第五章 霊的知識を深める
5、「天津祝詞」「善言讃詞」について
③ 「惟神霊幸倍座世」について
「惟神霊幸倍座世の意味」
「惟神霊幸倍座世は非常にいい言葉である。昔から神道で惟神の大道とか、神のまにまにという。惟神とは神のまにまに或は神に習う。神に従う事である。日常生活に於て種々取越苦労をする場合、惟神にしておくといって神様にお任せしておく。神のまにまに行くというのは無理をしない事で、非常に楽で結果がよい。
霊幸倍座世とは、霊の幸いが倍になる。殖える事である。神道では、恩頼という。之は魂が太る。拡がるというような意味で、同じような意味で、魂の幸が殖えるようにして戴きたいという事である。神は霊であるから、霊の幸を下さる。」
(年代不詳)
「「惟神」っていふのは神様に従ふ、神の御心のまにまに、神に倣(ナラ)ふっていふ事で、それから「霊幸倍」は魂の幸ひが倍になる、だから魂の仕合せを多くして、魂をふやして頂き度いっていふ事で、神道で「御霊のふゆを幸ひ給へ」っていふのがありますが、之は魂を大きくふやして頂きたいっていふ事なんで、だから同じ事ですよ。
肉体にも痩せたのと太ったのとがあるように、魂にも痩せたのと太ったのとがあるんですよ。そして魂は太ってなくちゃいけないんです。肉体の太り方とは違って、魂が太ると驚く程非常に大きくなるんです。よく物に怯(オビ)える人や、恐怖症の人は魂がやせて萎縮してるんです。今まで恐怖症だった人がこの信仰に入ると、そういふ事がなくなりますよ。魂が太り、魂の量が殖えるからなんですね。そうすると、外界の影響や刺戟をはねつける力が強くなって、割合に恐怖心も起きず、物に怯える事もなくなるんです。そうすると、あの「図々しい奴」は魂が太ってるのかって言ふ事になりますが、(笑声)これは又違ふんで、あゝいふのは太ってることは太ってるんですが動物的な太り方なんですよ、質が悪いんですね。(笑声)神様の方のは質がよくて太るんですからね。」
(御光話録17号 昭和24年)
「(惟神(カムナガラ)と惟神(カンナガラ)は何れが正しいので御座居ましょうか。)
どっちでもよい。カムが正確だが、カンが言い易い。」
(昭和25年3月18日)
「(前略)大自然に逆へば滅び、大自然に従へば栄えるのは言ふまでもない。此理によって人間の師範とすべき規(ノリ)は全く大自然であって、大自然のままに行く、即ち大自然に習ふ事こそ、神意に習ふ事であり、神意のまにまに進む事であり、それがカムナガラである。実に惟神とは玄妙至極な言霊といふべきである。(後略)」
(「惟神医術」 昭和17年9月28日)
「(前略)「惟神」は神のまにまに――即ち神の命に従ふ事。「霊幸倍座世」とは霊魂をふやして戴きたいといふ事。即ち霊衣を厚くする事である。」
(昭和25年3月20日)