第一章 メシヤ様の御神格

 

6、メシヤ様と観音様の関係

 

ここで、メシヤ様と観世音菩薩様の関係、並びにメシヤ様と伊都能売神様、その他関連する御教えを多少抜粋して紹介させていただきますので、これらの御教えを通して一層理解を深めていただきたいと思います。

 

 

 「観世音菩薩の神懸り」

 

「(前略)今より拾余年前信仰生活に入り、八年前、観世音菩薩の神懸ありて種々の霊示を与へられ、それに依って健康法の真髄と医薬の欠陥を覚り得て、全く闇黒より白昼に出でしが如く明々となれり。(中略)更に進んで神霊的療法の霊力を享け、今日迄に千数百人に施したる処、其効果の顕著なる、人類史上全く空前なる成績を挙げつつあり。是に於て観世音菩薩の本願たる、救世済民の一方面として先づ医学の根本的革正を期し、此の文を草する所以なり。」      

(「 現代医薬の建直し」光世2号 昭和10年3月4日)

  

 

「観世音菩薩から無限光を供給される」

 

「(前略)私の腹中に平常は直径二寸位の光の玉がある、之は見た人もある、此玉の光の塊から光波は無限に放射されるのである、然らば此光の玉の其本源はどこにあるかといふと、之が霊界に於ける観世音菩薩の如意の玉から、私に向って無限光を供給されるのである、之が即ち観音力であり、不可思議力妙智力とも言はれるものである、如意輪観音が持し給ふ玉も之である。」

              

 (「神示の医学 浄霊の原理 -第三-」光号外 昭和24年5月30日)

 

 

「観世音菩薩と私との因縁」

 

「観世音菩薩と私との因縁に就て皆知りたがってゐるから、茲に開陳する事にする。

忘れもしない大正八年私が大本教の信仰を始めたが或事情の為、四五年空白、十三年再信仰になってから半年位経った頃、或人が訪ねて来て、其頃流行宗教であった大本教に関しての話を聞きたいといふのである。

種々の話をしてゐる最中、その人は、(地図の製作業者)私の顔を凝乎と見ながら、「大本教は観音様と関係があるのですか?」と訊くので、私は、「否、大本教は神道であるし、観音様は仏であるから関係はない。」と言ふと、その人は、「然し先生の座って居られる右の方に等身大の観音様が見える。」といふ。

つまり其人は、其時霊眼が開けたのである。(中略)尚その人は言葉をついで、「先生が今便所へお立ちになると、観音様が後からついて行かれ、先生がお座りになると同時に観音様もお座りになった。」又よく訊くと、「観音様は眼を閉じて居られ、お顔やお身体は、画や彫刻にある通りです。」-と言ふのである。

其後その人が私の家へ行かうと思ふと、眼の前にぱっと観音様が見える。-といふ事などを聞き、私も不思議に思った。それまで私は、観音様の信仰は全然しようとも思はなかった。処が右の事があって、「自分は観音様に何か因縁があるに違ひない。」と思った。それ以来、種々不思議な事が次々起る。(中略)

其後暫くして私は三月ばかり神懸にになった事がある。其時は種々の神や仏が懸ったが、其中で、観音様の御本体である伊都能売の神様が憑られ、私の使命を知らして呉れた。それは観音様が私の肉体を使って人類救済の大業をさせるといふ事や、二千六百年以前、釈迦出世の時代、観自在菩薩として印度補陀落迦山上に安住され、救道を垂れた事など、種々の因縁を明されたが、それ等は非常に興味津々たるものではあるが、何れ時が来たら説くつもりである。 (後略)」                    

                              (「観世音菩薩と私」自叢四 昭和24年10月5日)

 

 

「観音様は伊都能売之大神様」

 

「よく私が質かれる事に、「大先生は、観音信仰がよほど熱烈であられたと想像される。」といふのは、殆んど紋切型といってもいい。此想像は信者としても大部分はそうであらう。况んや第三者に於てをやである。処が驚く勿れ、私は観音信仰は全然なかったのである。ただ観音様は如何にも眉目秀麗、円満なる御容姿と、何宗でも祭られてあるその固着や、偏頗のない点に好感を持ってゐたまでである。処が前項の初めに書いた如く、私の傍に観音様の霊が始終附いておられる事を知って驚くと共に、此時を契機として観音様に関しての奇蹟が起り始めた。之等も追々発表するが、そのような訳で、終には観音様の御本体は伊都能売といふ神様である事を知り、何れ時機が来れば、観世音菩薩は或期間救ひの為に化身されたのであるから、最後には元の神位に復帰さるるといふ事なども判ったのである。そうして昭和元年から観音様は始終私の肉体に懸られ、私に種々な事を教へられ、命じられ、自由自在に私の肉体を使はれるのである。全く私を機関として一切衆生を救はせ給ふのである。

以上の如くであるから、私が観音を信仰して今日のやうになったのではない。全く観音様の方で私を道具に使はれるのである。此様な訳で私というものは、観音様の身代りといってもよからう。故に観音様といふ主人が思ひ通り使はれるので、私としては全然自由がない。といって観音様が揮はれる妙智力は自由無碍であるから、その点亦別でもある。一言にしていえば普通人より自由がなく、普通人より大自由があるといふ訳で、此心境はなかなか説明がし難い。普通人には想像すら出来ないからである。(後略)」                 

 

(「私の告白」自叢四 昭和二十四年十月五日)

 

「観音様は、日本の仏様と言ふ事は、日本より出でました神様の化身であらせられ、祝詞にもあります伊都能売之大神様であります。(後略)」

               

 (「大光明世界の建設(四) 本地垂迹説」光世四号 昭和10年1月11日)

 

「(前略)茲で神と仏に就て説明するが、何千年前世が替った時があって、すべての神々は仏として化現された、例えば月読尊は阿彌陀如来となり、天照大神は大日如来と、稚姫君尊は釈迦如来と、伊都能売神は観世音菩薩となったやうにである、(後略)」

                         

 (「本教は神道か仏教か」光11号 昭和24年5月31日)

 

「(前略)善言讃詞に観世音菩薩、光明如来と現じ応身弥勒と化し、とあるが、観音は伊都能売の神であり、弥勒の神の化身である。(後略)」                         

(「分霊と化身」講補S23.9.21)

 

 

伊都能売大神様は光明如来様」

 

伊都能売大神様は光明如来様で、火と水、五と三とになる。」      

                                                                                                           (講補 S24.9.18)

 

「観世音菩薩は国常立尊」

 

「(前略)国常立尊は霊は閻魔大王となられ、御肉体は、観世音菩薩となられた(後略)」                     

   (「国祖御隠退と八大龍王」講補S23)

 

「(前略)観世音菩薩は善悪無差別であるが、御本体の神は国常立尊様で、絶対悪は許さぬ。(後略)」

 

(講補 年代不明)

 

 

「観音様は天照皇大御神」

 

「(前略)然らば、観世音菩薩の御本体は、如何なる御方かと申すに、実は、畏れ多くも、天照皇大御神の慈悲に依る救世の代現神仏で被在(アラセ) らるるのである。

天照皇大御神は、主神の表現神で被在られ最尊最貴の御神格を具し給ひ、一あって二無き大神で被在られ、(中略)天地経綸上、国津神たる国常立尊に審判の権を与へ給ひ、同尊は幽界の主宰神として、閻魔大王となられたのである。又一方、伊都能売之大神に対し、救世の力を与え給ひしに由り、爰に、同神は観世音菩薩と化現され、絶対の慈悲を以て、一切衆生を救はせ給ふ本願を立てられ、今日に至ったものである、(後略)」

                   

 (「大光明世界の建設 観世音菩薩の御本体」観運 昭和十年九月十五日)

 

 

天照皇大神は国常立尊及び伊都能売大神に⌋

 

「世界御統治の為に、天照皇大神は別な神になられるのは前述の通りな訳であります。それでは何の様な神様と御成り遊ばすかと言うと、前記系図の如く国常立尊及び伊都能売大神となられるのであります。」              

(「第一講座」観講 昭和10年7月15日)

 

 

「観世音菩薩は主神の表現神」

 

「(前略)天の直系とは主神の表現神で、絶対力をもつ神といふ事になる。それが仏界へ表はれたのが観世音菩薩である。それで光明如来と現じ、応身弥勒と化し――とあるが、応身弥勒は未だ仏で、本当の意味ではない。それから、日月地大御神様となる。そして火水土三位一体の力を発揮せらるるのが、ミロクのお働きである。(後略)」                           

(「天の直系」講補)

 

「(前略)観音様は神の化身であり伊都能売大神ですがその上に主神が居られる。(中略)私のは主神の力が伊都能売大神を経て、更に私の体を通して皆に行くんです。(後略)」

                        (御光話録 昭和23年4月8日)

 

 

「観世音菩薩は第二天国」

 

「(前略)茲に注目すべき事は、霊界の天国に於ける構成とその集団的生活とである。それは大別して神界及び仏界であって、神界は天国であり、仏界は極楽浄土である。そうして仏界より神界の方が一段上位であるから、第一天国は神界のみで、仏界のそれは第二天国である。そうして第一天国の主宰神は日の大神天照皇大御神であり、第二天国の主宰神は月の大神素盞嗚尊であり、仏界のそれは観世音菩薩即ち光明如来である。(中略)

又、天国は三段階になってゐるが、その一段が亦上・中・下三段に分かれてゐる。故に第二天国でいへば、上位に観世音、中位が阿彌陀如来、下位が釈迦如来が主宰座(マシマ)すのである。(後略)」                  

 

(「霊界の構成」明医三 昭和18年10月23日)

 

「(前略)天国に於ける一段階に一主宰神あり、第一天国は太陽神である天照大御神であり、第二天国は月神である月読尊及神素盞嗚尊であり、第三天国は稚姫君尊(ワカヒメギミノミコト)である。又仏界は神界より一段低位で最高が第二天国に相応し、第一天国はない。第二天国は光明如来(観世音菩薩)第三天国は阿彌陀如来及び釈迦牟尼仏である。(後略)」

                    (「霊界の構成」天 昭和22年2月5日)

  

 

「観世音菩薩--光明如来--彌勒--メシヤ」

 

「(前略)観世音菩薩は光明如来と現じ給い、次は、彌勒又はメシヤの御活動をなされるのである。(後略)」    

                                              

 (「観音力とは何ぞや」自叢十二 昭和25年1月30日)

 

 

「明麿--自観--明主--メシヤ」

 

「(前略)私は現在は光明如来の働きを主にしておるので、釈迦如来、阿彌陀如来と同等の地位として、釈迦如来がよく曰われた十大弟子の意味と思えばいいのである、(中略)

以前私は大先生と呼ばれた事があったが、其時は観世音菩薩という菩薩行であったからそれでよかったが、如来となってから明主の名にしたのである、又自観とは自分は観音の働きをしてるという意味であり、その他和歌の名の明麿も斯ういう訳で付けたのである、それは皇太子殿下の御誕生が、昭和八年十二月廿三日で、十二月廿三日は私も同じ月日に生れたので、忘れもしない、生れて初めて、右の昭和八年十二月廿三日に、信者の勧めで誕生祝をしたのである、そんな訳で殿下の御名が明仁と発表されたのを記念したい為、其時明麿と名付けたのである、(中略)

そうして神様は私の霊的地位や、仕事の関係などから、相応した名前を御付けになるので、今後と雖も名前が変るかも知れないし、変らないかも知れないと思うが、考えてみると明主の言霊は、メシヤと五十歩、百歩だから、或いはメシヤの名前になるかも知れないとも想っている。」  

 

(「私の名称に就て」栄121号 昭和26年9月12日)

 

 

「大和民族の頭領、中心というのが私」

 

「(前略)之も私は段々時節に応じて発表する積りですが、日本人の内に又素晴しいものがあるのです。この一番素晴しいのは大和民族です。この大和民族の文化的智性というものは実に素晴しいものです。それが今迄隠れていた。というのは神武天皇以来色んな戦争で、平和より戦争の方が多かつたのです。それから権力争いです。そういう事の為に下積になつていた。私は大和民族の頭領なのです。ですからら愈々大和民族が出て来るのですが、大和民族というのは日の系統です。今迄の世界というのは月の世界、夜の世界だつたからして、月が出ている間は太陽は地球の裏側になつて暗闇(クラヤミ)になつていたというのが、今度愈々太陽が出て、月の夜が隠れて了う。そこで昼の民族というのが大和民族です。大和民族の中心というのが私です。それで日の神様が守護しているのです。(後略)」  

                                  (御教え集15号 昭和27年10月16日)

 

 

「私は大和民族の宗家」

 

「(前略)それで私は大和民族の宗家になるのですが、大和民族というのは、今の駿河の附近が発祥地なのです(本当は富士山の上なのですが)富士山の麓なのです。だから昔は富士山が本当の神様の山として、あそこの上に今でも木の花咲爺姫が祀ってありますが、そういった意味で、私は富士山と非常に因縁があるのです。(後略)」               

 

(御教え集33号 昭和29年4月7日)

 

大和民族は天照皇大神の系統です。(後略)」

                                              

 (御光話録 昭和23年7月8日)

 

 

「伊都能売神皇は大和民族の宗家」

 

「(前略)茲で、話は又最初に戻るが、右の数々の史実は、神示によれば斯うである。初め神素盞嗚尊が日本へ渡来した時、最初に上陸した地点が出雲国であった。処が当時日本の統治権を握っていたのが伊都能売神皇(イヅノメシンノウ)で、此神皇は余程古代からの、日本の真の主権者であったらしい。先ず、大和民族の宗家(ソウケ)といってもよかろう。

(後略)」            

(「日本人種の霊的考察(上)」地22号 昭和26年3月25日)