第一章 メシヤ様の御神格
8、メシヤ降誕
昭和25年の6月15日に、「神人合一」という境地に到達された岡田茂吉師ことメシヤ様ではありましたが、この時は、まだ自らメシヤであるとは名乗られませんでした。しかし、五六七大祭 (救53号 昭和25年3月11日)でのお言葉からも、既にメシヤであると感じ取れると思います。
そうして、その4年後の昭和29年4月19日に突然浄化に入られました。そして、浄化が続く中、6月5日に、幹部、教会長をはじめとして選ばれた者たちを碧雲荘に呼びました。
そして当日集まった人達は、「お庭に入るように」と指示を受け、一同が庭に移ると筵(むしろ)が敷いてあり、そこに整列してお言葉を賜わりました。
この筵(むしろ)の上に、多くの人を救ってきた教会長はじめ、人を救ってきたと自負する幹部や選ばれた者たちが上がったという事は、これはただ事ではない。これは何を意味するのか・・・読者の皆さんは、どのように考えられるでしょうか?
このことは、大変大切なことであると編集者は思っておりますが、このことについては、別の機会に譲ることとして、この項では避け、「メシヤ降誕」について、史実に沿って昭和29年の御教えを学んでいきたいと思います。
「メシヤが生まれた」
「ずいぶん若くなってるよ私の方は--メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないですね。新しく生まれるわけですね。ところが、年寄りになって生まれるのは変ですが、いちばんおもしろいのは、皮膚が赤ん坊のように柔かくなる。それからこのとおり、髪の毛が生まれたと同じような--床屋がこれを見て、子どもの頭髪だと言うんです。だんだん白いのがなくなって、黒いのばかりです。いまに黒髪になりますよ。だから、神様はおおいに若返れと、そして、仕事をしなきゃならんというわけなんです。
それで、今度のことについては、もう奇蹟っていうどころじゃない、奇蹟以上の奇蹟がたくさんあったんですけども、さしつかえない点だけはだんだん発表します。
それで、このメシヤというのは、世界中で最高の位(クライ)なんです。西洋では王の王ということになってますが。キングオブキングスと言ってその位をもってるんです。だから、私が出てはじめて人類は救われるのです。たいへんな事件なんです。それで、いろいろ話がしたいけれども、何しろまだ生まれたての赤ん坊なんですから、あんまり面倒くさいと嫌で、簡単に、要点だけを話をしたつもりです。また、この十五日にもっと詳しい話ができると思いますので、きょうはこのへんにして--。」
(「明主様御言葉」昭和29年6月5日)
このように話されて、メシヤが自らの肉体に降誕されたことを、教会長をはじめとする幹部たちに示されました。
この時、阿部執事より「メシヤの徴として明主様のお手に天下筋5本(掌から各指先まで延びる筋)がはっきりと表われた」と発表されました。
その年の5月29日、『今まで気付かなかったが、こんな手の筋が出来た』と仰せられ、掌のお手筋が指の上に向かってのびていることを側近にお示しになられると共に、6月3日には、『5日程前に気付いたのだが、手に世界を治める筋が現れた。このことは昭和6年6月15日に知らされていた』と再び側近に、掌に五本の筋が現れたことを仰せられていました。
また、それより前の4月23日の夜、号泣されているメシヤ様を叔母様が見られ尋ねると、『メシヤとして降誕し、大変結構なことである。その嬉しさに号泣したんだ』とお仰せになられたということです。
そして、昭和29年6月15日に、建設途上のメシヤ会館(旧救世会館)において「メシヤ降誕仮祝典」を挙行し、メシヤとして自らを拝させたのでした。しかし、この時は、「十五日にもっと詳しい話ができると思います」と話されていたにも拘らず、当日は「今日は何も言わぬ」と言われ、お言葉はいただけませんでした。誠に残念なことですが、この時、教団幹部はメシヤ様の御神格の受け止めが十分に出来ていなかったためのようでした。
これは御昇天後の話だと思われますが、ある時、ある人が○○管長の家に行ったら、
「明主様が主神でないということは、もとから思っとったよ。」
とこう言うそうで、
「だけど、事実、御神体様に向かってお願いしてどうにも治らんのが、明主様をお念じした時に治るとか、遠方から御守護お願いした時、その時間にキチンと治るじゃないか。」と言うと、
「それは君、そう思うからだよ。」
とこのように言ったということです。誠に残念でなりません。具体的表記はさけますが、この人の死に際は信仰者らしからぬ、大変壮絶というか言葉に表せないくらい悲惨であったということです。
話は戻りますが、この仮祝典の時期から約二カ月の間自ら「メシヤ」と称することで、人類待望のメシヤがこの地上に出現したことを内外に示されました。その二カ月の間の様子を一部紹介しましょう。
ある側近奉仕者の言葉として、
「昭和29年6月15日、メシヤ降誕仮祝典を熱海のメシヤ会館でなさって、その日の夕方に箱根にいらっしやいましたから、メシヤ様として生活をされたのは観山亭ですね。明主様は『私はメシヤとして最高の位についた。今日から皆で私のことをメシヤ様と言いなさい。私のことをメシヤ様と言えない者はここを出ていきなさい』とおっしやいました。そして『最高の位についたのだから、最高の言葉、最高の扱いをしなさい』と。」
また、6月17日のご様子の中に、
「メシヤ様は、『太田を呼べ』と仰せになり、その連絡を受けて、太田氏は作業場から急ぎ駆けつける。メシヤ様は太田氏が足袋を履いていないことに気付かれ、『メシヤの前に出るのに下袋を履いていないとはどういうことだ。長年私の元で奉仕しているためにいまも同じ気持ちでいるのだろう。私がメシヤとなった今、想念を改めて奉仕をしなければ、今後お許しにならなくなる』と厳しく仰せになられる。太田氏はお詫び申し上げると共に、他の奉仕者にもメシヤ様としての受け止めを確認する。」とあります。
また、6月22日には、メシヤ様は、『日光殿のメシア観音のご神体を私の写真(御尊影)に換えよ』と仰せられ、本金の雲盤形式のお額にメシヤ様の御尊影を入れ、3日間に亘って、日光殿での御参拝は、御簾をおろし、電気を消して天津祝詞を奏上。「天照皇大御神守り給へ幸倍賜へ」と奉唱するという「型」を示されました。
その祭典後、日光殿幹部室(後部和室)に於て会長会議が開かれ、その時の本部の役員より以下の説明があったということですが、ついに実行されずに終わってしまいました。
1、「明主様」を「メシヤ様」と申し上げる事になった。
1、「メシヤ様」は最高神であらせられるから今後は最高の敬語を使用しなければならない。
1、朝夕、祝詞を奉唱する時は「天照皇大御神守り給へ幸倍賜へ」と唱和させて頂く。
1、御神体はお写真(御尊影)にかわる。
1、お写真の御奉斎の前に御簾をお掛けする。それに伴い御神前の縦、横を採寸し、見取図を 作成して本部へ報告する。
そして、7月3日の出来事ですが、
「角○美○子は神山荘で料理をお作りしている時、一寸した心得違いからガスが顔面にかかり、二目と見られない程に火傷する。その上、前掛で顔を庇ったのがくっついて、とれなくなる。阿部執事は角田氏を急ぎ日光殿の御神前へ連れていき、お詫びとご守護のお願いをしてご浄霊を取り次ぐ。その一方で、他のお勝手奉仕者も角○氏の火傷を心配し、お側奉仕の樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願いしてはと、使いの者が観山亭へ行く。樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願い申し上げる。程なく激しい痛みがおさまる。翌朝起きてみると、やけどのあとはすっきりと直り、前より顔の膚がきれいになっていた。メシヤ様に角○は「私のように罪深い者がご祈願とご浄霊によりやけどのご浄化をこのようにご守護を頂きました。このご浄化で前より綺麗にならせて頂きました」とご報告を申し上げると『これが唯一の見本だよ。これからは祈願が第一である』と仰せられる。『それから“私の様なものが”ということは、これは大いなる間違いである』とお叱り給わる。『謙虚と卑下とー緒にしてはいけない。謙虚であるべき所は謙虚たるべきだが、卑下はいけない。“自分のような者”という事は絶対に思ったリ言ったりしてはいけない。どんな人でも神の御子である。神様がおつくりになったものである。“自分のような者”と卑下するのはまるで神様に意見するような形となる。すべて神様がなされていることであるから自分勝手に自分を考えてはいけない。またお前を使っているのはわたしだ。わたしが使う者に“私のような者”と言えば神様は変な者を使っているという事になるのではないか』と御教え賜わる。」というようなことがありました。
少し前に遡って、4月には、『これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい』と仰せられておられましたが、このように「メシヤ様」とお呼びするようになってからは、『これからは祈願が第一である』と仰せられているように、「メシヤ様」の御神格を十分認識すると共に、我々のメシヤ様に対する想念、姿勢、祈りが大変重要なことが理解できると思います。人間が神に合わすよう努力する事が重要ですが、信仰をしているという人の中にも、自分が中心で神を従にしているような人が多く見られるのは、残念なことです。
またここで、明主様を「メシヤ様」とお呼びすることにかかわる御教えを抜粋して紹介します。参考に学んでください。
「私に居る神様は一番最高、私が拝む神様は無い」
「(前略)この中にある「明主」というのは、つまり私の代理なのです。それで私の代理になって仕事をする私の部下の神様が幾人か居るのです。それで何かの重要な事に私として出るのです。ですから私と思って差支えないわけです。それから天理教の教祖の事は、何時か話をした事がありますが、静岡県の留置所に居る時にいろんな霊を呼んでいろいろ話をした時に天理教の教祖とも話をしたのです。それで救ってくれ、宜しいと言ったその事を言っているのです。
こういうような工合です。ですから私に居る神様は一番最高なのです。ですから私は神様を拝んだことはないと前にも言った事がありますが、私より上の神様は無いのだから、別に拝む神様は無いわけです。それで私は拝まないわけです。けれども、こういう事が時節によってはっきり出て来るので、私は自分で“オレは救世主だ”とか、そういう事は言いたくないのです。つまり事実で見せる、事実によって“なるほど”力と結果において“そうだ”という事を分って、それが本当なのです。(中略)」
今までのキリスト、釈迦、マホメット等は、こうやって(手をかざして)病気を治す事ができなかったですし、しかもこうやって病気を治す人を作れなかったのですから、そこにおいて、力において想像できるわけです。それで私は自分自身ああこうと、ドエライ事は言いたくないですから言わないのですが、だんだん時節に応じてそういう事が証拠立てられ、分らないわけにはゆかなくなって来るのです。(後略)」
(御教え集32号 昭和29年3月27日)
「或時期までは神様から発表を禁じられている」
「(前略)大体、メシヤとはキリスト教と深い関連があるので、此解釈は欧米に於ても諸説紛々として今以て決定はされないようである、というのは人智では深い神秘の奥を探り当る事は困難であるからである。
私自身としても未だメシヤとは名のらないと共に、キリストの再臨ともいはない、之は或時期までは神様から発表を禁じられてゐるからでもある、尤も仮にメシヤの降臨などと思はれでもしたら大変である、世界中からワーワーとやって来て、到底仕事など出来るものではないからである。
今日確実にいえる事は、世を救ふべく大経綸を行ふ事である、之は現に私が行ひつつある事実を見れば判る、救世(メシヤ)教の名を冠したのもその為である。(後略)」
(「五六七大祭」救53号 昭和25年3月11日)
「メシヤの降臨---選ばれた人間の肉体に宿る」
「キリストの再臨と云ひ、メシヤの降臨と云うが、これは肉体そのままを以て天から降るのではない。それは特殊の神霊が天から降下し、選ばれた人間の肉体に宿るのである。彌勒下生と云うも彌勒の御魂が下生、つまり下層社会に生れると云う訳である。又胎蔵彌勒と云う言葉があるが、之は仏教の内に胎中の期間を言うので、実は已に誕生されたのである。従而、彌勒が生れた以上仏界は最早消滅期に入ったのである。彌勒出現成就経に仏滅後彌勒が生れると云う事が書いてある。(後略)」 (
「天降説」昭和二十三年)
「私の名称に就て」
「(前略)私は現在は光明如来の働きを主にしておるので、釈迦如来、阿彌陀如来と同等の地位として、釈迦如来がよく曰われた十大弟子の意味と思えばいいのである、又浄霊を専門にしてる人と、普通信者と紛れ易いので、そう言った方が判り易いからでもある。
以前私は大先生と呼ばれた事があったが、其時は観世音菩薩という菩薩行であったからそれでよかったが、如来となってから明主の名にしたのである、又自観とは自分は観音の働きをしてるという意味であり、 (中略)
そうして神様は私の霊的地位や、仕事の関係などから、相応した名前を御付けになるので、今後と雖も名前が変るかも知れないし、変らないかも知れないと思うが、考えてみると明主の言霊は、メシヤと五十歩、百歩だから、或いはメシヤの名前になるかも知れないとも想っている。」
(栄121号 昭和26年9月12日)
「私は自分から救世主と名乗る事は好まない」
「(前略)救世主即ちメシヤなる言葉は、洋の東西を問はず、時の古今を問はず、如何に言ひ古された事であらう。全人類待望の救世主なる超人間的力の持主が、現実に此世の中に生れるべきものであらうかといふ事であるが、一部の宗教信者を除き、世界の大多数者は、単なる理想的希望でしかない、大きな夢でしかないと思ってゐると見るのが間違ひない事であらう。尤も俺は救世主だと誇称する人も稀にはあったが、時の推移と共に何れも消えてしまふにみても、未だ真の救世主は表はれない事は明かな事実である。
私は自分から救世主と名乗る事は好まないのである、といって救世主ではないと断定する事も出来得ないといふのが偽らざる告白である。実に救世主出現といふ事程重大なる問題は、人類史上曽てない事は今更いふ迄もない。此意味に於て決して軽々に論議すべきではない事も勿論である。飜って考ふるに、救世主出現は単なる人類の理想と極める事も出来得まい。何となればキリストの再臨もメシヤの降臨も、ミロク下生も、往昔の聖者が予言してゐるに於てをやである。故に、何時かは出現の可能性がある事を信じない訳にはゆかないのである。
之から私の心理描写にとりかかるのであるが、私は救世主の第一条件として以前から考えてゐた事は、何よりも先づ人間の病気を解決する事であって、人間の健康を完うし天寿を得させるといふ事の絶対的方法を授けると共に、それへ具体化する力を有する--その資格こそ救世主としての最大要素であらねばならない。勿論肉体の健康と相俟って、精神の健康が伴はなくてはならないのである。
ナザレの聖者キリストの曰った、「汝世界を得るとも、生命を失へば何の利かあらん」といふ有名な言葉によってみても明かである。此意味に於て、人類から病気を滅消し得る力のない宗教も、宗教家も、その価値は限定的のものしかないといえるであらう。私は此理論を常に抱懐してゐたのである。然るに、私が信仰生活に入って十数年を経た頃の或日、病気の根本原理と、その解決法とを知り得たのである。嗚呼、其時の私の驚きと喜びは、何人も想像はなし得ないであらう。何となれば今日迄の世界の人間のうち、之程大きな発見をしたものは絶無であったからである。如何なる大発見も大発明も、此事に比較すれば問題にはならない。実に私といふものは何たる不思議な運命を持って生れたものであらう。」
(「救世主は誰だ」昭和23年10月20日)
「私は許し主」
「メシヤといふのはヘブライ語ですから一寸日本語には解し難い。意味は救世主、救ひ主といふ事です。キリスト教の人はキリストが救ひ主だと信じてゐるが、本当は贖罪主であって救世主とは大変違ふのです。万民の罪を贖った人、罪の代表になり生命を「ギセイ」にして初めて許された人ですが、救世主の方は許されるのではなく許す方です。」
(御光話録 昭和23年9月28日)
「(前略)キリストは贖罪主なんです。贖罪主と言うのは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなものです。若し会社で色んな過ちがあつたりしますと、専務が代表者になつて、許して呉れと言つて社長にお詫びします。贖罪主と言うのは、そう言うものです。万民の罪を御自分が負つて、万民になり代つて十字架にかかる。贖罪主とは別に、社長――即ち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。私は許し主なんです。(後略)」
(御教え集9号 昭和27年4月6日)
「私に憑いている神様が一番光が強い」
「(前略)神様の格にあります。高い神様だと光が相当あります。普通は白い煙です。靄の様なのです。産土さん位になると薄光がある。神という名が附くと薄光がある。良い神様になると段々光が強くなつて来る。産土の神というと其土地丈の光しかない。それから国魂の神様というと、相当広い範囲になる。天照大神、素盞嗚尊とかそういう神様になると、日本とか朝鮮とか、それ丈の大きさの光になる。で、世界全部の光というと私に憑いているメシヤの神様です。之は世界全部になる。それで世界メシヤ教と言うのです。(中略)ですから、私に憑いている神様というのは一番光が強いのです。(後略)」
(御垂示録12号 昭和27年8月1日)