食と農

A-3-5、作物にも感情がある

                   

「作物にも感情がある」

 

  (前略)今まで知らなかった事は、そういった米ばかりでなくて、あらゆる物にはやはり動物と同じ理性と感情と、それから芸術的の思想もあるのです。ただ動物以外の物には自由がないのです。草木がこうしようああしようとしても、或る程度はありますが、動物ほど自由がないのです。それが一番分る事は、私は花が好きで、始終花を活()けますが、ちょっと気に入らない点がありましても、忙がしくてそのままにしておくと、明くる日になるとその恰好(カツコウ)が悪かった所が直っているのです。それは実に微妙なものです。(後略)                         

(御教え集30  昭和29115)

 

      

「土や植物にも意思、感情がある」

 

   (前略)大抵な事は分っているでしょうが、ただ初めてと思うのは、土や植物にも意思、感情があるという事です。これが割合に重要な点なのです。だから土を愛し、尊んで、そうしてできるだけ穢さないようにするという事が根本なのです。その点動物と同じなのですから、そうしてみると、例えば、人間の頭から糞をかけられたり、劇薬をかけられたら悔しいのも悔しいし、シャクにも障ります。今では日本の土はみんな怒っているのです。ロクに出来ないという事は、土がストライキをやっているのです。それから稲もそうです。折角(セツカク)土のうまい所を吸おうとすると、変な物をやられるので腹が立つし、変な物を食わせられるから栄養が無くなって痩せてゆくのです。有肥料の稲はみんな痩せているというのはそういうわけです。これを人間に準(ナゾ)らえればよく分るのです。だんだん弱ってゆくから、そこで水害や害虫にあっても、それに負けてしまって、去年のようになったわけです。そういうように、今までの人間というのは全く、一番簡単に言えば馬鹿野郎です。私の冠句に“馬鹿野郎、よく考えりやオレの事”とありますが、全くこれは日本人全体の事です。そういうわけだからして、まずそれが基です。そういうふうな考え方で見るのが根本です。そういうふうに思えば、肥料などは恐ろしくてかける事が出来なくなりますから、それをよく教え込むとよいです。(後略)                

 

(御教え集30  昭和29115)

 

 (前略) 大抵な事は分っているでしょうが、ただ初めてと思うのは、土や植物にも意思、感情があるという事です。これが割合に重要な点なのです。だから土を愛し、尊んで、そうしてできるだけ穢さないようにするという事が根本なのです。その点動物と同じなのですから、そうしてみると、例えば、人間の頭から糞をかけられたり、劇薬をかけられたら悔しいのも悔しいし、シャクにも障ります。今では日本の土はみんな怒っているのです。ロクに出来ないという事は、土がストライキをやっているのです。それから稲もそうです。折角(セツカク)土のうまい所を吸おうとすると、変な物をやられるので腹が立つし、変な物を食わせられるから栄養が無くなって痩せてゆくのです。有肥料の稲はみんな痩せているというのはそういうわけです。(中略)そういうふうに思えば、肥料などは恐ろしくてかける事が出来なくなりますから、それをよく教え込むとよいです。

 

   そういうわけで、無機物にも意思、感情があるという事を知る事がやはり必要なのです。例えてみれば、木が枯れるとか草が枯れるという事なども、人間がそういう事を知らないからして、非常に冷たくされているわけです。そこで勢いが無くなってしまうというわけです。街路樹というのは見ても実際面白くもない、魅力がないです。ところが庭の木とか、そういう事の好きな主人公で、始終それを楽しんだりしていると、植物の方も張合(ハリアイ)があるから、大いによく見せるというわけですから、まるっきり違うのです。私の所に来る人は、庭の木でも活花でも非常に褒めます。他所(ヨソ)と違うのです。

 

というのは、私が始終見てそれを楽しんだり愛したりしてますから、そこで植物の方でも張合があるから大いによく見せるというわけです。実に不思議なのは、花を活けて、ちょっと気に入らない所があって、忙がしくてそのままにしておくと、明くる日になると枝ぶりが良くなって変っているのです。ですから私は生きていると言うのです。木でも、枝を切ったり横向きに植えたり裏返したりしておくと、人間に見える方の枝がだんだん伸びて来て形良くなるものです。実に不思議です。

 

それで木などを注意して見ると、人間の見る方がだんだん良くなるのです。そうして見えない方は悪くなります。ですから人間に良く見せようという事を思っているという事が分ります。そういうようで、どんな物にでも霊がありますから、霊がある以上は人間の扱い方や見方や愛し方によって違うという事を知っておくと、凡てに大変よいです。それでは植物とかそういう物だけかというと、こういう物(器物)もそうです。これは本当の無機物ですが、こういう物でも始終愛すると違って来るのです。だから、古い骨董品などが良いという事はそういうわけで、古い物ほど多くの人が見て楽しむというために味わいが出て来るのです。古い茶碗などは、殆んど言いようがないほど面白みや味わいがあるのです。それは人間の霊が沢山入っているからです。ですから新しい物で良い物があっても味わいがないという事は、その点にあるのです。まして農作物というような物とか、花を人間が見て楽しむという物は、人間次第で大変な違いです。そういう物に糞をかけたりするのは良いわけがないです。根本はそこにあるのですから、さっき言ったとおり、火、水、土の霊気が溶けて、そうしてそれが、一つの、見えざる力とも言うし、Xと書きましたが、名のつけようのないそれが凡ゆる物の基(モト)になるのですから、肥料というのはそれです。土というのは物質なのですが、その土の中に三位一体のコントロールされた霊気が満ちて、そしてその霊気は濃くなったり薄くなったりするのですが、穢(ケガ)さないで、人間が愛すと濃くなって来るのです。それが肥料なのです。ですから肥料というのは目に見えないものですから、科学が幾ら研究しても分らないのです。かえって科学は邪魔をするから駄目になるのです。そういうような意味が根本ですから、それを農民にだんだん教えるのです。教えるよりか、実際に良く出来れば“不思議だ、どういうわけだろう”という事になってから、その理窟を言えば直ぐ分ります。さもなければ、なかなか簡単には分りません。

                                  

(御教え集30  昭和29116)

 

     

「土や作物にも感情がある」

 

   (前略)茲で今一つの重要事がある。それは今日迄の人間は理性、感情等の意志想念は動物のみに限られると思っていた事である。処が意外にもこれが無機物にもある事を聞いたら唖然とするであろう。勿論土も作物も同様であるから、土を尊び土を愛する事によって、土自体の性能は充分発揮される。それには何よりも土を汚さず、より清浄にする事であって、これによって土は喜びの感情が湧き活溌となるのは言う迄もない。只意志想念が動物と異う点は、動物は自由動的であるに反し、土や植物は非自由静的である。故に稲に対しても同様感謝の念を以て多収穫を念願すれば、心は通じ御蔭は必ずあるものである。この理を知らないが為、見えざる掴めざるものは、凡て無と片附けている処に、科学の一大欠陥があったのである。

 

(「日本農法の大革命  無肥料で初年度から一割乃至五割増産」栄245  昭和29127日)