第一章 メシヤ様の御神格
5、「大日本観音会」立教
そうして、昭和3年2月4日、節分の日を期してメシヤ様は、信 仰生活に、専従の道へと歩まれました。
そしてその後は、霊の研究や霊的治療の研究、さらにはその力 を人に授ける方法などの研究を通して、昭和10年に宗教団体とし て立教されました。
その頃のご様子を下記の御論文で多少理解できるので、ここに掲載しました。
「7年間、一般人が習得できる浄霊を研究」
(「岡田式指圧療法の原理と其目的」医講 昭和十年)
「此療法の創成は、主神が、人類の最も苦悩とする病気疾患を根絶せんとなし給ふ御目的に出でたるものにして、その御目的遂行 の為表現仏たる観音の霊体を通じ、仁斎の肉体を活用させ、茲に、神人合一的大能力を発揮する到ったのである。 此大偉業の神命を受けたる余は、爾来、七年間、凡ゆる病者に 接触、研磨修錬を経、其間、観世音より、幾多の霊示を享けたる 結果、従来の医学の、殆んど夢想だもせざる治療成績を挙げ得たので、爰に、日本医学の新しき名の下に、人類救済の根本的大経綸を開始する事となったのである。
而して、此療法は、何人が修得すると雖も、余の許しを受くれば、其人の霊体を通じて発揮する観音力に依って、驚くべき治病能率を挙げ得るのである。」
「(前略)私は学問は極めて低い、唯画家を志して美術学校の予備門に入り、眼疾の為半途退学をしたのである、それから実業家たらんとして一時少し成功したが、終に大失敗をして失望懊悩の結果と生来の病弱を解決したい一念も手伝って宗教方面に趨り、霊の研究に趣味を持ち全身を打込んだのであった。それから"病気と霊との関係のある事"を知って、尚も研究に耽りつつ終に独特の治病法を創成したのであるが、それよりも病気と其原因とが想像もつかない意外の所にあるのを知ったのである。
そうしてそれは、はっきり知れば知る程、現代医学の理論と反対であって、西洋医学を基本としてゐる今日の政府の政策とは全然喰違ふので病気治療を廃めてしまったのである。(後略)」
(明医一「序論」 昭和17年9月28日)
「(前略)ここで本教の歴史をかいてみるが、昭和十年一月、大日本観音会の名の下に宗教団体として発足したのであるが当時は頗る微々たるもので信者の数も数十人に過ぎなかった、そうしてこれより先昭和元年頃霊的治療の研究を開始し、特殊の療法を創成し、昭和九年五月民間療法的に創めたのが抑々でその翌年一月宗教となり、翌十一年弾圧を受け一年数ケ月浪人生活を続け、昭和十二年秋民間療法専門に再発足したところ、数十人の門弟が出来た為生活の安全を得た事と、当局の取締りがあまりに厳しいので十五年秋廃業する事となった、其後戦争等もあり爾来七年間岡田式浄化療法の名によって技術者養成に専心し、数百人の門弟を造ったのである。(後略)」
(「本教を認識せよ」光44号 昭和25年1月7日)
「約10年間、人の死と霊界との関係を研究」
(「生と死」明医三 昭和18年10月23日)
「(前略)抑々、吾々の住むこの地上は「霊界と現界」に区別されてゐることは、已に述べた通りである。この理によって人間は、霊は霊界に属し、肉体は現界に属してゐるから、人が死ぬといふことは、肉体から霊が離脱して霊界に復帰することである。故に、一般人が考へてゐる死によって全部が消滅する--といふやうな解釈は、全然誤ってゐるのである。私は約十年間位、人の死と霊界との関係を徹底的に研究し、動かすべからざる根拠を把握し得たのである。(後略)」
「私の修業期間」
(御光話録 昭和23年2月28日)
「(前略)私が之を始めたのが昭和三年で、それから六年して昭和九年まで治療し、更に六年の昭和十五年まで上野毛でやり、更に六年、二十一年までが基礎工事なのです。私の修業は終った。去年からミロクの時代になった。霊界から日月地大神の御力が私の躰を通して人に働くんです。これから三年は現界の基礎工事、それが終ってから世界的になるんです。(後略)」
「菩薩、如来、日月地の働きの期間」
(御光話録 昭和23年3月28日
)
「(前略)私は昭和三年から六年間菩薩、九年から十五年まで如来、十六年から二十一年まで「日月地」の働きをしてゐたので。之は霊界であって現界は去年から「日月地」になった。一昨年までは私も治療したが、去年から出来なくなった。それは位が高くなって大衆と離れたためなんです。」
「宗教的にやろうとして大日本観音会を作った⌋
(「御講話(速記)五六七教会小田原別院に於て」昭和23年)
「(前略)私の仕事を始めたのは昭和三年で、三年から三年間が神 界の経綸である。六年目の昭和九年に、民間治療として麹町へ店開きした。それまでは大森に居た。
九年から十五年までは治療をした。初めは宗教的にやらうとして大日本観音会をやった。そして昭和九年の十月、不思議な事があった。観音会を始めたら宗教弾圧があり、当局では戦争準備として思想方面を取締り始めた。先づ一番初めに、共産党を弾圧し、次に宗教に及び、新宗教、類似宗教と無差別的に弾圧し、それに引っ掛ってやめる事となった。
であるから元々宗教であった。そして九年から十五年までの六年間で民間療法の土台を築いた。そして十五年にやめた。十六年から準備工作し、廿一年までの六年間で基礎工事が出来た。そして廿二年から家ならば本当の土台が出来、建前が出来、土台をつく事になった。所が疥癬でイキナリ苦しみイキナリ治った。之からが本当の仕事になる。
神幽現(六年、六年、六年)幽界は八衢、仏界になる。六年、六年、六年で丁度十八年間になる。
幽界の経綸の時は非常に苦しんだ。豚箱へは三度入った。最初は十一日間ゐた。警察ではイキナリ査べても何にもない。「斯ういふ宗教を査べると必ず婦人問題があるものだが無い。あっても解らぬのかもしれぬが、全く不思議だ」と言ってゐた。結局、大山鳴動して鼠一匹に終った。それから借金で非常に苦しかった。
それで十六年からズーッと楽になった。斯のように凡て決ってゐる。
前の仕事をすっかりやめて、専心神業に進んだのは昭和三年節分である。節分は意味があるが……。」
「体験から得た結論は、病気の原因は薬剤」
(「夜昼転換」天 昭和22年2月5日)
「私は約二十数年間に渉って治療した患者は無慮数万人に上ったであらう。その体験から得た結論は一言にしていへば「病気の原因は薬剤である。」といふ事である。凡ゆる病患の原因を探求すればする程、悉く薬剤ならざるはないのである。もし人類が之に目覚めない限り何時かは滅亡に至るべきは一点の疑ふ余地はない。(後略)」
これを読むと、病人の治療を通して神示の医学である「浄霊」を徹底されると共に、死後の世界をはじめとする霊界の研究をされていたことが伺われます。
そして、昭和10年1月1日、「大日本観音会」を立教されました。以下は、その時のお言葉の抜粋です。
「観音様が私の体を機関として大光明世界を造られる」
(「大光明世界の建設--会主仁斎先生の御話--」光世1号 昭和10年1月1日)
「今晩は観音会の目的たる、大光明世界建設のことについて、お話したいと思います。
大光明世界というのは、読んで字のごとく『観音の光』によって、闇のない世界ができるのであります。闇のない世界ということは、苦しみ悩みのない世界、罪悪のない世界であります。
こういう世の中が来ればいい、こういう世の中を造りたいということは、何千年前からもろもろの聖賢、あるいは大宗教家等が大いに教えを説き、骨を折ったんであります。
ところが、そういう世界は、今日までできなかった。それに似たような世界さえまだできません。それはただ、人類の理想だけにとどまるものとされて、そういう世界が果して、できるかどうか疑わしいというのが、今日までの状態でありました。
ところがそういう世界は、確かにできるんであります。
今や大急展開をもって、できんとしつつあるんであります。
それで、私はちょうど今から七年前に、観音、すなわち伊都能売之大神様から、知らされたんであります。その時にはまだ、本当にできるかどうか、正直を申しますと、多少は迷いがないでもなかったんであります。
ところが、その頃から今日まで数限りない奇蹟を見せられました。とうてい人智や経験では量れない、説明できない、驚くべきものなのであります。その奇蹟たるや、ことごとく、大光明世界の出来るということを裏書きし『絶対に間違いない』ということを示されたので、ますます信念が強くなり、もう自分によって、
そういう世界ができる、実は、観音様が私の体を機関として、そう言う世界を造られることが、一点の間違いないということが判ってきたのであります。(中略)
今日の小乗的信仰とは個人の利益、つまり自分が安楽に暮せばいゝ、自分の家族一族が倖せに暮せればいゝ、社会とか、国家とか人類とか、そういふものには一切関心をもたぬ、世によくある家内安全、無病息災商売繁昌などと拝む有難信仰がありますが、之が即ち個人本位の信仰であります。
次に大乗的信仰と称するのは、全然、之れと反対で、社会とか、国家とか、世界人類とか、そういふ大きい事を対象として、自分の事を無視するのであります、兄弟親子と別れ、家庭を犠牲にしてでも、世の為に尽すといふのであります。
之は一応甚だ立派なやうに見えます。成程、大きい救ひの為に、自己を犠牲にしてやるといふ事は、大変悲壮であって、立派であるが、矢張り之も、真理から言って間違ってゐるのであります。ただ特殊の場合止むを得ぬ事情に際会(サイカイ)した時を除く外、平常滅多にあるものではないのです。それで小乗でも駄目、大乗でも駄目だといふ事は明らかであります。(中略)
世界が天国になる事は、先づ世界を構成してゐる、単位を考へれば判るのであります。それは結局人間であります。世界は人間の集合体で国が出来、国は市町村から成り、市町村は家から成り、家は個人から成ってゐます、ですから単位たる個人が救はれねば、世界は救はれる筈はないのであります。
従って、個人の利益のみ主とする、小乗的信仰も間違ってをれば、個人を犠牲にする大乗的信仰も、間違ってゐるんであります。ツマリ両方共良くなり、全体が救はれなければならないのであります。個人が救はれ完成し、それが拡って世界が救はれ、完成されるのでありますから、先づ個人が救はれ完成しなければならないのであります。一軒の家が世界の型とすれば、一家が天国になって、救はれて世界は救はれる訳であります。
今迄にそういふ説は、あるにはありましたが、到底、実現はせないものと、諦められてゐたのであります。それは其開祖なり、其宗教なりに、力が足りなかった為であります。
今後、いよいよ観音力に依って、それが必ず、完成する事になったのであります。それで之を、最も解り易くいへば、病と貧と争の無い世界、病貧争のない家庭が出来る事であります。(中略)
千手観音様の御働きに由ってそうなるのであります。吾々は、其の機関に過ぎないのであります。然し之は「絶対の力」に由ってそうなるのであります。チャンと、そう太初(ハジメ) から神様が、御計画なされて決ってゐるのであります。
其の事を吾々は、全人類に向って知らせるのであり、世界全体をして東方に、眼を向けさせるのであります。之に由って、「滅ぶべき文明」危機に際する人類を、観音様に救って頂くのであります。そして風水火の大三災、飢病戦の小三災を絶無ならしむるのであります。病貧争のない「永遠の平和」と栄へ尽きざる「大光明世界」を建設するのであります。此の意味に於て、今日の発会式は、何千年来未だ無いところの「重大な意義」があるのであります。」
このようにおっしゃられて「大日本観音会」として立教されましたが、至る所に重要な示唆があります。1つは、「観音の光によって闇のない世界が出来る」ということです。「観音の光」とは「伊都能売之大神様の光」であり「天照皇大御神様=主神の光」です。この光によってできると言われています。
2つ目は、「大光明世界が出来るのは『絶対に間違いない』」ということです。そして3つ目は、メシヤ様によってそういう世界ができると、しかも一点の間違いもないと書かれています。
他の御教えから理解できると思いますが、先にも述べた、大和民族の宗家が伊都能売神皇(イヅノメシンノウ)様なのですから、岡田茂吉、メシヤ様ご自身が大和民族の頭領であり中心であり宗家と名乗っているということは、伊都能売神皇(イヅノメシンノウ)様=岡田茂吉、メシヤ様であるということになります。それから大切なのは、「個人が救はれねば、世界は救はれる筈はない」というところであります。そして「個人が救はれ完成し、それが拡って世界が救はれ、完成されるのでありますから、先づ個人が救はれ完成しなければならない」と、さらには「一軒の家が世界の型」とまでおっしゃっておられます。
言葉を変えて言えば、信者の皆さん一人一人、人間として個人の完成に向かう営みが大変重要であり、そのための信仰なんだと。そして家庭は世界を救う小さな型に雛形になるんだということをおっしゃっておられます。人間らしい人間、またそういう人間の集う家庭が出来ただけずつ、池に石を投げれば波紋が広がるように、世界に広がっていくと・・・。そういう意識で個人、家庭というものを見つめていく必要があるように思います。
この時、発表された御教えは大変重要な御教えですが、上記に掲載した御教えは抜粋していますので、ここに別ページとして御論文を少し長いですが、掲載したいと思います。
またこの時「大光明世界の建設」と題して、多くの御教えを発表になられていますので、その御教えも併せてここに掲載しますので、繰り返して拝読していただきたいと思います。
また、浄霊の奇跡や縁を許されてメシヤ様の信者になったのであれば、このメシヤ様のお言葉を素直に受け入れ、日々の生活に活かして自分自身を高め、下座の行を通して夜の時代に染み付いた癖をとる努力を積み重ねることが求められているのではないかと思います。そして、その感謝と共に報恩ということも考える必要があるのではないかと思います。
それから大切なのは、「個人が救はれねば、世界は救はれる筈はない」というところであります。そして「個人が救はれ完成し、それが拡って世界が救はれ、完成されるのでありますから、先づ個人が救はれ完成しなければならない」と、さらには「一軒の家が世界の型」とまでおっしゃっておられます。
言葉を変えて言えば、信者の皆さん一人一人、人間として個人の完成に向かう営みが大変重要であり、そのための信仰なんだと。そして家庭は世界を救う小さな型に雛形になるんだということをおっしゃっておられます。人間らしい人間、またそういう人間の集う家庭が出来ただけずつ、池に石を投げれば波紋が広がるように、世界に広がっていくと・・・。そういう意識で個人、家庭というものを見つめていく必要があるように思います。
この時、発表された御教えは大変重要な御教えですが、上記に掲載した御教えは抜粋していますので、ここに別ページとして御論文を少し長いですが、掲載したいと思います。
またこの時「大光明世界の建設」と題して、多くの御教えを発表になられていますので、その御教えも併せてここに掲載しますので、繰り返して拝読していただきたいと思います。
〔参考文献1〕
(光世1号 昭和10年1月1日)
(光世2号 昭和10年1月11日)
(光世2号 昭和10年1月11日)
(光世2号 昭和10年1月11日)
(光世2号 昭和10年1月11日)
(光世3号 昭和10年1月11日)
(光世3号 昭和10年1月11日)
(光世3号 昭和10年1月11日)
(光世4号 昭和10年1月11日)
(光世4号 昭和10年1月11日)
(光世4号 昭和10年1月11日)
(光世4号 昭和10年1月11日)