第二章 メシヤ様の御経綸
5、医学革命と宗教改革
② 宗教改革
医学革命に続いて、この項では、宗教改革について学びたいと思います。
「観音運動とは宗教改革と医学の革命」
「(前略)観音運動は宗教改革と医学の革命で、大体此二つで世の中はよくなる。政治や経済などは、それは専門家に任せばそれでよい。宗教改革といっても、ルーテルのやうなものでない、もっと大きい。(中略)
各宗教の間違った点は、阿呆文学で指摘する。こういふ事を真面目にいふと、甚だお気の毒ですから、反って反感を持つといかんから、滑稽にする。(後略)」
(「私の信仰の経路」昭和10年1月11日御講話)
「迷信を自滅さす」
「(前略)之からいろいろな仕事をして参りますけれども、重なる運動の仕事としては、病気のない世界を造ることで、医学の革命、又宗教改革であります。(中略)改革といふ事が人口に膾炙(カイシャ)されてるから、それを使ひます。
要するに、迷信が自滅するといふ事で、之から東方之光と光明世界へ、迷信の実例を出したいと思ひますから、迷信の実例の材料があれば、投書して戴きたい。そして世の中の人の目を醒ますといふ事が、必要な事です。(後略)」
(「御講話」昭和10年7月1日)
「現代人は無知---霊的知識を与へられてない」
「(前略)私は今日の凡有る宗教を検討する時、その内容に於ても形式に於ても余りにも旧套墨守(キュウトウボクシュ)的、時代錯誤的たる事実の多い事である。
一例を挙ぐれば、宗教行事や冠婚葬祭等に当って数時間否半日一日を要する事さへあるのである。又在家の居士の朝夕の読経や祝詞を奏し祈願をなす場合長時間を要したり、故人の法要や、本山本部に参拝する時、多額の費用と数日の時を費す等々、全く現代社会人の痛苦の種であらう。而も霊的知識を与へられない現代人として、その内容的意義を知らず、ただ伝統と気安め以外の何物でもないのである。
今日世に知られたる凡ゆる宗教が、数百年又は数千年以前発生したるものであるから、又やむを得ないであらう。(中略)
此意味に於て、私が作った善言讃詞は観音経の深意をエキスとし、日本的に祝詞の形式を採って数分間で読了なし得るやうにしたのである。そうして霊界の実相や、事物と霊との関係等を徹底的に解明し、神仏や祖霊に対する信仰の意義、想念の持方等を充分認識すべく教ゆるのであるから、神仏諸霊の満足と歓びを以て迎へらるる事は必定である。従而、観音会こそ今後の時代をリードすべき新宗教といっても過言ではないと思ふのである。」 (「時代と宗教」昭和23年4月)
「メシヤ教は宗教改革も一つの仕事」
「(前略)今迄の世の中は苦しむ事を良いとして来たんですね。その結果人類は苦しみを楽しむと言う事になつた。色んな宗教や精神の修養場と言うものの説き方は、苦しみを楽しめと言う様に説いてある。病気で苦しみ乍ら有難い有難いと言う宗教がありますからね。あれは苦しみを楽しむと言うんで、大変な間違いですね。だから世の中の一切はねじれちやつた。素直に有りの儘と言う事はなくなつて、おかしくひねくれちやつたんですね。そこで皆有りの儘と言う訳ですね。だから神様と言うのは、卒直に感じた儘、見た儘――それが本当の神様の御心なんです。それを人間が色々にひねくれて、楽しく楽に行ける世の中を、態々ヘンテコに――苦しむ様につくつちやつた。だから、信仰を一生懸命し乍ら段々貧乏になつたり、病人が絶えなかつたりする。だから、言はばメシヤ教は宗教改革も一つの仕事になつているんですね。医学の改革やら、宗教の改革、農業も改革し、色んなものを改革するんですね。だから、それが判りさえすれば、目が醒めた様に有難くなるんですがね。何しろ長い間ひねくれた文化が続いて来たんで、分らせるのに骨が折れる。 (後略)」 (御教え集3号 昭和26年10月5日)
「文化の凡ゆる誤点を発見し、真の文化を知らせる」
「(前略)本教は宗教以外、基本的文化に関する凡ゆる誤点を発見し、真の文化のあり方を知らせんとするのであって、それと共に其方法をも明示するのであるから謂わば大規模な文化革命である。(後略)」 (「本教と文化革命」地33号 昭和27年2月25日)