜の時代の救いで、月の神の守護であったからで、病気に対して月の光は薄いので、或程度以上の効果は困難であったのである。其処へ我メシヤ教出現に及んで俄然一変したのである。というのは本教は昼の宗教で日の神の守護であるから、日の光は月の六十倍に当り、其効果の絶大なる歴史上にも、嘗てない医の業であるからである。而も日が出れば月の光は漸次消えるから、本教の治病力は年と共に効果を増し、最近に到っては奇蹟相次ぎ、殆んどキリストと同様な治病報告は頻々と来るのである。
之によってみても霊界が昼となり、火素が増え、浄化力が強くなった事は疑う余地はない。而も其影響は宗教ばかりではない、医療にまでも及ぼして来た。近来医師がよくいう以前は随分効いた薬だが、近頃はサッパリ効かなくなったといって嘆いている。然し吾々にはよく分る。それは医療は排泄されんとする毒素を固める方法としての薬である以上、火素が増えるに従い薬では固まらなくなるのは勿論で、つまり溶ける力の方が強くなるからである。そこで益々毒を強める結果一時的効果がある。という訳で近頃の如く新薬が続出するのである。処が益々浄化が強くなり、遂には如何なる薬でも効かなくなり、行詰って了い医学の一大危機が来るのは当然であるから、茲に初めて本教浄霊に頭を下げざるを得なくなるのは、各宗教に於ての病院も同様であろう。故に此事を今から予言しても間違いないのである。」
                         

 (「宗教と病院」 昭和27年11月5日)

 

  

「社会事業的救済は他の機関に委せ、独自の救済を」

「(前略)社会事業の根本意義を書いてみよう、社会事業とか慈善事業とかいうものは、成程ないよりはマシであるが、端的にいえば一時的救済であって、根本的永遠性のものではない、何となれば社会の敗残者、無縁故者、難病者等の生存を保障するだけで畢竟消極的救済であるから、結局に於て国家の負担となり、マイナスであるからである。
  故に真の救済事業は積極的でなくてはならないが、実は今日迄言ふべくして行はれなかったのである、それにはどうしても力ある宗教が当らなくてはならない、之で真に救はれたとしたら、第一本人の幸福は固より、それに要する社会事業費も減殺されるばかりか、今度は反対に社会に利益を与える人間になるから、一挙三得という訳である。
  以上のような救済こそ、宗教の真の使命であって、即ち吾等が唱える宗教事業である、然るに既存の宗教に於ては、遺憾乍ら前述の如く積極的救済が行い得なかったが為、次善的社会事業によって存在理由を標榜していたのである、又当局も社会も、宗教は無力であるが、せめて社会事業を行うからとの理由で容諾しているというのが、今日の現実であろう。
  故に、本教としては、社会事業の如き消極的救済は他の機関に委せて積極的独自の救済を以て社会改善に役立つべき覚悟である、之を称して宗教事業というのである。」
                      

(「宗教事業と社会事業」 昭和24年5月25日)

 

  

「本教にしか出来ない救いを実行」

「(前略)本来宗教と社会事業とは、似て非なるものである。何となれば宗教は精神的救いであり、社会事業は物質的救いであるからである。といっても実際を見れば、今日少し大きい宗教になると、其殆んどは社会事業を経営しており、それが一般常識となって了っている位で、本教がそう見られるのも無理はないが、然しよく考えてみると、何程立派な宗教でも肝腎な宗教的救いの力がないとしたら、止むなく第二義手段として、社会事業を行るより外意義はないであろう。つまり社会事業によって宗教的無力をカバーする訳である。
然しそうはいうものゝ現在の如く救済を要する不幸な人々が、あり余る程出て来る社会としたら、理屈はどうでも早急に大量に救わなければならないのは勿論で、其点からいうと宗教を背景とした方が効果的であるから結構といってもよかろう。然し本教に至ってはそういう宗教とは根本的に異っているので、其点詳しくかいてみよう。
  それは何かというと、本教の方針は社会事業の如き末梢的救いは、他の機関に委せておけばいいとして、本教ならでは出来ない救いを実行するのである。恰度犯罪者の取締りに対しては、警察も牢獄もなくてはならないと同様の意味が社会事業であろう。
つまり現われた結果を対象としての手段であって、言わば膏薬張りにすぎないのである。従ってどうしても犯罪の根本に遡(サカノボ)って根原を除かない限り、真の解決とはならないのである。処が其本源が分らない為か、分っても其方法が物質以外の、嫌いな宗教であるからでもあろうが、相変らずの手段を繰返しているに過ぎないのである。
では其方法とは、言う迄もなく人間の魂の入れ替えである。悪玉を善玉にする事である。近頃医学でもよくいう病気になってからではもう遅い、どうしても発病しない内に方法を講じておくのが本当だ、つまり予防医学と同様であろう。処が本教は自由に魂の入れ替え即ち魂を善化する事が出来るのである。
それが本教の浄霊法であって、何よりも本教刊行の栄光新聞の御蔭話を読めば、思い半(ナカバ)にすぎるであろう。毎号病気、災害、貧乏から救われた幾多の奇蹟が満載してあり、一読驚異の外ないものばかりである。而もそれが日に月に漸増しつつあるので、近来は紙面の狭隘(キョウアイ)に困っているのである。勿論其悉くが本人の手記になるもので、其感謝感激の情は涙なくしては読まれない程で、中には若し本教を知らなかったら、今頃は社会事業の御厄介になっていたに違いないと、述懐(ジュッカイ)する者すら少なくないのである。之こそ予防医学ではない、予防宗教である。
そうして吾々の理想とする処は、社会事業の必要のない社会を作るにあるので、之が実現されてこそ真の文明世界であろう。処が本著の説に従えば必ず実現するのであるから、如何に偉大なものであるかが分るであろう。(後略)」 

 

(「本教と社会事業」 昭和27年8月27日)

  

「社会事業をやっているのは、科学に負けたから」

「(前略)今までの宗教は科学に押し倒されたわけです。そこで今までの宗教家も、科学には敵(カナ)わないと言ってカブトをぬいだというわけで、それがどの宗教でも病院を造っているという事です。それから社会事業などをやっているのは、つまり力が弱いから、科学に負けたわけです。(後略)」    

 (御教え集27号  昭和28年10月5日)