食と農
A-3-7、自然農法と浄霊
「農地への浄霊について」
(前略)次に今一つ言いたい事がある。それは報告中の随処に出ている浄霊の文字である。これは未信者には分り難いだろうが、分る分らないは別として、ザッとかいてみるが、つまり浄霊とは肥毒を消す方法である。何しろ手を翳しただけで、素晴しい効能があるのだから、唯物思想で固まった頭脳では到底分り様がない。しかしこれこそ本教の真髄であるが、ここでは略す事とし、先ず土の解剖をしてみよう。本来土と言うものは、霊と体との二要素から成立っているもので、体とは土そのもので、霊とは目には見えないが土の本体である、言わば体は表で霊は裏である。処が肥料は毒素である以上、土の体を弱らせるから、それが霊へ映って曇らせる。というのは霊主体従が万物の法則であるからで、言わば浄霊とは肥毒解消法である。即ち浄霊の場合掌から一種の強力な光波が放射され、霊の曇りは払拭されるので、それが体に写って肥毒は減るのである。これが真理であってこの理を知らない科学は、半面である体だけを対象とする、つまり跛行的学問である。この様な不完全な科学と伝統的考え方の為、肥料によって土を弱らして来たのである。この原理を私は発見し、ここに自然栽培法が生まれたのであるから、これこそ真の科学であり、世界的大発見であろう。従って劃期的増産の実を挙げ得るのも、何等不思議はないのである。(後略)
(「農業の大革命 五カ年にして米の五割増産は確実(二)」革自 昭和28年5月5日)
「浄霊するのは肥毒を消すため」
(前略)今も読んだとおり、浄霊するのは肥毒を消すためですから、せいぜい日に二、三回くらいで良いのです。よくお蔭話などで何回もやる人があります。外出した時と帰りがけには必ずやるという様にして、そのために隣り近所の百姓が皆嘲笑したり、いろいろ言ったりしてます。ところがむしろこれによって出来るのだ、という事を見せびらかしてやってますが、それは大変間違っているのです。それで浄霊は肥毒を消すのだから、肥毒の強い所はやっても結構ですが、なるべく人に知れない様にするのです。それは夜やるのも結構です。そうすると間違えて、魚カスや油カスをやっているのだと思うでしょうが、それは神様の方の油カスというわけです。そういう様に、なるべく人に知れない様に浄霊をするのです。それも日に二、三度で沢山です。それで浄霊をしなくても立派に出来るのです。ただあんまり肥毒の強い時には、人間の薬毒と同じですから浄霊すれば消えます。肥料というのは薬毒と同じなのですから……。(後略)
(御教え集19号 昭和28年2月27日)
「浄霊は肥毒を減らす方法」
(前略)それから、浄霊もそうですね。あれは書いてある通り、肥料を減らす方法ですからね。だから五、六年経てば肥料が無くなりますから、肥料が無くなれば浄霊の必要もないんですね。私のに良く書いてありますから、その儘に解釈し、その儘実行すれば旨く行くんです。処が、そういう処が今迄の観念が残つているので、私の考えと喰違いが起る。(後略)
(御教え集9号 昭和27年4月27日)
「肥毒のある土地への浄霊」
「こう言う事を言いますのが居ります。二年三年と自然栽培をやつて来て、土地に浄霊する場合に、人体と同じで、固まつているのを溶かす場合があるかと言うのですが、浄霊の為に、固つていた化学肥料を溶かすと言う事があるもので御座いましようか」
沢山肥料をやればありますね。やり過ぎている場合はね。兎に角溶けますからね。溶けるから土全体に肥毒が漲るから、それが害をすると言う事はですが、それも、一年なら一年作れば良いです。
「三年後に溶けると言うのは」
そんな事はありません。精々一年ですね。
(御垂示録4号 昭和26年11月1日)
「作物への浄霊について」
“観音栽培について――土の力を生かすのが、観音栽培と伺って居りますが、植物に対して御浄霊するのは現在土に肥料の毒のある間だけでせうか。 将来肥料の毒がなくなった時には御浄霊の必要はないものでせうか。
“手数をかけただけではつまらぬ。怨みの執着など土地に残ってると、浄霊の要がある。
(「栽培に対する浄霊の要」S23・7・13)
「作物と浄霊不足」
「買つて来た種を、浄霊を丁寧に致しますと芽を出さずに消えて了いますが、その代り浄霊をウンとして生えたものは素晴らしく出来が宜敷う御座います」
そんな事はないですよ。
「浄霊不足では御座いませんでしようか」
そうなんですよ。浄霊のしつぱなしと言う事がある。熱があるのに、浄霊して余計高くなる。山を上るが、それを越す力がないのです。それと同じ理窟ですね。浄霊する人の力にもある訳ですね。こう言う事がある。肺病とかの病気は浄霊が効き過ぎて却つて具合が悪いから、もつと間を置いた方が良いでしようかと言う人がある。効き過ぎる位の力があれば大変なものです。実際はそう言う人は、効かな過ぎる事を間違えてるのです。熱が出たり、咳が出ると効き過ぎると思うのですね。
(御垂示録6号 昭和26年4月1日)
「作物への浄霊の効果」
自然農法を行う場合、浄霊による効果の顕著なる事は、増収報告の中に必ずあるのは、どういう訳かという事をかいてみよう。
自然農法の原理は、従来の人為農法によって土が汚されている為、土は活力を阻害され、本来の性能を発揮出来ないから、成績が悪いという原理を、農民は知らなかったので、今日迄高い肥料を購い、結果が悪く骨折り損の草臥儲けをして来たのを、私は神示によって其誤りを知り、今迄とは反対に土を清浄にする程、作物はよく出来るという原理を発表したのであって、其通り実行したものは素晴しい成績を挙げているは、本教刊行物に満載されている通りである。それに就て浄霊が何故農作物に、顕著な効果があるかという事を知りたい人は、沢山あるだろうから茲にかくのである。
抑々、万有は霊と体で成立っている事は、本教信者はよく知っている筈だが、勿論、土も作物も、霊と体から成立っている以上、土が人為肥料によって汚されていれば、土の霊も其通り曇っている。処が一度浄霊するや、土の霊の曇りが減るから、其通り土の方も不純物が減り浄まるのである。従而、清浄になった土は成育力が旺盛になると共に、作物の方も残っている肥毒が減るから、両々相俟って、霊主体従の法則により、成育が旺盛になるのである。之で大体判ったであろう。
(「浄霊の偉効」自解 昭和26年1月15日)
(前略)さて、わたしの自然農法を行う場合、浄霊による効果のことを一寸話してみたい。自然農法の原理は今までの人為農法によって骨折り損のくたびれもうけであったのを私は、神のお告げによって、この誤りを知り、今までとは反対に土を清浄にすればするほど、作物はよく出来るという原理を発表したのである。
つまり万有は霊と体で成立しており、土も作物も、やはり霊と体から成立っている以上、今迄のように人為肥料によって汚されていれば土の霊も、その通り曇っているわけだ。処が一度浄霊をすると、土の霊の曇りが減りそのため土の方も不純物が減って清浄になる。だから清浄になった土は、成育力が旺盛になるとともに、作物の方も残っている肥毒が減るから、霊主体従の法則によって成育が更に旺盛になる。大分長い話になったが、これで大体お解りになったことと思う。(完)
(「法話(五)腹の虫は人為肥料から」東日 昭和28年2月28日)
「畑への浄霊について」
“埼玉県川口市在の農家で、麦畑の枯れかかったのが一週間に三回の御浄霊ですっかり立直りましたが、春の刈入れ迄に今後何回位御浄霊すればよいでしょうか。畑によって御浄霊の際、身体に受けるショックが種々違いますが、これは時所位の関係でしょうか。御伺い申し上げます。
“時々にすればよい。浄霊で生きかえり、すっかり立直れば浄霊しなくともよい。麦をみてその状態を考えるのである。
浄霊によるショック――斯ういう事はない。浄霊して手にビリビリ感ずる人があるが、之は余程敏感な人である。
(「畑への浄霊回数、浄霊のショック」S23・12・12)
「稲の苗代への浄霊」
“水稲の苗代田に下肥が入れてある場合、浄霊を致しても宜敷いでしょうか。
“浄霊した方がよい。下肥して、年限が経つに従い消えてゆく。今年やったのは、浄霊もきかないであろう。去年の分ならよい。
(「水稲浄霊」S24・6・6)
「農作物への浄霊は・・・」
“農作物の御浄霊の場合(二町位)前者は一株一株丁寧に御浄霊します。全耕地致しますには五日位かかります。後者は一通り畦の上から御浄霊する程度、毎日全耕地を御浄霊出来ます。如何させて戴いたらよいでしょうか。
“一株一株でなくてよい。
(「農作物の浄霊の仕方」S24・7・19)
「肥毒の種と浄霊」
“無肥料で麦を栽培致しました処、芽生えは大変良かったのです。浄霊も最初から何回となく続けて居りました処、中途より、色がだんだん赤くなり、腐ってしまったのですが、如何なる訳でしょうか。
“浄霊とは関係はない。肥毒を種が食ってるからで、人間でも助からぬのがある。来年あたりはこんな事はなくなる。
(「浄霊しても腐った種」S24・5・15)
「浄霊しなくても増収になる」
(前略)もう一つは、浄霊をしなくても増収になる。之も私の言う通りです。で、私は――土そのものが大変な肥料なんだから、例えてみれば、藁をやると、藁が肥料になるんでなくて、唯根を温める丈だと言う事が書いてありますね。だから、極く寒い所ですね――東北地方のね――そういう所は、温めるのに藁をやる必要がありますがね。その他の所はやる必要はないです。それから、浄霊は肥毒を消す方法ですから、やれば良いんですが、浄霊しなくても、肥料さえ無くなれば良いんです。今迄浄霊を余りしなくても、増収になつた。今年からは、浄霊すれば尚一層増収になるだろうから、今年からは浄霊すると言う事がありましたがね。そんな訳で、浄霊も肥毒が全く無くなれば、する必要はないんです。薬毒と同じですからね。薬の気が全く無くなれば、浄霊の必要もなしと言う訳ですから、其根本を良く腹の中に入れて置くんですね。(後略)
(御教え集9号 昭和27年4月17日)
「自然栽培は浄霊しなくても増収する」
自然栽培に就いて、今度佐渡の方から報告が来たんです。座談会です。之は、私の言つた通りにやつて、又、その通りの結果を得られているんですから、之を大いに参考にした方が良いと思うんです。その中で一番肝腎な事は、私の説には浄霊しなくても増収する。増産になると言う事を書いてある。あれを忘れている――というよりか、余り軽く見ている人が多いんですよ。その為に何んでも彼んでも、浄霊しなくてはいけない様に思つてやつているんですが、そうではないんですよ。それは私の考えと幾らか喰違つているんですね。浄霊しなくても増産になる。浄霊をしなくては増産にならないとしたら、それを見た隣の百姓や何かは、信仰に入らなければ増産にならないと言う事になつて、自然栽培や何かを実行しない様になるんですよ。やつぱり、一つの宗教宣伝だ。巧妙な宗教宣伝だと解釈されるんですね。それでは面白くない。そうすると、食糧増産するのが遅れる訳ですね。信仰に入らなくても、肥料さえ無くすれば良いというのだと、ドンドン実行しますから、普及するのが早い訳ですね。私は信仰を宣伝する為に利用する意志はないんですからね。日本が早く食糧増産になる様にという点を祈念としているんですから、その点を考え違いしない様にして貰わなければならない。病気を治す方は、信仰に依つて大いに効果がある。健康になる。之は結構ですが、自然栽培の方は、全然そういう事を一緒にしないで、信仰でなく栽培法丈の改良で充分増産になるんですから、それで良い訳なので、早く日本中――そういう自然栽培の人を多くして、増産になる様にするという事が肝腎なんです。(後略)
(御教え集9号 昭和27年4月26日)
(前略)私の本に書いてあるのには、浄霊しなくても増産になる。としてあるんですが、信者の人は矢鱈に浄霊しなくてはいけないと思つているんですね。あの点が一寸喰違つている。だから、それを余りやると、未信者である農民が、やつぱり自然農法は信仰に入らなければ増産が出来ないと、こういう風に思つちやうんですよ。そうするとつい億劫になつて、無肥料栽培をやらないという事になるので、そうすると普及率が非常に遅くなる。中々普及しなくなる。又信者さんの方は、浄霊をしなくちや増産しないと、一つの宣伝の具にするという嫌いがあるんです。之は面白くない。つまり病気の方は信仰に入らなければ、治つて健康にならない。然し自然農法の方は今言つた通り信仰と結びつけるという事が面白くないんですよ。そこで誰がやつても、今迄の肥料さえなければ、つまり土自体の力を発揮させれば、幾らでも増産になると言う事を知らせるのが本当です。ですから、之から浄霊なんかは人に見えない様に――目立たない様にした方が良いんです。浄霊しなくても立派に増産になるという事を何処迄も見せるという考えでね。(後略)
(御教え集9号 昭和27年4月27日)