第一章 メシヤ様の御神格

 

 4、見 真 実

 

昭和元年の12月のある夜メシヤ様は、50万年以前の地球の創成期から人類の未来にわたるご神示を受け、神様とご自身の関係、そしてご自身が果たすべき使命を知らされました。

 この神示を受けられてからメシヤ様の人生は、百八十度の転換をされておられます。

 

 

「紙と筆を用意しろ」

                             

(「入信後の神懸り」 自叢四 昭和24年10月5日)

 

 「(前略)忘れもしない大正十五年、即ち昭和元年十二月或夜十二時頃、未だ嘗て経験した事のない不思議な感じが心に起った。それは何ともいえない壮快感を催すと共に、何かしら喋舌らずには居られない気がする。止めようとしても止められない、口を突いて出てくる力はどうしようもない。止むなく出るがままに任せた処、『紙と筆を用意しろ。』といふ言葉が最初であった。私は家内にそうさせた処、それから滾々と尽きぬ言葉は思ひもよらない事ばかりである。

先づ日本の原始時代史ともいふべきもので、五十万年以前の日本の創成記であった。其時代に於る人間生活が重なるもので、例えば猛獣毒蛇が横行し、人間はそれと日夜戦ってゐて、それを防ぐ為の仕事が重要な日課であった。殆んど穴居生活で火を燃し続け、絶えず敵襲に備えたのである。武器としては弓矢が一番先に出来た。勿論竹に藤弦を絡めたもので、大蛇に対してはその目を射る事を練習した。今日蛇の目といふのは、それから起った事である。言葉も手真似から漸次舌の運転となり、火の利用は割合早く、木を擦り合したり、石と石との衝撃で発火したのである。(中略)

此神憑りは七千年以前まで出たが、そこでピタリと止って了った。約三ケ月位であった。その記述は便箋にかいて約三四百枚はあったであらう。勿論大事に保存してゐたが、其後当局から度々弾圧され、その都度家宅捜索を受けたので、ブリキ缶へ入れ土へ埋めたりしてゐたが、未だ安心が出来ないので、終に焼却して了った。何故なれば皇室に関する事が割合多くあったので、其頃としては之が一番危険であったからである。

その記録の中、未来に関したものも相当あったが、之は今日発表する事は未だ時期の関係上困難である。満洲事変も太平洋戦争も、現在の世界情勢も、知らされた通り表はれたと共に、今後の世界の未来記も知らされてゐるが、発表出来ないのは実に遺憾である。

此事によって私といふものは、如何に重大なる使命を以て生れたかといふ事を知り得たので、茲に心気の大転換が起った。之は安閑としてはゐられない。よし全身全霊を此大聖業に没入しなければならないと覚悟をすると共に、昭和三年二月四日節分の日を期して、それまでの職業を支配人に無償で譲り、信仰生活に入る事となったのである。」   

  (「入信後の神懸り」 自叢四 昭和24年10月5日)

  

 

「全身全霊を打込んで信仰生活に入った」

 

「(前略)そうして漸次信仰生活の時を閲するに従って斯ういふ事を悟ったのである。それは私の失敗の原因であった社会悪減少の為に、志した新聞などは未だ効果が薄い。どうしても神霊に目醒めさせる-之だ。之でなくては駄目だ。どうしても人間の魂をゆり動かし目覚めさせなければ、悪の根を断つ事は不可能である事を知ったので、それからといふものは、寝食を忘れ、神霊の有無、神と人との関係、信仰の妙諦等の研究に没頭したのである。と共に次から次へと奇蹟が表はれる。例えば私が知りたいと思ふ事は、何等かの形や方法によって必ず示されるのである。そうだ確に神はある。それも頗る身近かに神は居られる。否私自身の中に居られるかも知れないと思ふ程、奇蹟の連続である。それ処ではない。私の前生も祖先も神との因縁も、私の此世に生れた大使命もはっきり判って来たのである。これは一大事だ。一大決心をしなくてはならない-といふ訳で、営業は全部支配人に任せ(後に全部無償で譲渡した)それからは全身全霊を打込んで信仰生活に入ったのである。それは忘れもしない昭和三年二月四日節分の日であった。

                          (「入信の動機」自叢九 昭和二十四年十二月三十日)

 

 明主様はこの御啓示に対し、「はてな」と名付けられた如く深い驚きと疑いを持ち、徹底して自らの腹中に鎮まった「光の玉」と問答をされましたが、身辺に現れる数多くの奇蹟を通して、自らに与えられた力と使命の大きさを自覚されました。

 見真実とは、過去から現在、そして未来のことまで一切がわかるという境地ということですが、メシヤ様は45歳、昭和元年に見真実になられたのでありますが、その事を書かれた御論文を紹介します。

 

 

「私は四十五歳にして見真実になった」

 

「(前略)そうして今日迄の宗教を初め、哲学、教育、思想等凡ゆるものは一切に対し或程度以上の解釈は不可能とされ、深奥なる核心に触れる事は出来ないとされた。彼の釈尊は七十二歳にして吾見真実となったと云い、日蓮は五十余歳にして見真実となったと云う事であるが、見真実とは、前述の核心に触れた事を言うのである。それによって明かとなったのが、釈尊に於ては法滅尽と彌勒下生であり、日蓮に於ては六百五十年後浄行菩薩が出現し、義農の世となるという事であった。キリストは見真実の言は発せられなかったが、「天国は近づけり」という事と、「キリスト再臨」の予言は、見真実によらなければ判る筈がないのである。其他昔から見真実でない迄も、それに近い聖者の幾人かは現われた事は想像され得るのである。そうして見真実を判り易くいえば、ピラミッドの頂点の位置に上ったと思えばいい。ピラミッドの高き尖端に立って俯瞰する時、高い程視野が広くなり、多くを見得るのと同様である。

茲で私の事を云わない訳にはゆかないが、私は四十五歳にして見真実になったのである。見真実の境地に入ってみれば、過現未に渉って一切が明かに知り得る。勿論過去の一切の誤りは浮び上って来ると共に、未来の世界も其時の人間の在り方も、判然と見通し得るのである。といって知り得た総てを今は語る訳にはゆかない。何となれば、サタンも提婆もパリサイ人も未だ妨害を続けつつあるからである。故に或範囲だけを発表するの余儀ない訳であるから、今一歩という所で、徹底しない悩みのなきにしも非ずであるが、之も経綸上止むを得ないのである。然し、今迄だけの発表でも前人のそれとは格段の相違のある事は、私の文章を読む限りの人は認識されたであろう。(後略)」   

                      

 (「神秘の扉は開かれたり」自叢十二 昭和25年1月30日)

 

 

「病気の根本原理と、解決法を知った」

 

「(前略)然るに、私が信仰生活に入って十数年を経た頃の或日、病気の根本原理と、その解決法とを知り得たのである。嗚呼、其時の私の驚きと喜びは、何人も想像はなし得ないであらう。何となれば今日迄の世界の人間のうち、之程大きな発見をしたものは絶無であったからである。如何なる大発見も大発明も、此事に比較すれば問題にはならない。実に私といふものは何たる不思議な運命を持って生れたものであらう。」

                                   (「救世主は誰だ」昭和23年10月20日)