食と農
A-2-9、寄生虫問題について
「寄生虫問題」
人も知る如く寄生虫問題は、今日非常に喧ましく言われている。何しろ蛔虫保有者が日本人中、八○パーセント以上というのだから実に重大問題である。蛔虫保有者が余りに多い為、反って世人はあまり関心を有たないが、実際上蛔虫によって死亡する者も、近来少なくないという事である。普通蛔虫といえば数匹にすぎないが、人によっては数十匹乃至数百匹に上るものさへある。斯うなると恰度饂飩(ウドン)玉のようになっていて、内臓機関へ迄食い込んでゆくが、そうなると種々の苦痛が発する。而も人によっては其苦痛たるや、実に堪えられないものがある。此原因は無論糞尿肥料によって、医学でも唱える如く蛔虫の卵が、野菜から人間の口を通じて胃に入り繁殖するのである。処が其他の蟯虫、十二指腸虫、疥癬虫、水虫等々何れも小虫の繁殖によるのであるが、医学では未だ病原不明とされているが、私の研究によれば、実は人為肥料の為で、直接の原因ではないが、人肥によって血液が濁るから小虫が湧くのである。此点パスツールの伝染説の誤れる事は、私は以前記いた事がある。大体、人体に虫が湧くなどとは道理に合はないのである。成程、死人なら兎に角、生きている人間に虫が湧くなどとは、不合理も甚しいと言わねばならない。それは全く人間が天理に外れているからで、体内へ入れるべからざる不潔なものを入れ、血液を濁すからである。此意味に於て、人間は新鮮な空気を吸い、清浄な水を飲み、不純物のない土から生じたものを食し且薬剤の如き異物を成可用いないようにすれば、無病息災たる事は勿論で、寿齢も百歳以上は決して不可能ではないのである。
(「寄生虫問題」自解 昭和26年1月15日)
「寄生虫問題について」
(前略)次に寄生虫の問題だが、日本人の中で八○パーセント以上が回虫保有者なのだから驚く。回虫はふん尿肥料によってその卵が野菜から人間の口を通じて胃に入って繁殖する。ところが蟯虫、十二指腸虫、かいせん虫、水虫などは、いずれも小虫の繁殖によるが、医学ではまだ病源不明とされている。これは私の研究では、人為肥料のためで、これが直接の原因ではないが、結局人肥によって血液が濁るから小虫がわくので、この点パスツールの伝染説は明らかに間違っているわけだ。大体、体内に入れてはいけない不潔なものを入れて血液を濁すから、こういうことになる。(後略)
(「法話(五)腹の虫は人為肥料から」東日 昭和28年2月28日)
「人体内の回虫について」
“最近回虫保持者が極端に増へて参りましたが、これは浄霊によりて絶滅出来るでせうか。出来得るとしたら、どこを最も良く浄霊致したらよろしいでせうか。尚、何回位にて効果が表はれますか。
“霊が曇ってると体が汚れる。汚れると虫がよく育つ。だから汚いのである。
原因は肥料である。野菜に糞尿をやるが、その中に虫の卵が入っている。であるから、無肥料にすれば回虫もなくなる。
信仰により浄化してゆくと、汚れの古いのは出るし、新しいのはなくなる。であるから、回虫をなくするには入信する外はないといふ結論になる。
回数は言へない。多いのは百匹や二百匹いるのがある。
(「回虫と肥料」S24・11・5)
「腹中に虫---肥料の種類と同じだけ」
(前略)近頃はいろんな虫が人間にわくというのですが、大体人間の腹の中に虫がわくという事がおかしいのです。何んでもないのに、虫がわくようなそんなお粗末な体に神様が作るわけがありません。ところがこの肥料の肥毒自体がこれだけ虫がわくのだから、この肥料の毒が体に溜まって虫がわくのは当り前です。それで、虫にもいろんな種類があります。蛔虫、十二指腸虫、蟯虫といろいろありますが、これは肥料の種類と同じだけわくわけです。ですから米になったものにさえこれだけ虫がわくのですから、田に虫がわくのは当り前です。(後略)
(御教え集27号 昭和28年10月26日)
「肥料の毒も大変なもの」
(前略)今まで薬毒という事は私は大いに唱えて来ましたが、勿論薬毒も悪いが、それ以外に米に対する肥料の毒が又大変なものです。つまり肥料の毒というのは、やはり血を濁しますから、肥毒と薬毒との両方で、人間は今までいじめられていたわけです。今度その論文を出しますが、“人間の体は如何に造物主が強靭(キヨウジン)に強く造られたかが分る。これだけの薬毒を入れながら、尚かつ生きているという事は、実に人間の体は丈夫なものだ”という事を書いてあります。こうなると肥毒まで加わって、食う食糧に対する肥毒があって、薬を飲まない人でも一日に三度ずつ肥毒を体に入れているのですから、虫がわくのは当り前です。寄生虫の害というのは、みんな知っているとおりですが、これは別に大袈裟(オオゲサ)に言うわけではないので、私は何時もそう思ってます。薬毒がウンと固まって、体に薬毒が一ぱいある人がありますが、“これでよく働けるな、実に人間の体というのは強く出来ている”と何時も感心してます。
(御教え集32号 昭和29年3月27日)