6、三大迷信の打破

宗教改革は、あらゆる迷信の打破運動であると、前項で学びましたが、ここでは具体的に迷信なるものについて、メシヤ様が仰っておられることを学び、深めたいと思います。

 

 

「私が書いているのは主神の御経綸」

 

「(前略)今迄は悪が勝つていたのが、今度は負けて、善の方が勝つのです。ミロクの世というのはそういう事です。然し全然無くなる事はないので、只悪の方が善に負ければ良いのです。善の方が勝てば幸福な世界が出来る。そこで私が書いているのは主神の経綸ですから、善と悪と両方書くのです。之も必要だつたのだ、之もオレが拵えたのだと仰言るわけです。之も必要があつたので或時期迄は勝たせていたが、もう必要がないので善の方が勝易くなるというのが最後の時期で、之からです。その意味が分れば、今迄の悪――悪の内の一つの仕事が医学ですから、医学というのは邪神が作つたのです。つまり人間を弱らせる為です。(後略)」               (御教え集13号 昭和27年8月27日)

 

 

「科学の部面にも迷信が在る」

 

「(前略)現代人は口を開けば迷信の恐るべき事を言ふ。そうして、迷信は宗教や伝統の中にのみあるやうに思ってゐるが、何ぞ知らん、最も進歩せりと思ってゐる科学の部面に於ても迷信の在る事を知らねばならないのである。それは、事実ならざるものを真実と思惟し、何世紀にも亘って、漸次的に人間の常識とまでになって了った事実である。(後略)」

                                      (「科学と迷信」明医二 昭和18年10月5日)

 

 

「吾等の活動は迷信の打破」

 

「迷信を迷信と思はない迷信家が、吾等を迷信とするので、その迷信を打破し彼等が迷信とみてゐたのは迷信でなかった事を悟らせ、今迄の迷信を投すて、迷信を悟らせ、今後迷信に陥らないやうに注意し、迷信を追放し、迷信のない社会を作るのが、吾等の迷信打破運動である。アアくたびれた」                     (「寸鉄」 昭和25年1月14日)

 

「(前略)既成宗教、道徳、教育等を合一した以上の、真に力ある宗教が出てこそ、犯罪のない理想社会が出現するのは勿論で、其宗教こそ我メシヤ教であるとしたら、一日も早く研究してみる事である。必ず私の言の偽りない事を知るであろう。」

(「三大迷信とは何か」昭和26年8月29日)