第六章 正神と邪神
3、悪魔の三巨頭について
② 金毛九尾の狐
「金毛九尾」について」
「鳥取県に賀露神社と言うのがありますが、そこの霊が出て参り、その神社には桃の実があります。黄泉比良坂の戦いの時、桃の実を投げる役目をしていたそうです。すると金毛九尾が沢山の眷族を連れて出て来、賀露神社の方も軍勢を集めて、最初桃の実を十八投げても収まらず、三十八投げて、それでも駄目で、五十づつ二回投げて、それで幾分退散したらしいのですが、親玉は浄霊しても祝詞を奏げても、全然手に負えません。之に対しては如何したら宜敷いでしようか」
それは本当でしよう。本物です。
「淫蕩的で、映画を見てもああ言う色目は見た事がありません。舞をまい、唄を歌い、吉備真備の袖の下に隠れて入つて来たと言つてました」
金毛九尾は今だつて大変な力があります。何故と言つて、つまり人間を淫蕩的に堕落させるんです。女ですね。皆んな金毛九尾がやつている。ストリツプ・ガール、パンパン――皆んな金毛九尾がやつている。そんな事ばかりではない。方々の妻君にも憑いている。
金毛九尾の力が無くなつたら、五六七の世です。五六七の世になる迄はやつてます。然し、段々弱つて来るが、未だ相当力が強い。金毛九尾に絶対に勝つのは私位しかない。他の者は負ける場合がある。然し負けつきりにはならない。神様の御守護があるから、そう恐れる事はない。兎に角、相当力のついた信者の妻君にも、どんどん憑つていきます。
「吉備真備の尊に聞いて見ましたら、信者の中にも居ると注意されました」
私の周囲にも相当居ります。
「吉備真備の霊が見える人に見て貰つたら、胴が一廻り位だそうです」
中位ですね。金毛九尾と言うのは、黒龍が活躍している。それから赤龍ですね。
「金毛と九尾は種類が違い、金毛は朝鮮から来て、九尾は唐から来た。と言つて居りますが」
そんな事はない。
「八面六臂と言いますか、あれは狐で――」
狐です。
(御垂示録2号 昭和26年9月8日)
「金毛九尾---金毛九尾の改心というのは大きなものです。つまりこの金毛九尾の罪というのは、人間を堕落させるそれが一番の罪です。ですから汚職事件なども、この金毛九尾の眷族が大いに働いたわけです。ですから奴の一番の働きは、女を使って男を堕落させるという事なのですが、そういうわけで金毛九尾の親玉が改心すると、そういう方面が余程きれいになります。ですから今政府でやっている私娼問題や何かも余程楽になるわけです。一度にはゆかないが、だんだんそうなるわけです。それから追々家庭も円満になってゆくわけです。
それから龍神というのは日本ばかりのように思われますが、日本ほど多くはないが外国にも沢山居ます。今度方々の龍神の状態がよく出てますから、読ませます。」
(御教え集33号 S29.4.15)
「金毛九尾---金毛九尾の改心という事は重大事なのです。つまり世界の人間を堕落させる一番の親玉なのです。今度の汚職問題にしろ、金毛九尾が一番活躍したでしょう。と言ったところで、みんな眷族ですが、眷族が何億と居るのです。これは、一番の急所を狙って虜にしてしまうのです。そうして金を使わして賄賂をとるようにさせるのです。パンパンというのは金毛九尾のごく下っ端の方です。だから金毛九尾が改心するという事は、つまりそういった面が大いに良くなるわけです。これがやっぱりミロクの世が近付いたために、霊界が明かるくなったためです。光が一番怖いのです。そこで今までの世の中では光というものが無かったからして、夜の世界だったから、いろんな好き放題な事を盛んにやったのですが、いよいよ光が出たので、どんな奴でも改心するよりしようがないのです。今までどおりにやれなくなったのです。(後略)」
(御教え集33号 S29.4.16)
「金毛九尾---金毛九尾は大変なものですから、これが改心したという事は非常な良い事なので、ミロクの世の最も有力な原因になるわけです。有力な働きになるわけです。金毛九尾というのは凡て女に憑っていて、男を堕落させるのが専門です。それで眷族が何億と居るのです。その中にいろいろな階級があって、汚職事件などは金毛九尾の働きなどがなかなかあるのです。あの人達が御馳走になったり賄賂をとったりするが、御馳走と言っても、食うだけでは大した御馳走ではないので、やっぱり芸者を買わしたり、そういうのが最も魅力があるのです。しかしそれも、金毛九尾の狐がただ堕落させるばかりでなく、一方非常に役には立っているわけです。やっぱり神様が使っている、拵えているわけです。というのは、ああいう活動があるために男が働くのです。あれがないと男はあんまり働かないです。ただ食ってゆけばよいというだけのものになります。女の魅力というのは大変なものです。男がみんな夢中で働くのは、みんな女のためです。男の活動力の源泉です。だからなかなか難かしいので、それは活動力の源泉になるし、罪の源泉にもなるのです。そこのところをうまくして、あんまり沢山悪い事をしないようにお灸を据えるのですが、それが今度の汚職事件です。だから凡て善悪共にみんな必要があってあるのだからして、大乗的に見れば「正邪一如」「善悪不二」になるわけです。そのどっちも善悪であり、それから悪はいけないというような、そういういろいろな真理を覚る、それが本当なのです。それで今は大分そういう方面の巨頭が改心しつつありますから、これが今に現界に写って来ると、それは実に結構な事になるのです。」
(御教え集33号 S29.4.17)