食と農
A-3-3、自然農法に関する歌
農業に係わりのあるメシヤ様のお歌を抜粋しました。
真理の農法である「自然農法」を提唱されるきっかけになるようなお歌が、昭和の始め頃のお歌の中に所々見て取れます。例えば
ち ごとう
ひとは
うご てんち こころ
ひらひらと 散れる梧桐の一葉にも 動かぬ天地の心みゆめれ
「明光」 14号 S 2.10.30
ちはやぶ
かみ
いちりん うめ はな
み
千早振る 神のしぐみは一輪の 梅の花にも見えにけるかな
「明光」 19号 S 3. 3.30
などです。このようなお歌もある中、
みたから いくひ あせ
つも
た ほ みの いなくさ
百姓の 幾日の汗や積りけむ 垂れ穂ゆたかに稔る稲草
「明光」 15号 S 2.11.30
と、農業従事者への感謝を表しておられるお歌も見られます。それからさらに、昭和6年には、大自然への思いを
つちふ おもえ
たに
みぎわ おちば
土踏むと 思へぬばかりふかふかと 渓の汀の 落葉せる
みち
路
「瑞光」 1-7 S 6.12.15
いちよう くちば と
げん りんね のり
かた お
一葉の 朽葉を取れば厳として 輪廻の則を語りて居りけり
「瑞光」 1-7 S 6.12.15
というお歌で表現されておられます。そうした中、当時の高い肥料代や食糧問題をはじめとする様々な農業問題を憂慮されたお歌を、昭和7年から9年頃に詠まれたお歌の中に見ることが出来ます。
だいとうきょう わす い のうそんもんだい
すばらしい大東京になつたが 忘られてゐる農村問題
「明光」75号 S 7.11. 1
はな よる ぎんざ くに のうみんいま うえ
華やかな 夜の銀座よこの国の 農民今や飢ゑんとすなり
「明光」76号 S 7.12. 1
のうそん きゅうさいさく
き
しゃっきんぼうびき われ こたえ
農村の 救済策を 訊かれたり 借金棒引と 吾は答へぬ
「松風」3-21 S 9. 7.?
のうそん つか き じ しんぶん み ひ むね おも
農村の 疲れし記事の新聞に 見ぬ日とてなし胸の重かり
「松風」3-22 S 9.10.?
こうしたお歌を拝見すると、当時の農家や農業従事者に対して「何とかしてやりたい」という思いを感じます。そうしたことがきっかけで、一層自然栽培への研究に拍車が掛かったのではないかと推察します。
そうして具体的には、昭和10年1月、「大日本観音会」を発会した翌年、玉川郷内に於いて、自然農法の研究に取り掛かられます。そして、数年に及ぶ実地の研究による成果を基に、無肥料栽培こそ神示の農法てであるという確信されました。
戦前、戦中は何かと言論統制が厳しく、その取締りを受けていた頃は、隠忍自重、黙っておられたメシヤ様も、戦後、言論の自由が許されると、自らの研究成果と共にご啓示を受けた内容を世に問うべく、昭和23年に初めて自然農法に関する御論文を発表されると共に、自然栽培法、所謂「自然農法」を提唱されました。
戦後の食糧難の時代、食糧増産が急務の時代、GHQによる化学肥料の配布も手伝い、農薬や化学肥料の普及が目覚しく、肥料が無ければ作物は出来ないという肥料迷信に罹っている農家や農業従事者に対して、今までに無い栽培法、「自然農法」を改めて世間に訴えられました。
それを昭和27年から29年に詠まれたお歌に見ることが出来ます。いくつか紹介しますと、農薬や化学肥料に対しては、
つちけが こころ けが み けが くる たねま おろ
土汚し 心を汚し身を汚し 苦しみの種蒔く愚かさよ
地上天国34 S27. 3.25
いがくひりょう むしん さんだいめいしん ただ かみ みわざ
医学肥料 無神の三大迷信を 正さるるらん神の御業に
地上天国33 S27. 2.25
にんげん いのち たからう つち ひどく けが おろ よ 人間の 命の宝生む土を 肥毒に汚す愚かなる世や
地上天国53 S28.10.25
そして自然災害については、
あぜ た ひどく な あき た なみだ み あわ た 畦に佇ち 肥毒に萎えし秋の田を 涙に見つむる哀れ田
びとら
人等
地上天国53 S28.10.25
たいふう こめ ふさく
なに しんり
さか とが
颱風も 米の不作も何もかも 真理に逆ろう咎にぞありける
「栄光」 227 S28. 9.23
い か てんさい ことごと
ひと つく し
如何ならむ 天災とても悉は 人の作りしものとこそ知れ
「栄光」 227 S28. 9.23
また自然農法のすばらしさについては、
かむながら おつち きよ
きよ たね ま ゆた みの とうと
惟神 御土を浄め清き種子 蒔けば豊かに稔る尊さ
地上天国34 S27. 3.25
ひりょう い むし わ
ありがた ゆた みの なみだ た
肥料要らず 虫さへ湧かぬ有難さ 豊けき稔りに涙する田
びと
人ら
地上天国54 S28.11.25
やくどく ひどく
ため けが よ
きよ かみ かわ
薬毒と 肥毒の為に汚されし 世を浄めなん神に代りて
地上天国55 S28.12.25
とも詠まれています。そして、農業に付き物とされてきた農薬や化学肥料が農家から無くなった時、その時の様子を次のように詠まれています。
おそ ひどくめいしん このど き う のうそんてんごく
恐ろしき 肥毒迷信此土から 消へて生まるる農村天国
地上天国55 S28.12.25
そして、自然農法だけではなくて、メシヤ様が説かれる一切は、“永遠の栄えの道”であると次のお歌で詠まれておられます。
えいえん さか みち われ と おし ほか
さと
永遠に 栄ゆる道は吾が説く 教えより外なしと覚れよ
地上天国54 S28.11.25
我々は、御教えを「知っている」というレベルから、再度、心を白紙にして何度となく御教えを拝読させていただき、自らも御教えの実践を通して更なる深い神秘を覚らせていただきたいものです。
以下は抜粋したメシヤ様のお歌を、年代順に掲載しています。メシヤ様の御心に思いを馳せながら拝読していただければ幸いです。
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《昭和2年~9年に掛けて、立教前のお歌》
ち ごとう ひとは
うご てんち こころ
ひらひらと 散れる梧桐の一葉にも 動かぬ天地の心みゆめれ
「明光」 14号 S 2.10.30
あしはら
みづほ みよ
みわた みの いなだ
葦原の 瑞穂の神代ぞしのばるゝ 見渡すかぎり稔る稲田に
「明光」 15号 S 2.11.30
あき ひ こがね いろ いなくさ た も み
秋の陽に 黄金色ます稲草の 田の面見ぬまでみのるめでたさ
「明光」 15号 S 2.11.30
みたから いくひ あせ つも
た ほ みの いなくさ
百姓の 幾日の汗や積りけむ 垂れ穂ゆたかに稔る稲草
「明光」 15号 S 2.11.30
ちはやぶ かみ いちりん うめ はな み
千早振る 神のしぐみは一輪の 梅の花にも見えにけるかな
「明光」 19号 S 3. 3.30
くわ あせ ゆあ はだ あおば
かぜ
鍬とりし 汗も浴みに肌かろく 青葉をわたる風のよきかな
「明光」 24号 S 3. 8.30
すきま かぜ いのち なつ ひ
あ たびと たぐさ
隙間もる 風さへ命の夏の日を 浴びて田人は田草とるなり
「明光」 49号 S 5. 9. 1
たうえか なが しず や なか ひとけ み
田植歌の どこかに流れて賤が家の 中に人気の見えぬ
まひるま
真昼間
「瑞光」 1-1 S 6. 6. 1
ふ あめ なか なえう たびと かさ うご ちまちだ
降る雨の 中にせはしく苗植うる 田人の笠の動く千町田
「瑞光」 1-1 S 6. 6. 1
しょか た たびとせわ
なえうえ なか
のぼ
きしゃはし ゆ
初夏の田に 田人忙しく苗植ゑる 中を上りの汽車走り行く
「瑞光」 1-2 S 6. 7. 1
た はた もり いろ す い のうふ うま せ わら つ 田も畠も 森の色も澄んでゐる 農夫が馬の背に藁を積ん
い あき
でゐる秋
「明光」62号 S 6.10. 1
いね
か たび と ら あきび
した みやこ ら
め の
稲を苅る 田人等秋陽の下にして 都のわれ等の目に長
ど
閑かなる
「瑞光」 1-7 S 6.12.15
かれくさ う なか だいこばたけ
あおあお
枯草の つづらふ中の大根畑の ひとりつややに青々しもよ
「瑞光」 1-7 S 6.12.15
ね
あかつち しゃめん まつお い
いかにして 根づきたるにや赤土の 斜面に松生ひやや
おお
に大きも
「瑞光」 1-7 S 6.12.15
つちふ おもえ
たに みぎわ おちば
土踏むと 思へぬばかりふかふかと 渓の汀の 落葉せる
みち
路
「瑞光」 1-7 S 6.12.15
いちよう くちば と
げん りんね のり かた お
一葉の 朽葉を取れば厳として 輪廻の則を語りて居りけり
「瑞光」 1-7 S 6.12.15
のうみん しょうしみん た い あめ
うっとう
農民が小市民が 起ちあがらうとするけはひ 雨がうつたう
しい
しい
「明光」72号 S 7. 8. 1
だいとうきょう わす い のうそんもんだい
すばらしい大東京になつたが 忘られてゐる農村問題
「明光」75号 S 7.11. 1
はな よる
ぎんざ くに のうみんいま うえ
華やかな 夜の銀座よこの国の 農民今や飢ゑんとすなり
「明光」76号 S 7.12. 1
まつたけ かお くりや
われ
みかく
松茸の 香り厨をながれきつ 吾が味覚のいよいよつのる
「松風」 2-16 S 8.11.**
とうきび はな
そら
あき
唐黍の 花のかそかにそよぎつつ 空ふかまりていよよ秋なり
「明光」88号 S 8.12. 1
まつたけ かご み たそがれ いろ まつやま せま く
松茸は 籠に満ちけり黄昏の色 この松山に迫り来るかも
「明光」88号 S 8.12. 1
のうみん ふか こ とし はやゆき ふゆ
農民の なやみは深く此の年も 早雪ごもる冬となりける
「明光」89号 S 9. 1. 1
のうそん きゅうさいさく き しゃっきんぼうびき われ こたえ
農村の 救済策を 訊かれたり 借金棒引と 吾は答へぬ
「松風」3-21 S 9. 7.**
のうそん つか はなし きょう なつ
あめ
農村の 疲れし話ききにけり 今日もひえびえと夏の雨ふる
「明光」97号 S 9. 9. 1
のうそん つか き じ しんぶん み ひ むね
おも
農村の 疲れし記事の新聞に 見ぬ日とてなし胸の重かり
「松風」3-22 S 9.10.
昭和6年までのお歌は、大自然をそのまま詠んでおられますが、昭和7年と昭和9年のお歌には、当時の農民や農業に対するメシヤ様の思いが汲み取れると思います。
あさようしょく ひるようしょく よる ようしょく むね くる
朝洋食 昼洋食 夜も洋食に 胸のもたるる苦しみにあり
S23.10. 8
この一首のお歌で、当時のメシヤ様の食生活を見て取ることが出来ると思います。
そして、次の昭和27年のお歌に、現代農業の誤謬に対するメシヤ様の鮮明な姿勢を見ることが出来ます。
とよあしはら みずほ
くに ひりょう けが
とが あえ あわ
豊葦原 瑞穂の国を肥料もて 穢せし尤に喘ぐぞ哀れ
地上天国34 S27. 3.25
かむながら おつち きよ
きよ たね
ま ゆた みの とうと
惟神 御土を浄め清き種子 蒔けば豊かに稔る尊さ
地上天国34 S27. 3.25
つちけが こころ けが み けが くる
たねま おろ
土汚し 心を汚し身を汚し 苦しみの種蒔く愚かさよ
地上天国34 S27. 3.25
いがくひりょう むしん さんだい めいしん ただ かみ みわざ
医学肥料 無神の三大迷信を 正さるるらん神の御業に
地上天国33 S27. 2.25
そして、次に昭和28年のお歌を掲載しましたが、27年にも増して、さらに現代農業の誤謬に対して徹底した姿勢、批判の思いと真理の解明を見ることが出来ると思います。
とよあしはら みずほ くに あわ あだむした も み あ 豊葦原 瑞穂の国の哀れさよ 仇虫田の面に満ち荒れにける
地上天国53 S28.10.25
あめかぜ あせ か い みわた た も か 雨風を いとはず汗の甲斐もなく 見渡すかぎり田の面枯れにき
地上天国53 S28.10.25
にんげん いのち たからう つち ひどく けが おろ よ 人間の 命の宝生む土を 肥毒に汚す愚かなる世や
地上天国53 S28.10.25
あぜ た ひどく な あき た なみだ み あわ た
畦に佇ち 肥毒に萎えし秋の田を 涙に見つむる哀れ田
びとら
人等
地上天国53 S28.10.25
み かぎ いなだ あ ああ われ い か ひどく まよ さ 見の限り 稲田荒れけり嗚呼吾は 如何に肥毒の迷ひ覚まさむ
地上天国53 S28.10.25
ひどく みみかたむ たびと ら め ざ このかれ ほ み 肥毒には 耳傾けぬ田人等も 目覚めけんかも此枯穂見て
地上天国53 S28.10.25
たいふう こめ
ふさく なに しんり
さか とが
颱風も 米の不作も何もかも 真理に逆ろう咎にぞありける
「栄光」 227 S28. 9.23
い か てんさい
ことごと ひと つく し
如何ならむ 天災とても悉は 人の作りしものとこそ知れ
「栄光」 227 S28. 9.23
たみくさ いのち かて た きび かみ とが
民草の 命の糧の足らざるは 厳しき神の咎にぞありける
「栄光」 234 S28.11.11
ほうねん ことば
むかしがた いま かな きょうさく
こえ
豊年の 言葉は昔語りなる 今は悲しき凶作の声
「栄光」 234 S28.11.11
いがくめいしん ひりょうめいしん このふた うちや
よ ついえ
医学迷信 肥料迷信の 此二つ
打破らねば世は潰へなん
「栄光」 234 S28.11.11
むかし おおみたから
とうと のうみんすく いま
昔から 大百姓と尊まる 農民救ふ今にぞありける
地上天国54 S28.11.25
ひりょう い むし
わ ありがた ゆた みの なみだ
た
肥料要らず 虫さへ湧かぬ有難さ 豊けき稔りに涙する田
びと
人ら
地上天国54 S28.11.25
ひどく めいしん うちくだ
とよあしはら みずほ くに た
肥毒迷信 打砕かれて豊葦原 瑞穂の国に立ちかへりける
地上天国54 S28.11.25
ひどく けが
けが ひ もと こくど きよ わざ とうと
肥毒もて 穢れに穢れし日の本の 国土浄むる業ぞ尊き
地上天国54 S28.11.25
ひりょう ま あせ か い
かれほ みずた なが のうふ
肥料撒き 汗の甲斐とてなかりける 枯穂の水田眺む農夫
ら
等
地上天国54 S28.11.25
かみ つく つち しんぴ にんげん つく
かがく わか
神が造りし 土の神秘さ人間の 作りし科学になど分れめや
地上天国54 S28.11.25
いっさい がく と
と
し
一切は 学もて解けるものもあり 解けぬものあること知れよかし
地上天国54 S28.11.25
だいしぜん せいふく
ほこ ひと せいふく
大自然 征服せんと誇りける 人いつしかに征服されけり
地上天国54 S28.11.25
あわ めしい まなこひら しんち ひかりはな われ
哀れなる 盲の眼開かんと 神智の光放つ吾はも
地上天国54 S28.11.25
ひと よ もも くる きわ む ち もと し
人の世の 諸の苦しみ究むれば 無智が因なることを知りけり
地上天国54 S28.11.25
くにたみ いのち つな かて た ちえ た
ゆえ
国民の 命を繋ぐ糧さへも 足らぬは智慧の足らぬが故なる
地上天国54 S28.11.25
にんげん つく かみ にんげん
やしな かて つく
人間を 造りし神は人間を 養う糧を造らざらめや
地上天国54 S28.11.25
かぎ かみ めぐみ われ たびと む ち
限りなき 神の恵は吾をして 田人の無智を教ゆなりけり
地上天国54 S28.11.25
ちい がくり おお しぜん ことわりはか えらめや
小さなる 学理をもちて大いなる 自然の理計り 得らめや
地上天国54 S28.11.25
あさ
かがく ふか つち しんぴ さぐ おろ
いと浅き 科学をもちていと深き 土の神秘を探る愚かさ
地上天国54 S28.11.25
じんち つく
いっさい たましい い
いのち あた われ
人智もて 作りし一切に魂を 入れて命を与う吾かも
地上天国54 S28.11.25
えいえん さか みち われ と おし
ほか さと
永遠に 栄ゆる道は吾が説く 教えより外なしと覚れよ
地上天国54 S28.11.25
ひどく がき どうつく
あわ たびと めしいひら われ
肥毒もて 餓鬼道作る哀れなる 田人の盲開く吾はも
地上天国54 S28.11.25
ひりょうちゅうどく もと みたから こころ すく めいしん
肥料中毒の 因はといへば百姓の 心に巣喰ふ迷信なりける
地上天国54 S28.11.25
にんげん つく りくつ
とら まこと み
おろ よ
人間の 作りし理屈に囚はれて 真の見えぬ愚かなる世や
地上天国55 S28.12.25
かがく めいしん つく やまい
きょうさく わざわい た わがすく
科学迷信が 作る病と凶作の 災を絶つ
我救いかも
地上天国55 S28.12.25
おそ ひどく めいしん このど き う のうそんてんごく
恐ろしき 肥毒迷信此土から 消へて生まるる農村天国
地上天国55 S28.12.25
やくどく ひどく ため けが よ きよ
かみ かわ
薬毒と 肥毒の為に汚されし 世を浄めなん神に代りて
地上天国55 S28.12.25
次のお歌は昭和29年のお歌になりますが、前年と同じ様に、現代農業の間違いを指摘されておられます。
やくどく ひりょう どく め い ものしりたち まなこひら
薬毒も 肥料の毒も眼に入らぬ 物識達の眼開かん
「栄光」 246 S29. 2. 3
ひりょう
けが けが ち おも きよ われおし
肥料もて 汚しに汚せし地の面を 浄めんとして吾諭ゆなり
「栄光」 256 S29. 4.14
かしこ
かみ つく
きよ ど ひりょう けが つみかる
畏くも 神が造りし清き土を 肥料に汚せし罪軽からじ
「栄光」 256 S29. 4.14
いっさい わざわい おろ ひと
つく
一切の 災はみな愚かなる 人の作りしものにぞありける
「栄光」 256 S29. 4.14
このようなお歌を通して、我々は『自然農法』を提唱されたメシヤ様の御心を学ぶと共に、真の健康を目指して、自らも家庭菜園という、例え小さくてささやかな場所での栽培であっても、“御教えの実践である”という意識を持ってその実践に務めると共に、その普及拡大を願いに努力精進していきたいものです。