食と農
B-11-3、その他
「神社の豊凶の神示について」
“年一回の収穫に一ケ年を通じて精魂の限りをつくす農民は神社仏閣(岐阜県に於ては伊奈波神社、美江寺、観音寺)の農作物に対する豊凶及び晴、雨、風水害等の神示に非常に心を配りますが、御神示に従ひ働くのがよろしいか、参考にする程度がよろしいでせうか。御伺ひ申し上げます。
“御神示の要はない。その土地の産土様へお願ひするのは結構である。それは産土様が管轄している。人間の霊的状態によるので、徳を積む積まぬに因る。霊的状態が高い程裕かになる。
今迄だったらいろんな神様に頼むが、本教が出れば迷ふ所はない。月一回産土様へお詣りするといい。
(「豊凶と神示、(霊的状態と豊凶)」S24・5・25)
「神社の豊凶のお告げと虫害による不作」
「前に長野県に行きました時に、正月の行事で、諏訪神社と戸隠神社にその年の農業の情況の御神示をいただくのだそうですが、去年は非常に悪く、半作以下、桑などは三分の一になるという御告げがあったそうですが、そういう事も、或る点までは事実の事でございましょうか」
そうです。或る点までは……。そういう事ぐらいはああいう霊にも分らない事はないのです。
結局去年の水害というのは幾らも被害はなかったです。農林省の統計を見ると、去年一番出来たのが九州で九十七%です。その次が四国で九十四%です。他はガタ落ちです。ところが一番水害があった所が一番良く出来たのですから、随分皮肉です。一番の不作の原因というのは虫害です。ところが冷害で若しいけないとすれば、自然栽培の方は冷害の被害はあんまり無かったから、結局虫害です。それで虫害というのは肥毒のためだから、結局肥料で凶作にしたのです。それに目覚めない限り年々悪くなります。
(御垂示録28号 昭和29年2月1日)
「看板の効果」
(前略)今日の朝日新聞かに、米の競争で、一等が反当六石一斗三升二合という事が出てました。約十五俵幾らかですから、十六俵穫ればいいわけです。種にも土にも肥料を入れなければ十六俵くらいはわけはありません。
「それにつきまして御奉告させていただきます。神光会でございますが、名古屋から長野に参ります途中の瑞浪という所でございまして、汽車からよく見えます所に畳一畳くらいのトタンにペンキで“自然耕作、金肥人肥は毒だ”という様な事を書いて出して居りますが、今年は反当十八俵でございました。今年で四年目でございます。先日その座談会の記事を提出させていただいております」
来年は是非朝日に出すといいです。それは断然いいですね。
「初年度は大して増収はございませんでしたが、二年目から目茶目茶に穫れました。又看板を大きくするほど多く穫れる様になりました」
看板のために神様は特に多くしなければならないというわけでそうなったのです。神様はうまくやられるわけです。
(御垂示録17号 昭和28年2月1日)
「千葉県の方で、自然栽培をやり、村でも評判になり色々言われているんだから、どうせの事に、看板をあげて一年目の時は一年目と書いて立てましたが、素直に立てたのは成績が良く、渋々やつたのは成績が悪いので御座います。汽車に乗つて居りまして見えます。大きな看板を見て驚く人、笑つている人、熱心に聞く人と分れて居ります。反収一俵半位増収の見込みで御座います。村中の評判になつており、その為に五、六人入信致しました」
それは、意気込みが違いますからね。思案すると、それ丈けね。稲だつて生きているんですからね。稲だつて「よーし」となります。
「言霊の働きは力があるんだから、文字にもあると思い、看板を立てたので御座います」
そうですよ。浄霊だつて文字でやるんだからね。何と書いた。
「世界救世教自然農耕法何年目と名前を書いてます」
全部書いたね。言霊で「田んぼに、うんと実を生らして呉れ」「頼むぜ」「うん」とね。
「肥(コヤシ)はやらんと言つてやりました」
そうすると、作物は喜びます。作物は、肥量の為に何の位苦しんだか分らない。沢山生りたいと思つても、それ丈け邪魔されるんだからね。
「私は、少し位やつたのは、近所の臭い丈けで参つちやうと言うんです」
試しでも、ちゃんとやれば良いがね。
(御垂示録4号 昭和26年11月1日)