食と農

A-3-4、自然農法の優秀性

                    

「自然農法の優秀性」

 

   以上、凡ゆる角度から説いたに見て、本農法が如何に優越せるかは、読者諸君は最早充分理解されたであろう。要するに本農法は、在来の根本的に誤っていた方法を革正し、行詰ってどうにもならない現在の食糧難を解決し、暗黒無明の農業界へ、天日の如き光明を抛げかけるという以外他意はないのである。

 

  此意味に於て、之を本教の宣伝に利用しようなどの意図は毫もなく、信者たらずと雖も、何人も実行すれば、大増収を得らるゝ事は言を俟たないのである。従而、未信者である普通農民が本農法で栽培するとしても、左の如き結果を得らるる事は確かである。

 

          一年目    平年作又は一、二割増

 

          二年目    二割乃至三割増

 

          三年目    三割乃至五割増

 

          四年目    五割以上増

 

  右の数字は、内輪に見積ったのであるが、それでも真実とは思えない程の成績であろう。勿論今日迄の実験によって、割出したものであるから間違いはない。処が之だけではない。増収以外有利な点を挙げれば、第一肥料代は零となり、虫害や水害による被害高も何分の一に減ずると共に、品位優良美味なるは固より、搗(ツキ)減りなく、焚増し等の利益は勿論、何よりも労力の半減する事である。以上の如く数え上げればまだ有利な点は、多々あるが、それは略すとして、本農法の出現こそ、農民にとっても、国家にとっても、空前の画期的、一大福音でなくて何であろう。

 

  此驚くべき、新農法の成果を立證する為、以下十数項に及ぶ実験記録は、今秋集まった第一回分の中の一部である。                                      

 

(「結論」自解  昭和26115日)

 

   この小冊子は現在我国最大の悩みとされている米の問題に対して、絶対有利な解決方法を解説したものであって、誰も知る如く今日我国民を養うに足るだけの数量は全然穫れず、現在一カ年二千万石以上不足しているのであるから、実に由々しき大問題である。この原因こそ金肥人肥の肥料を使う為であるという、実に夢にだも思えない程の意外な事実であって、これに目醒めない限り、増産の不可能な事は断言出来るのである。処が我自然栽培に切替えれば、五カ年にして五割増産という劃期的成果を挙げ得られるという原理を、詳細説いたもので、それを立証する為数十に上る実験報告をも、耕作者自身の手でかいたものを併せて載せてある以上、一点の疑う余地はあるまい。而も本農法は一銭の肥料代も要らないと共に、労力も省け、風水害の被害も軽少で済み、虫害は何分の一に激減する等、一石数鳥の効果があるから、この実行によって農民の経済問題は一掃されると共に、国全体としての利益は、一カ年何千億に上るか計り知れないのであるから、斯くの如き殆んど信じられない程の一大発見こそ、この急迫せる国家の事態に対して、如何に大いなる福音であるかは形容の言葉さえないであろう。茲にこの目的達成の為大々的宣伝運動は勿論、尚徹底を期する為、今回自然農法普及会を創立し、取り敢えず一村一カ所の支部を設け、団体的行動によって普及を図らんとするのであるから、この意味を充分認識され、入会と共に一日も早く実行に着手されん事を希求して止まないものである。(後略)                                                                        

(「序文」革自  昭和2855日)

 

                  

「自然農法の特徴と長所」

 

(前略)以下私の経験によって得たる成果や方法及び幾多実際家の報告を発表してみよう。

 

  私は斯う思ふのである。それは日本人中真の野菜の味を知ってゐる者は幾人あるであらうか、恐らく滅多にないといっても差支えあるまい。勿論農作物は化学肥料と糞尿肥料を施さぬものはあるまいからである。之等の肥料を吸収する野菜は、天与の味はいは逃げて了ふのである。それに引換え土自体の栄養を吸収させるようにすれば、野菜それ自体の自然の味はいを発揮するから実に美味である。私は無肥料野菜の味はいを知ってから、人生の幸福感を如何に増した事であらう。而も無肥料栽培に於ては肥料費と施肥の節約悪臭の不快からも免れ、あらゆる寄生虫伝播の危険も除かれ、害虫の発生は極めて少く、味もよく量も殖えるのであるから一石七鳥の効果がある訳である。私は斯様な大問題を一刻も黙視しては居られない。速かに天下に発表して此福音を頒ち与えんと思ふものである。

 

  先づ、実際論から述べてみるが、抑々土の性能は如何なるものであるかと言ふに、土壌は土素水素火素の三大元素の密合体による三位一体の力の構成である。勿論植物育成の基本的力は土素であって、水素、火素は客動的力である。故に主動力である土壌そのものゝ素質如何によって植物に良不良の結果を来すのであるから、栽培の場合その根本である土の素質をより良質にすることが主要条件でなければならない。良質の土素ほど好結果を得らるゝからである。

 

  然らば良土たらしむる方法は如何といふに、それは土質の精力を強化することである。そうするには先づ土質を清浄純粋化しなければならない。それは清浄なる土質ほど植物に対する生育力は旺盛だからである。然るに今日迄の農業の如何に誤ってゐたかは右と反対に土質を極力汚穢に満すのを可としてゐた。此事の説明に当っては先づ反対理論から説く方が判り易いと思ふ。

 

  反対理論とは如何なる訳かといふに、昔から農作に肥料は切っても切れない重要事としてゐるが、実は施肥すればする程土を殺して了ふのである。肥料を施せば一時は良成績を挙げ得ても漸次土は肥料中毒に罹り肥料を施さなければ良結果を得られない事になる。随而肥料を施せば施す程逆効果を招来する訳である。何より農民諸君が水田の稲作収穫が不良になると客土をする。客土をすれば一時的収穫が増すからである。此場合彼等は誤って判断を下す。それは年々栽培する事によって土の養分を吸収してしまふから、土の栄養が貧困になったからだと解釈する。実は年々肥料の為土質が弱った事に気がつかないのである。処が肥料分のない新しい土は土の生活力が旺盛であるから、良成績を挙げ得るといふ訳である。理論はこの位にして兎も角実際上如何に無肥料が有利であるか  順次説明してみよう。

 

  先づ第一に挙ぐべきは無肥料栽培の特徴として作物の脊丈の低い事である。有肥料に於ては丈が高くなる事、葉伸びが旺盛で葉が大きく繁るから曩に述べた如く豆類等の実は葉陰になって成育悪く、又花落ちが多いので結実も非常に少く、特に枝豆等は無肥料に於ては二倍の収穫を挙げ得られ、一粒と雖も虫食ひなく、其美味たるや何人も讃歎するのである。勿論豌豆(エンドウ)、空豆等の如きも皮の軟き事無類である。(後略)

                                              

(「無肥料栽培」自叢二  昭和2471日)

 

   (前略)処が、我無肥栽培によれば、何より助かるのは人糞を用いない事であるのみか他の肥料も必要がない、ただ堆肥だけで充分であるにも拘わらず、その成果たるや素晴しいのである、それをザッと列記してみよう。

 

(一)前述の通り、不快な人糞を初め、肥料を要しない事

 

(二)従而、寄生虫病の心配が全然無くなり、清潔で気持のよい事

 

(三)花落ち、茎折れがなく、強靭であるから栽培し易い事

 

(四)害虫発生がないから、消毒費その他の手数も要らず経済的である事

 

(五)収穫量が非常に多くなるから、狭隘な場所でも事足りる事

 

(六)無肥の野菜の美味なる事は驚く程で、勿論栄養価値も高い事

 

  右の如く、数え上げれば未だ未だあるが、要するに、無肥栽培の成果を知るとしたら、如何に生活の楽しみが増すかは恐らく経験者のみが知る特権であろう、何よりも先づ直に実験する事だ、其場合心得ておかなければならない事は、種子も土壌も、相当肥毒を食っているから、肥毒の抜け切るまでは相当期間著しい効果は見られない事である、といっても野菜の種類によっては、最初の年から良成績を挙げるものもあり、二年目三年目と順次よくなるのであるから、肥毒が皆無となってからの成績こそ、何人も驚嘆するであろう。

                                    

(「家庭菜園と無肥料栽培」救63  昭和25520日)

 

   愈々、わが国民主食の自給自足時代の来った事を弘く天下に公表せんとするのである、全く驚異的農耕法は遂に完成したのである、茲にその真相を伝えるべく、本紙特集号を刊行する事となったので、国家の為洵に慶賀に堪えない次第である。

 

  昔は兎に角文化日本となってこの方、農事に就ては各般の施設改良に腐心し官民共に不断の苦心努力を払いつつ来たに拘はらず、今以て予期の成果を挙げ得られないのは何故であらうかという事である、勿論それには原因がなくてはならないが其原因こそ従来の農耕法に一大誤謬のある事である、今其点を明かにすると共に、真の農耕法を発表し、吾等が永年唱え来った無肥料栽培法とは如何なるものであるかという事で、今やその理論を実施の結果、正に劃期的一大成果を挙げ得た事によって、最早一日の猶予もなり難く、茲に天下に発表し、全国農村に向って一大奮起を促すと共に、即時実行に移られん事を念願して止まない次第である。

 

  先づ此革命的農耕法が如何に卓越せるかを左に列記してみる。

 

(一)金肥人肥は一切使用せず、ただ堆肥のみで足りる事

 

(二)従って、高価な金肥購入の必要なく、施肥の労力も不用となる事

 

(三)虫害は殆んど皆無となる、何となれば害虫発生は金人肥が原因であるからである

 

(四)量目が増し、品質優良美味である事

 

(五)人肥を使用せざる為、近来大問題とされている、寄生虫の危険なき事

 

(六)風水害に遭うも草質強靭なる為殆んど被害を受けない事

 

  右の如く、増産以外の有利なる点も多々あり、実に想像もつかない劃期的空前の農耕法である、此実際を知るに於て、今日迄の農耕法が如何に誤ってゐたかが判るのである、吾等からみれば、従来の農耕法は好んで、苦難の途に迷ひ込み、喘ぎ苦しみつつあったといふ事実で、茲に天の時到って全農民を挙げて光明の道へ誘ひ幸福者たらしめんとするのである、国民生活上、最重要なる食糧問題が一挙に解決出来るという本農法の実施が、再建日本の前途に如何に大なる光明を齎らすかは表現の讃辞さへないであらう。

 

  別項、多数に上る実地報告を一読すれば、何人と雖も疑う余地はあるまい、然し乍ら、初めて見る人の為に本農法の原理を概略説明の必要もあらうから茲にかくのである、抑々本農法の原理は、今日迄永い間金肥人肥の毒素によって土壌を殺して来た事に気がつかなかったのである、それを反対である生かす方法こそ本農法の根本義である、というのは従来の農耕法の大誤謬は、土壌本来の力を無視し、作物は金肥人肥によらなければ充分な成果を挙げ得られないと固く信じて来た事である、之を判り易くいえば、近来流行のアドルムやモヒ中毒と同様で、人間一度此中毒に罹るや、薬が切れると人間活動が出来なくなる、丁度そのやうに肥料中毒に罹ってゐる土壌は肥料が切れると、土壌の活力発揮が出来ないという訳である。

 

  実例報告にもある如く、無肥料実施の第一年目は例外なく、最初の数ケ月間は葉色悪く、茎細く、如何にも貧弱なので、隣人からは嘲罵を浴びせられ、本人も非常に心配するが之全く肥毒の為で、土にも種子にも肥毒が充分含まれてゐるからである、処が、その後成熟期が近づくに従って漸次好転し初めるのは、肥毒が漸減するからで、漸次土本来の活力を取り戻すからである、故に一年目より二年目、二年目より三年目というように年を追うて収穫が増すのは、肥毒漸減と正比例するからである、従って無肥料栽培三年以後ともなれば、最低五割乃至十割の増産は確実である。

 

  我国昨年度の産米六千三百万石であったから五割増産は正に九千四百五十万石となり、現在人口八千二百万人に対し、此上一億位増したとしても、実に余裕綽々たるものがある、のみならず米以外の雑穀、薩摩芋、馬鈴薯、豆類等、凡ゆる物も増産となる以上、食糧問題の危惧は全く解消して了うのである、右は最低を規準としての予想であるが、実際は十割乃至二十割の増産は可能であるから、数年後は食糧大増産に悲鳴を挙げる嘘のような時節が来るとしたら今から其対策を講じおく必要もあるであろう。

 

  而も、労力は半減する以上、世界的有名な日本農民の労働過重も一挙解決するのみか、肥料代其他の経済的利益も加わる以上、茲に農村の黄金時代は出現し天国は農村からという事も決して痴人の夢ではあるまい。

 

  今一つ言いたい事は、此一大福音を天下に発表するに就ては、本教の宗教宣伝に用いるように思われ易いが、其様な意図は毫もなくただ斯の如き空前の一大発見を一刻も早く知らしめ、苦悩に喘ぐ農民を救い国家の繁栄に資せんとする以外他意はないのである、又実例中にある浄霊であるが、之は勿論大いに効果はあるが、そのような信仰的手段をとらずとも、単なる堆肥のみの栽培で五割以上の収穫は確実である事を附言しておくのである。

 (「農業の大革命  飯米十割増産は易々たり」救63  昭和二25520日)

 

   (前略)一つは無肥料栽培による農耕である、無肥料栽培とは読んで字の如く、金肥も人肥も全然使用せず、ただ堆肥のみを以て肥料とするのであるから、如何なる農作者と雖も到底信じ得られないであらうが、事実に於てその成果の素晴しい事は驚異に価する、先づ稲麦の如き主食に於ては従来に比し三割乃至五割の増産は確実であり、野菜の如きは五割乃至十割の増産は易々たるものがある、先づその効果を列記してみれば左の如きものである。

 

   一、肥料代は全然要せざる事

 

   二、凡て量目が増加する事

 

   三、味覚の素晴しい事

 

   四、殆んど虫害を生ぜざる事

 

   五、施肥や消毒薬撒布の労力不要

 

   六、人肥を使用せざるを以て寄生虫伝播の危険なき事(後略)                              

  (「本教団の事業」光5  昭和24418日)

 

   (前略)茲で愈々本農法が、堆肥のみで大収穫を得られるというその原理と、方法を詳しくかいてみるが、その前に先ずこの自然栽培法の効果である。それはこの方法を五カ年継続すれば、全国を平均して五割増産は易々たるものである。としたら恐らく何人と雖も到底信じられないであろう。そこで現在の平年作六千三百万石とみて、五割増産は九千四百五十万石となるから、日本人が鱈腹食っても、尚一千万石の余剰米が出来るから、今度は反対に輸出しなければならない事になろう。そればかりではない、肥料代も要らず、虫害は何分の一に減り、風水害も半分以下に減るから、労力も亦半減するであろうし、実に驚異的農耕法である。以上は米のみに就いてであるが、この自然栽培法は一般農作物に対しても同様であって、それらもザットかいてみるが、先ず如何なる野菜でも素晴しい実績が挙がるのは勿論、例えば薩摩芋なども驚く程巨大なものが出来、一箇の目方五、六百匁位はザラであるから、総収穫量も有肥よりも二倍以上は確実である。又豆類も粒が大きく、数量も増えるので、三倍位の収穫は容易である。大根なども色白く、キメ細かく粘っとりとして、ザクザクなどは更になく頗る美味であり、菜類も色がよく虫喰がなく軟かで、これ又頗る美味である。その他玉蜀黍でも南瓜(カボチャ)でも、西瓜等、野菜と名のつく野菜は何でも好く、一々は略すが到底想像だもつかないのである。

 

  そうして特筆すべきは、自然栽培で出来たものの素晴しい美味である。米麦でも野菜でも一度味を覚えたら、有肥栽培の物は到底食う気にはなれなくなる。現に私なども無肥のもののみを食っているが、幸いな事には無肥栽培者が益々増えるので、現在は食い切れない程貰うのである。又果実も同様人為肥料を廃めてから年々収穫が増すと共に、質も良好で、多収入となり、皆感謝している。花卉にしても花は大きく、色鮮かで美しく、生花などに使う場合、長持がするとて喜ばれている。

 

  次に自然栽培は、害虫が激減する事である。元来害虫なるものは、人為肥料から湧くものであるから、廃止すれば湧かないに極っている。処が現在は害虫を駆除しようとして、殺虫剤や消毒薬を旺んに用いるが、実はこれが土壌へ浸み込んで、害虫発生の原因となるのでその無智なる哀れむべきである。そうして近頃の如く、毎年と言いたい程風水害を蒙るが、自然栽培によれば実に被害が少なくなる。という訳は本来作物が人為肥料を吸収すると意外にも非常に弱くなるもので、それは斯ういう訳である。即ち人肥でも金肥でも、作物が吸収するやそれが有毒化し、その毒が害虫の食物となり、繁殖するという理由を私は発見したのである。又肥料によっては肥料自体から微生虫が湧き、それが作物そのものを食いつつ殖えてゆき、根に発生すれば毛根を喰い荒し、弱らしてしまう。葉枯れ、茎折れ、花落ち、実の不熟、馬鈴薯の萎縮などの原因もそれである。又毛根以外の場合にも、種々の微生虫が発生するが、作物自体が健全であればそれを死滅させる力があるが、前記の如く肥料の為脆弱となっている以上、微生虫に負けてしまうのである。又風水害に遭っても無肥の方は強靭で、倒伏も少なく、倒れても直に起き上るが、有肥の方は倒れたままで、大きな被害を蒙るので、この理由として根を見ればよく判る。無肥の方は毛根が有肥のよりもズッと多くて長いから、根張りが強い為である。又稲でも野菜でも葉の短かいのが特徴であって、これは凡ゆる作物に就いて農民も知らるる通り、丈が低く葉伸びの少ない程、実が多く生るとしている。これに反し有肥の方は丈も長く、葉も大きいから、見た目は立派だが実りは案外悪いものである。

 

  次に蚕であるが、これも無肥の桑で育てると非常に健康で、出来た糸質も強靭で光沢がよく、極めて優良で勿論増産になる。それは病蚕発生がないからである。(後略)

(「農業の大革命  五カ年にして米の五割増産は確実

 

(一)」革自  昭和2855日)

 

   今一つ言いたい事は、本農法は独り米の増産のみではない。こういう素晴しいプラスがある。それは現在硫安製造に使う電力の使用量は、日本全体の半分弱という事で、若しそれを廃めるとしたら、現在の電力で充分間に合い、尚余るとの話をこの間専門家から聞き、私は驚いたのである。とすれば本農法を全農民が実施する暁、米の輸入はなくなり、肥料も要らず、農民の労力は半減し、電力は余るとしたら、その全国家経済に及ぼす利益たるや、到底計算は出来ない程であろうから、これだけでも日本は一躍世界一の平和裕福な国家となるのは太鼓判を捺しても間違いはない。

 

  最後に今一つ驚くべき事がある。それは言う迄もなく肥毒の害は独り作物のみではない、人体も同様である。近年寄生虫が激増し、特に農村程多い話を聞くがこれは都会人はパン食が多く、農民は米食が多い関係によるのであろうが、これに就いての好適例がある。その報告と写真を下に掲げるが、これを見たら何人も慄然とするであろう。故にこの面からいっても、有肥栽培の害毒がよく分るのである。    

(「本農法の技術面その他」栄245  昭和29127日)

 

 (前略)自然栽培は虫害はなく、風水害も激減し、肥料代も要らず労力も半減するので、天国は先づ農村からといふ事になるでありませう。(後略)                               

(「舌に代えて」昭和26年)

 

   (前略)次に無肥料耕作の偉効であるが、暴風雨に耐える強靭な力も、虫害のない事も、品質のよい事も多収穫も、労力の著減も、無肥なるが為と浄霊の偉効である事は言うまでもない、これだけにみても本教が如何に人間を幸福に導きつつあるか、多弁を要しないであろう。

 

(「おかげばなし批判  暴風に耐える無肥栽培  幸福に導きつゝある教へ(本文省略)」昭和2541)

 

                 

「自然栽培の長所」

 

   明主様  (前略)それから米でも野菜でも、その味のうまいことは大したものです。これを食べたら外の物は食べられませんよ。又ミカンでも柿でも無肥料の物はうまいのです。そういうように、うまい物がとれて、而も増えるのです。その上肥料代は要らず又風水害の被害もあんまり蒙りません。というのは、無肥料ですと根の数が非常に多くなるのです。それで根張りがいいから倒れないのです。又仮令倒れても起上ります。それに第一虫害がありません。虫がわくということは、肥料の為にわくのです。ですから近頃虫の種類が増えて来たということは肥料の種類が増えたからなのです。(後略)

 

  (「竹内四郎氏外との御対談(二)肥料迷信打破も急務」栄194  昭和2824日)

 

        

「霊界の火素が増えれば自然栽培は増産」

 

 (前略)初年度から大抵二、三割の増産になってます。だからこれは前年までと比べてみると随分違ってます。前年までは、最初は増減なしというのが殆んどで、精々一、二割ぐらい増えたのが偶(タマ)にあるくらいで、どうもあんまり芳(カンバ)しくなかったです。去年は一般が非常に悪いのと反対に自然栽培は良い成績です。今までよりも大分良くなったという事は、一体どういう訳かと言いますと、霊界が違って来たためです。つまり霊界に火素が増えたわけです。それで火素が増えると、やっぱり浄化作用が強くなりますから、肥料のような間違った事に対する影響が著しくなるわけです。それと反対に自然栽培の方は道理に合ってますから、そこで良くなるのですが、良くなるという事は火素が増えるからですが、これはやっぱり一つの熱ですから、熱のために、肥料の妨(サマタ)げがなければ育ちがよいという理窟(リクツ)になります。(後略)

 

         (御教え集30  昭和2916)

 

              

「自然栽培の経済効果」

 

    (前略)最後に自然栽培に対する経済的利益をザッと挙げてみるが、

 

  1  肥料代が要らなくなる。

 

  2  労力が半減する。

 

  3  収穫が大増量する。

 

  4  目方が増え、焚き減りがなく美味である。

 

  5  虫害は殆んどなくなる。

 

  6  現在最も悩みの種とされている蛔虫や、その他の寄生虫問題も完全に解決する。

 

  以上によってみても、本栽培法が如何に劃期的で一大福音であるかが分るであろう。この実行によって、日本の食糧問題は一挙に解決するは勿論、それが動機となって他の凡ゆる問題、特に人間の健康に対しても、好影響を与えるのは勿論である。この栽培法が日本全土へ行き渡るとしたら、日本の再建を早め、高度の文化国家として全世界から仰がるる日の来る事は断じて間違いないのである。この意味に於て、私はこの特集号を以て、一人でも多くの日本人に読ませたい念願である。

 

  最後に言いたい事は、これを以て宗教宣伝の為にする意志は毫末もない事で、それは無信仰者でも実行すれば、右の如き好成績を挙げ得るからである。

 

(「農業の大革命  五カ年にして米の五割増産は確実(一)」革自  昭和2855日)

 

                    

5年で5割増産・・・」

 

   今日本は、年々二千万石の米が不足しているという事であるが、然し吾々からみれば、全然間違った農耕法をしている事である。従って私の発見による自然農法を、五カ年間続けて実行するとすれば、五割増産は間違いない事実である。即ち本年の収穫高六千四百万石とみて、其五割増産は九千六百万石となるから、全日本人が充分食ってもまだ余る位である。而も肥料は堆肥のみで、人肥金肥は使わなくてもよいのである。それで虫害も風水害も、今迄よりも何分の一に減るのだから、何と驚くべき福音ではなかろうか。処が斯んな素晴しい農耕法を、凡ゆる方法で知らしているが、信じて行っている人は、ドシドシ増産に恵まれると共に、実行者も非常な勢いで増えつつあるにはあるが、此際大いに馬力をかけて知らせなければ、日本は救われない事になろう。

 

  処が日本人の悪い癖は、どんな立派な発見でも、お膝元のそれは、仲々信用しようとしない欠点である、そこで幸いにも今度御馴染の松井誠勲氏が、諸外国の農業に就て調べた処、意外にも各国の学者も、実際家も、私の説を裏書している事実が分ったので、之こそ日本人を信じさせるには最も好適の書と思うので、敢て此小冊子を勧める所以である。

                      

(地上天国と自然栽培の巻)「序文」昭和261010日)

 

   (前略)本当に五年以上経つて、実際に五割増産を見せたいんですが、そうすると、未だ二、三年伸びなければならない。未だ漸く、実際の報告は三年位迄しかないんです。でも、私が前から言つている通りの成績にはなつてますから、之で、五年経てば五割増産と言う事は想像がつくんです。で、色々――未だ未だだけれども、平均してみて、肥料なしで平年作ですね――最初一年目がね。二年目位から少し増えていくんです。尤も、成績が悪いのは一年目に一割位減産のもあります。しかし、これは少ないですね。平年作が多いですね。そうすると、肥料をやらない丈は儲かりますね。二年目は少し増えますね。三年目になると一、二割は増えますね。多いのは三、四割増えてますが、大体一、二割が多いですね。そうすると、四年が三、四割、五年が五割と言う様な具合ですね。だから、幾ら大きな声して五年で五割と威張つても良いですね。(後略)                   

                      

(御教え集6  昭和27126)

 

  (前略)成績が、段々肥毒が無くなるに従つて増えるのは、はつきりしているんです。だから、五カ年にして五割増産と言う事は、決して間違ないですね。(後略)

                                               

(御教え集6  昭和27127)

 

             

「五年で五割増産の例」

 

   (前略)それからもう一つは、今度の特集号に出しましたが、一番古くからやっているのは去年で六年目になりますが、附近の田から見ると六割以上増えているのです。私は“五年で五割増産”という事を言ってますが、六年目で六割以上ですから、まず“五年で五割増産”という事は実現したわけです。こういう例は本当に事実が現わしたのですから大変良いです。そういう様なわけで、とに角間違いないという事が立派に分ったのです。大体こういう事は分ってはいますが、本当の事実……と言うと変ですが、このとおり間違いない結果が出た以上、これを早く日本中に分らせて、大いに食糧問題を解決しなければならないのです。なにしろこのために、私の推定ですが一年間三千億円は違ってます。ですから全国的に自然栽培にすれば三千億円はプラスになるのですから、これをできるだけ普及しなければならないと思っているのです。(後略)                      

                     

(御教え集19  昭和28227)

 

             

「五割の増収は確実」

 

   (前略)そうして私が長い間幾多の非難を浴び軽蔑の声を耳にしつつ撓まず屈せず無肥料耕作を主唱しつつあった努力が漸く実を結ぶ事になった事で、実に喜びに堪えないのである、近時年一年無肥耕作者の数を増すと共に作物の方も右と正比例して年々肥毒の軽減もあって、愈よ土本来の活力の復活によって、本年の如きは各地とも実に劃期的成果を挙ぐるに至ったので、それは別項の報告の通りである、これによって是をみれば、今日迄の成績を規準として予想する時、五割増収は確実である、とすれば本年の米作量六千五百万石とみて、五割増収は九千七百五十万石になるから、現在日本の人口を賄い得てなお余りあるのである、それに就て数ケ月前産児制限に就て私がこの欄にかいた-「神は人口を養うだけの量は必ず生産される筈で、もしそうでなければ農耕法に誤りがあるからで、この誤りこそ人造肥料のため」と言った事が、今日実證された訳である、そうして無肥耕作の成果が如何に素晴しいものであるかは左記の如き数え切れない程のものがある。

 

  第一肥料代も消毒薬も零となり、右二者の労力も要しない、かつ金肥も消毒薬もその殆んどは劇毒薬であるからそれを吸収して育った稲を常に食するとすれば、自然人体に悪影響を及ぼさない訳にはゆくまい、しかも今日大問題とされている寄生虫、特に回虫の如きは野菜による伝播という事は医学の定説であるにみても、無肥栽培はこの問題も難なく解決されるのである。(後略)

       

(「無肥料栽培の勝利  悩みの食糧問題一挙に解決せん」光39  昭和241210日)

 

         

「倍とか三倍に・・・」

 

   (前略)昨夜自然農法の報告を見ましたが、素晴しい成績で、ちょっと良い所は十五俵ぐらいとれてます。ですから五割増産というのは嘘になってしまったわけです。三倍増産です。尤も私は三年前に十割以上は増産になるという事を書きました。本当は最初からそう書きたいが、そうするとかえって信じないと思ったのです。五割でもなかなか信じないのですから、倍とか三倍と言うと、かえって逆効果になって、馬鹿々々しくて信ずる気になりませんから、それで遠慮して五割としたのです。ところが今度は、中京の渡辺さんが方々を調査した結果、去年十八俵とった伊野という人も、そのくらいはとれそうだという事を言ってます。そういうようなわけで、あっちの講演会などには人が沢山来るようですし、会員もドンドンできるようです。ですから三倍増産は確実です。(後略)           

 

(御教え集27  昭和28105)

 

           

「反当り十八俵・・・」

 

  (前略)そこで今度一番とれたのが岐阜県の人で反十八俵というのです。しかしこれが一寸まずかった事は、田を三つの区域くらいに分けたのです。それでその米をみんな一しょにしてしまったのです。ですから平均して十二俵幾らかになりましたが、それでも素晴しいものです。そのうちの一区画の所だけが非常に良く出来たのです。そこで、そこの箇所の推定ではどうしても十八俵だという事になったのです。とに角正確にやらなかったのは遺憾ですが、来年はちゃんとするでしょう。それで毎年朝日新聞で米の多収穫の日本一を競争してますが、今年の一等は四国の方の人で十五俵一斗三升二合というのです。それでそこに私の方の信者の人が調べに訪ねて行ったのです。ところが競争するのは、又別なやり方をするのだそうです。それでこの収量は今年だけであって、来年はずっと落ちると言うのです。別なやり方というが硫安とかをうんと使うのです。丁度ヨッパラッて顔色を良くして威勢良く踊る様なもので、大変元気はある、という様な理窟なのです。それでああいう物は一時的に効果があるから迷わされるのです。“来年はずっと落ちるから止()す”と、本人が言っていたそうですから間違いないでしょう。しかし自然栽培で出来た物は年々増えるのですから、全然訳が違います。来年は、今の岐阜県の人も朝日新聞に出す事になってます。(後略)            

 

 (御教え集19  昭和28227)

 

   それから今度のお蔭話の報告に、岐阜県の方の人で反当り約十八俵穫ったという人があります。しかし細かく何斗何升という事を調べてなかったのは残念でした。ところが朝日新聞で毎年日本一の米作りを募集してますが、四、五日前の新聞に今年の成績が出てましたが、一等が十五俵一斗三升二合なのです。それが日本一です。これは今までにもないくらいの様に書いてあったと思います。来年は朝日新聞に出す様に言っておきました。こういう事が日本一になると、自然栽培の効果というものが一ぺんに知れますから、非常にいいです。(後略)

                       

 

(御教え集19  昭和2827)

 

   

「自然農法産は美味い・・・性格も変わる」

 

   (前略)自然農法の効能ですね。で、それは非常に美味いんですよ。野菜でもね。之は、米に限らない。一切の作物ですね。処が今迄肥料を使つている為に不味いんですね。不味いからして、どうしても肉や魚を食いたがるんです。私でもそうですからね。矢張り、近頃自然農法で取れたものを大分食べる様になりましたがね。大分美味いから肉より野菜を食べたいんですが、以前と来たら、野菜は不味いんです。だから、つい御馳走と言つたら、動物性の物を食べる様になるんです。だからして西洋は昔からそうですが、日本でも近頃非常に肉食が多くなつて来た。動物性が多くなつて来た。そうすると、精神的にどうしても気が荒つぽくなる。怒りたくなる。そこで白人位戦争好きなものはない。野蕃人が戦争好きと言うが、野蕃人より白人の方が戦争好きです。野蕃人は部落と部落の戦争はやります。処が白人は、戦争によつて自分の野心を遂げ様とするのが、歴史に沢山ありますよ。それから社会的の争いですね。裁判とか或いは警察の取締りとか、そういう事が非常に必要になるのは、肉食の原因が非常にあるんです。私は七、八年前に――私の本にも書いてありますが、川治温泉というのがありますが、川治温泉と日光の間位の処に、湯西川という温泉がありますが、其処に行つた時に、戸数が九十戸で、人間の数が――六百人という村人が居りますが、其処では絶対菜食です。川に鮎があつても食べないんです。先祖から食べた事がないから食べたくないと言うんです。鶏も無いんですからね。鶏を食べ様と思つても無いんです。遂々隣村迄行つて買つて来ましたがね。鶏がいないから、無論卵もないんです。其処では問題が起ると、宿屋の親父が一人で裁いている。それで済んでいるんですからね。病人なんか無いんです。肺病なんか無論無い。と言うのは、其処の村は絶対に東京なんかの都会人とは結婚しない。絶対に村中の人間と結婚しているんですね。偶に――日光が一番近いから、日光の人とは偶には結婚するらしいですがね。あとは絶対に村中でやる。何故かというと、東京なんかとすると肺病になり易いので、そんな危険な事はやらない方が良いというので、村中で済んでいるんですね。そういう訳ですから実際理想的ですね。天国みたいな村です。私は其時に――だから皆心が穏かで、其処の色んな事を宿屋の娘に聞きましたが、娘も二十位で女学校ですがね。女学校は日光の女学校に行くが、非常に頭が良くて、話し方も滅多にない位にはつきりして気持が良いんですね。そういう点を聞いてみると、菜食というものの影響――之が非常にある。だから、つまり自然農法も、そういつた米にしろ野菜にしろ非常に美味くなりますから、どうしても多く食べる様になる。そうすると、その為に人間に、精神的効果が非常にあると思う。だから、自然農法の効果は、今迄それを言わなかつたが、近頃そういう点に非常に影響があると思つてお話するんですがね。(後略)

                               

(御教え集9  昭和27425)

 

         

「自然栽培の利点(美味しい)

 

   (前略)それから、自然栽培の方は美味しいですからね。今読んだ通り、搗減が無かつたり、炊増するという様な点の利益もありますしね。美味いという事が大変な意味があるんです。というのは、美味いとどうしても野菜を多く食べますからね。野菜を食べると健康にも良いし、第一性質が変る。人間の性質がね。今の人間は気が荒くて、直きに喧嘩したり殺したりしますが、あれは食物が非常に関係がある。処が今のものは、肥料が多いので不味いですから肉とか魚を多く食べる。それでなければ食物とは思わないですからね。私なんかも、動物性のものが美味いですからね。野菜は不味いですね。処が無肥料になると、野菜が美味いからね。白人種が闘争を好むのは、食物の関係が非常にある。だから白人文明といつて威張つてますが、一番争いが多いですね。争は東洋人の方が少い。だから世界を始終騒がしているのは白人ですよ。之は、白人は良く考えて貰いたいですね。アジアの人間は、実に柔順で善人が多いですね。そんな訳で白人種も、ミロクの世になるに就いては、野菜を多く食べさせる必要がある。それには野菜が美味しくならなければならないので、無肥料になれば野菜が美味しくなるから、人類に益する処が甚大です。之は一寸気がつかないですが、そういう点も大いに知らせなければならないですね。(後略)                 

                         

 (御教え集9  昭和27427)

 

   

「人が増えれば米も増える」

 

  (前略)米の事ですけれども、私が、日本人が幾ら増え様と、それ丈は必ず穫れると言う事を言つていますが、人間があと一億になつても、二億になつても三億になつても平気なんですよ。日本丈で、充分食う丈は穫れるんです。何う言う訳かと言うと、一つの茎ですね。今の処は、普通良くいつて百五十粒位ですがね。処が人間が増えるに連れて、段々増えていくんです。二百粒三百粒になるんです。そうすれば、人間が幾ら増えても平気です。私が最初神様に知らされた時はお米が最初に穫れた時は五、六粒だつたそうです。五、六万年前よりは、粒がずつと増えているに違いないです。粒が増えるんですよ。それを、誰も知らない。そこで人口が増えると足りなくなる――現に足りなくなつてますが、足りなくなる様にする原因は肥料ですから、それを無くすれば、何でもないですよ。(中略)大体、人間を造り、人間を増やしているのは、神様ですからね。だから、増えた丈の人間が食えないなんて、そんな気の利かない神様なんか在りやしない。人間は薬をやらないで、肥料を入れない物を食つていれば、年中ピンピンしているんです。それを態々地獄を作つているんですから神様の目から見ると――しようがないんです。 (中略)それを私が世界中に知らせるんだから、之からは段々そうなりますがね。(後略)

                                

(御教え集5  昭和261225)