食と農
A-2-5、糞尿肥料と科学肥料の害
「肥料の害」
(前略)硫安や糞尿中のアンモニヤ、其他の化学肥料のその殆んどが毒劇薬であるからそれを作物が吸収する以上、仮令微少であっても常住胃を通じて人体内に入る以上、健康に害なしとは言はれない。特に日本人の八○%以上は寄生虫特に蛔虫を保有してゐる事実であるが、原因は勿論糞尿中の蛔虫卵が人体内に入り成長するのであるが、糞尿肥料を二三年中止すれば蛔虫病は全滅するといふ事を、最近の医学は報告してゐる。此点に於ても無肥料栽培は偉大なる成果がある。(後略)
(「無肥料栽培」自叢二 昭和24年7月1日)
(前略)処が肥料は――化学肥料と、昔からやる糞尿肥料ですね。処が、それが米なら米が吸うんですよ。吸つたなら人間の体に入つて来るんですよ。之が中々大きい。反つてアメリカの方で、そう言う風に唱え出して来た訳ですね。ですから、肥料の毒が人間の体に入ると言う事は非常に大きな事ですね。然し薬毒と違つて極く強烈なものじやない。ですから、それが為に非常に害すると言う程じやない。
然乍ら、幾分づつ――先祖代々ですからね――害をしている訳ですね。無肥料ですね――自然農法はそう言う点から言つても立派な意味があると言う事を心得ておくと良い。(後略)
(御教え集1号 昭和26年8月8日)
「人糞肥料の害」
無肥栽培である本農法が、家庭菜園に対しても如何に大なる福音であるかを、概略かいてみるが、家庭菜園は勿論米麦の如き、穀類は一切作らず、殆んど野菜ばかりであるといってもいい、従而、肥料としては人糞を主とし、塵芥、魚屑、木灰、馬糞、鶏糞等種々雑多なものであるが、特に一番多く用いられるのは、何といっても人糞であらう。
何しろ、百姓の経験のない素人が人糞を扱ふのだから、其苦痛は大変である、而も施肥後其臭気は相当期間室内に流れ込み、食事の楽しみなども減殺され、常に不愉快極まるのは並大抵ではない、成程、人糞が有効であるなら致し方ないが、実は、人糞が如何に作物に有害であるかは、二三の例を挙げてみればよく判るのである、よく素人が歎声を漏らす事は、トマトや豆類等の花落が多く、実りが悪いとか、馬鈴薯の芋つきが少ないとか、全然芋がつかないとか、葉枯れ、茎折れ等は元より、害虫の被害なども常に悩みの種であろう、処が、右の原因は悉く人糞の為であって、それを今日まで知らなかったのである、而もその成績不良の場合、肥料不足の為と思い、益々肥料を多くするから逆効果となり、不良はいよいよ甚しくなるというのが今日の実状である、それでやむを得ず、専門家に訊くのであるが御承知の通り、専門家も肥料迷信に陥っているから堪らない、曰くそれは肥料の種類、適量、施肥の季節、酸性土壌に因る為等々、全然的外れの応答をしてお茶を濁すのである、嗚呼、何と驚くべき誤謬ではあるまいか。(後略)
(「家庭菜園と無肥料栽培」救63号 昭和25年5月20日)
「人糞と水」
「肥毒の浄化と申しますか、化学肥料は、自然栽培の場合は、早く抜ける様ですが、人糞の方は抜け悪いのです。人糞やつた方は、一年位は浄化戴く様で御座います。漢方薬と言う感じで御座います」
そうです。人糞と言うのは、非常に悪いんです。何故なら廃物ですからね。食物の一番悪いものを寄せたものですからね。
「自然農法をやつていると言うので、附近の田んぼから水を呉れないそうで御座います。然し上の方の充分に水を取つた田んぼは三割位しかなく、水を呉れなかつた為に一番良かつたと言う例が御座います。昨年は四俵位しか収れなかつたのが、今年は六俵位だそうで御座います。更に、肥料が流れて来た入口の処丈けは、反つて悪かつたそうです」
そうすると、何時も肥毒が入つた水を貰つていた訳ですね。結局、神様は皮肉なものですね。
(御垂示録4号 昭和26年11月1日)
「病気の原因、糞尿と化学肥料」
(前略)そこでまだ言ひ足りない事がある。曩に述べた如く、病気の原因は霊の曇りが根本で、曇りの発生源は、人間の罪と薬毒の二つであるばかりではなく、実は此外に今一つの重要な原因がある。それは農作物に施す肥料であって、原始時代は知らないが、相当古い時代から使ってゐた事は想像出来る。日本に於ては糞尿と近来使ひ始めた化学肥料とであり、外国に於ても化学肥料と其以前にも何等かの肥料を用ひたに違ひあるまい。元来人造肥料なるものは、人体に如何に有害であるかは、今日迄全然分らなかった。といふのは肥料は農作物が一旦吸収して了へば、全部有効に働き、何等副作用はないと思ひ込んで来た事である。恰度人体に於ける薬と同様、効果のみで余毒など残らないものと思ったのと同様である。処が私は神示によって発見した事は、成程実になる迄に毒分は相当減るには減るが、絶無とはならないのである。之に就ては最近米国の有力な酪農会社々長ロデール氏が、長年の経験によって其結果を発表した処によると、化学肥料で栽培した草で、家畜を育てると健康も悪く、乳も不良であるに反し、堆肥のみで作った草で育てると非常に健康で、乳も優良である事が分ったので、此発見を熱心に宣伝した為、近来各方面に漸く認めらるるに至り、米政府も之を支援する事となったといふのである。又各学者の研究も、実際家の実験も之に符号した為、漸く社会的輿論とさへなって来たといふ事が、最近の米国の専門雑誌に出てをり、次で同氏は人間の病気も、化学薬剤を用ひるやうになってから、悪性な病気が増へたと唱えてゐる。然し右の二つ共、私は廿年以前から唱へて来たが、日本は米国と違ひ、新しい説は識者は見向きもしない傾向があり、而も私が宗教家なるが故に、テンデ見向きもせず迷信視されて来たのである。勿論斯ういふ観方が如何に文化の進歩を妨げてゐるかは、よく曰はれる処である。
以上によって分ったであらうが、兎に角、罪と薬剤と人造肥料との此三つが病気の根本であるとしたら、此三つの害を除く事こそ、人類救済の第一義であらねばならない。処が薬剤と肥料とは、今日只今からでも廃止する事が出来るが、最も至難であるのは罪の問題である。之だけはどうしても宗教によらなければ、解決出来ないのは勿論である。(後略)
(「宗教篇 唯物医学と宗教医学」文創 昭和27年)
「ドジョウやエビガニの死」
(前略)そういうようなわけで、ドジョウやエビガニが死んだというのですが、一体ドジョウやエビガニは何かというと、農村では海に遠いから、そこで神様は偶には魚も食わせなければならないというので、ドジョウやエビガニというものが自然に出来るようになっているのです。タニシなどもそうですが、それが近頃は誠に無くなって来てます。これは化学肥料を入れるから死んでしまうのです。(後略)
(御教え集27号 昭和28年10月27日)