食と農

A-3-2、自然農法への想い

 

「自然農法は食糧問題を解決する」

 

  (前略)幾多の問題の中、其主眼とする処は、何と言っても食糧問題であろう。(中略)

 

  然し乍ら、此難問題と雖も、数年間に而も至極容易に、解決出来得る方策を吾等は有っている。即ち新農耕法である。之を直ちに実行すれば、日本は到底想像もつかない程の幸運に恵まれるのであるが、茲に一大障碍物がある。それは何であるかというと此新農法は、之迄の農業とは全然反対であるからである。それが為如何に此原理を説いても、農耕者は容易に受入れようとしないのである。然し之は無理かもしれない。何となれば、我農民が先祖代々幾百年に渡って実行しつつあった方法を一朝にして放棄する事は出来まい。然しそれは、実は大変な間違いで、一生懸命増産しようとする其方法が、実は減産の方法でしかないのである。従って只言葉だけでは、急に掌を反えすような訳にはゆかない以上、私は理論と共に実地によって解らせようとし、十数年前から、それを行って来たのであるが、漸次予期以上の驚異的成果を挙げ得るようになり、近来非常な勢いを以て此農法栽培者が激増しつゝある現状であるが、何しろ日本全国に行渡らせるには仲々の大事業であると共に、食糧難の方は年を逐うて切迫の度を加えつゝあるので、此実状をみては到底晏如としては居られない。茲に意を決して大々的宣伝を行うべく、先づ此小冊子を刊行したのであるから、之を読めば理論と実際とがよく判り、農民諸君は固より、一般人士と雖も納得がゆくであろう。従って是非一読の上、一日も早く実行に着手されん事を、希望してやまないものである。

                                             

(「はしがき」自解  昭和26115日)

 

 

「自然農法提唱に至るまでの経緯」

 

 

  私は十数年以前から、自然栽培法といって金肥人肥を用いず、自然のみの肥料を使って農作物の大収穫を得る事を発見し提唱して来たのであるが、その当時農民に向って如何に説得し信じさせようとしても、中々耳を藉す者がなく随分努力をしたが思う様にはゆかなかった。併し最初からの私の信念は、これこそ絶対の真理である以上、いつかは必ず分る時が来るに違いないと共に、これによらなければ、農民はいつになっても救われないばかりか、国家の運命にも至大なる関係がある事を考え、撓まず屈せず今日に到ったのである。処が幸か不幸か、私の憂慮した通りの重大なる事態となって来た今日、農民諸君は固より一般日本人にも分らせなければならない事を痛感するのみか、この自然栽培の前途にも漸く光明が見え始めたので、愈々時機到れりと茲に大宣伝を行う事となったのである。

 
  そうして、この農法に都合のよかった事は、私が宗教家であるだけに、信者は不思議な説とは思い乍らも、兎も角信じて実行に移った者も少なくなかったので、割合早く効果が分り、共鳴者も追々出来、最近に至っては信仰者ならざる一般農民層も、漸く注目を払うに至ったのである。而も今回別項の如く農林技官金崎貞男氏が、職掌柄技術方面の見地から、数年に亘って熱心に研究の結果、茲に愈愈驚嘆すべき成果を認め、発表する事となったので、私としては喜びに堪えないのである。それというのも一般はこの栽培法は宗教から出たという理由で、兎もすれば迷信視せられ勝ちなのが、同技官の発表によって、それを打消すに大いに力あると思うからである。

 
  言う迄もなく現在日本に於ける最大の悩みは、何と言っても主食の不足である。何しろ終戦後狭くなったこの国土に対し、人口の方は増えるばかりで、現在已に八千四百万というのであるから、茲に緊迫せる問題となったのである。而も本年の如きは、二千数百万石の不足となるので、それが為各国からの輸入によって、辛くも安定を得ているに過ぎないと共に、その輸入額に至っては、実に千数百億に上るのであるから、国家経済の上からいっても、実に容易ならぬ事態となったので、この解決が出来ない限り、我国の前途や全く寒心に堪えないものがある。のみならず世界の状勢によっては、何時如何なる事態が発生するやも分らないのだから、全国民に対する絶対量の確保は、どうしても達成しなければならないのである。そこで政府も農民も、あらん限りの手段方法を尽してはいるが、中々思うようにならないばかりか、動(ヤヤ)もすれば減産の傾向さえ見える。本年の如きは、昨年よりも約三百万石の減収であるに対し、彼の産制も期待薄く、人口増加の趨勢は今の処年百万以上と見ねばなるまいから、この大危機を解決するには、何等か劃期的大奇蹟でも現われない限り、どうしようもないのである。

 
  然らば何故我国が全人口を養うに足るだけの米の産額を得られないかというと、これこそ私が言わんとする処の根本理由である。それは現在迄の農耕法に一大欠陥があったからで、その欠陥というのは金肥、人肥の如き人為肥料であってそれに気が附かなかったのである。では何故それ程の過誤が、今日迄分らなかったかというと、長い間に不知不識一種の肥料迷信に陥ってしまったのである。処が、私はそれを発見した以上、その迷夢を醒まし、農耕法の大革命をしなければならないと痛感し、この運動を起したのである。(後略)

 

(「農業の大革命  五カ年にして米の五割増産は確実(一)」革自  昭和28年5月5日)

 

          

 「農業革命をやりたい」

 

   今度、自然農法の特輯号を出そうと思つてますがね。それで、論文丈を書いたんですが、未だお蔭話ですね――それが少ないんで、良く聞いて見ると、今月か、来月――春にならなければ、本当に無肥料栽培の成績ですね――それが無理だと言うんです。新聞に出す丈位集つたら、出す積りです。それで、之を全国的に、各農会とか新聞社、参衆両議院とか――そう言つた方面に配付しようと思つている。出来る丈早く、農業革命――それをやりたいと思う。今それが、日本としては重要問題ですからね。(後略)               

 

(御教え集5号  昭和26年12月6日)

 

「農業革命---本を出版し啓蒙を図る」

   (前略)それから、又、自然農法もですね。農業の方も可成り、皆分つただろうと思うんです。之に就いても、最近発表したアメリカのロデールと言う人ですが、あの方から、つい二、三日前に手紙が来まして、自分の主義の共鳴者が日本に出来たと言う事は非常に喜こばしい。之から大いに提携してやりたい。と言う様な、非常に希望にあふれた――そう言う返事が来たんです。大いにこの農業革命ですね。之は世界的になつていくだろうと思つてますが、それで、日本だけにみても、今年あたりが、六千四百万石ですか――大体その位の収穫はある。農林省で発表してます。処が、日本で足りないのは二千万石。二千万石と言うのを外国から買うんです。大変な金です。何百億――一千億以上になるでしよう。すると、何よりこの解決が勝負の急所なんです。処が自然農法で五年間続ければ、五割の増産は確実なんです。そうすると、六千四百万石で、五割増産になると、九千六百万石になるんですから、この五、六年間で、九千六百万石穫れるとすれば、幾ら食つても余る訳です。あべこべに、輸出しなければならない。そんな結構な事が分つているに拘らず、それを実行させるのが大仕事です。それは、皆さんが大いに働かれると言う事より他にしようがない。

 
  最近、それに就いて、色々な理論や実際報告とかを一つの本に拵えて、之を農業関係者に――政府は勿論ですが、各農会ですね。全国のそれに、只で配ろうと思つてます。それで、一大輿論ですね。農業講演会を開き、それを起して、早く分らせ様と言う計画が、今あるんです。それには、今年の収穫を発表したいと思つて、材料としてね。と言うのは、年々肥料が抜けていく程良くなるんですからね。今年は今迄より一番成績が良い筈ですから、その成績を書き入れた方が、大いに効果がある。十一月あたりになつたら大体分るでしよう。それ次第で、本を作つて、今言つた様にする積りです。(中略)

 
  又食うものは充分穫れるが――それだけでも、大体農村は経済的に救われますからね。沢山穫れるばかりでなく、肥料も要らないし、虫害、風水害は絶対に減るし大いに恵まれる。日本の農民は国民の七、八割を占めている。それが、懐があつたかくなると、貧乏を解決する一番の根本原因になる。 (後略)

                        

(御教え集2号  昭和26年9月23日)

 

 (前略)食糧は自然農法の原理を色々知らしてあります。それで、今年の収穫から――無論年々良くなるんですから、今年は素晴らしい成績になるだろうと思います。その例を材料にして、論文と両方で、本を拵えて、それによつて大々的に宣伝しようと思う。無論地方々々で講演会、座談会をやる積りです。今の自然農法の本は、日本中の農会とか、そういつた方面に、何千と言う数があるそうですから――それに、無料で配付しようと思う。そうして大いに宣伝しようと思つている。(中略)自然農法で、五年続けたら、五割増産は大丈夫です。(中略)大変なものです。それで肥料は要らないし、虫害もずつと少なくなるし、風水の被害もずつと減ります。そう言う事を、分つて居乍ら実行しないと言う事は、実に間違つている。ちやんと、神様は日本を救うべく教えられたのだからそれを力の限り弘めて、先ず日本を救わなければならない。然も農民の現在は――日本の人口の七、八割は農民ですから――その大部分の農民が、近頃非常に金に困つている。(中略)今一番困つているのは農民です。之を早く知らして、農民の経済――懐を楽にすると言う事も、一日も早くしなければならない。と言う意味で、大いに宣伝しなければならない。(後略)

                       

(御教え集2号  昭和26年9月24日)

 

  

農業特輯号ですね。あれを出して、そうして出来る丈日本中の農会とか新聞社ですね。国会議員だとか、そう言う方面に配ろうと思う。そして出来る丈早く目を醒まさせなかつたら、下手にまごつくと米が減産して来ます。丁度、薬毒と同じ様に、肥料毒と言う奴が、今後霊界が明るくなるに従つて、余計強く影響しますからね。何しろ早く知らせなければならない。その論文です。                             

(御教え集5号  昭和26年12月11日)

 

      

「自然農法に関わる刊行物発刊への思い」

 
  (前略)これを一枚売りにして農村を廻ると随分売れるだろうと思います。それでトップに大きな活字で“日本農業の大革命、無肥料で初年度から五割増産”と書いたこれを見たら飛び付くだろうと思います。しかもなるべく安くして一枚でも余計売るというようにします。これには私も経験がありますが、昔大本教の新聞を信者に売らした事があります。その後観音会になってから「東方の光」という新聞を出して売らせましたが、割合に売れるものです。ですからこれは案外売れるだろうと思います。

 
それで信者さんだけでも確実なところ五十万は大丈夫だと思いますが、一枚売りの方も五十万は大丈夫と思って、百万刷るわけです。農村などは近所附合が多いから、一枚を五人が読むとすると、五百万の人間が目を通す事になり、そうなると今度は相当の反響がなくてはならないと思います。そして講演会とか座談会をする時に、こういうものを非常に欲しがるそうですから、そういう時に売ってみんなに読ませるという点でも大いに出ると思います。各地で座談会をやってますが、随分来て片端(カタハシ)から会員になるというような傾向ですから、これを大いに利用して、一ぺんに全国的に分らせたいと思います。(後略)

                                             

(御教え集27号  昭和28年10月27日)


    

「多くの人に知らせたい」

 
  自然栽培の報告が大体集まったので、特集号を出します。言いたい事は大体みんな此処に書いたつもりですから、これをよく読めば、どんな人でも分るわけですから、大いに撒いて貰いたいと思います。百万部作る事にしましたが、今から大いにバラ撒いておけば、今年の栽培を始めるのに間に合いますから、時期が丁度良いと思います。(中略)

 
  今度来た報告を新聞に五十例ぐらい出しましたが、以前と違って一人も減産がないのです。少ないのでまず一割、多いので五割です。これは霊界が違って来たせいもあるのですが、実に自然栽培が普及されるような時期にもなって来たわけです。この次は病気ですが、この方は後廻しだとみえて、大分ゆっくりしてます。でも、信者の方にはかなり激しくなって来たようです。ボヤボヤしているとなかなか危ないような点が見えます。そういうようなわけで、もう一段分ると、それは燎原の火のように拡がってゆくと思います。仮に百万を、一軒の農家に一部ずつとしても、新聞とかああいうものは大抵平均して五人は読むとしてあります。そこで仮に五人読むとすると、五百万人読む事になります。そうすると農民の数が二千万として四分の一が読む事になります。しかしこれは五人ではきかない思います。今、これを最も知りたいという時だし、又この話を聞いたとすれば農民は見ずには居られないですから、十人くらいは大丈夫だと思います。これは言うまでもなく数多く配布させたいと思います。その土地々々の指導者はそのつもりでウンとやれば、チャンと神様が手伝いますから、大丈夫うまくゆくと思います。そうしてこれだけで、“救世教というものは普通の宗教ではない。これは大体偉いとか偉くないという事は別として、有難い宗教だ、これでわれわれは助かった”という、その恩を感じるという事が大きなものです。(後略)         

                                                         

(御教え集30号  昭和29年1月15日)


    

 「できるだけ多くの農家に実行してもらいたい」

 

   今度、農業特輯号を出そうと思つて、論文を書いて居ます。農林技師で――青森県の方で、三年前から非常に研究していて、確かに良いと言うのがあつた。農林省へ、報告したとか言つてね。あれは一頁位になるが、良い資料でね。それからお蔭話を見た処が、未だ幾らも来てない。

 

    「判りますのは、もつと遅れる様で御座います」

 
  そうらしいですね。止むを得ず遅れるのは仕方がないが、出来る丈早くして貰いたい。特輯号にして――駅辺りにポスターをして、新聞を売ろうと思つている。つまり「農業の大革命、五カ年継続すれば五割の増産確実」と言う様な事を書いて、日本中に――出来る丈大々的に知らせ様と思う。

 
   「只配るより、売らして戴いた方が宜敷い様で御座います」

 
  色々な点でね。配るのは――団体ですからね。農界とか、日本中の新聞社とか、参衆両議院とか、主なものです。農会の原子爆弾ですね。

 
    「新潟の方で、四年間やらして戴いて居りますが、今迄黙つて見ていた連中が――村で三分の一位は――入信はしなくても、一段歩づつ位を来年からやりたいと言つて居ります」

 

  それは良い。そう言う事の報告を書いて出して下さい。つまり、入信者でなく、普通の人がやる様になると、もつと良いんですよ。

 

  つまり、急を要する問題だからね。だから、実行さえすれば――出来る丈多くの百姓が実行すれば良いんだからね。凡ゆる問題は、それで解決出来ちやうんだからね。 (後略)


(御垂示録5号  昭和26年12月1日)
 

                    

「自然栽培をする人を増やすことが重要」

 

   (前略)それで佐渡などは一番先に始まりますが、佐渡では非常に成績が良く、未信者で自然栽培をするのがだんだん増えている様です。というのは、この間も話しましたが、佐渡では最初から浄霊をしないのです。だから、“なにも信仰にはいらなくても、あんなに良く出来る、ではオレ達もやるベエ”という事になったのです。ところが他の所では、浄霊すれば大いに穫れるという事を見せびらかす様にしているのです。ところがその人は、そうして早く信者にしようという気持なのですから悪くはないが、小乗的考えなのです。信者にしなくても、早く増産する様にした方が国家のためになりますから、だからどうすれば、信者にならないまでも早く分るか、という事です。それを一々信者にしてやっていた日には、何時までかかるか分りませんから、信者でなくても肥料さえやらなければ良いという事で、自然栽培を実行する人を増やすという事がいいのです。だから浄霊をして見せるという事は、それを妨害している事になるから神様の御守護がないのです。しかし佐渡ではそれをやってないので、神様が“これは良い”と、そこで御守護があるのです。その考え方ですが、何時も言うとおり、大乗的に考えなければならないのです。小乗的考えが一番いけないのです。だから佐渡だけは初年度から増産になってます。今度も書いておきましたが、浄霊は肥毒を消すのだから悪い事はない、結構だが、なるだけ人に知れない様に、夜とか朝早くは結構ですが、日中はやらない様にする事です。それで未信者の百姓で自然栽培をやるのが増えていって、いずれはやっぱり信仰にはいります。だからそういう事は考えに入れないで、信仰しなくてもこのとおり立派に出来るという事を見せつけるのが一番良いのです。

 

      (御垂示録18号  昭和28年3月1日)

 

「自然栽培を世論に・・・」

 

 (前略)今も読んだように肥料で壁のようになっている上に、殺虫剤をやり、殺虫剤をやるから虫がわくという事になって、肥料で逆効果になっているのです。丁度薬毒と同じ事で、薬で病気になり、病気になるから薬をのむという事になります。それでいずれは農林省も動かすつもりです。ところが役人はなかなか頭が固いですから、この頭には、どんなよい材料を持って、よい説明をしても、急にはなかなか動かないのです。ですからどうしても事実をもって示すという事です。沢山の農民が自然栽培という事になって、しよう事なしに、それではよいのだろうというところに行くのではないかと思います。そうしてみると、丁度医学迷信と同じように、なにしろありそうな事というような事ではないのですから、医学迷信も肥料迷信も今までとは逆で反対ですから、これをちょっとやそっとで分らせるというのは難かしいので、どうしても輿論的に農民全体がそうなって来る事になると、政府もいやでも黙まって居られないという事になるのです。(後略)                              

 

(御教え集27号  昭和28年10月27日)

 

「自然農法の普及を図る」

 

 (前略)それで今度の報告の中にこういうのがありました。その人は一番早くからやっていて六年目です。それで六年目に、廻りの田からみると六割以上増産になってます。これは今度の特集号に出てますが、それは毎年だんだん増えて行って、丁度六年目に六割以上増産の数字が出てます。それから今年の御蔭話にはなかなか優良なのが沢山あります。質でも、一等賞、特等賞の賞状を県の農協や知事からもらった人があります。そういう様にいよいよ安心して大々的普及宣伝をしていい時期が来たわけです。ですからこれが本当に拡まったら大変なものです。まず肥料代でも何百億というのですから、それが無くなると一千億以上の輸入代がいらなくなるし、その外に労力も軽減するし、いろいろな虫害が無くなるから、一カ年間何千億の得という事になります。それだけ税金が減ったら、税金地獄からもぬけられる事になります。ですからこれは一つ大々的にやりたいと思ってます。病気の方を分らせるのはなかなか大変ですが、この自然栽培の方はとても楽ですから、これを早くやった方がいいと思ってます。(後略)                                      

 

(御教え集19号  昭和28年2月26日)

 

「自然農法は世界人類を救う」

 

 (前略)病気の方は厄介ですが、自然農法の方は割合簡単に成功すると思うのです。医学の方もいずれはこうなるでしょうが、そうなれば大したものです。それで自然農法の発見は、そのお蔭は日本ばかりではないのです。今はインド、ビルマ、タイでも硫安を非常に使うのです。というのはあっちに行く硫安の輸出は大変なものです。そういう様で、あっちの方も非常に米がとれなくなって来たのです。丁度麻薬と同じ事で、最初やった時はばかにいいので、そこで瞞まされてしまうのです。それが丁度薬毒と同じ事で、年限がたつうちにだんだん駄目になって行くのです。それで駄目になった事に気が付かないのです。人間も猫と同じ様なものです。猫が屋根で日向ボッコをしていますが、日の当ってない時でも、日が当ると思ってそこに行って何時までも居ます。丁度それと同じで、硫安が良くきいていたので毎年それをやっているのです。そういうわけで肥料迷信というものは、日本ばかりでなく、ほとんど世界的になってます。これもやっぱり世界人類を救う大きな役目をするわけです。(後略)

 

(御教え集19号  昭和28年2月27日)

 

「真理は簡単だ」

 

 (前略)話は別だが、今拙者等がやっている自然農法だ。肥料をやらない程、米でも麦でも野菜でもウンと穫れるんだから、百姓君は目のクリ玉をデングリ返えして吃驚するんだ。だが仲々分らない。曰く“ソゲーナ、馬鹿な事が此世の中にあってたまるもんケー、デー一人間だって飯を食わなきゃ生きていられねえじゃねえか、作物だって同じコンだ、肥料は作物の米の飯なんだから、之をやらなけりゃオッちんじまうに決っているのでがすよ、だから儂等はソゲーナ馬鹿な事は出来るもんじゃねえんだ”と仰言るんだ。

 
成程御尤も千万で御座るが、茲でチョッピリ考えて貰いたい事がある。一体土というものは何の為に誰が作ったのかという事だ、之も人間様と同様、造物主という神様が御造りになったものには違いないんだから人間共が食うだけの品物はチャンと育つように出来ているんだよ。之もヤッパリ真理なんだから仕方がないんだ。だから余計な事をしないで、土だけに委せておけば、人間共がいくら増えてもチットも困りゃしないんだよ。何と結構に出来ているでは御座らぬか、だから百姓君の言うような作物の食い物は、糞や毒薬や小便粕のようなものじゃないんだ。お土という結構なものが作物にとっては何よりの御馳走で、土程美味しいものはないんで、土は肥料の塊りなんだよ、処が馬鹿なのは人間共だ、奇麗な美味しい土を食わせないで、汚い不味い色々な変なものを食わせようとするんだから、土も作物も糞面白くもねえと言って、怠けて了うんだ、だから人間が生きるだけの食物が穫れないのは当り前だよ。そこで仕方がないから、人の国で出来たものを分けて貰って、漸く命を繋いでいる有様だから、豊葦原の瑞穂の国も何と情ない事になったんでは御座らぬか、恐らく世の中にこんな骨折り損の草臥儲けの安本丹はあるまい。それにお気が付きそうなものだが、人間余ッ程頭が空ッポになったと見えて、今以てお気が付かないんだから、流石の神様も捨ててはおけぬ、助けてやれとの思召から、此拙者に御命令が下ったので、拙者も彼の手此手で、今一生懸命目醒ましをやっているんだよ。貴い肉体を下さった神様に、こんな余計な御手数を掛けるんだから、実に勿体ない話じゃないか。

 

  偖て、余り長くなるから、此位にしておくが、右の通り病気でも、農作物でも、ワザワザ余計な手数を掛けて、命を失くしたり、食い物を穫れなくしたりして、年中ブツブツ愚痴ばかりホザイている人間共を、見ちゃいられないんだ。だが之もみんな真理に外れているんだから、自業自得と言いたいが、それじゃあんまり可哀想だから、茲に真理というものをかいたんだ、だから之を読んでよくよく肚の中へ叩っこんで、一日も早く実行する事だよ。そうしたなら有難くて涙が零れる程よくなるんだ。ドージャ、判ったか、虫ケラじゃない、人間共よ。

 

(「阿呆文学(二)真理は簡単だ」栄87号  昭和26年1月17日)

 

「技術に重きをおく必要はない」

 

    「自然農法をやる上において技術という事は如何なものでございましょうか」

 
  技術という事は良いですが、今までほどに技術に重きをおく必要はないのです。今までは良く出来ないし、良く分らないから、技術とか肥料、種の良い悪いを考えましたが、根本は肥料をやらない事で解決するから、あとは簡単で良いのです。当り前で良いのです。(後略)

 
  それからその土地によって違います。種をまくにも、早くまいて良い所と遅くまく所があります。それは其処の気候によります。暖かい所は早く、寒い所は遅くまきます。それから土も、火山灰の土があります。関東地方では昔富士が噴火した時の灰がありますから、そういう所は又違います。火山灰が多い所は畑が良いです。イモ類、大根、人参の様に根を食べる物は良いです。土が固まらないのです。それから普通の土によっても、赤土が一番固まりやすいのです。しかしそれも年々耕していると黒土になります。ですから赤土の所は最初から増収にはなりません。相当にこなして固まらない土にして行かなければならないのです。

 
それから肥料を沢山やった土は自然農法にしてもなかなか効果が良くないから、そういうのは客土した方が良いです。そうすれば肥毒はないから良いです。そういう事も農民は間違った解釈をしています。この頃オレの所の田はばかにとれる様になった。あれは作物が肥料を吸いきってしまったので客土したからだ、というのです。それで客土すれば二、三年は大丈夫なのです。この客土をするという事で、“それには肥料が沢山あるから良いのだ、土の肥料分を吸ってしまったから駄目になったのだ”という事は、肥料迷信にかかっているからです。ところが実際は客土をすれば肥料分がないから良く出来るのです。こういう間違いがあります。

  それから種も、朝日何号とか農林何号と言っているが、これも肥料の少ない所の種が良いのです。だから無肥料にすれば最高の種が出来るから問題ではないのです。今度も書きましたが、信者の人の無肥料の種によるのが一番良いと言ってあるのです。農事試験場で今まで無肥料を試験しても出来ないので、駄目だと言っていますが、それは種が駄目だからです。だから一年二年やっても前より劣るに決まっているのです。そのために今まで無肥料というのは行われなかったのです。それは本当の事を知らないからです。                       

 

(御垂示録19号  昭和28年4月1日)