「(中略)茲に注意すべきは脳溢血発病の際脳に溢血せずして喀血に変ずる事がある。多くの医家は之を肺の喀血と誤診するが、何ぞ知らん実は之によって脳溢血を免れ得たのである。」
(「肺結核」明医一 S17.9.28)
「次に、脳溢血に就て説いてみよう。此病気も近来非常に多いのは、人の知る所である。而も此病気は、肺患が青年期に多いやうに、之は壮年以上-老年期に多いのであって、社会上幾多の経験を重ね、事物に通じ、円熟の境に達し、人により事業の基礎も出来、社会的地位も獲、これから大いに国家に尽さんとする頃に発病するといふ、厄介極まる病気である。(中略)
此病気に就て、私の研究した所によれば、左の如きものである。先づ左右孰れかの延髄附近に溜結せる毒素又は毒血と、左右孰れかの頸動脈附近に溜結せる毒素又は毒血の浄化作用が原因である。そうして、一度浄化作用がおこるや、溜結せる毒素又は毒血は、発熱によって溶解し、一旦脳中枢部に侵入し、忽ち流下して、反対側の動脈を通じ、腕及び脚部に溜結するのである。
そうして、そうなるまでの過程は、実に速かであって、一瞬の間であると言ってもいい。故に、発病するや、ほとんど同時位に、半身不随となるのである。そうして発病時をみるに、初め、俄然として顔面紅潮を呈し、間もなく反対に蒼白となるのである。それは、紅潮は、脳に侵入した毒血が、直に、顔面に氾濫する為であり、蒼白は、それが何れへか凝結して貧血するためである。
此場合医療に於ては、血管を速かに収縮させ、内出血を止むる目的を以て、氷冷を行ふのであるが、それはその目的に対しては何の効果もないのみか、他の悪化作用が恐るべきである。それは先づ溢血するや、溢血しただけの血液は速かに何れへか流下又は凝結し、血管は瞬時に自然収縮し、溢血は停止するのである。
即ち氷冷を行ふや、溢血後、頭脳内に残存せる毒素を、より硬結させるといふ事になり、機能に支障を来さすのである。而も、氷冷期間永き場合、頭脳は麻痺し、そのため斃れる事さへある。又、脳溢血後、人事不省期間が永い事も、氷冷の影響が大いにあることを想ふべきである。
故に、この病気に罹っても、医療又は何等の方法も行はず、そのまゝ放任しておく時は完全に治癒する事があるのである。」
(「脳疾患」明医二 S17.9.28)
「脳溢血の原因は、曩に説いた如く左右両頸部(耳下腺附近)及び左右延髄附近の毒素溜結にある(中略)」
(「心臓病及び高血圧」明医二
S17.9.28)
「(中略)脳溢血は、頸部又は延髄部に溜結せる毒結が浄化溶解して脳中に侵入、瞬時にして左右孰(イズ)れか一方の腕、手指、脚に流下固結する。所謂半身不随である。重症は旺んにヨダレを流し、言語不明瞭又は頭脳に支障を来し精神上にも多少の変調を来す事がある。勿論此病気も浄化作用の為であるから放任しておけば時日を要するも大抵は治癒するものである。然るにそれを知らない世人は医療は固(モト)より種々の療法を行ふが、それが反って治癒の妨害となり長引くのである。(中略)
私が以前扱った五十歳位の婦人があった。其人は東北の小さな或町の資産家の婦人で、偶々(タマタマ)脳溢血に罹り、東京からも専門の博士等を招き、出来るだけの療法を行ったが、さらに効果なく、約二三年を経過した頃は幾分悪化の状態となった。然るに其頃、其町の在に小やかな農家の五十歳位で右婦人と同時頃中風に罹った男があった。それが或日その婦人の家を何かの用で訪ねたのである。
処が婦人は驚いて『貴方も中風で半身不随になったと聞いたが、今見れば何等の異常もなく健康時と変らないのは一体どうしたのであるか、どんな治療を受けたのか、どんな薬を服んだのか』と聞いた所、その老農夫曰く、『儂等(ワシラ)は貧乏で医者へかかる事も出来ず薬も買へないから、運を天に任して、ただ寝てゐたが、時日の経つに従って、自然に治ったのである』と言ふので、その婦人は不思議に堪えなかったが、私の説を聞くに及んで初めて諒解がいったと喜んだのである。之を以てみても如何に無療法が可いかが判るであらう。(中略)」
(「脳疾患」天
S22.2.5)
「(中略)先づ脳溢血からかいてみるが、脳溢血の原因は、頸の固結であって、特に左右何れかの延髄部に長年月を経て毒血が固まるのである。従って脳溢血の素質を知るのは雑作もない。右の部を指で探れば固結の有無が判る。それは右か左かどちらかが、必ず大きく隆起してをり、押すと軽い痛みがある。処がそこに一度浄化作用が発るや、固結は溶解され、血管を破って頭脳内に溢血するのである。
溢血するや忽ち脳を通過して、反対側の方へ流下し、手及び足の先にまで下降し、速かに固まって了ひ、半身不随即ち手も足もブラブラとなって了うのである。重いのは腕も手も引っ張られるやうになり、内側へ肱は曲り、指迄曲ったままで容易に動かなくなる。そうして拇指が一番強く曲り、四本の指で拇指を押へる形になる。
処が面白い事には、足の方は反対に曲らないで、伸びたまま足首などダラリとなって了う。それだけならいいが、重症になると舌が吊って、呂律(ロレツ)が廻らなくなり、頭もボンヤリして痴呆症同様となり、目までドロンとして、悪い方の側の眼力は弱化し、見へなくなる者さへあるといふのが主なる症状で、全く生ける屍となるのである。
処で、医学の最も誤ってゐる点は発病するや何よりも急いで頭脳を氷冷するが、之が最も悪いのである。医学では之によって、溢血の原因である血管を、速く収縮させやうとするのであるが、之が大変な間違ひで、本来溢血は毒血が出るだけ出れば忽ち止血するもので、そうなるには数分間位である。従って止血させる必要などないばかりか、反って氷冷の為、溢血後まだ残留してゐる頭脳内の毒血を、より固めて了う事になるから、頭脳内機能の活動は停止される以上、より痴呆症的になるのである。
それを知らない医療は、氷冷を何日も続けるのであるから、其結果はどうなるかといふと、頭脳を冷し過ぎる為、凍結状態となって了うのである。考へても見るがいい。人体中最も重要な機能を氷結させるとしたら生きてゐる事は到底出来ないに決ってゐる。此為生命を失ふ者の数は実に多いのである。
全く角を矯めて牛を殺すの類ひで、之こそ病気の為の死ではなく、病気を治す為の死であるので、何と恐るべき迷蒙ではなからうか。之は私の長い間の多数の経験によっても明かな事実であって、脳溢血だけで死ぬ者は滅多にないのである。
茲で脳溢血に附随する種々な点をかいてみるが、医学ではよく転ぶと脳溢血が起り易いとされてゐるが、之は逆であって、脳溢血が発るから転ぶのである。つまり転ぶのが先ではなく、脳溢血が先なのである。よく転んだり、梯子段から落ちたりするのは溢血の為の眩暈である。そうして最初の脳溢血が幸ひにも、一時小康を得て歩けるやうになっても、医師は転ぶのを非常に警戒するのは、右の理を知らないからである。
又医学に於ては頭重や一部の麻痺、眼底出血、耳鳴等があると溢血の前徴として予防法を行ふが、右の症状は医学のいふ通りであるが、其予防法は滑稽である。それは身体を弱らせやうとし、減食、運動制限等を行はせるが、之は弱らして浄化を発さないやうにする手段である。又再発を予防する手段も同様であるが、之等も発病を少し延ばすだけで、何れは必ず発病もするし再発も免れないのである。
又近来瀉血療法といって、発病直後にそれを行ふのを可としてゐるが、之も見当違ひで、最早溢血の毒血はそれぞれの局所に固まってゐるのであるから、瀉血は何等関係ない処から出血させるので、其為貧血して、大抵は数分後死ぬので、此例は近頃よく聞くのである。」
(「上半身の病気と中風」文創 S27.)
「今一つ注意したい事は、高血圧が脳溢血の原因とよく言はれるが、之も甚だしい錯誤で間接には多少の関係はあるが、直接には全然ないのである。その訳を実地に就てかいてみるが、以前私が扱った患者に、六十才位で、当時講談社の筆耕書を三十年も続けてゐたといふ人があった。此人の言うのは、自分は六年前血圧を計った処、何と三百あったので、医者も自分も驚いたが、血圧計の極点が三百であるから、実はもっとあるのかも知れないと思った位である。
その為医師から充分安静にせよと言はれたが、自分は勤めをやめると飯が喰へないし、自覚症状もないから、毎日此通り休まず勤めてゐるが、別に変った事はない、といふので私も驚いたが、よく見ると左右特に右側が酷く、顎(アゴ)の下に鶏卵大に盛上ってゐるゴリゴリがあったので、ハハァー之だなと思った。といふのは此筋は腕へ繋がってゐるので、血圧計に表はれた訳であるが、本当の脳溢血の原因である固結は、最初にかいた如く、延髄部の毒血であるから右は見当違ひである。」
(「上半身の病気と中風」文創 S27.)
「(中略)今度は脳溢血に就いて詳しくかいてみよう。抑々此病気は男女共壮年から老年にかけてのもので、人も知る如く発病するや頭脳朦朧、呂律が廻らず、重いのになると目まで冒されるが、此病気は半身不随に決ってゐるのである。之にも非常に重い軽いがあって、重いのになると手や指の節々まで硬直して自由が利かなくなり、足も歩けず、足首がブランとして着けなくなる。
そうして先づ此病気の原因であるが、之は右か左の淋巴腺部に相当若い頃から固結(濁血の固まり)が出来、或程度に達するや、突如として浄化発生し、之が溶けて頭脳に向って溢血する。溢血するや忽ち反対側の方へ流下し、手足の関節部に固るので、その速さは数秒位であるから、アッといふ間もなく、実に恐ろしい病気である。その際濁血は脳内にも残り、それが脳的障碍を起すのである。
此病気も発病後何等手当もせず、自然に放っておけば、緩慢なる自然浄化によって十中八、九は全快するが、それを知らない為、慌てて医療を始め種々の手当を施すので、其為不治となったり、生命を失ふ事になるのである。言う迄もなく凡ゆる療法は固め方法であり、暫くの間は小康を得られるが、何れは必ず再発するのは衆知の通りである。
それに引換え浄霊は溶かす方法であるから、早ければ一、二週間位、遅くも二、三ケ月位で快くなるが、医療を受けた場合は、二回目は数ケ月、三回目は数年位で治るのである。併し今までは浄霊を知る人は少ないから、色々な固め療法を施す結果、浄霊でもそれだけ時日がかかるので、つまり固った度合によって治るのに遅い速いがある訳である。
そうして此病気は重症になると一回目で死ぬ人も往々あるが、軽症は一旦小康を得ても暫くしてから二回、三回と起る事になるのが殆んどで、そうなったら先づ助からないと思っていい。処が医学では一回目の発病後少し快くなると、二回目の発病を恐れて極力身体を動かさないやうにし、食餌も非常に減らすが、之は弱らす為であって、弱る程浄化が起らないからである。そのやうにしてどうやら命だけ繋いでゐる人も世間には随分あるやうで、之なども医学の無力を表白してゐる以外の何物でもないのである。(中略)」
(「脳疾患」医革 S28.)
「(中略)で、こゝ(のどの両脇の筋)に凝りのある人はきっとこっち(耳の後下の頸筋)にも凝りがあるんです。そしてこゝ(耳の後下の頸筋)の凝りが脳溢血の原因なんですよ。この二ケ所が隣り合ってるもんだから(高血圧と脳溢血を)間違へてしまふんですよ。(中略)だから脳溢血はこゝ(耳の後下の頸筋)と後頭部(やゝ下方)が原因ですよ。」
(「御光話録15号」S24.9,10)
「(中略)脳溢血なんかも菜食にすると起りませんよ。だから脳溢血になるのは美食の人ですよ。」
(「御光話録15号」 S24.9,10)
「(中略)脳溢血はここ(延髄)の血管が破れて溢血するんですからね。脳溢血の起りたてですと、ここに固まりがありますから、ここと前頭部ですね。之が、こう(頭の上を通り反対側の肩)にいきますからね。肩ですね。肩をやると、手の方が楽になります。溢血は早いですからね。溢血してから、すつと行きます(反対側の肩に)からね。之を大体主にして浄霊すれば良い。毒血ですからね。こうして、毒が減る。」
(「御教集3号」 S26.10.1)
「(中略)之は、脳溢血になるべき毒血があつて、脳溢血になつた。それに木龍が憑つたんですね。ですから、耳が聞こえないと言う事は、普通の中風ではないんです。言葉――口がきけないと言うのが、木龍の働きですね。けれども、脳溢血が治るに従つて木龍も救われますから、大丈夫です。
右の半身が不随の時は、左のこゝ(頸部)に固まりがありますから、それを良く浄霊する。治りますよ。そうひどい――重いのではないですね。少しづつ良くなります。左の固まりを解かないと再発します。溢血はこう言う風に(右より、頭の上を通り左側に)来ます。再発しなければ、段々良くなりますね。気長にやつていれば良いです。」
(「御教集3号」 S26.10.18)
「(中略)脳溢血で一番重いのはロレツが廻らないのです。これは重いのです。ごく重いのは動く(手が震う)のです。しかしこれは滅多にありません。普通はロレツが廻らないのと、意識が不明になるのとです。それで右の手足が動かないというのですから本格的の脳溢血です。」
(「御教集20号」 S28.3.5)
「(寿命の長短というのに、一つの系統というものは……)
あります。これは系統というのが、薬毒の多いのが一番の系統です。それから特種な薬毒です。脳溢血のは遺伝します。親父とか祖父さんが脳溢血なのは、きっとやります。そういうのは薬毒が多いのと、それから薬毒によって種類が違います。(中略)」
(「御垂示録28号」 S29.2.1)
「一番多いのは脳溢血(横から後の方へかけた間あたりへ溜る)(中略)脳溢血は横から、膜炎は後から(後が張ってる)(中略)脳溢血にならず中風になる人は軽い。之は脳へ行かず、体の弱い人-治りいい。」
(御講話 未稿 年月不詳)
「(中略)血圧が高くなると脳溢血が起るといふが、脳溢血は耳下腺に固結があるので、血圧は頸腺で、関係はない。」
(「講話集補」S24.9.9)
「耳下腺の横。ただ之は脳溢血の腺である。これを間違へて高血圧は脳溢血の原因といふ。(中略)
(高血圧は)病原にはまずならぬが、扁桃腺が腫れたりなどして出れば何でもない。脳溢血の発作はまず頭部を浄霊する。(固まるから)」
(「講話集補」S24.9.13)
「(中略)脳溢血は健康な人に限る。(中略)」
(「講話集補」 S24.3.16)
《浄霊》 前頭部、後頭部、延髄、小脳部、頸髄(耳下腺付近)、
肩、其他、熱い所か痛い所、麻痺した個所
腕の動かない場合…肩、淋巴腺(腕の附根)
脚の動かない場合…腎臓、臀部、鼠蹊部