第二章 メシヤ様の御経綸
4、地上天国の雛形の建設
⑥ 美術館建設の意義
この項は、「美術館建設の意義」としていますが、箱根の神仙郷といい、熱海の瑞雲郷といい、さらに京都の平安郷にまで美術館をお造りになろうとされた、メシヤ様の並々ならぬ美術館に対する思い、神の御意図を学んで見ましょう。
「美術館というのは天国の型」
「(前略)そこで此の美術館というのは天国の型です。天国という事は、つまり芸術です。天国の表徴は芸術なんです。それを造つたという事は、之が段々広がつて世界的になるにつれてミロクの世になるんです。つまり丸(〇)の丸(〇)の中心です。之になる。だから只単に美術館としてでなく、そういつた様な非常に深い経綸上のものなんです。
だからミロクの世のポチ(・)が出来た様なものです。早く良いものが出来たという事は、其意味で神様が段々それをやる。その為に品物なんかでも殆ど神様が寄せたんです。(後略)」
(御教え集11号 昭和27年6月27日)
「(前略)やはり美術館も御神業の一つの型になっているわけです。最初は東洋的の美術品、それから西洋の美術品というような工合で、御神業の発展もそういう順序になるわけで、やはり美術館が型になるわけです。美術館というのは天国のシンボルです。(後略)」
(御教え集22号 昭和28年5月25日)
「芸術境の建設---世界的美術館を建てる」
「(前略)そこで私は廿世紀の今日、時代感覚にピッタリした、素晴らしい芸術境を造りたいと思うのである。庭園も、建造物も勿論、何よりも世界的一大美術館を建て、将来観光外客を吸収せずにはおかない程の、力あるものを此世界の公園として、日本の美術都市に出現させなければならないと思うのである。」
(「関西紀行」昭和26年6月25日)
「自然と人工の美の相俟った理想の模型」
「(前略)此処へ美術館が出来て、初めて神苑の天然の美に対して、人工美が加はる訳であるから、茲に自然と人工の、理想の地上天国の模型が出来上る訳である。(後略)」
(「箱根日光殿増築落成祝賀式御講話」 昭和26年6月15日)
「人工美の伴う美術館が必要」
「(前略)本教のモットーである地上天国、真善美の世界を造るとしたら、美が必要であるのは言う迄もない。成程真と善は精神的のものであるからいいが、美は物質であり、具体的に現わさなければならないとしたら、天然美もそうだが、人工美もそれに伴わなくてはならない。それには美術館を造る事である、という考えが頭に出来て来た。(中略)
そうして余り人の気の付かない事だが、日本には日本美術館は一つもないという意外な事実である。(中略)
としたら日本人であり乍ら、日本美術が観られないというのは、何と寂しい事ではないか、私は此点に鑑み、箱根美術館は、日本独特の美術に力を注ぎ、誰にも満足を与えるつもりである。尤もまだ規模は小さいが、兎に角観る者をして、今更乍ら日本人の美術に対する優秀さを再発見すると共に、外客の眼も少なからず驚かせるであろうから、従って観光国策に対しても、大なる役割を荷うのは勿論である。」
(「私の美術修業」昭和27年2月20日)
「美術館は美を象徴」
「私は今度美術館を造ったに就ての、根本的意義をかいてみるが、それはいつもいう通り、本教の目標は真善美完き世界を作るにあるので、其中の美を表徴すべく、天然の美と人工の美をマッチさせた、未だ誰も試みた事のない芸術品を造ったのである。(後略)」
(「美術の社会化」昭和27年8月6日)
「日本独特の美術品を展示するため」
「(前略)いつか一遍かいた事であるが、此神苑は昔から誰も試みた事のない、新機軸的のもので、神命のまま造るのであるから、神の芸術といってもよからう。狙ひ所は、自然の山水美と人工的庭園美とをよく調和させた、一個の芸術品を生み出さうとするのである。それに対し、錦上花を添える意味で、右の如く美術館を計画したのである。之は自然の山水美と人工的庭園美だけでは物足りないといふ訳で、どうしても日本独特の美術品を展示しなければ、真のパラダイスとは思へないからである。
今一つの目的は、来るべき将来、観光外客が箱根へ遊覧に来た時、此神仙郷を観覧させるとしたら、日本美術紹介に如何に大なる貢献をするかを考へ、それを具体化したものである。茶室も勿論その意味である。之によって日本人が、如何に芸術に対する深い理解と、高い審美眼と、優れた技能を有してゐるかといふ事を、世界的に知らせたいからであり、此事が国策上の一役を荷ふ所以とも思ふからである。(後略)」
(「地上天国出来るまで」昭和25年9月21日)
「日本の美術品を誰もが見て楽しめるために」
「日本美術というものは、今迄殆ど外人の目に触れる事は、あんまりなかったのです。つまり日本の美術品は金持や華族--そういう所の倉に仕舞ってあって、人の目に触れる事を嫌がって居たのです。それですから日本に来て見たいと思っても僅かは見られますが、点々と方々に散在してますから、全然見ようと思っても出来なかったのです。それで私は、そういった美術を誰にも楽しめる機関を作らなければならないというのが、此の美術館の根本です。(後略)
(「ダヴィット女史会見記」昭和27年10月25日)
「日本美術の名品を通して眼識を養う」
「(前略)今迄日本は良い物を持ち乍ら、寔に――隠して見せない様にしていた。ですから、どうしても日本の美術を世界的に――世界の人達に見せる様な――そう言う機関を作らなければならないですね。
それからもう一つは、日本の美術家と言うのは、近頃非常に堕落と言いますか、何と言いますか、兎に角日本画にしろ、油絵の真似するのが多くなつた。之は時代の風潮にもありますけれどもね。
もう一つは、日本の美術を見る方法がないんです。日本でも、昔の名人のに色々な良い物があるんですが、それを見る事が出来ないからして――却つて油絵の方が余計に見られますからね。だからどうしても美術眼ですね。そう言つたものは、西洋の方に偏つている。ですから、そう言う人達に大いに日本の傑作品を見せなければならない。
要するに眼識を養うんです。そうすると、日本は素晴しいと言うんで、それに真似しない迄も、大いにヒントを得て、変つていく訳ですね。処がそう言う機関がない為に、どうしても日本の本当の特色ですね。そう言うものが薄れていくんです。だからどうしてもそう言う日本の芸術家――美術家に大いに見せると言う方法をとらなければいけないと思う。
私はそう言う積りで、美術館も日本美術を根本にして、東洋美術、支那、朝鮮――そう言う物を参考として置くと言う順立てにする積りですがね。恐らく、出来たらば非常に喜ぶだらうと思う。むしろ日本人が『俺の国の先祖はこんな立派な物を作つたのか。之は良いな。それじや大いに日本的なそう言つた良い物を作らなければならん』と言う意欲が、大いに起るだらうと思う。ですから、其為に外国人も、成る程日本は大した物がある、と言つて驚くだらうと思つてます。
其様な訳で、本当に日本の美術を並べてある美術館は世界中に無いんです。勿論日本にさえ無いんですから、外国には尚更無いんです。そうして見ると、其意味に於て世界一だと思つてます。何も、規模とか――そう言うのでなく、日本の美術を集めたと言うので、世界一だと思つてます。世界の美術品を色々検討して見ますと、やつぱり美術は日本が一番なんです。(後略)」
(御教え集7号 昭和27年2月17日)
「美により思想的に向上させる」
「(メシヤ教は美を非常に尊ぶという事は--)
それは真善美ですから、美というものは必要なのです。私の方では宗教と芸術というものは切っても切れないものだと言っているのです。つまり宗教というのは人間の心を良くするのです。つまり思想的に向上させるのです。それには美の働きをさせる、高める。それから耳からも目からもやる。処が今日、目から入るものは向上するより低くする方が多いです。(後略)」
(「ダヴィット女史会見記」昭和27年10月25日)
「美術館は、魂を救う手段」
「(前略)芸術にしろ、美術にしろ、楽しめなければならない。楽しんで、良い物でなくてはならない。それによつて慰さめを得るし、それによつて心が向上しなければならない。レベルが高くならなければならない。人間と言うのは、見るもの聞くものによつては、魂が高くなつたり低くなつたりするんですからね。今言う様に、低くなるもの許りですから、人間の魂が段々低くなつて、悪い事をしたりする様な事になる。そこで私は美術館を造つたりして、一つの宗教ですね。魂を救う一つの手段を考えるのです。(後略)」
(御教え集5号 昭和26年12月21日)
「箱根は見本、熱海に出来るのは、世界的」
「(前略)今年の教団の大きな仕事の、最初の現われとしては美術館ですね。之はいずれ熱海に出来る。もつと、ずつと素晴らしいものです。箱根はその一つの見本の様な――試験的の様な意味で造つたんですが、それでさえ、今言つた様な具合ですからね。いずれ熱海に出来るのは、之は世界的なんですね。外国にも無い様なのを造ろうと思つてます。(後略)」
(御教え集6号 昭和27年1月1日)
「美術を利用して世界的に⌋
「(前略)宗教を弘げるに就いて美術を利用したという事は、聖徳太子が元祖です。つまり私はそれを世界的にする訳ですね。まあ、之から世界的にする其最初の一歩として、美術館を日本的に造つたんです。然し、之が段々知れるにつれて世界の注目を浴びる様になりますから、やつぱり将来世界的のものにはなるんですね。(後略)」
(御教え集10号 昭和27年5月26日)
「美術館が出来ると、世界的に美術が盛んになる」
「それで神様の経綸というものは何時も言う通り型で行くんです。斯ういつた美術館が出来ると、之が段々広がつて世界的に美術が盛んになる訳です。だから、もう現に大分美術思想が、何んだ彼んだ盛りあがつて来ました。(後略)」
(御教え集11号 昭和27年6月25日)
「美術を楽しみ乍ら覚者を作る」
「(前略)今迄の宗教は立派な人間を作る――お釈迦さんが言つた覚者です。つまり覚りを得ると、そういつた――解り易く言えば立派な人間です。或る程度の資格を得た者です。魂の資格を得た者――それを覚者というんですが、それになろうとか、ならせ様とかいう事は、昔から人間はやつて居たんですが、今迄のは苦しみです。難行苦行――ひどいのになると断食したり山に籠(コモ)つたりしますが、その目的というのは矢張り覚者たらんとする事です。
処がメシヤ教が行(ヤ)るやり方は新しい、反対の――楽しみ乍ら覚者たり得るんです。良い気持で魂を向上するという行り方なんです。之は今迄とは反対で、今迄にはなかつたんです。というのはメシヤ教は天国を造るというんですから、飽迄(アクマデ)も天国的の行り方なんです。大変な異いさがあるんです。今迄とは逆です。それを認識しなければならない。その内の一つとしての此美術館です。美術を楽しみ乍ら魂を向上させるという訳です。(後略)」
(御教え集11号 昭和27年6月15日)
「魂が低いのを高くするには、美術館が必要」
「(前略)之は更めて言う程の事もないんですが、美という――最高の美をみると非常に魂が向上するんです。つまりレベルが高くなるんです。そうすると色々な事が分るんです。色んな事が分らないという事は魂が低いからです。ですから、色んな――メシヤ教の悪口を言つたりする人がありますが、それはメシヤ教が此処(上位)だと、此処(下位)に居るんですから見えないから、そこで色んな事を言うんです。まあ、屋根の上を下から見る様なもので、「何もないじやないか。立派な瓦があるなんて、それは嘘だ」と。ですからそういう人を幾分でも高くすると、横からでも一寸見えますから――それには美術館というのは必要なんです。(後略)」
(御教え集11号 昭和27年6月17日)
「上層階級の人達を救うには、美術館は最も良い」
「(前略)神様は一番――インテリから上層階級の人達を救うには、普通では中々接近して来ないんです。それには美術館なんていうのは最も良いんです。之以上そういう人達を寄せる方法はないでしよう。で、そういう人達が此の土を踏めば、それで霊的に結ばれちやうんですから、先ず嫌でも救われる動機が出来る訳です。
ですから美術館というものは、その一つの御仕組です。中々宗教的に話を聞いても、馬鹿にして――何んだ新しい宗教なんていうのは、どうせインチキ的なもので、旨く拵えてある。うつかりそんな事にひつかかつて迷信の禽(トリコ)になつては大変だという、そういう観念が非常に強いですから、そういう人達を救うには、尋常一様では駄目なんです。
又美術館なんていうと、そういう人達が非常に憧れを持つて居ますから、一言も喋らなくて良いです。只此処に見に来る丈で霊的にそこに縁が結ばれる。で、いずれ時が来ればこつちの話が耳に入る様になります。要するに、霊的に邪魔していた様なものが弱りますからね。ですから中々神様は旨くやられると思つて感心しているんです。(後略)」
(御教え集11号 昭和27年6月27日)
「此処――聖地の土を踏めば良い」
「美術館に就いて、霊的の意味があるのでそれをお話します。
神様の話を聞いて解らないのは、やつぱり副守護神が邪魔しているのです。だから本当に解らない人は少いのです。解つていて分らない人が多いのです。立派に御蔭を見せられ乍ら、何んだか信仰に入る気持がしないという人がよくありますが、それはそういつた副守護神が邪魔しているのです。それでそういう時には――新聞になんか出て、悪い理窟を作る。
例えてみれば九つの良い事があつても、一つの何かそんな――人から悪口を聞かされるとか新聞とか雑誌に出ているとか、それをみて九つの方を抹殺して了うのです。その一つを抹殺して了うというのは副守護神が囁くのです。
で、現に目に見えて、信ずる気になれないというのがよくあります。そういう訳だから副守護神の力が弱れば良いのです。力を弱らせれば良い。それには此処――聖地の土を踏めば良い。此処に来れば良い。処が偉い人とかインテリのカチカチはてんで寄附きもしないです。処が美術館が出来ると之はそういう連中が美術を好きですから、どうしても来なければならない。此処に来れば、霊界が光つてますから、そこで副守護神が弱るのです。だから此処に来さえすれば良い。観に来れば結構なのです。だから、無論信者さんは奨めるでしようが、そういう霊的の意味もあるという事を心得て居れば尚更言葉にも力がある訳です。(後略)」
(御教え集12号 昭和27年7月6日)
「美術品の存在理由」
「(前略)宗教本来の理想としては、真善美の世界を造るにあるのでありまして、真と善とは精神的のものでありますが、美の方は形で表わし、眼から人間の魂を向上させるのであります。(中略)そうして元来美術品なるものは、出来るだけ大衆に見せ、楽しませて、不知不識の内に人間の心性を高める事こそ、其存在理由と言えましょう。(後略)」
(「美術館建設の意義」昭和27年7月9日)
「美術品の集まる理由」
「(前略)容易に手に入らないような名品が、斯うも沢山集ったのは、全く不思議と思うより外考えようがない。又私もそうで僅かの間に、然もこれ程の物が割合安くよくも沢山集ったものだと感心している。そうして面白い事には是非欲しいと思うが、迚も手に入りそうもないので諦めていたものが、偶然ヒョックリ入って来る事もよくある。(中略)それは立派に理由があるのでかいてみよう。
今東西引括めて霊界に於ては、本教の出現が追々知れ渡るにつれて、本教によらなければ未来永劫救われない事が多くの霊に分って来たので、霊界はテンヤワンヤの大騒ぎである。そこで生前名人とされていた霊は競って手柄を立て、来るべき審判を無事に越せると共に、彌勒の世になってから幸福な地位に着きたいとの念願から、活動しはじめたのである。勿論一家一門の霊も現界にいる子孫の人達をも無事に大峠を越し、幸福になるようとの願望もある。
という訳で芸術家は、自分が作った作品中の傑作を選んで提供し、大名や富豪の霊は生前愛蔵していた名品中の名品を選んで、適当な人を介して私の所へ運んでくる。そんな訳で私としては少しの苦労もせず、放っておいても自然に集まってくるので、短期間に斯くも好い物が沢山集ったのである。故に骨董屋達にしても、いつも不思議々々々といっている。又終戦後平価切下げや、財産税などで、華族富豪など、所蔵品を手放さざるを得なくなったので、止むなく到底手に入らないような名品が続々出たので、今日から見るとお話にならないような安価で手に入れる事が出来たのも、全く神様の仕組である事がよく分るのである。(後略)」
(「美術品蒐集の奇蹟」昭和28年7月22日)
「霊界での色々な働きで美術品が集まる」
「(前略)又一方並べる美術品ですね。之も矢張り手に入るのは奇蹟です。ですから道具屋が驚いている。斯ういうものは売物に出るものじやないが、どうして手に入つたかという事がよくあります。私は別に――簡単に、斯ういうものが無くちやならない、斯ういうものが欲しい。と、一寸思うんです。そうすると何んだ彼んだと集まつて来るんです。で、割合に旨く、値段なんかも安くね。どういう訳かというと、やつぱり霊界で――私が欲しいと思うと、霊が――自分が元持つていた物とか或いは家宝とかいうものを是非私の方に寄越して――そうすれば大変な働きになりますからね。それから又子孫が救われた者なんかは、それに対する御礼ですね。そういう意味で働いて、そういうものを蒐めるんです。その霊界での色々な働きが、そういう事になる訳ですね。だから美術館が出来て品物を並べても、随分驚く人があるだろうと思います。どうして此処に之が出ただらうかという様に思う人が随分あるだろうと思います。(後略)」
(御教え集10号 昭和27年5月25日)
「(前略)それで美術品も、神様は、ちょっと売物に出ないような物を、チャンとこっちに入るような順序がついているのです。神様の計画というものは実に大したものです。それと、霊界において、昔の立派な芸術家や、いろんな大名だとか、将軍だとか、そういう人達の霊が非常に働いてます。立派な美術館にするために……。それでその霊の奥にある産土の神様とか、八百万の神様でも高級な方の神様がいろいろ指図したり力を貸してやってます。
だからああいう美術館を作るのも――それは生きた人間を使わなければならないが――私は、そういった現界の仕事をするのでも、私の背後にはいろんな神様、いろんな霊が大活動をしているのです。だから思いもつかない事がフッと来るような事がありますが、“これは働いたな”と思います。その根本が分れば、当り前の事で別に不思議はないのですが、ただ出来たものを見ると、僅かな間にどうしてこんなものがと思うのです。第一、道具屋とかそういう事に心得のあるものは、どうして僅かの間に手に入ったのだろうと思いますが、霊界を知らないのですから無理はないです。(後略)」
(御教え集32号 昭和29年3月5日)
「(前略)最近美術品の素晴しい物が安く入って来るのです。到底手に入らないような物がパッパッと入って来るのです。それはどういう訳かというと、霊界において、いろいろな名人とか或いはそれを集めた大名とか、権力者という人達がだんだん分るにつれて、救世教にそういう良い物を納めたいというわけで、大いに活動しているわけです。
これは実に気の毒な話ですが、仮にこういう物ならこれを、私が欲しいと思い、美術館に無くてはならないと思うが、なかなかそれを手放さないのです。そうすると手放さなければならないように、財政を苦しくしたり、売らなければならないようにさせるのです。それはその人の祖先がそういう美術品を珍重していたとか、拵えたとかという意味で、私に売らせようとして活動します。そこで金に困るようにするのが一番ですから、金に困らせるのです。
しかしそのために金に困って売ると、そこの家は本当の良い事をすることになるから、それからは其処の家は本当に仕合せになるという事になるからして、困るというのは一時的のものです。そういう事が近来非常に著しくなって来たのです。近頃買う物は、道具屋より安く買えるのです。道具屋が驚いて、それなら自分も買いたいというのが沢山あるのです。それは事情がそういうふうになるのでしようがないです。
そういうわけで、今度出来る熱海の美術館も、天下に得られないような品物が相当出ると思ってます。この間も光悦の或る物が手に入ったのですが、そうすると“あれは絶対に売らない事になっているから、そんなはずはない”“しかし入ったから仕方がないではないか”と言ったのですが、その人も長い間欲しいと思ったが、どうしても売らないという事になっていたのだそうです。だから“不思議だ不思議だ”と言ってました。そういう事がよくあるのです。そういうわけですから、無論この美術館は世界的の素晴しいものになります。(後略)」
(御教え集32号 昭和29年3月24日)