食と農
A-2-8、使用不可な肥料と堆肥について
「麦の肥料には糠又は麸は・・・」
“無肥料耕作に就いて。麦の肥料には糠又は麸をそのままやるのですか。又、人糞等に入れて腐敗させたら差支えないものでしょうか。御教え願います。
“何れもいけない。土を汚す事はいけない。土が弱る。土の成分が衰える。(糞尿を用いると土が死ぬ。一種の糞尿中毒となり、育たぬ)
(酸素注入法は大いに間違っている。木の葉は床にした方がよい。熱を吸収するから温まる)
無肥料は、本当の土の養分を吸うからいくらでも育つが、有肥料のは或程度で止ってしまう。自然と根本となる。
(「土の性能」S24・2・27)
「灰肥も不可」
“馬鈴薯を植付けます場合、普通は灰をまぶってから植付けますと腐敗しないと言はれて居りますが、無肥でやります場合は灰の必要は御座居ませんでせうか。
“灰はやらぬ方がよい。肥料をやるから腐るのである。 (「灰肥」S25・3・3)
「灰使用も不可」
“無肥の場合、普通灰を使ひますと土が固まりますが、砂質の土壌の場合灰を使ひますと土地が非常に軟かくなります。土地を軟かくする意味に於てカマドの灰を使用させて戴きます事は如何なもので御座いませうか。お伺ひ申し上げます。
“やらぬ方がよい。自然であるから、何にも使はぬ方がよい。
(「灰使用」S25・3・22)
「スマ・コヌカ肥、(水栽培)も不可」
“本年度に至り初めて信仰栽培法を実施するに当りまして、化学肥料は使用せずとも馬鈴薯の如き短期作物に対して、自然堆肥だけでなくスマ・コヌカを程よくくれた方がよいと言ふ言葉を聞きましたが、果して如何なるものでせうか。御教へ願ひます。
“不可である。不自然であるからである。
水栽培といって、水だけでも出来る。
(「スマ・コヌカ肥、(水栽培)」年代不明)
「廐肥も不可」
“ 無肥料栽培には全然廐肥(畜舎肥)を使用してはいけませんか。御教示御願い申し上げます。
“不可である。自然が主である。
(「廐肥」S25・4・16)
「菜種粕、厩肥について」
“無肥料栽培法について、
(イ)、人糞尿は二ケ月位経過したもの。
(ロ)、菜種粕、鰊粕の如き動植物性のもの。
右二項のものは施肥しても差支えない様に本教の一信者より聞きましたのですが、如何なるもので御座いましょうか。又、豚、牛を飼育して居りますが廐肥も余りよいと言われないのですが、害にならないで御座いましょうか。御教示を御願い申し上げます。
“人糞や菜種など使えば無肥料でないからいけない。肥料は土にある。草木は土を固めぬのと、水を保つ作用である。
(「草木の作用(無肥―保水と固土)」S24・7・28)
「紫雲英(レンゲ)は肥料には不可」
(前略)又、紫雲英(レンゲ)であるが、これを肥料に使ふ事は不可である、何となれば紫雲英は美しい花で、神様は人間の眼を楽しませる為に、お作りになったものである以上、肥料に使用する事は、天理に外れてゐるからであるとのお話であります。
(「御注意」救63号 昭和25年5月20日)
「紫雲英や糠等は・・・」
“無肥料栽培に紫雲英もよくないと聞きましたが、米糠、麦糠等は如何でせうか。
“紫雲英は、人間の眼を楽しませる為に咲かされたもので、神様の目的と違ふ。又、糠は、人間が物を洗ったりなどの用途に使ふものである。私は前に漆を使ったが、漆を落すのは灯油で、灯油は糠ならすぐ落ちる。大したものである。土は自然であるから、木の葉など皆自然であるから、それ以外のものは皆いけない。
(「紫雲英と糠肥、(漆と灯油)」S24・11・26)
「レンゲ肥は不可」
“津市の信者で御座いますが、無肥料栽培につきまして今迄緑肥として使用して居りましたレンゲを、之は花が咲くものであるから観賞用で、特に栽培して緑肥とするは不可であるとの御教へによりまして全面的に止めている処がありますが、如何なもので御座いませうか。御伺ひ申し上げます。
“やめた方がよい。レンゲは肥料として作られたものではない。
(「レンゲ肥は不可」S25・2・2)
「紫雲英植える事」
“紫雲英を田に作る事は作物に有害でしょうか。又、無肥料耕作の方からみて如何でありましょうか。
“外のもの、喰える物を植えるがよい。
(「紫雲英植える事」S24・8・17)
「藁、レンゲの堆肥について」
“無肥料三年目の田で本年九俵とれましたが、穂が重すぎて七、八分通り倒れてしまいました。これは堆肥が多すぎた為でせうか。
“ほう。どんな具合ですか、これは水田ですか?
“はい、水田でございます。
“堆肥は何をやったんですか?
“藁をやりました。
“藁ね、外には?
“外には何も使ひませんでした。
“よく堆肥だけだって言ひ乍ら汚穢なんか入れてる人がありますがね。けど、之は九俵ならとれた方ですね。
“外の所は大体七俵で、田ブドーを使った所は六俵でございます。
“田ブドー?
“あゝ、レンゲですか、レンゲなんか要りませんよ。あれは肥料ぢゃなくて美しい花を見せる為に神様が御作りになったんですからね。これは何か他に原因がありますよ。
“少しも堆肥をやらなくても出来る事もございませうか?
“ありますよ。そういふ所は土が軟いんですね。藁を入れるのは土をあたゝめて軟かくする役目ですからね、寒い所は必要だが暖い地方なら要らない位ですよ。
“茨城の方で先祖から代々草一本入れないで四畝から四俵とる所があります。
“ほう、多いですね。
“農家ではよく自然供給量といふ事を申しますが――
“自然供給量って何ですか?
“例へば、一段の田から五俵までは自然のまゝでもとれる。然しそれ以上沢山とらうと思へば肥料をやらなけりゃいけないと申します。
“そりゃ、アベコベだ。(笑声)少しとるんなら肥料をやったらいゝし、沢山とるんだったら肥料をやっちゃ駄目ですよ。(笑声)つまり、それは迷信ですね。だから私が今やってるのは迷信打破なんですよ。所が、そっちの方でこっちを迷信だって言ふんですから、全く、よくも間違ったもんですね。(笑声)
(御光話録16号 昭和24年11、12月)
「豆粕、菜種粕等は・・・」
“無肥料耕作について御伺ひ致します。肥料を施す事の不可な事は承知して居りますが、堆肥不足の時、その不足量を補ふために古い植物性肥料、例へば豆粕又は菜種のしぼり粕等を施しては如何で御座居ませうか。御教示願ひます。
“差支へはないが、効果は何もない。時々中耕する。
(「豆粕肥」S24・9・15)
「雑草には二種ある」
“今年で二年目の麦の無肥料栽培を実施致して居りますが、他の有肥栽培の畑では雑草が繁茂して居りますのに、私の方では左程生えて居らず、草取りも殆どせずに済み、感謝致して居ります。無肥料栽培には斯かる特徴があるもので御座いましょうか。御教えをお願い申し上げます。
“今迄の草は、肥料の為に生えるのとそうでない草と二種ある。これでよい。
(「雑草の二種」S25・5・11)