概 論
5,我々の幸福と本来のあり方
5-② 幸福について
折角永い間、凡ゆる苦心努力をして多少の余裕が出来喜んでゐると、突如として家庭の誰かが病魔に襲はれるとする。直ちに医療を受ける。捗々(ハカバカ)しく治らない。やれ手術だ入院だといふ事になるとすると、その費額は貯蓄しただけでは間に合はない。アベコベに借金をしなければならないといふやうな事になる。斯ういふやうな例は決して珍らしい事ではないのである。
右の如き事例を考へる時、今日確固たる予算生活は全く不可能であらう。幸ひ半年か一年、医療費を予算以内で喰ひ止め得たとしても二年三年になるに及んで、十中八九までは前述の如き予算突破の大違算に遭ひ、失望落胆しない時が来ないと、誰が言ひ得るであらう。それは他なし、今日の日本人の体位が低下し、あまりに罹病し易いと共に、あまりに医療の効果がないといふ--その二つの原因である事は、洵に瞭かな事実である。
右の意味に於て、本治療の如何に偉大であるかといふ事である。修得者が一人でも家庭内にあり、全家族が、此日本医術による健康法と病気の原理を知るに於て、滅多に罹病しない程の健康体となり、偶々罹病すると雖も仕事を休まないで、容易に速かに治癒するのであるから、一銭の医療費も要しない訳で、その利益の莫大なる事は量り知れないであらう。
而も、常に安心を得つつ生活なし得るといふ事も、金銭に換へ難い幸福であらう。従而、私は断言するのである。本医術を知らないで予算生活を樹てるといふ事は、一種の投機的行為でしかないといふ事である。
故に、此意味に於ても、本療法こそは、今日の時局に対し、国家に裨益する所、如何に甚大であるかは、読者の想像を乞ひたいのである。」
(「本療法と貯蓄」明医一 S18.10.5)
「凡そ如何なる人間と雖も幸福を希はぬ者は一人もあるまい。全く幸福こそ、人間の欲求としての最大のものであり、最後の目標でもあらう。そうして幸福の最大条件としては、何といっても病気の無い人間、病人の無い家族之以外にないであらう事は余りに明白である。
然し乍ら、今日迄の世界に於て、全く無病たり得る事は不可能であるばかりでなく、現在健康であっても、何時如何なる場合に、何等かの病気が発生するかも知れないといふ不安は何人と雖も抱いてゐるのである。而も、偶々病気に罹るとして、それが容易に治癒すべきものであるか、或は容易に、治癒し難いものであるかといふ事も全然予測がつかないのであるから、実に不安此上もないのである。斯様な理由によって、順調な境遇にある人も成功者になった人としても病気に対する不安がある為、真の幸福に浸り得られないといふのが事実である。
そうして、凡ゆる不幸の根源は病気である事は曩に再三説いた通りである。貯蓄の目的の大方は、罹病した時の用意であり、健康保険も生命保険もそれが為である。孤児院も養老院も共済会も方面事業や、凡ゆる社会事業も、それが為であらう。
従而、国家が如何なる理想的政治を行ふも人間の病患を解決なし得ない限り、国民の真の幸福はあり得ないのである。洵に健康こそ幸福の根本であり、否幸福の全部であるといっても可いであらう。然るに今日迄、根本的に病患の解決をなし得る医術も方法も、全然無かった事である。
私は、大言壮語するのではない。私の創成した日本医術と健康法によれば、人間をして病患の不安から全く解放なし得る事は、既に述べた通りである。故に私は、私の医術を知る人にして初めて幸福人となり得るといふ事を断言するのである。何千年以来、人類が要望して熄(ヤ)まなかった所の"幸福への道"は、既に拓かれたのである。」
(「幸福への道」明医一 S18.10.5)
「霊衣の厚薄は人間の運命に大関係がある。即ち霊衣の厚い人程幸福であり、薄い人程不幸である。又霊衣の厚い人は温か味があり、接する人に快感を与え多くの人を引つけるが、それは霊衣に包むからである。之に反し薄い人に接すると冷く感じ、不快、寂寞(セキボク)、長く居るを欲せざる事になる。此様な意味によって人は霊衣を厚くするよう努めるこそ、幸運の基である。(中略)
右の理を考うる時、人間は善徳を積み霊衣を厚くする事こそ、幸運者たり得る唯一の方法である。世間よく、自分は生れながら不運であると諦める人があるが、之等も右の理を知らないからで気の毒なものである。又本医術の治療士も霊衣の厚い者程治病成績が良い。又多くの患者を救う程、その治療士は多数者から感謝を受ける結果、霊衣は弥々厚く多々益々成績優秀となる訳で斯ういう人は私の弟子中に多数あるのである。」
(「霊波と霊衣」 S22,2,5)
「本教浄霊は病気を治すのが目的のようになっているが、本当からいうとそれだけではないので、もっと大きな意味がある事をかいてみるが、一言にしていえば浄霊とは幸福を生む方法である。というのは単に病気といっても勿論浄化であり、其因は霊の曇りの解消作用であるのは、今更言う迄もないが、そればかりではなく、人間一切の苦悩の無くなる作用である。(中略)
以前記いた事があるが、人間の体は現界に呼吸しており、霊は霊界に生きている以上、霊界の状態が其儘霊身に影響し、それが肉体に映るのであるから、人間の運命の其根本は霊界にあるのである。(中略)
だから人間は霊身が下段にある間は、どんなに智慧を振い、骨を折っても駄目である。というのは之が神の天則であって霊主体従の法則も厳として冒す事が出来ないからである。故に幸福になるにはどうしても霊を浄めて軽くし、少しでも上位になるよう心掛くべきで、それ以外に方法は絶対にないので、茲に浄霊の大いなる意義があるのである。」
(「浄霊と幸福」S27,3,25)