食と農
B-11-1-③、その他
「移植の可否」
“麦、南瓜、菜種等移植をすると良く出来ると言ひます。特に茄子など何回もしますが、どういふものでせうか。蒔き放しでもとれますが如何でせうか。
“移植せぬ方がよい。根を痛め、土が代るから弱る。稲など直播するが、その方がよい。南洋では牛の足跡へ蒔く。茄子など連作を不可としている。
(「移植の可否」S23・12・26)
「立春後と春蒔では蔓巻き方が違う」
【問】春蒔の蔓の出る植物は左巻きが通例ですが、立春後に種を蒔くと蔓が必ず右巻きになるのは如何なる訳でせうか。
【答】それはそうなるべきである。春は日で秋は月である。日は霊で左まき、月は体で右まきであるのは理窟に合つてゐる。
(「地上天国7号 妙智之光」昭和24年8月30日)
「無肥料耕作で成熟せず」
“私は本年大麦と小麦を一反三畝程無肥料耕作をしましたが、只今は麦は黄色く細って居ります。村の人は散々悪口を言いますが、今からどの様にすれば宜しいでしょうか。
“肥料中毒にかかっているので、肥料をやめると威勢よくなくなる。酒をやめるとボンヤリするようなもので、こういう具合でも段々収穫になると勢いがよくなり、沢山出来るという例がある。であるから、悲観した事はない。
(「無肥料で不成熟」S24・3・16)
「自然栽培で発芽せず」
“久保田こよしと申す信徒、本年初めて無肥料耕作をしたのですが、野菜類、麦、大豆等は今の処有肥料より幾分収穫がある様ですが、煙草、甜菜(テンサイ)の二種は全然発芽致しません。播く前に御浄霊したのですが、甜菜と同じ土地へ野菜も一緒に播いたのは非常に多く発芽し大きくなって居ります。他の有肥料耕作の甜菜、煙草等は良く出来て居ります。如何なる訳で御座いましょうか。御伺い申し上げます。
“(植物の性質もあるが)肥毒を多く食い過ぎている。(それで肥料を吸うように性能が変っているので、土の養分を吸う性能が出て来ない)全然発芽しない訳はない。
外に原因があろう。煙草など特に無肥でよく出来る。肥料が適するよう茎の性質が変ってくるものである。
(「自然栽培で発芽せず」S24・9・8)
「柴田酵素について」
“無肥料栽培に切換え時の減収を防ぐ為に、 肥毒除去期間「柴田酵素」を利用すると共に、浄霊し多年硫安施用より来る硫酸根の害毒を除去し、急速な増産と品質改良を図ることは如何で御座居ますか。
“自然栽培は大自然に順応すべきもので、柴田酵素の如き、人為的ではいけない。土は清いものである。そのままにしておけば自然に肥毒は抜けてゆく。
(「柴田酵素」S25・5・16)
「胡瓜、茄子の栽培で不幸が起る?」
“山形の一地方では胡瓜、茄子等を栽培すると不幸が起るのですが――
“そんな事はない。まあ全然出鱈目ではないが、これからは大丈夫です。霊界が昼になると違ってくる。――肥料をやると駄目になるのもその為です。そこに気がつかないから相変らず肥料をやってゐるのです。
(御光話録 昭和23年9月8日)
「栽培禁じた野菜」
“私の地方では「栽培してはいけない」と云われているもの(例えば、きうり、ごま等)を栽培致しますと不幸が必ず起りますが、如何致したらよろしいでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。
“斯んな事はない。出鱈目ではなく、訳はないが(あるが)、これからは大丈夫である。
変な邪神か何かが何かの訳があって嫌ふんだと思ふ。
霊界が昼間になると違ってくる。それで肥料が駄目になる。それで無肥料が効果があるようになる。一番いけないのは硫安等の肥料で、硫安は米から人間の身体へ入ってくる。それが非常に人体に害を及ぼす事甚大である。 回虫もやはり糞から入る。大体無肥は、最初三分の二、二年目は三分の一、三年目が同じ位、四年目から増収。
その場合、不吉な事が起るといふのは、これは迷信だと思ふ。普通の人間は始終悪い事が起っている。之は科学肥料の為と思ふ。水の関係もあらう。此為の悪い事があるなら、神様が教へる。
(「栽培禁じた野菜」年月日不明)
「禁作の野菜---胡瓜が作れないわけ」
“福井県吉田郡森田町附近では胡瓜が作れず、他処より購入致して居ります。言ひ伝へに依ると、神様が胡瓜柵にて眼を突いたとか言はれます。作って祟ったと思はれる例も沢山ありますが如何なる訳でせうか。
“胡瓜の柵で眼を突いた人があり、胡瓜作りに怨みを残して代々胡瓜を作らせぬといふ怨みで祟り、いつか伝説のようになったものである。然し、作っても差支えはない。本教信者で作れば怨みは出来ぬ。こういふ事は長くは続かぬ。
(「禁作の野菜」S24・10・6)
「胡瓜、玉蜀黍を作ってはいけない風習」
“農家に於て、家例により胡瓜、蜀黍等を作ってはいけないと申し伝えられてありますが、迷信で御座居ましょうか。
“死の原因となった野菜を霊が怨んだりなどして、食ふ人を殺したりする。それは一時的で、御神意に叛く。
(「作物禁止の家例」年代不明)