「食と農」

 

「食」について

 

B-10、「田(稲)」等について

B-10、「田(稲)」等について

     「米は神が人間を養う為に造られた物」

  (前略)未信者では一寸分り難いが、元来人間の主食である米というものは、神が人間を養うが為に造られた物である以上、人口が如何に増えても必要量だけは必ず生産される筈である。処が現在の如く一カ年二千万石も不足するというのは、全く間違った農耕法、即ち人為肥料を用いるからであって、前記の如く五割以上増産になるとしたら、日本経済はどうなるであろう。借金王国の有難くない名は逆となって、国民は鼓腹撃壌という文字通りの時代が来るのは必定である。斯んな事をいうと余りに棚ボタ式で、反って疑念が起るかも知れないが、私は根拠のない事は言わない。実績報告中にもある通り、自然栽培によって肥毒がなくなるに従い、稲は穂に穂が出る。即ち一本の茎から何本もの枝が出て、その枝に悉く実が生るから、少なく共一茎で三百乃至五百粒は確かである。その上虫害もなく、風水害も激減するとしたら、昔から言われる豊葦原瑞穂の国の名に愧じない国となるであろう。以上によってみても、今後日本の人口が一億になり、二億になり、三億になっても、現在の耕地面積そのままで充分養える事は、断言して憚らないのである。(後略)
         (「農業の大革命  五カ年にして米の五割増産は確実(二)」革自  昭和28年5月5日)


「無肥料の米を食べると平和的になる」

  (前略)無肥料の米を食つていると、肥毒が人間に入らないから、曇りが少ないから毒血が少なくなるから、病気も起らなくなる。けれども薬を飲んでは何んにもならないがね。そうすると、人間が非常に平和的になる。そうすると、戦争を好まなくなるから、戦争が無くなる。さつきも論文で言つたが、悪と言うのは必要だつたからです。物質文明を発達させるのに必要だつたが、もう戦争は必要なくなつた。丁度、恐龍やマンモスが地球を踏み固めたが、軟かかつたから踏み固めていたが、固まつたから要らなくなつて、ああ言うのは無くなつた。必要があれば有るので、必要がなければ無くなる。悪も戦争も、今迄は必要があつたからだが、もう必要が無くなつた。むしろ、無い方が良い。その手段としては、神が有ると言う事を見せなければならない。見せなければならないと言つても、理窟ではいけないから、メシヤ教でやるとどんなに頑固に言つても病気が治るので、頭を下げて来ると言う事になる。その点がはつきり解れば何でもないですね。私がその役割なんだから、病気も農作物でも、実際の証拠を見せてやつているんです。理窟は同じなんだからね。                              (御垂示録4号  昭和26年11月5日)


「米の根本的意味と救いの米作法について」

  (前略)茲で米というものの根本的意味をかいてみるが、抑々造物主が人間を造ると共に、人間が生きてゆける丈の主食を与えられた。それが米麦であって、黄色人種は米、白色人種は麦となっている。それを成育すべく造られたものが土壌である事は、何人も否定する事は出来まい。としたら人口が如何に増えても、その必要量だけは必ず生産される筈である。若しそうでないとしたら、必ずや何処かに大きな誤りがあるに違いないから、その誤りを発見し是正すればいいので、それ以外増産の道は絶対あり得ないのである。この意味に於て我国の人口が現在八千四百万人とすれば、一人一石とみて八千四百万石は必ず穫れる筈である。処が現在は平年作六千四百万石としたら、二千万石は不足している訳で、この原因こそ金肥人肥の為であるから、その無智驚くべきである。処が喜ぶべし、私はこの盲点を発見し、茲に自然農法が生まれたのであって、これによれば五カ年で五割増産となるから九千六百万石となり、優に一千二百万石は余る事になる。しかも肥料も要らず、労力も省け、風水害にも被害軽少で済、現在最も難問題とされている虫害は殆んど皆無と同様となるとしたら、その経済上に及ぼす利益は何千億に上るか一寸見当はつかないであろう。この夢のような米作法こそ開闢以来未だ嘗てない大いなる救いといえよう。私はそれを立証する為、数年前から多くの農民を動員し、実行を奨励した結果、予期通りの成果を得たので、ここに確信を以て天下に発表するのである。しかも報告者の宿所姓名まで詳記してあるから、不審のある場合直接本人に打つかって訊けば何よりである。
  以上の如く理論からも実際からも、一点の疑問の余地はないのであるから、農耕者としたら何を措いても一刻も速かに実行に取掛るべきである。そうしてここに誰も気のつかない処に今一つの重要事がある。それは硫安の如き化学肥料や糞尿を用いる以上、それらの毒分は無論稲が吸収するから、今日の人間は毒入り米を毎日三度三度食っている訳であるから、その毒は健康上どの位害を及ぼしているか分らないのである。事実近頃の人間の弱さと病気に罹り易い事と、特に寄生虫患者が農村に多い事など考え合わす時、これが最大原因である事は考えるまでもあるまい。以上によって大体分ったであろうが、この肥料迷信発見こそ、国家国民に対し計り知れない一大福音であろう。(後略)                   (「自然栽培に就いて」革自  昭和28年5月5日)


「米作の技術面について」

   (前略)次に技術面であるが、知らるる如く現在の水田は、長年の肥料の為表面は肥毒の壁のようになっているから、これを突破って天地返しをする事であるが、これも深すぎても浅すぎてもいけない。その土地にもよるが先ず一尺前後位がよかろう。その際客土を使えば尚更いい。それだけ浄土が増え、肥毒が中和されるからである。又株間も一尺前後がよく、二、三本植がいいようである。併し技術面はその土地の気候や状態にもよるから、適当に按配する事である。次に藁を使う事は廃めた方がいい。何よりも土以外の異物は決して入れないようにすべきである。では何故藁を使ったかというと、これには訳がある。日本が占領当時、占領軍の規則の中に、農作物は肥料を施すべしとの条項があったそうで、それを利用し当時無肥料栽培の名称であったのを種に、金銭を強請ろうとした奴がいて、あわよくば本教を潰して信者を獲得しようとする企みも背後にあったようで、危険であるから、私は自然農法と改め、肥料として藁を使わせたのである。(後略)      

                                        (「本農法の技術面その他」栄245号  昭和29年1月27日)


「稲の品種も地域で違う」

(前略)もう一つは、米の本質――種類ですね。之は、未だ知らないだろうが、神様は最初米を作られたのは一つなんですよ。それが段々年代が経つに従つて色々分れて来た。それは何ういう訳かというと、土地の――土がみな違うんです。それと気候ですね。それから水の多い少いとかですね。土の変化という事も、精しく言うと色々あるんですが、一番気のつかない事は地霊ですね。地球の中心の火ですね。火から始終霊気が立つているので、それが地層を通つて地殻を通して発散している。その時に地殻の変化が色々ある。厚い処と薄い処がある。それから又亀裂がある。その為に亀裂の処からは地霊が強く発散する訳ですね。そうすると、土に変化を起す。鉱物というのは亀裂の処から霊気が強く発散しますから、硬化作用が強いので、鉱物が発生する。之は全然学問にもないので、思いもつかないんですが、本当はそうです。そこで地層の厚い薄いが非常に関係がある。地球上でも、日本は地層が割合薄い。というのは、日本は新しく出来たですからね。之は信仰雑話にも書いてあります。地層が薄いから地霊が強く出るので、日本の土というのは非常に肥えている。世界中で一番肥えている。そこで、日本で自然栽培をやれば良く穫れる。それを知らない為に色んな事で地力を殺しちやうから、収穫が無くなる。それで今日の様に輸入しなければならない。一カ年に一千万石も――人間の食う丈足りないというのは、そういう訳です。
  それからもう一つは、その土地に生える木の多い少いは大変関係がある。日本は木が多いですからね。雨が降つて、木の汁が流れていつて土に変化を起させる。それから山が沢山ある。山の蔭になつたり、色々して土に変化を及ぼす。そんな様な色んな関係があつて、そこで稲の品種が違つて来るんです。品種が違つて来て、それで良いんですがね。それを、北海道に出来たものを本土に持つて行つて植えるとか、九州に出来たものを関東に持つて行つて植えるというのが間違つている。種というのは、その土地に適当した様に出来ている。北海道のジヤガイモなんかが良いといつて、こつちに持つて来て植えるのは間違つている。あつちは広いので肥料が行渡らないから良いので、こつちでも肥料をやらなければ成績は良くなる。そんな事を知らないから可哀相なものです。品種なんてどつちでも良い、一年でも無肥料で育つた種なら良いんです。(後略)                      (御教え集9号  昭和27年4月26日)


「信者の田は二度高い」

  それから冷害と言うことは、つまり熱がないのですが、これを普通の人は知らないのですが、霊界は――霊界には限らないが、熱いのは火の物質です。そうすると火の霊は肉体には……少しは熱いですが……それほどは感じないのです。しかし少しでも熱いという事は、大変な力があるのです。これは物質の熱よりかもっとずっと力があるのです。(中略)田で試験したのですが、信者の田は他の人の田より二度高いのです。だから米もよく出来るわけです。これは霊の物質化です。(中略)そこで冷害という事は気候が寒いという事以外に、霊の光が足りない、少ないのです。それで霊の光と言っても、人間は曇りの少ない人は霊的光が強いから、そこで温かいわけです。人間でも、つめたい感じの人と温かい感じの人がありますが、温かい感じのする人の方が霊に火素があるわけです。だからそういう人は愛がある人です。(中略)人間の愛の熱というものは非常に影響するものです。これはそこの家庭に入っても分ります。玄関に入ってゆくと、主人公に愛のある家だと何んとなく感じが良いですが、入って行ってつめたいというのは――つめたいと実にいやなもので、それがありありと分りますが――それはやっぱり主人にあるものです。そういう事が農作物にまで非常に影響するのです。だから信者になった人の作物がよく出来るという事は、無肥料のためと、もう一つは主人公の愛です。それで畦(アゼ)一つでチャンと区切っていて、隣の田とはまるで違うそうですが、それはそういうわけです。霊界が違うわけです。(後略)                        (御教え集26号  昭和28年9月17日)


「風水害や冷害に強い稲作りを」

つまり天候が悪くても、風水害があっても、冷害があっても、ビクともしないという稲を作ればよいのですが、その方法を知らないのです。丁度人間で言うと黴菌が入っても何んでもない、起こらないという強硬な人間になればよいのです。(中略)この間の報告で面白いのがありました。三重県の方ですか、高潮のために海水を被った田地ですが、他の田地は全部駄目になつたが、その中に自然栽培の田地だけが被害を受けないで、元通りに青く当り前になっているというのです。ですからそれを見た附近の農民は初めて目が覚めたというのですが、実にはっきりしてます。それと、根が固く、張っているから浮かないのです。これはやった人は分りますが、根が長く毛根が沢山あります。それから土が強いのです。つまり根をギューッと固めているのです。これもやっぱり人間とよく似てます。人間でも、薬を使わない人間は怪我して血が出ても直ぐに締まって血が止まるのです。薬毒が沢山入っているのは怪我でもして血が出るとなかなか止まらないのですが、これは稲とよく似てます。そういうような工合で、肥毒により稲も土も一切をみんな弱らしているのです。自然農法の方は今年は馬鹿に良く出来て、一般の方は馬鹿に悪いという事は、神様が“これでも分らないか”というような思い切ったやり方をされたという事は非常に結構なのです。今年の凶作というのは自然農法を知る上においての大変結構な話です。                    (御教え集27号  昭和28年10月25日)


「米作は、土を清浄に・・・」

 (前略)自然栽培は、最初から私の言うとおりにした人は素晴しい成績をあげているのです。昨夜来ただけの報告はみんな見ましたが、なにしろ薬迷信と同じ様に肥料迷信がしみ付いているので、私の言うとおりに思いきってしない人が非常に多いのです。最初はオッカナビックリ廐肥を混ぜてみたり、外の物を混ぜてみたりして、思いきってできないのです。それで年々減らしていって四年目にようやく全然無肥料にしたという人もあります。それも無理はありませんが、つまりそういう不徹底さでは本当の成績はあがらないのです。やっぱり大変な迷信にかかっているわけです。しかしだんだん方々の成績を見て、最初から信ずるという人も大分出てきた様です。それでもう二、三年たてば、これは大変な問題になります。
  それからつまり指導者の人などで、まだ徹底してない人が大分ある様です。説明の仕方がまだ弱いのです。これは断乎として、土を清浄にしなければいかんという事を根本にして言わなければならないのです。しかし地方によっては、信者以外の人で自然栽培に切替えるという農民なども大分出てきた様ですから年々拡がって行きますが、要するに時の問題です。ですから最初は随分笑われたり非難されたりしたその苦しみをこらえるのがなかなか大変な様な話です。随分涙ぐましい様な事を書いてありますが、それも大して長い事はないのです。一時的のものですから、そこで迷わず屈せず、たて貫ぬくという、しっかりした決心を腹に固めなければいけないのです。それで私は前に五割増産という事を書きましたが、あれは余程加減して書いたのです。本当は現在でも倍くらいは大丈夫です。反十俵くらいの増収は何でもありません。最初にあんまり思いきって書くと、かえって信じないのです。これで加減して、信ずる程度として五割としたのです。ですからそのつもりでやるといいです。そうして近頃はだんだん肥料の毒、つまり肥料によって虫がわくとか、根張りが悪い、という事がだんだんはっきりして来ました。これはやっぱり霊界の火素が増えるという事が大変に関係があるのです。つまり火素が増えると土自体の力が増すのです。そこで自然栽培なら良く出来るという事になるのです。そこで肥料は土自体の力を弱らせるから余計駄目だという事になります。米の問題はそのくらいにしておきます。                   

                          (御教え集19号  昭和28年2月6日)


「稲作、米麦について」

  (前略)又稲作の場合、藁を細かく刻み、水田の土によく混ぜるので藁は熱を吸収するから土が温まる訳である。そうして之はよく知られてゐる事であるが、冷い山水は非常に悪いから出来るだけ溝を浅く長く作り、流水を温める事である。其場合中間に池を作る事は不可で、池は底が深い為水の温まりが悪いからである。(中略)
  米麦であるが、麦も米も脊丈短く量も質も優良なる事は勿論で、特に米に於ては光沢があり、コクのある事糯米(モチゴメ)の如くで、重量あり美味満点で品質はいつも特等米といはれるのである。
以上の如く、私は簡単乍ら無肥料栽培の有利なる点を述べたつもりである。特に今日到る処に見る家庭菜園に対し、斯の如き福音はないであらう。兎も角素人が糞尿を扱ふ事は堪えられないほど苦痛であるばかりか、それが反って不良の原因となったり蛔虫の虫といふ有難くもないお客様を腹の中へ招来するといふに於てをやである。知らぬ事とは言ひ乍ら今日迄は骨折って不成績を続けて来た訳である。私など大抵の野菜は種子の播き放しで、ただ時々除草する位の手数で上等の野菜が出来るのであるから、何と有難いではないかと言ひたいのである。(後略)                (「無肥料栽培」自叢二  昭和24年7月1日)


「品種は関係ない」

(前略)それから色んな――品種なんて言いますね。農林第何号とかね。ああいうものは何にも必要ないんですよ。良い品種が取れた処というのは、肥料の少い処なんです。だから肥料なしでやれば、一番良い品種が出来る訳ですね。面白いのは、ジヤガイモなんかは北海道が良いと言つて、北海道から取寄せますが、北海道は土地が広いので、肥料が行渡らないんですよ。そういう訳でジヤガイモなんかも無肥料でやれば、とても良いものが出来ますよ。(後略)       (御教え集9号  昭和27年4月27日)

     「米麦の品種改良について」

【お伺】米麦に就て、品種選択改良の必要性がありましようか、御教示願います。


【御垂示】品種改良の必要は余りない。只品種よりも肥毒を早く抜く事である。だから肥料をやらなければ、年々品種はよくなるばかりである。従つて一度決めた品種は、中途で変えてはいけないから、此点注意すべきである。  

                                  (「地上天国23号  教えの光」昭和26年4月25日)


「有肥の米と無肥の米の違い」

(前略)この間のお蔭話で読みましたが、有肥の米と無肥の米とを、一粒を一寸ぐらいに大きく写真にとったのです。そうすると、有肥の方は腐蝕(フシヨク)したようにガラガラになっているのが、よく写っています。無肥の方はチャンと米になっているのです。これを見れば直ぐ分ります。それを五、六粒写してありますが、有肥の方は全部欠けて、中には半分ぐらいのがあります。米でさえそうなのですから、その米を年中食って居れば、虫がわくのは当り前です。無肥になれば、いろんな寄生虫という病気も無くなるわけです。(後略)        (御教え集30号  昭和29年1月15日)

     

「稲田に草葉の堆肥は間違い」

  (前略)それからもう一つは、稲田に草葉の堆肥を入れる人がよくありますが、これは大変間違っているのです。それでどうも土そのものが肥料だという事を忘れ勝ちなのです。この頃は大分わかって来た様ですが、最初のうちは草の堆肥を沢山入れて、そのために出来なくなった事があります。ですから本当から言うと、堆肥も何も入れないで土ばかりでやるというのが本当で、それが一番良く出来るのです。結局はそうなります。それで畑なども土が固まるのを防ぐために堆肥をやるのですから、土が固まらなければ、堆肥の必要はありません。それで土も年々無肥料栽培でやって行くと固まらなくなります。土がそういう様になって行きますから堆肥の必要はなくなります。それでみんな、どうも堆肥に肥料分がある様に思ってならないのです。それは今までの肥料迷信が残っているのです。とに角自然栽培のやり方というのは、一番手数がかからないで楽なのです。それがいいのです。どうも人間は面倒臭い事や、ややこしい事をしたがる観念がありますが、そのために成績が悪いのです。ですから一番手数がかからないで楽なやり方ほど良いのです。(後略)                      (御教え集19号  昭和28年2月27日)