第五章 霊的知識を深める
4、御神体・御尊影について
② 御尊影について
「本来なら水害でも御守護」
「(前略)昨夜私の写真が大分剥げたものがあったので、どういうようにしたらよいだろうという御伺いが来たので、見たところが大分破損しているから、大事にしまって記念としてとっておきなさいと言ったのですが、聞くところでは、それは和歌山の水害の時に、それを抱いて相当時間水に流されて、命が助かったのです。それは神様の方で、私の写真を沈めてしまうといけないから、それはどうしても助かるに決まってます。(後略)」
(御教え集25号 昭和28年8月17日)
「いただいた瞬間にその人の護り神」
「(前略)この間もあった事ですが、私の写真を支部長と信者と両方でいただいて帰ったのですが、いただいた写真が同じものだと思って、両方で間違えて持って帰ったのです。そうすると信者の方の写真に皺(シワ)みたいな物ができてしまって、とても掛けておけないような見苦しさでそれがはっきり分るのです。それでどういう訳かという質問があったので、とに角こっちに持って来て見せろと言って調べたのです。
それは同じ写真だからよいと思って交換したのでしょうが、それはいけないのです。それで神様がそれを知らせるためにそういう皺ができてしまったわけです。そうしてそれでお知らせになったわけです。そういうようで、いただいたものを、同じものだからと言って替えるという事は大変間違った事です。
それをいただいたという事は、その瞬間にその人の護り神なのですから、人が違えば全然意味が無くなり、結局無駄になるわけです。それも、チャンといただいた以上は自分の将来を御守護して下さると思えば、そういう事はできないわけです。つまりそこに心に隙があるか、或いは軽く見ているわけです。それでウッカリとそういう事をしてしまうのです。
ですからこの間も言ったとおり、チャンと理窟があるのですから、ちょっとでも理窟に外れた事はいけないのです。ですから信者さんのいろいろな事を見ていると、つまらない、どうでもよい事に非常に重きをおいて、ちょっとした事が御無礼になったのではないかと心配して質問して来る事があります。それで非常に重要な事を割合に軽く見ているのです。その区別を割合に知らないのです。ですから重要な事とそうでない事との差別をよく知らなければならないのです。(後略)」
(御教え集26号 昭和28年9月6日)
「元に御願すれば良い」
「(前略)それから御願する場合に、よく「光明如来様」と「明主様」と両方に御願しますが、あれは「明主様」丈で良いのです。というのは、私が光明如来様としてのその働きをするのですから、元は私の方だから、元丈に御願すればそれで良いのです。(後略)」
(御教え集16号 昭和27年11月15日)
「私の写真というのは一番重要」
「(前略)今の私の写真というのは一番重要なのです。「光明如来」と御掛軸を書きますが、あれは私が書くのですから、光明如来様よりか私が上なのです。ところが人によると光明如来様の方を上にして、写真の方を下にするのがありますが、これは大変な間違いです。(後略)」
(御教え集26号 昭和28年9月6日)
「理屈をよく考えて---光明如来様よりか写真が上」
「(前略)ですから重要な事とそうでない事との差別をよく知らなければならないのです。今の私の写真というのは一番重要なのです。「光明如来」と御掛軸を書きますが、あれは私が書くのですから、光明如来様よりか私が上なのです。ところが人によると光明如来様の方を上にして、写真の方を下にするのがありますが、これは大変な間違いです。ですからそういうように理窟を考えると直ぐ分るのです。(中略)私が書くという事は、それが最高のものとして見なければいけないのです。ですからそういうような理窟に合わなければいけないという事をよく心得ておかなければいけません。」
(御教え集26号 昭和28年9月6日)
「大光明如来様は私の代理」
「(前略)それからよく祈願をするのに「大光明如来様」「明主様」と両方呼ぶ人がありますが、それは必要がありません。「明主様」丈で良いのです。大光明如来様は私の代理なのです。それを逆に考えている人がある。第一、字を書くのは私で、私が生むので、元は私にある。併し、大光明如来様に御祈願するのは、出張所に凡てやって貰うという事で当り前です。それで出張所の方で、どうもうまくいかんという場合には本元の製造元に、というそういう様に考えれば良いわけです。(後略)」
(御教え集16号 昭和27年11月16日)
※注意:メシヤ様と主神様の関係は、明主様と大光明如来様の関係とは違いますので、間違わないように気をつけて下さい。