第六章 正神と邪神
3、悪魔の三巨頭について
③ 邪 鬼
「天のじゃくとは、天の邪鬼」
「(前略)国常立命は神の中の頭梁で引退と同時に家来の神々も引退した。そのあとは邪神が支配することになり、天若彦命がその総大将です。天のじゃくとは之で、天の邪鬼のことですね。人類が邪神に苦しめられるから、一方でその害を防ぐため、国常立命や正神界の神々――正神の中には邪神の方についた神もある――が、出られる時になったんです。仏に化けられたのは皆偉い神々です。が後には仏の中にも邪神についたり負けて了ったのも沢山ありますがね。(後略)」
(御光話録 昭和23年5月8日)
「(前略)邪神の総大将は天若彦である。之は天邪鬼といふのが本当である。その頃は朝鮮、支那等は陸続きであった。故に上野の松阪屋で掘る時マンモスの骨が出た事があり、九州でもそういふ事があった。
国常立尊は霊は閻魔大王となられ、御肉体は、観世音菩薩となられた。又何遍も此世にお生れになったのである。正神の中には、邪神に負けたり、邪神についたりしたものもある。
国祖の家臣で一緒に落ちたものは少数である。それ等は今度世に出られる。国祖は霊界ではすでにお出ましになっておられる。
夜の世では、邪神の支配になる防止策として仏教を造られたのである。」
(講話集補 S23)
「(前略)天若彦は洵に良くない。国常立尊が支配なされた時厳正至直の神なりし為、窮屈でやり切れぬといふので、天若彦は輿論をつくり、相談して御隠退を願った。尊は東北(芦別山といふ)へ隠退なされた。その後天若彦は我儘な政治をした。皮肉な性質で、人が右といへば左といふ、所謂天の邪鬼で、よく恐い顔した神にふまれてる彫刻がある。天若彦は邪神となって天の邪鬼となった。アマンジャクである。
この系統は日本人中にも非常に沢山ある。日本人中には随分皮肉の性質のものがある。アメリカ人にはこの系統はない。日本以外の国にはあまりないようである。」
(講話集補 年代不明)
「 (天地の律法である一夫一婦制を定め給ふた神様の御神名と、之の律法を最初に犯した神の名を御伺ひ申し上げます。)
一夫一婦制は国常立尊様がお決めになった。厳格な神様である。最初に之を犯したのが天若彦、之が世を乱したと書いてある。非常に女好きで、国常立尊を押込めた張本人で、世に天の邪鬼といふ。」
(講話集補 S23・7・4)