食と農
A-2-4、既存の肥料について
「肥料が体に入ると毒素になる」
自然農法に関して、松井誠勲氏の言うには「西洋では実験して、はじめて知つたが、明主様は実験せずして御存知」とね。
肥料は体内に入ると毒素になる。日本の場合は糞小便の肥料が体内に入ると、薬毒程ではないが、やはり毒になる。
(御垂示録1号 昭和26年8月5日)
「肥料の逆効果」
(前略)曩に述べた如く、火水土の三原素が農作物を生育させる原動力としたら、日当りをよくし、水を充分供給し、浄土に栽培するとすれば、今迄にない大きな成果を挙げ得る事は確かである。いつの日かは知らないが、人間は飛んでもない間違いをしでかして了った。それが肥料の使用である。全く土というものの本質を知らなかったのである。成程肥料をやれば一時は相当の効果はあるが、長く続けるに於ては漸次逆作用が起る。即ち作物は土の養分を吸うべき本来の性能が衰え、いつしか肥料を養分としなければならないように変質して了うのである。之を人間の麻薬中毒に譬えれば一番よく判る。人間が最初麻薬を用いるや、一時は快感を覚えたり、頭脳明晰になったりするので、その味が忘れられず、漸次深味に陥り、抜き差しならぬようになる。斯うなると麻薬が切れるとボンヤリしたり、激しい苦痛が起ったりするので、何にも出来なくなる。遂に我慢が出来ず、悪いとは知りつつも用いるというように、麻薬から離れる事は出来なくなり、人の物を盗んで迄も麻薬を手に入れようとする。之等の実例は新聞に絶えず出ているから如何に恐ろしいかが判るのである。此理を農業に当嵌めてみれば直ぐ判る。全く今日、日本全国の土壌は麻薬中毒、否肥料中毒の重患に罹っているといってもいい。処が農民は長い間肥料の盲信者となっているから、仲々目が醒めない。偶々吾々の説を聞いて、自然農法即ち人為肥料を廃止するや、最初の数ケ月は思わしくないので、これを見た農民はやっぱり今迄通り、肥料をやらなければ駄目だと早合点し、それで廃めて了うのが往々ある。(後略)
(「土の偉力」自解 昭和26年1月15日)
(「肥料の逆効果」革自 昭和28年5月5日)類似
「追肥の方法、中耕、土入れの時期について」
“追肥の方法、中耕、土入れの時期、方法、土壌に有機質の少い場合の処置について御教示下さい。
“兎に角、無肥料でやればね、こんな面倒臭い事は何も要らないんですよ。追肥なんて事も間違ってますしね。こんな事は要りませんよ。それから中耕っていふのは、この目的は土を固まらせない為ですから、堆肥をうまくやれば中耕の必要はない位です。たゞこの場合の堆肥は草の葉でなくては駄目ですね。で、土入れってのは肥料でわざわざ土を悪くしておいて、今度は新しい、肥料を使ってない土を入れる事ですからね、馬鹿馬鹿しい話ですよ。
(「御光話録7号」昭和24年4月13日)
「石灰窒素」
“無肥料として石灰窒素は害はありませんか。
“害がある。窒素は地から出る霊気で、空気のある極点まで行って溜る。それが雨によって地へ降る。雨は蒸溜水と同じで、何にもない水と同じであるが、 空中に溜ってる窒素が含まれるから濁った色になる。それが地へ滲み、丁度よい。化学的にとった窒素を加えると過剰になる。石灰を混ぜるのは弱める為である。
(「石灰窒素」年代不明)
「作物を肥料にする間違い」
(前略)昨日、熱海から出た元代議士で小松勇次という人が来て、是非御相談したい事があるというので聞いてみると“自分の知人で大変良い肥料を発明したから、自分も大いにそれをやるつもりだ”と言うので、よく聞いてみると“薩摩芋を腐らせて、それをやると四、五割増産する”と言うのです。それで私は“それはよしなさい。一時増えても、いずれは駄目になるのだから、何にもならない”と言ってやったのです。その人は、農業部門に非常に興味を持っているので是非やりたいと言うのです。“それでは私の方の自然農法をやりなさい”と言ったら、大分わかって帰りました。それで芋の方は止(ヤ)めると言ってました。先方もいろいろ聞きますから、根本を話してやったのです。大体薩摩芋という物は、神様は人間の食物として作られたので、それを腐らせて肥料にするという事は大変勿体(モツタイ)ない事であり、全然理窟に合わない話だから、それで反対するのだと言ってやったのです。(後略)
(御教え集19号 昭和28年2月25日)
(前略)一昨日、熱海から出たこの前の代議士で小松勇次という人が来て、今度自分の友達で茨城県か何処かに居る人で大変な肥料を発見した、というので聞いてみると、薩摩芋を腐らして、それを肥料にすると非常に良くできるというので、是非賛成して力を貸してくれと言って来たのですが、私は頭から“それはよしなさい。それは一時的には何割か増産するが、しかし何年かやっているうちに元のとおりになる、或いは元より悪くなるから”と言ってやりました。それはどういう訳かと言うと、芋というものは、神様は人間の食物としてこしらえてあるのだから、それを腐らして肥料にするという事は神様の御意志に全然反する事になり、良いわけがないのです。だから凡て、これは神様の御趣旨、目的はどの点にあるか、どういう御意志かという事をはっきり分らなければならないのです。それで凡て一時的に良くなるものはいけないのです。薬でも、今言う肥料でも、一時的ですからいけないのです。それは硫安などをやると一時うんと出来ます。そこで“これはいい”という事になって、反対に悪くなってもそれに気が付かないのです。(後略)
(御教え集19号 昭和28年2月26日)
「鶏糞、魚粉等を肥料は・・・」
“(一)農耕肥料として鶏糞の下肥は如何でありますか。
(二)海底の泥、海草、川草、魚粉等は肥料として如何ですか。
“(一)、やらぬ方がよい。心得べきは水田に稲を作る場合、土と種子両方に肥料を含んでいるから、二、三年種を抜く必要がある。であるから鶏糞や馬糞はやらぬ方がよい。一時は減収するが、一年目は三、四割、二年目は四、五割――。
(二)、堆肥は結構で、草は繊維が弱いから早く腐る。木の葉は強いから腐り難い。故に下積みにするには木の葉、上の方は草肥にするとよい。堆肥は根を温めるのと、土を固めぬ為である。箱根の木が捻れているのは下に岩があるからで、右のようにして唐もろこしを作ったら素晴しい。
(「鶏糞、海泥等、(葉肥と草肥)」年代不明)
「肥料迷信から抜け切れない、魚カス、油カスをやる人」
(前略)厄介なのは、信者の人でも肥料迷信から抜け切れない人がなかなかあるのです。それで科学肥料などはいけないが、今まで使っている厩肥とか魚カス、油カスとか、そういう物ならいいだろうと言って幾らかやるのですが、それが大変に影響するのです。だから自然栽培になっても、どうも他所(ヨソ)の人のように成績が上らないのはどういう訳でしょう、という疑問を起こしている人がよくあるそうですが、そういうのをよく調べてみると必ず何かしら使っているのです。そういうように肥料迷信から抜け切れないのです。丁度医学迷信と同じで、浄霊で治りながら、やっぱり“長い間のんだ薬が効いて来たのだろう”とか、“時節が来たのだろう”とか言っているのです。これはお蔭話によくあります。そういうようで、この迷信を打破するのは実に大変なものです。(後略)
(御教え集26号 昭和28年9月16日)
「赤錆病、魚肥について」
“赤錆病の麦や魚肥を堆肥としてよきや。
“魚肥は不可である。赤錆病は肥料の為である。
(「赤錆病、魚肥」年代不明)
「魚介、海草、糠、灰肥について」
“魚介、海草類、米麦の糠、灰等を肥料に使うのは如何でしょうか。
“糠などはいけない。自然でなくてはいけない。自然は凡ゆるものがそうである。
(「魚介、海草、糠、灰肥」年代不明)