概論

9,健 康 と 食 事

9-③ 異食物に就て

「薬毒の害及び異食物に就て詳説したが、今一層説かなければならない。それは人間の消化機能なるものは、人間の食物として自然に与へられたる物以外は全部消化し終るといふ事は出来ないやうである。従而薬剤即ち洋薬も漢薬も天与の飲食物ではない。いはば、非飲食物であり、異物である。又薬と称し、蛇、蛞蝓(ナメクジ)、蚯蚓(ミミズ)等を呑み、其他生物の生血を飲む等はいづれも異物であるから、毒素は残存するのである。

 

 又近来カルシュウムを補給するとなし、骨を食する事を推奨してゐるが、之等も誤りである事はいふ迄もない。凡ゆる魚は、身を食ふべきが自然で、骨や尾頭等は捨てるべきである即ち人間の歯は骨の如きものは囓めないやうになってゐるにみても明かである。故に、骨其他は猫の食物として自然に定ってゐるのである。そうして骨の栄養として骨を食ひ、血液を殖やす為に血液を飲む等の単純なる学理は、一日も早くその誤謬に目覚めん事である。右に就て数種の実例を左にかいてみよう。

 

 私は以前、某病院の看護婦長を永年勤めてゐた婦人から聞いた話であるが、四十余歳の男子、何等の原因もなしに突然死んだのである。その死因を疑問として解剖に附した処、その者の腸管内に黒色の小粒物が多量堆積してをり、それが死因といふ事が分ったのである。それは便秘の為、永年に渉り下剤として服んだその丸薬が堆積したのであって、それが為、腸閉塞か又は腸の蠕動(ゼンドウ)休止の為かと想像されるが兎に角、死因は下剤の丸薬である事は間違ないのである。

 

 次に、右と同様な原因によって急死した五十歳位の男子があったそうである。只だ異ふのは、此者は下剤ではなく、胃散の如き消化薬の連続服用が原因であって、解剖の結果、胃の底部及び腸管内は、消化薬の堆積甚だしかったそうである。

 

 次に、私の弟子が治療した胃病患者があった。それは、胃の下部に小さな数個の塊があって、幾分の不快が常にあったのである。然るに、本療法の施術を受けるや間もなく数回の嘔吐をしたのである。それと共に右の塊は消失し、不快感は去ったのである。

 

 然るに嘔吐の際、ヌラの如きものが出て、それが蛞蝓の臭ひがするのである。その人は十数年以前蛞蝓を数匹呑んだ事があったそうで、全くその蛞蝓が消化せず残存してゐたものである。

 

 又、前同様、歌ふ職業の婦人で、声をよくせん為、蛞蝓を二匹呑んだそうである。然るに、数年を経て胃部の左方に癌の如き小塊が出来、漸次膨張するので、入院し手術を受けたところ、驚くべし一匹の蛞蝓が死んで固結となってをり、一匹の方は生きてゐて、腹の中で育って非常に大きくなってゐたそうである。

 

 右の如くであるにみて、人間の食物以外の異物は消化し難く、何年も残存して病原となる事は疑ない事実である。

 

 故に、曩に説いた如く、間の食物はすべて味はいを含み、楽しく食ふ事によって全部消化し、健康を保つのである。然るにそれを知らずして、不味、臭味等を薬と思ひ、苦食し、それが病原となって、苦痛は固より生命まで失ふに至っては、その愚や及ぶべからずと言ふべきである。」 
              (「異食物に就て」明医二 S17.9.28.)

 

「今蜜柑が出盛ってゐるので大抵な人は喰ふであらうが、之に就て注意すべき事がある、それは医学では蜜柑は実よりも皮の方が栄養があるとしてゐる、即ち皮にはヴィタミンのA、B、Cが全部含まれてゐるからといって推奨するのであるが、之等も実に間違ってゐる、全く学理に捉はれた自然無視の謬説である、何となれば皮は実よりも不味いのは何を物語ってゐるのであらうか、全く皮は喰ふ物ではない事を神が示してゐるのであるから実を食ふのが本当だ、とすれば実に結構な話ではないか、こんな判り切った事まで判らなくなった医学の逆進歩には困ったものである。

 

 又医学が言う処の、肴の骨にはカルシュウムがあるから食えというのと同様で、わざわざ不味くて人間の歯では噛めないようなものを食へというのは人間を猫と同様に扱う訳で、現代人は実に憐れむべきである。」    
              (「憐むべき現代人」光44号  S25.1.7.)

 

「(中略)今日栄養剤として先づ王座を占めてるビタミンA、B、Cを初めアミノ酸、グリコーゲン、含水炭素、脂肪、蛋白等を主なるものとし多種多様なものがあり、ビタミンの種類が年々増加しつつあるのは衆知の通りであるが、之等を服用又は注射によって体内に入れるや一時的効果はあるが持続性はない。結局は逆効果となるから栄養剤を服めば服む程人体は衰弱するのである。之は如何なる訳かといふと、抑々人間が食物を摂取するといふ事は、人間の生命を保持し生活力を発揮させる為である事は今更説明の要はないが、此点の解釈が今日の学理は実際と喰違ってゐる。

 

 先づ人間が食物を摂るとする、歯で噛み食道を通じて胃中に入り次いで腸に下り不要分は糞尿となって排泄され、必要分のみを吸収するのである。此の過程を経る迄に肝臓、胆嚢、腎臓、膵臓等凡ゆる栄養機能の活動によって血液も筋肉も骨も皮膚も毛髪も歯牙も爪等一切の機能に必要な栄養素を生産、抽出、分布し端倪すべからざる活動によって生活の営みが行はれるので実に神秘幽幻なる造化の妙は到底筆舌には表はせないのであって、之がありのまゝの自然の姿である。

 

 右の如く、人間が生を営む為に要する栄養素は総ゆる食物に含まれてをり、食物の種類が千差万別であるのもそれぞれ必要な栄養資料となるからであると共に、人により時により嗜好や量が異ったり、又種類が同一でないのは受入れる体内の必要によるからである。

 

例えば腹が減れば物を食ひ、喉が涸(カワ)けば水を飲み、甘いものを欲する時は糖分が不足しているからで辛いものを欲する時は塩分不足の為である。という訳で人間自然の要求がよく其理を語っている。何よりも人間が欲する場合必ず美味いという事である。故に薬と称して服みたくもない不味い物を我慢して食う事の如何に間違っているかが判るのである。

 

昔から「良薬は口ににがし」などという事の如何に誤りであるかで、にがいという事は毒だから口へ入れては不可ないと造物主が示しているのである。此の理によって美味である程栄養満点であって、美味であるのは食物の霊気が濃厚で栄養分が多い訳である。新鮮なる程魚も野菜も美味という事は霊気が濃いからで、時間が経つに従い味が減るのは霊気が発散するからである。

 

 茲で栄養剤に就て説明するが、抑々体内の栄養機能は如何なる食物からでも必要な栄養素即ちビタミンでも何でも自由自在に恰度必要量だけ生産されるのである。つまりビタミンの全然ない食物からでも栄養機能の不思議な力は所要量だけのビタミンを生産するのである。此様に食物中から栄養素を生産するその活動の過程こそ人間の生活力である。早く言えば、未完成物質を完成させるその過程の活動が生活に外ならないのである。

 

 此理に由って、栄養剤を摂るとすれば、栄養剤は完成したものであるから体内の栄養生産機能は、活動の必要がないから自然退化する。栄養機能が退化する以上、連帯責任である他の機能も退化するのは当然で、身体は漸次弱化するのである。(中略)

 

 又消化薬を服むと胃の活動が鈍るから胃は弱化する。従って又服む。又弱化するという訳で胃病の原因は胃薬服用にあることは間違いない事実である。慢性胃腸病患者が消化の良いものを食べつつ治らなかった際、偶々香の物で茶漬など食ひ治ったという例はよく聞く処である。」     
               (「栄養の喜劇」自叢十  S25.4.20.)

 

「(中略)栄養学中最も間違っている点をかいてみるが、それは彼の栄養注射である。元来人間は口から食物を嚥下し、それぞれの消化器能によって、栄養素が作られるように出来ている。之をどう間違えたものか、皮膚から注射によって体内に入れようとする。恐らく之程馬鹿々々しい話はあるまい。何となればそのような間違った事をすると、消化器能は活動の必要がなくなるから、退化するに決っている。即ち栄養吸収の機能が転移する事になるからである。先づ一、二回位なら大した影響はないが、之を続けるに於ては非常な悪影響を蒙るのは勿論で、之などにみても、全く学理に捉われ、自然を無視するの甚しいものと言えよう。」          
          (「栄養」結革  S26.8.15.)