食と農
A-2-11、災害について
「風水害について」
次に、風水害であるが、之は年々増加の傾向にさへあり、その防止に官民共に大いに悩んでいるのは衆知の事実である。其防止施設には頗る多額の費用を要するので、現在としては止むを得ず、一時的間に合せ手段で我慢するより外止むを得ないが、さりとて年々大きな被害を蒙っている以上、何とかしなければならない。せめて今の処被害を最小限度に喰ひ止めるより外致し方ないという訳だ。処が、我自然農法によれば、作物の根張りがつよく、茎折れなどは現在のそれよりも何分の一に減るばかりか、花落ちも少なく、冠水後の稲の腐敗もないから、他田が相当被害を蒙る時でも、自然農法の田は被害という程の被害は認められない程で、人々は只不思議がるのである。其際根の元をよく調べて見ると、在来の有肥田のそれより、細根の数が非常に多く長いので、根張りが強靭な為である。之は人間に譬えれば毒分のない新鮮な食物を常に摂取していると、健康であるのと同様の理である。又之はひとり稲や麦には限らないが、農耕者はよく作物の背丈が短く、葉が小さいのを可としているが、之は実付きがよく収穫が多いからで、此点本農法がそうであって、如何に理想的であるかが判るのである。而も品質優良で、美味な点は経験者の異口同音に唱える処である。という訳は今迄の如き、有肥によると、葉に栄養分をとられるから葉が延びすぎ、それだけ実に影響を与えるのである。又自然農法によれば、稲の分蘖(ブンケツ)が頗る多く、今日迄最も優良なのは一粒の種で、分蘖百五十、粒数約一万五千という到底信じられない程の、驚異的記録もあった。(之は後段に載せたから参照されたい)尚今一つの特長は、稲藁を使用する場合、非常に強く細工が仕良いそうである。
(「風水害」自解 昭和26年1月15日)
「害虫や災害は、人間の想念と言葉による」
昔から謂われている風水火の大三災飢病戦の小三災とは如何なるものであるか、之について其根本義をかいてみよう。
風水の原因は天地間の浄化作用であって、何故浄化作用が発生するかというと、霊界における曇り即ち眼に見えざる汚濁が堆積するのである、それを風力によって吹き払い、雨水によって洗滌される、それが為の暴風雨である、然らば右の如き曇りとは如何なるもので如何にして堆積するかを解説してみるが、それは人間の想念と言霊によるのである、即ち想念の悪に属するものとして不平、憎み、呪い、嫉み、個人的怒り、偽り、復讐心、執着等が、霊界を曇らせるのである。
次に言葉であるが、気候が悪いとか悪天候とか米の不作とかいうような自然に対する不平や、人に対する非難攻撃、怒号罵声、秘密欺瞞、咎め、愚痴等、凡て悪から発するものは想念界の次位である言霊界を曇らすのである、それ等種々の曇りの堆積の量がある程度を超ゆる時一種の毒素が発生し、人間生活に支障を来すことになるので、その自然浄化が発生する、それが天地の法則である、前述の如く霊界の曇りは人間の健康にも影響すると共に草木特に農作物にも悪影響を与える結果凶作の原因ともなり、害虫の発生も旺盛になるのである、故に今日日本各地に於る松や杉を枯死させる害虫の発生も此理によるのであるから、人間が大いに向上しない限り、之を防ぐ事は難しいのである、言い換えれば日本人自身の過が、自分の国の松や杉を枯死さしているという訳であるから、人間の想念と言霊は大いに慎しまなければならないのである。(後略)
(「大三災と小三災」光22号 昭和24年8月13日)
「気候順調も人間次第」
“水稲栽培の為、早生稲にしようか、中手か、晩生か等と悩んで居ます。気候の点如何すべきでしょう。
“寒いのは、最初暖かすぎたのが平均がとれる。気候が逆になっている。人間の心がそうなっているから、そっくり表われている。心や行ないが正しく、理屈に合えば、気候も順調にゆく。寒いのが過ぎると普通になる。
(「栽培と気候、(人の心行と気候)」年代不明)
「台風の原因も肥料による」
(前略)颱風なるものの本体が全然不明であるからで、私はその根本を知らしたい為茲にかくのである。言うまでもなくその原因は科学迷信の結果、何事も唯物的方法を以て解決しようとする。その考え方が根本を外れている以上、一時的膏薬張でしかないのである。
という訳で、どうしても真の原因である唯心方法によらなければ永久的解決は不可能である。では唯心的方法とは何かというと、つまり颱風なるものの真の発生原因を知って、それに合う対策を立てる事である。それは度々言う如く颱風は天災ではなく人災であって、人間が作って人間が苦しむという呆れる程の無智な為である。といったら現代人は驚くであろうから、これを詳しくかいて一般の眼を覚(サマ)そうと思うのである。抑抑この世界とは見ゆる物質と見えぬ霊との二つから成立っており、丁度掌のようなもので、表(手の平)は体で裏が霊と思えばいい。つまり表裏結合一体となっている。そうして一切は霊が主で、体が従であるのが万有の法則である以上、現界に発生する凡ては最初霊界に発生し、それが現界に移写するのである。故に颱風も最初霊界に発生するのは勿論であるから、この発生原因を作らないようにすればいいので、それ以外の方法は決してないのである。処がこの理を知らない人間は、結果である物質面のみを対象とする。丁度医学の対症療法と等しい訳で、一時的効果でしかない訳である。
では霊的原因とは何かというと、即ち霊界を曇らす事である。その曇りが或程度を越えるや、茲に自然浄化作用が発生する。これが颱風であるから、この曇りを作らなければいいので、それには人間の想念と言葉に注意する。というのは想念が悪に属するもの、即ち憎み、妬み、そねみ、怨み、嫉妬、不平等が霊界に反映し、気候不順の原因となると共に、今度は悪に属する言葉、行為即ち讒侮(ザンブ)、中傷、欺瞞、愚痴、卑劣、凡ゆる罪悪等で、前者は一次元、後者は二次元の霊界を曇らす事になる。これを颱風という自然浄化作用発生によって払拭するのである。
今一つは全然物質的原因である人肥金肥等の肥料、病虫害防止の薬剤等によって土を汚す為、自然はこの浄化の為大雨によって水で洗い流すのである。といったように凡ては人間の無智が作るのであるから、この事を知って原因を作らないようにすれば解決するのは当然で、大災も小災となり、小災も無災となる。これが宇宙の真理であるから、これを守る以外根本的効果のない事は断言するのである。
(「颱風禍」栄230号 昭和28年10月14日)
「風水害、虫害は肥料の為」
現在我国民の主食である米穀の不足は、国家としての最大悩みである。平年作でさえ二千万石も足りないというのに、それを割るとしたらこれこそ大問題である。特に本年の如きは知らるる如く風水害、虫害等例年にない程の被害であるから、吾々国民として到底安閑としてはおれないのである。(中略)
処がその根本原因こそ、いつもいう如く肥料迷信の為であるから、私は数年前から政府始め国会議員、新聞社、農事関係の各方面に、本紙特集号一万数千部を配布し、警告を与えているが、糠に釘で今日まで余り反響がないのである。勿論天災も虫害も根本は天理に外れた点があるからであって、これに就いても常に曰っている如く、颱風なるものは神の浄化作用であり、何しろ清浄な土地を人肥金肥によって汚すからで、神は止むなく若干の犠牲を払っても、肥毒を洗い浄めなければならないからである。従ってその際犠牲となる土地も物件も人間も、汚穢が満ちているから、共に浄められるのであるから、気の毒乍らこれも自業自得というより外はない。これが厳然たる天地の法則であるからである。
そこで私はこの理を知らせ、現在以上の収穫量を確実に得られる自然栽培法を教えているのであるが、それが為年々実行者は増えつつあるが、何しろ長い間の肥料迷信に捉われている農民の事とて、目覚めさせるには中々容易な事ではない。併し乍ら我国に於ける食糧危機は年々深刻になりつつあり、今や溺れんとする農民に藁ではない、太い綱を出しているので、何れは気が附き掴む事になるのは勿論であり、然もその時が刻々迫りつつあるのである。(後略)
(「日本の危機」栄224号 昭和28年9月2日)
「肥料による土壌汚染も災害の原因」
(前略)いつもいう通り凶作の原因が肥料によって土を汚し、地力を弱らす為であるとしてゐるが、勿論風水害並びに冷害も之に起因してゐる。風水害としては言うまでもなく、昨年の如き洪水と高潮による稲の冠水であるが、此原因は以前もかいた如く、ヤハリ浄化作用の現はれであって、つまり肥料によって土を汚し、地力が弱体となった結果、自然はそれを洗ひ清めて健康土壌にするのであって、之が神の摂理である。恰度病気の原因が薬毒であり、それが人体を弱らすから、快復させる為自然浄化作用が発生するのと同様である。
では一体右の理由は何かというと、此大地はその中心の地熱から放射されてゐる地霊即ち窒素によって、凡ゆる植物を健全に生育させるのであるから、土が清浄でなければ地力が衰弱するからである。此理によって土壌の不純物を掃滅する、それが自然浄化即ち風水害である。即ち水害の方は大地の汚れを水で洗う作用で、風害の方は空間に溜った汚濁を吹き払うのであるが、此汚濁にも二つの原因がある。一は右の如く地霊が放射される場合、地表にある不純物が邪魔するからと、今一つは人間が発する言霊である。即ち悪口、不平不満、愚痴等々、つまり悪に属するものは霊界を汚濁させる為の浄化である。又冷害は肥毒の壁になってゐる地表が地熱を遮断するからと、害虫を死滅させる為であり、今一つは農民の愛が欠除してゐる反映でもある。即ち愛は熱であるからである。(後略)
( 「一切の災は浄化作用なり 年代不明」)
「水害や大雨で肥毒は消える」
「水害に遭った所は、そのために肥毒が流れる事と、新しい土が入りますのでよくなるのでございます」
そうです。それで良いのです。それを間違えて、洪水の水に肥料があるのだと言うのですが、そうではないので、肥毒が消えるからです。今度のお蔭話に、九州の水を被った所で、しようがないとて、新規に種を蒔いて、新規蒔直しにやって平年作以上穫れた所があります。何時かも書いたとおり、水害というものは神様が肥毒を掃除してくれるためのものです。又水害があるためにどうやら稲が出来るわけで、水害がなかったり大雨がなかったら、米は殆んど穫れなくなってしまいます。
「自然栽培につきまして、今年は会員がみんな深耕をし、肥毒を吸っている土を上にあげ風化作用をしておりますが、それにつき聞きました事は、流し水をすると非常にきれいになり、よいという事を聞きまして奨励するようにしておりますが、宜しいものでございましょうか」
よいです。人口的水害、洪水というわけです。肥毒の減る方法なら何んでもよいです。それから今度の大分の十三俵三斗穫った件ですが、尾崎さんは来てますか。あれは何升何合と書いてないので工合が悪いのです。というのは、朝日新聞のコンクールでは何升何合と書いてある。報告書には大雑把に書いてあるので、今の人間は正確でないように思うから……。又五石五斗と決まりがよいわけがないので、その端数も出さなければいけないです。
「申訳ございません。只今問い合わせております」
(御垂示録28号 昭和29年2月1日)
「冷害のために虫害が酷くなる」
(前略)今年は東北地方の冷害が一番の原因としてますが、確かに冷害も影響があったに違いないのです。冷害のために虫害が酷くなるのです。天日にドンドン当てると虫は弱りますが、天日に当らないと虫は増え放題になるのです。結局において根本は虫害です。最近聞いた話で、栄光にも出しますが、こっちの人が調査に行った時の事ですが、信州辺りで、相当広い所ですが、朝起きて田に行ってみると稲が白くなって、全然みのらないという事が分って、フラフラとなり夫婦心中したものがあるそうで、又それから自殺したのもあるようです。とに角一年米がとれなかったら、税金は免除されたとしても、借金をしなければ食う事はできない事になります。大体が農民は借金が多いですから、一年とれなかったら餓死するより外ありません。だから自殺するという事は当り前で、馬鹿ではありません。われわれにしてもそうかもしれません。そういう事がよくあるのですが、秘密にしているらしいのです。そういうわけですから余計自然農法というのに騒ぎ始めたのです。(後略)
(御教え集26号 昭和28年9月17日)
「冷害と害虫」
(前略)今年ぐらい不作の年はありません。(中略)九州の水害は相当影響しましたが、しかし全体からみるとそれほどでもありません。むしろ東北地方の冷害の方が大きいです。この冷害というのは、ただ冷えるだけでなく、冷害のために害虫が死なないのです。天候や何かで害虫が弱ったり死んだりしますが、この冷害のために虫が弱らないのです。その害が大きいのです。ですからただ寒いだけでとれないものなら、昔から有名な越後や信州や秋田でもとれないわけです。寒いためにとれないという事は、結局虫が減らないからなのです。そういうわけで害虫の影響が一番大きいのです。という事は、肥料がわかせるわけです。それから、こういうふうに不作にすれば早く分るという、神様の一つの御仕組と思ってもよいのです。しかしどうも、神様は随分ひどいと思うかもしれないが、本当に知らせるには、やはり病気と同じようなもので、人間苦しまなければ分らないのです。だからこの苦しみは一時的で、結局将来は非常に大きな良い結果になるのですから、これもやむをえません。
(御教え集26号 昭和28年9月23日)
「災害と薬毒」
(前略)大体風の方は人間の想念の悪いのと言霊の悪いのが、霊界に曇となって溜まるので、それを吹き払うわけです。それから水で洗う方は田畑の肥料を流すのです。昔は人糞だけだったからまだ少なかったが、今は化学肥料とか人間を殺すホリドールとか言う凄いのが出来て、それが土に入って行くから、神様の方ではどうしてもそれを洗わなければならないから、そこで大雨を降らすのです。又近頃の雨ときたら、馬鹿々々しく量が多いのです。この間の京都での、大正池という池が氾濫して何十人という人が死んでますが、これは雨の量が多いためです。ですからつまり颱風の起こる原因を人間がつくっているのだから、どうも仕方がありません。
(御教え集26号 昭和28年9月27日)
「暴風雨の真意」
“二百十日、二百二十日を厄日として(暴風のあるかないかを心配します)居りますが、如何なる訳でしょうか。御伺い申し上げます。
“必要がある。稲の根を固めるとか、花に吹いて雄蕊雌蕊を結合させるとかの必要があるからで、差支えない。強すぎては困る。
人間が霊界を曇らせなければ丁度よく吹く。又、肥料をやると弱くなるから倒れる。無肥なら、大抵の風に倒れぬように出来ている。
(「暴風の要と霊界」S24・8・5)
「無肥料栽培と気候の関係」
“農業大革命と言ふべき無肥料栽培と今年の気候の問題、民衆の風説を耳にしても今年は変事があると言ふことですが、この様な点に就きまして今後心得るべき事、どんな方法で進むべきであるか御教へお願ひ致します。
“無肥料栽培と気候とは関係はない。無肥料栽培なら気候不順の影響を強く受けない。有肥栽培は弱いから受ける。民衆の風評などは問題でない。予言は非常にやかましい。浄化は強くなるから、浄化に関するいろいろの事はある。
(「自然栽培と気候」S24・2・15)
「水害や火災の災害について」
今度の九州の水害はどういうわけかというと、やっぱり浄化作用ですが、つまり土を肥毒で穢してしまったから、これ以上穢すと作物が出来なくなってしまうのです。そこで一寸やそっとの雨くらいでは追いつかないから大水を出して肥毒を流したのです。一時はああして作物に影響するようですが、あれだけ浄めたので当分は作物が出来るわけです。だから肥毒をやらないようになれば水害はずっと減ります。しかし水害が無くなる事はありません。というのは、やっぱり悪い了簡を持っているから、田畑の売買の場合に金に不正な分子があるとその浄化が起こりますから、その分だけは儲けさせないようにするわけです。とに角凡て今のいろいろなやり方は、霊を無視して体ばかりを目標にしているから、護岸工事とか川を修整して深くするというような、つまりオッツケ仕事だけです。やはり医学と同じで、熱が出ると氷で冷やすという事と同じで、つまり霊を無視しているから根本的の方法は知らないわけです。それで都会は都会で近年火事が非常に多いのです。今は陽気がよくなったからよいが、寒い時分に非常に多いという事は、焼けるような家はみんな不純な金、金の霊が穢れているから、そこでそれがだんだん年限がたつに従って穢れに利子がついてゆきますから、だんだん穢れが多くなるから、或る程度までゆくとどうしても焼いてしまわなければならないような規則があるのです。それは神の律法と言って、神様の方の法律です。人間の方の法律は幾らでもくぐる事はできるでしょうが、神様の方の法律は逃れる事はできないのです。ですから都会は火の浄化、農村は水の浄化というわけです。今度の田畑の水害などは何十万町歩というような事を言ってましたから大変なものです。そこにもっていって水に流されて溺死した者も相当あります。行方不明というのは結局みんな死んだのでしょう。死者が六百幾らですから、結局千人以上は死んだのです。そういう人は何かというと、やっぱり罪を重ねているから、その人の霊が穢れきっているためで、どうしてもそういう命に関わるような、水なら水に呑まれてしまうわけです。死ぬだけの資格を持っているわけです。命を保つだけの条件が無くなっているのですから、これは致し方ありません。それから家が押し流されたり、潰(ツブ)されたりしますが、これも家というものの霊が穢れているから、浄化の時の膿や毒血みたいなもので、どうしても滅びなければならないわけです。それから、よく山林の火事などがありますが、そういう事も最初買う時に、山の木を買う時、或いは山を買う時に〈大体山の方が多いでしょうが〉不正の金で買うためです。それも信仰にでもはいって大いに浄化すればよいが、そういう事はないからますます溜まるばかりです。それで厄介な事には、善い事でも悪い事でも、時がたつに従って利子がつくのです。だから利子がだんだん溜まって元金より多くなると、人間界でも破産し身代限りするようなもので、やっぱり山の身代限りです。そうすると燃えてしまうのです。それで燃えるにも、燃そうと思って燃すのではないから、つまらない事で火事になってます。煙草の吸殻が一番多いとされてますが、煙草の吸殻を道端に捨てて、それが枯草について拡がるのですが、あんなに拡がるという事は常識で考えても有り得べからざる事です。ところがそれが威勢よく燃えてゆくのです。それは其処の浄化をするために、霊界での役目があって、山のそういった役目、つまり浄化係で、これはみんな龍神がやってます。火龍と言って火を扱う龍神です。それが人間にちょっとやって、枯草に火がつくと、龍神がドンドン燃すのです。そうして火の粉を出して枯草にドンドンつけるのです。それはみんな龍神がやってますが、それが龍神の役目なのです。今度の水害は、同じ龍神でも水の方の水龍です。不思議な事に水が来ないという所があります。低い所に水が来なくて高い所に水が行くという事がよくあります。それから門司の山津波にしても、それから関門トンネルの中に泥と水がウンとはいって行ってしまうという事も、有り得べき事ではないのです。トンネルを作る時に、そういう事があってはいけないからと、入口もチャンと高い所に作ったに違いないでしょうが、それが高い所に水がはいって行くという事は実に不思議ですが、それはみんな浄化係の龍神がやるのです。そうしてその龍神の指図をするのが祓戸四柱神という浄化の神様です。要するに結局神を無視したその罰で、致し方ありません。それでミロクの世になればそういう事がないということは、そういう穢れを作らないからです。人間は悪人の方がずっと少なくなるから、そういう浄化の必要がないから、そういった天災地変が無くなるという事になります。天災地変というものは自然現象ではなくて人為的現象です。人間が作るものです。結局世界のあらゆる事はみんな人間が作ったり壊したりしているわけです。それを“天を怨み地を呪い”という言葉がありますが、大変な間違いです。“自分を怨み自分を呪う”のが本当なのです。責任は凡て人間にあるのです。だからああいう天災地変も本当に大乗的に言えば、あれできれいになるのですから結構なのです。(後略)
(「御教え集24号」S28・7・6)
「風は根を張らせる為に」
【お伺】人間の想念により天候に異変を来たすとの事ですが、二百十日、二十日を厄日と謂われ特に台風等の起りますのは如何なる理由によるのでしようか。
【御垂示】之は季節的に起るもので大いに必要な現象である。二百十日とか二十日頃に颱風を起すのは稲や作物を倒すが、根を固める働きは大きい。根が張らねば力がなく木など丈夫にならぬ。それで風によつて根が張る。根が張ると稲はよく出来る。風で倒れるとすれば肥料をやるからである。
(「教えの光 二百十日、二十日に就て」昭和26年5月20日)
(「地上天国7号 妙智之光」昭和24年8月30日)