概 論

5,我々の幸福と本来のあり方

5-① 大恐怖時代(最後の審判)

 

「恐怖時代」           

明医三  S18.10.23)

 

夜の世界唯物的医学の療法が、固める事唯一の目的としたといふ事と、昼の世界に近づくに従って、右の医学的方法が逆効果にならざるを得ないといふ原理は、今迄詳説した事によって読者は充分理解されたであらう。然らば、今後時日の進むに従って、個人は固より国家社会全般に亘って、如何なる変化が起るであらうかを、私は想像してかいてみよう。それに就て最も緊要な事は、夜の世界が何時頃終るかといふ事であるが、これは私の推測によれば、爰数年を出でないであらうと思ふのである。

 

 勿論、夜の世界が済むと同時に昼の世界に転移する事は言ふまでもない。然らば、夜と昼との転換期に際しては当然未だ曽て人類の経験にない破局的な一大変異が起る事も予想に難からないのである。私は其時の状態及びその前後の状態を予想してみるのである。

 

 そうしてもし此時の状態が、私の想像通りであるとすれば、人々は第二のノアの洪水として驚倒するであらう。然し乍ら以上の如き想像を絶する一大変異は果して来るであらうかといふ事であるが、読者よ驚く勿れ、その崩芽は已に表はれ始めてゐる。而も急テンポを以て、最後の日に向って進みつつあるといふ事である。

 

 又、一面昼の世界が接近しつゝあるといふ事は、勿論火素が増量する事であり、火素が増量するといふ事は、浄化力が旺盛になるといふ事であり、浄化力が旺盛になるといふ事は人間霊体に於ける曇の溶解作用が強烈になる事であり、それは勿論肉体に反映し、病気発生の因となる事である。近来、日本に於て病気の激増せる事実は驚くべき程で、何人も見聞する処であらう。

 

 そうして此事実に対し、私は確実なる論拠を示そうと思ふのである。それは彼の健康保険であって、一般的にみて集団的単位の被保険者即ち各大工場等に於けるそれであるが、その収支の方面は如何といふに、その殆んどが最近赤字になってきたのである。而もそれが月々悪化の傾向を辿りつゝあるといふ事で、今日保険料の値上げが議題に上ってゐるそうである。之等によってみても近来に於ける病者の激増は、最早疑ひない事実とみていゝであらう。

 

  以上の如き病者の激増は、今後益々顕著になるべき事は勿論であり、其結果として、夜昼の転換期に接近するに従って、恐らく日本国民の殆んどが病者たらざるはなしといふ、戦慄すべき危機到来は、もはや免れ得ないであらう。そうしてその症状を想像してみるに、急激な大浄化作用であるから高熱、咳嗽、喀痰、食欲皆無、頭痛、頭脳混惑といふ如き症状が大部分であり、而もそれが、前例のない猛烈執拗さであらう。

 

  故に、医診に於ても全然診断を下す事は不可能であり、発病するや死の転機の速かなる事驚くべき程で、而も医療を加へる程致死を速めるばかりであらう。従而、病者の激増と死亡率のあまりにも多数に騰(ノボ)る為、人々は恐怖戦慄に襲はれ、畢には政府も策の施しようがなく、混迷為す所を知らざる事態に立到るであらう。その惨澹たる状態は到底筆紙に尽す処ではなく、戦争や空襲の比ではないであらう。

 

  基督の曰った「火の洗礼」とは、私の考察によれば、来るべき霊界の浄化作用で、火素によるのであるから火の洗礼といへよう  そうして現在としての病者は、浄化が局部的であるから、仮令誤診誤療と雖も、急速に死にまでは到らないが、それは未だ夜の世界の水素的原素が或程度残存してゐるからである。

 

 

 そうして前述の如き恐怖時代に際して、本医術が如何に偉大なる光輝を発するであらうかといふ事である。何となれば、其時如何なる病者と雖も、本医術によらなければ、生命を完うし得られないからである。それに就て、今日最も適確なる一證を挙げる事が出来る。それは本療法の効果が年一年、否月々顕著になりつつあるといふ事実である。之は実地治療に従事する者は、常に驚歎してゐる処である。

 

 

 例へば一昨年、三十回で治癒したものが、昨年は十五回で治癒し、本年は五六回で同様の効果があるといふ如きそれである。それは霊界転換に順応する方法であるからである。然るに、医学等は逆である以上、右と正比例的に益々治癒困難となる事で、之は医療の専門家は、日々の実験によって肯れる筈である。

 

 

 非常な時代には、非常な対策的方法が表はれる事は、人類史が明白に物語ってゐる。然し乍ら、今日迄の非常時代と雖も、来るべきそれに比ぶべくもない事は勿論であり、実に空前の大非常時代といふべきであらう。此意味に於て、右の大非常時時代を乗り越すべき準備を一日も早く為しおくべきであって、自己自身のみではない、その時及びその時までに一人でも多く、わが同胞をして乗越させるべく指示を与へなければならないのである。それは勿論、本医術を修得なしおく事であると、思ふのである。

 

 

 

 右の一文を読んだ人は、或は脅迫的言辞を連ね、以て本医術修得者を増加する目的にすると想ふかもしれないが、そういふ人は、縁なき衆生でしかない事を言ふに止めておかう。

 

  そうして私は、曩に述べた如く、多数の日本人、病者に限らず、健康者をも診査するに於て、何時も慄然とするのである。それは如何なる人と雖も、各局部に溜結せる毒素のあまりにも夥しい事である。其際いつも想像する事は、此人達がもし一挙に全体的浄化作用が発生するとしたら、到底生命は保てまいといふ事である。それ程今日の日本人は毒素が多いのである。之等は勿論、何世紀に渉って浄化作用発生するや、その都度、極力之を防遏し、固めに固めた結果である事は勿論である。

 

 そうして大転換期に際会するや、如何に多くの病者が、本医術の治療を求めんが為治療所に殺到し、又は本医術修得者に向って救を求むるであらうかを想ふのである。何となれば、其時の霊界に於ける浄化力は最も旺盛で寧ろ絶対的ともいふべきものであるから、本療法を受けるや、その治癒の速かなる事も亦顕著で如何に多くの同胞が救はれるであらうかは、贅言を要しない所である

 

  然し乍ら、曇の比較的少い人達は、浄化作用に対抗なし得るから、本療法を受けざるも此危機を脱し得る事は勿論である。

 

  茲で再び断はっておきたい事は、右は私が最悪の場面を想像してかいたのであって、決して予言ではない事である。私としては右の想像が的中せざる事を念願してやまないものである。」

 

                   

「文明の創造」 総 篇「序 文」

                                     ( S27)

                            

 此著は歴史肇って以来、未だ嘗てない大著述であり、一言にしていへば新文明世界の設計書ともいふべきもので、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルでもある。といふのは現在の文明は真の文明ではないので、新文明が生れる迄の仮の文明であるからである。聖書にある世の終りとは、此仮相文明世界の終りを言ったものである。

 

 今一つの"洽(アマネ)く天国の福音を宣べ伝へられるべし。然る後末期到る"との予言も、此著の頒布である事は言う迄もない。そうしてバイブルはキリストの教へを綴ったものであるが、此著はキリストが繰返し曰はれた処の、彼の天の父であるエホバ直接の啓示でもある。又キリストは斯うも言はれた。『天国は近づけり、爾等悔改めよ』と。之によってみれば、キリスト自身が天国を造るのではない。後世誰かが造るといふ訳である。

 

  処が私は天国は近づけりとは言はない。何となれば最早天国実現の時が来たからである。それは目下私によって天国樹立の基礎的準備に取り掛ってをり、今は甚だ小規模ではあるが、非常なスピードを以て進捗しつつあって凡てが驚異的である。

 

 それというのも一切が奇蹟に次ぐ奇蹟の顕はれで、人々は驚嘆してゐる。そうして之を仔細に検討して見る時、神は何万年前から細大漏す処なく、慎重綿密なる準備をされてゐた事である。之は明瞭に看取出来るが、其根本は旧文明の清算と新文明の構想にあるのであって、私はそれに対し実際を裏付とした理論を、徹底的に此著を以て説くのである。

 

 そうして先づ知らねばならない肝腎な事は、旧文明は悪の力が支配的であって、善の力は甚だ微弱であった事である。処が愈々時期来って今度は逆となり、茲に世界は地上天国実現の段階に入るのである。然し之に就ては重大問題がある。

 

 といふのは旧文明は当然清算されなければならないが、何しろ世界は長い間の悪の堆積による罪穢の解消こそ問題で、之が世界的大浄化作用である。従って之による犠牲者の数は如何に大量に上るかは、到底想像もつかない程であらう。

 

 勿論之こそ最後の審判であって、亦止む事を得ないが、神の大愛は一人でも多くの人間を救はんとして私といふ者を選び給ひ、其大業を行はせられるのであって、其序曲といふべきものが本著であるから、此事を充分肝に銘じて読まれたいのである。

 

  そうして右の如く最後の審判が終るや、愈々新世界建設の運びになるのであるが、其転換期に於ける凡ゆる文化の切換へこそ、空前絶後の大事変であって、到底人間の想像だも不可能である。勿論旧文明中の誤謬の是非を第一とし、新文明構想の指針を与へるものである。

 

 

それを之から詳しく説くのであるが、勿論之を読む人々こそ救ひの綱を目の前に下げられたと同様で、直に之を掴めば救はれるが、そうでない人は後に到って悔を残すのは勿論で、時已に遅しである。以上の如く罪深き者は亡び、罪浅き者は救はれて、将来に於ける地上天国の住民となり得るのである。

 

 そうして来るべき地上天国たるや其構想の素晴しさ、スケールの雄大さは到底筆舌に尽せないのである。其時に到って現在迄の文明が如何に野蛮極まる低劣なものであったかがハッキリ判ると共に、人類は歓喜に咽ぶであらう事を断言するのである。」                          

 

         

大恐怖時代来らん         

(S28.2.4)

 

 この題を見たら誰しもギョッとするであろう。信者はそうでもあるまいが、初めて見た人はそう思うに違いあるまい。この事に就いては普段から私は凡ゆる面から説いて来たが、その時期が大分近ずいたようだから、茲に徹底的にかこうと思うのである。

 

 勿論霊界に於ける浄化作用が、日に月に強くなりつつある今日近き将来一般社会も転手古舞(テンテコマイ)をするようになるであろうがそれに就いて私は最近医学革命の書なる著述を記き始めたが、これもその必要を痛感するからである。

 

  そうして信者はよく知っているであろうが、今日どんな人でもその薬毒の多い事は驚く程で、分れば分る程洵に恐しい気がする。といっても今日世間を見ると、至極健康そうにセッセと働いている人も沢山あるので、上面からみると、そんな恐しい時代が来ようなどとは、到底想像もつかないのである。

 

 その様な訳で未信者は無論だが、信者でも信仰の新しい人などは首を捻って、容易に信じられないであろうが、実をいうと健康そうに見える人程危い訳でそれというのは薬毒が大いにあり乍ら、非常によく固まっているからなのである。従って愈々となると寧ろ斯ういう人こそ一ペンに浄化が起って、真先に槍玉に上げられる側の人と見ねばなるまい。

 

 

 

 私は二十数年前から、病気の原因は薬毒である事を唱えて来たが、初めの内は中々信じられない人が大部分であったが、信者になって長くなる程徹底するのである。しかしそれも無理はない。何しろ先祖代々病は医者と薬という合言葉同様になっている位だから、一度や二度で掌を返したように分る人は、先ずないといってよかろう。それでも近頃は大分判り方が早くなって来たようで、それだけこちらを見る眼が異って来た訳である。

 

 併し前記の如く浄化が段々強くなる以上、分る人も愈々増えるのは勿論である。というのは医療の固め方法が一日増に固らなくなるからで、それに引換え浄霊の方は溶かす方法である以上、逆になるからで、つまり時節が浄霊に味方する訳である。

 

  そうなると病人は増える一方で、今までにないような種類の病気も多くなり、医師はどうしていいか分らない事になって、二進も三進もゆかなくなるのは当然である。又今迄なら直に効いた飲み薬も注射も、全然効かない処か逆効果となって、医師が手を附けるや忽ち悪化したり、死んだりするというような恐怖時代が来るであろう。

 

 斯うなると政府始め専門家も一般人も医学の真価が分って、医療をボイコットせざるを得なくなるから、これこそ大問題である。そこで初めて救世(メシヤ)教の説に頭を下げざるを得なくなると共に、アノ時随分変な説と思って悪く言ったが、実に申訳なかったという事になり、茲に初めて目が醒めるのである。

 

  而も斯うなったら命には代えられないから、インテリもジャーナリストも、束になって救いを求めて来るのは勿論だが、そうなったら一どきになる以上、コチラはやり切れない。マァー事情の許す限り救ってはやるが、誰も彼もという訳にはゆくまいから、御気の毒だが外れた人は自業自得と諦めて貰うより仕方があるまい。

 

 大本教の御筆先に斯ういう一節がある。『愈々となりてから神に縋りて来たとて後の祭りであるぞよ。普段から神の申す事を上の空で聞いていた人民には、神は構うておられんから、どうしようもないぞよ、俄か信心は間に合わんぞよ』という寸鉄殺人的の言葉がある。これが丁度私が今言わんとする処と同じである。

 

 又御筆先に『今度の立替えはこの世に神が有るか無いかを分けて見せてやるのであるから、神有る事が分りたなら、如何な人民でも往生せずには居れまいがな』何と痛烈骨を刺す思いがするではないか。

 

  茲で誰も余り気がつかない事で、且他教に関する事だから気が進まないが、何しろ時節が迫って来たのと人類救いの為としたら、言わない訳にはゆかないから思い切ってかくのである。それは何かというと、愈々来るべき最後の審判に際しては、宗教は何の役にも立たない事になるのである。

 

というのはその宗祖、開祖の殆どが、最早世を救う力がない処か、御自分及びその信徒が救われねばならないから、近来私に対して後から後から歎願に来る有様で、これにみてもその辺よく分るであろう。成程凡ゆる宗教は今までの世界が続いているとしたら、それ相応の役には立つが、愈々世界大転換という空前の事態となった以上、既成文化は一度は破局的運命とならざるを得ないからである。それと共に万教帰一の時となるので、茲に一切の宗教は一団となって、本教を中心に人類救済は固より、地上天国建設に協力する事になるのである。

 

  今一言いわねばならない事がある。それは帰する処本教に背を向けて滅びるか、本教に抱かれて助かるかの、二者何れかを選ばなければならない事になる以上、今から覚悟すべきである。これが今後に於ける全人類の課題でもあろう。」