第五章 霊的知識を深める

 

6、参拝について

 

① 朝、夕拝について

                  

「朝夕拝は光にふれる事」

「(前略)強い光に遇ふ時は、悪魔の霊は、溶ける性質がありますから、恐ろしくて側へは、寄れないんであります。弱い光だと畏縮するんであります。そういふ訳でありますから、光明世界を作るには、理屈や議論は後からでいいんで、先づ第一に、御神体を、お祭りすれば、いいんであります。そうすれば、朝夕拝んでゐる裡に、魂(ミタマ) が、お光に照らされて、どんな悪人でも、不良でも、善道に立還り、どんどん救はれて行くんであります。
  それから一軒の家へ、観音様を祭り、信仰を熱心にしてをれば、その家が救はれるばかりでなく、黙ってゐても近親が、段々救はれてゆくから面白いのであります。斯ういふ事を見た時、其御霊徳の洪大無辺なる事は、到底--言葉では現はせないのであります。(後略)」      

 

 (「大光明世界の建設  光の活動」 昭和10年1月11日)


「人間に曇りを無くすることが健康法の根本であります。これは光に浴することが一番で光にふれることである。朝夕観音様を拝む事は光にふれる事で、光に照されることである。魂に光を受けるから清まるのである。
  此の光に大、中、小がある。本部が大であり、支部が中であり、自家の観音様が小なのである。それ故曇りが取れて病気が起らなくなるのである。観音会に病気がないのは是が為である。」
                             

 

(「絶対健康法」昭和10年9月15日)

 

  

「邪念や言葉の罪などは、朝夕拝によつて浄められる」

「(前略)邪念や言葉の罪などは、朝夕神仏を礼拝する事によつて大方は浄められるが、それのみでは本当でない。やはり人を幸福にする事が肝要で、信仰は拝むのみでは本当に救われぬ。先づ多くの人に喜びを与えなくてはならぬ。」       

                                              

 (教えの光 昭和26年5月20日)

 

 「朝夕の礼拝は霊の掃除である。」

 

           (昭和23年)

「(前略)神仏と雖も正邪があり、正神からの霊線は光であるから、常に仰ぎ拝む事によって人間の霊魂は浄化される(後略)」            

                                            

(「霊線に就て」 昭和24年1月25日)

 

「(前略)常に礼拝する御神格が高ければ高い丈、人間の霊魂はより向上すべきものなのである。(後略)」 

                               

 (「鰯の頭も信心とは  大いなる誤りである」昭和10年)

              

「魂の光が増し副守護神は萎縮する」

「(前略)先ず何よりも信仰に入り、神に向い拝み祈れば、神と人間とが霊線によって繋がれる以上、霊線を通じて神の光は魂に注入され、魂の光が増すに従って副守は萎縮し、人間を自由にする力が弱るのである。(後略)」   

 

 (「犯罪をなくすには」 昭和26年7月25日)

                        

「御神床は高天原」

「(前略)凡ゆるものに高天原がある。人間でいえば頭、即ち之を天庭という。一軒の家では床の間になる。又床の間へ神様を祭り朝夕礼拝すればその床のある部屋全体が高天原になる。後略)」

 

                               (年代不詳)