第一章 メシヤ様の御神格
11、メシヤ様の証
この項は、「メシヤ様の証」というタイトルをつけていますが、昭和29年から30年の御昇天になるまでの期間に、側近奉仕者がメシヤ様から賜ったお言葉を中心に、抜粋して掲載しています。
〔その1〕
「昭和29年4月24日、『今まではお詫びをすれば許され、ご守護をいただいたが、これからは、お詫びだけでは駄目である。先に悔い改め、そして心よりお詫びしなければ許されない。また、お詫び申し上げてもお許しがあるのはそれだけの理由がなくてはならない』
とお仰せられた。」
(側近奉仕者)
〔その2〕
「昭和29年4月26日、理髪のために三枝敏三郎氏が来られ、明主様のお頭の髪の変化に気付く。「明主様は、不思議ですよ。前額部のビンのあたりのうしろの方の三ケ所の銀髪の中に黒い髪の毛が新しく、しかも沢山生えて来ているんですが、どういうわけでしょうか」とお伺いする。明主様は、
『私は浄化されて生まれ変ったんですよ。今赤ちゃんですよ。まだよちよち歩きの1才ですが、これからだんだんとよちよち歩きから歩けるようになり、その成長に従い黒い毛が生え、しまいには全部黒い毛になりますよ』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その3〕
「昭和29年4月28日、側近奉仕者に対し、『メシヤとして私の御神格が非常に高くなった。これからは我を
出さず素直になるように努めなくてはご奉仕は許されなくなる』
と厳しいお言葉を賜わる。また、『これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その4〕
「昭和29年5月6日、明主様は、お側奉仕の中村氏に、『新しくメシヤとして生まれた私に、如意宝珠の力が授けられた』
とお話を遊ばされ、『これは救世主にだけ与えられる力で、自分もびっくりしている』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その5〕
「昭和29年5月12日、御浄化後、御守護御願いの電報がずっと溜まっていた。今日は御体調がよろしいかと思い、御守護願いの報告を申し上げたところ、『今までと違う。これからは自らが神様へ心からお詫びと、お槌りする想念が大事なのだ』
と仰せられ、お叱りを頂く。」
(側近奉仕者)
〔その6〕
「昭和29年5月13日、『想念による新しい浄霊を発見した』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その7〕
「昭和29年5月20日、明主様はメシヤとして生まれたことを繰り返しお口になされる。『メシヤに生まれ変わったのではなくて、生まれたのだ』
と仰せられる。また『今は乳児なんだ』『今嬰児だ』
とも仰せになられる。」
(側近奉仕者)
〔その8〕
「昭和29年5月23日、午後9時30分、碧雲荘の温泉タンクの上方の隣家に火災が発生。明主様はその報告を聞かれると、短冊に何かをお書き遊ばされた。そして、『この短冊を火事場に投げよ』
と仰せられ、奉仕者に手渡される。奉仕者は火事場に行き、仰せの通りに短冊を火の中に投げ込む。不思議にも急に火は小さくなり程なく鎮火した。明主様は、
『短冊は燃えずに残っているから、取りに行って来なさい』
と仰せられる。奉仕者は火事場に行ってみると、短冊は焼け跡の所にそのまま残っていたという。
この時の隣家の火災について明主様は『この火事は意味があり、この日を境に、今までの乳児ではなくなった』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その9〕
「昭和29年6月3日、『5日程前に気付いたのだが、手に世界を治める筋が現れた。このことは昭和6年6月15日に知らされていた』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その10〕
「昭和29年6月15日、明主様は、『私はメシヤとして最高の位についた。今日から皆で私のことをメシヤ様と言いなさい。私のことをメシヤ様と言えない者はここを出ていきなさい』とおっしゃいました。そして、『最高の位についたのだから、最高の言葉、最高の扱いをしなさい』
とおっしゃいました。」
(側近奉仕者)
〔その11〕
「昭和29年7月3日、側近奉仕者、○田○代子は神山荘で料理をお作りしている時、一寸した心得違いからガスが顔面にかかり、二目と見られない程に火傷する。その上、前掛で顔を庇ったのがくっついて、とれなくなる。
阿部執事は○田氏を急ぎ日光殿の御神前へ連れていき、お詫びとご守護のお願いをしてご浄霊を取り次ぐ。その一方で、他のお勝手奉仕者も○田氏の火傷を心配し、お側奉仕の樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願いしてはと、使いの者が観山亭へ行く。樋口氏を通してメシヤ様にご守護をお願い申し上げる。程なく激しい痛みがおさまる。
翌朝起きてみると、やけどのあとはすっきりと直り、前より顔の膚がきれいになっていた。メシヤ様に○田は「私のように罪深い者がご祈願とご浄霊によりやけどのご浄化をこのようにご守護を頂きました。このご浄化で前より綺麗にならせて頂きました」
とご報告を申し上げると『これが唯一の見本だよ。これからは祈願が第一である』と仰せられる。『それから"私の様なものが"ということは、これは大いなる間違いである』
とお叱り給わる。」
(側近奉仕者)
〔その12〕
「昭和29年9月27日、メシヤ様は、尾○氏を呼ばれ、『大○栄○に、最後の審判が近づいている。救われたければ私のいうことを素直に聞かなければならない。世界人類を救うものが、そんなことでは駄目だ、と伝えよ』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
「昭和29年9月28日、阿部執事と大○氏と尾○氏を前にして、『お前たちは知らないだろうけど、救世教の信者でも最後の審判によって残される者は少ないんだぞ。それなのに、そんな気持でいたら、亡びるよりほかにないではないか。救われたいのなら、もっと心を入れかえなければならない』
とお言葉を頂き、心から御詫びを申し上げる。」
(側近奉仕者)
〔その13〕
「昭和29年11月3日、メシヤ様は、一週間に亘って続いた下痢と痰、咳のご浄化により御体調が悪く、全くご食欲がないご様子であらせられる。午前10時頃、奥様、おば様をお呼びになり、『朝から食欲がないから駄目かも知れない。体熱がでればよいが、出なければ駄目だ。死ぬかもしれないのでこれから私の気持ちを言うから』
と、御遺言様のことを仰せられた模様である。」
(側近奉仕者)
〔その14〕
「昭和29年12月11日、メシヤ様は、わるい方の御手で1分足らず長谷川氏を御浄霊遊ばす。その折、『これからは1千人位の浄霊をする時、1分とかからぬよ』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その15〕
「昭和29年12月14日、『今までは考えて物をするということもあったが、メシヤとなってからは、全くそれがなくなった。メシヤの都合で予定が急に変更することがあり、まるで分らぬ』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その16〕
「昭和30年1月6日、メシヤ様は、長谷川氏を前にして、『今に皆、この人(奥様の事を指される)の世話になるよ』
と仰せになられる。また、『これから、貴方方の世が来ますよ』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)
〔その17〕
「昭和30年1月14日、メシヤ様は、時聞を守らなかった事を厳しくお叱り遊ばされ、
『いつも馬車馬のように私を見つめていなければならない。よそ見してはいけない』
とご注意頂く。」
(側近奉仕者)
〔その18〕
「昭和30年2月5日、メシヤ様は、血を吐くご浄化を遊ばされ、『今に非常に浄化が厳しくなり、一度に血を吐いて死ぬ者も出るであろう』
と仰せられる。」
(側近奉仕者)