第六章 正神と邪神

 

5、龍神、狐霊、天狗、その他の動物霊について

 

③ 天狗について

 

「この天狗界は現界活動である。天狗は男ばかりである。天界、中界、下界とある。中で天狗界は中界であって、山岳地帯にあるのである。絵で見る彼の鼻の高い顔の赤い彼である。(中略)
  天狗中に人天、鳥天の二種がある。人天狗は神官、僧侶、学者等がなるのである。是等は良くも悪くもなくて天国へ登れず、地獄へも行かなかった連中の為の中界で、天狗界に入ったのである。(後略)」                    

 

 (観音講座 第四講座  天狗界 S10,8,15)

 

「天狗界は大体、各地の山嶽地帯の霊界であって、天狗なるものは、それぞれの山の守護としての役を司ってゐるのである。又名山などで、高級な神霊を鎮祭する所では、その神霊の下にあって、山に関する種々の業を司ってゐる。天狗界にも上中下の各階級があるのは勿論であり、総主宰神は鞍馬山に鎮座まします猿田彦命である。
  天狗には、人天及び鳥天の二種がある、人天とは人霊であって、現世に於て学者、文士、弁護士、教育家、神官、僧侶、昔は武士等の天狗的職業の者が、死後天狗界に入るのである。そうして鳥天とは、鳥の霊であって、鳥は死後悉く天狗界に入るのである。鳥天の中鷲や鷹の類は、現界と同様の威力を発揮して居る。以前私は小田原の道了権現の本尊が、或婦人に憑依したのを審神した事があったがそれは何千年前の巨大なる鷲であって、之は確実と思へる根拠があったのである。又烏天狗は烏の霊であって、之は天狗界では神的行事を司り、特に神聖なる階級とされてゐる。戦争等の場合、産土神の出陣の時、烏の霊が扈従(コジュウ)し、非常な働きをするそうである。又、木葉天狗といふのは小鳥の霊であって、之は伝令等の使者の役をしてゐる。
  昔から、天狗を鼻高と称へ、絵画や面など非常に鼻を高くしてゐるが、之は事実である。又赤い顔になってゐるが、天狗には酒豪が多いので、それを表徴したものであらう。
  爰で、霊界に於ける面貌に就てかいてみよう。霊界は曩に説いた如く想念の世界であるから、人間の面貌は想念通りに現出するのである。故に、天狗の如きは高慢にして人に屈する事を嫌ふ人士の想念がそのままの形となって表はれたものである。従而、醜悪なる想念の持主は醜悪なる面貌となり、善美な心の持主は、善美な容貌となるので、実に霊界に於ける事象は、凡て欺瞞は許されないのである。そうして死後想念が面貌へ表はれるには数ケ月乃至一年位までとされてゐる。
  次に、天狗の生活をかいてみよう。彼等が最も好み、而も専門的仕事としては議論を戦はす事である。それは議論弁舌が優越し、論戦に勝てば地位が向上するのであるから、彼等が無上のものとするのも当然である。故に現世に於ても代議士、弁護士等が論戦を好みそういふ職業に従事するのは、天狗の再生又は天狗の霊が憑依してゐるからである。又、議論の次に好むものは、碁、将棋である。私は天狗界の将棋を教はった事があったが、現界のそれとは余程異ふのである。又書画や詩文等も好むのである。そうして天狗界の言葉であるが、之も現世の人語とは余程異って殆んどサシスセソの音が主で、その変化によって意志を交換するのである。天狗が語る時は、上顎と口脣と舌端と三者合致してサシスセソの音声を出しながら、上下の口脣のみの動きによって言語の変化を表はすのである。
  又、天狗の空中飛翔は特に優れてゐて、よく子供などを拉(ラツ)し、空中飛翔によって遠方へ連れ去る話などがあるが、之等は事実であらう。彼の平田篤胤のかいた寅吉物語は天狗の飛翔術が主なるものである。又、天狗の霊は人に憑依する事を好み、人を驚かす事を得意とするのである。彼の牛若丸が五条の橋上で弁慶を飜弄したり、義経となってから壇浦の合戦の時、舟から舟へ飛鳥の如く乗り移ったといふ事なども、全く天狗の霊が憑依したものであって、彼が鞍馬山に於て修行の際、猿田彦命より優秀の天狗を守護神として差遣はされたものであらう。其他武芸者などが山嶽修業の結果、天狗飛切の術などと称し、転身の早業(ハヤワザ)を会得する如きは、天狗の憑依に外ならないのである。
  次に、修験者等が深山へ入り、断食や水行等の荒行をなし、一種の神通力又は治病力など、種々の霊力を得るといふ話がよくあるが、それ等も天狗が憑依するのである。斯ういふ天狗は一種の野心をもち、その人間を傀儡(カイライ)とし、現世に於て名誉又は物質等を得て、大いに時めく事を望んでかかるのであるが、之等は正しい意味に於ける神憑りではないので、一時は相当の通力を表はし、社会に喧伝せらるる事もあるが、時を経るに従ひ、通力が薄くなったり、其人が滅びたりして大成する者はないのである。彼の一時時めいた○○○○や○○○○及び○○○○○の如きも、此例に漏れないのである。そうして人間は断食や病気等によって心身共に衰弱する時、霊が憑依し易くなるものである。
  又、眼に一丁字もないやうな者が、突如として神憑りとなり、詩文や書などを達筆に書くといふ例なども、天狗の憑依に外ならないのである。
  又、理屈や議論を好み、横車を押したり、酒に酔ふと理屈を言ひ出す人などよくあるが之等も天狗の憑依者である。
  茲で、飲酒癖に就て解説してみよう。酒豪などが、何升もの酒を短時間で飲んでしまふ事は全く不思議と思はずにはゐられないのである。古から酒なら一升飲めるが水は一升飲めないといふ事をいふが、之は理由があるのであって、此事を私は世人に知らしたいのである。
  酒癖の原因は、酒を好む霊が憑依し、常に腹部に蟠居して居るのである。故に酒が腹中に入るや、その霊が酒の精を吸収するのであって、其結果、酒の体(タイ)は非常に減量するので、例へていへば一升の酒が一合以下になるといふ訳であるから驚くほど多量に飲めるのである。丁度、腹中に酒を吸ふ海綿があるやうなものである。
  そうして右の霊とは、天狗及び狸が重なるもので、稀には龍神もあるのである。酒を飲むと理屈を云ひ、盛んに議論をしたがるのは天狗の霊であり、又愉快になり笑ったり眠がったりするのは狸の霊である--と識るべきである。
  右の理によって、酒癖の人に対し、腹中に向って本療法を施すに於て、如何なる人と雖も酒量が減ずるのである。それは少量にて酔ふやうになるからで、以前五合飲んだ時の酔の程度が一合で同じようになるのである。それは酒を吸収する霊が畏縮するからである。之等も霊医術の特異的効果であらう。故に、本医術の修得者は、如何に酒癖のある人と雖も漸次それが治り、一二合以上は飲めないといふ普通人の程度になるのである。従而、本医術の治療士には酒癖の人は一人もないのである。
  天狗の憑依に就て、私の経験をかいてみよう。以前私は、武州の三峯山(ミツミネサン)へ登った事がある。其夜山頂の寺院に一泊したが、翌朝祝詞を奏上した際、私に憑った霊があるので訊いてみると「二百年位以前天狗界に入った霊であって、駿河国三保神社の神官であった」そうである。何故私に憑依したかといふと「或宗教書を読んで貰ひたい」といふのである。それで帰宅後私はその宗教書を出来るだけ読んでやったが、約半年位経って、彼は厚く礼を舒(ノ)べて帰山したのであった。
  茲で面白い事は、天狗の再生又は天狗霊の憑依者の面貌は鼻が高いのが特徴であり、理屈っぽく自慢を言ひたがるものである。そうして下座が嫌ひで人より上へ立ちたがり、又人の話を聞くよりも話を聞かせたがる事を好むのである。
  又鳥天の憑依者は、鳥の特色を表はして居るから口が尖り、声は鳥の如き単調音にて、性質は柔順で争ひを好まないから人に好かれるのである。特に鳥霊の憑依者は空中飛翔の夢をよく見るものである。」                    

 

(明医三「天狗界」S18.10.23)

        

「天狗は霊力が強く威張りたがる」

「(前略)狸霊や天狗の霊は大した事もないが、只天狗は霊力が強いのと、学問のあるのが多いので、彼等の中の野心家はそういう人間を掴えて躍らせ、世間に名声を博し、出世をさせて大いに威張りたがる。其様な訳で天狗の霊憑りは、昔から禅僧、学者、宗教の創立者などに多く、永続きする者は至って少ないのである。(後略)」                    

 

(「霊憑りに就て」S26.12.5)

  

「天狗・・・負けるのが嫌い、横車を押したり、口論する」

「(前略)男で、威張つたりするのは天狗ですよ。こう見て居れば間違ない。議会なんかで、色々議論したりしますが、あれは天狗ですからね。天狗と言うのは、負けるのが嫌ですからね。言い出したら通そうとする。議員だとか学者や弁護士だとか、ああ言うのは天狗が多いんです。横車を押したり、人に議論したりするのは、天狗に限るんです。何しろ天狗と言うのは問答が好きでして、天狗は問答して勝つたのが、位が上つていくんですから、議論して勝とうとしますね。みんな天狗ですよ。それは天狗も良い働きをしますよ。だから悪くはとれないんですが、然し余計な手数を掛ける丈のもので、天狗でも智慧のあるのは良いですが、余り智慧のないのは困るんですよ。年中争つたり――口争いですがね。人の感情を害したり、物事を捗らせなかつたり、そう言う事がありますからね。こう言う、天狗の憑いている人でも、段々神様の事が分れば、自分の欠点が分つて来ますから良い訳ですが、そう言う様に、大体参考にすれば良いですね。」                      

                                             

 

(御教え集9号  昭和27年4月6日)

          

「天狗は高慢、己惚れが強い」

「天狗は高慢、己惚れで現世でそういふ人々は天狗界へ行きます。職業的には弁護士、学者、神官、僧侶等です。天狗になる事は悪いとかいゝとかではない。天狗界は中有界の少しいゝ所で第三天国の下に当り山の守護を任として居ります。従って之は地獄、極楽とも異り別世界です。現界でもよく天狗の人がゐるが、之は一寸始末が悪い。(後略)」      

 

 (御光話録  昭和23年9月18日)