第二章 メシヤ様の御経綸

 

4、地上天国の雛形の建設

 

③平安郷の建設

 

この項では、「地の天国」であり、「七」に当る京都の地上天国の雛型「平安郷の建設」について、深く学んでいきたいと思います。

 

 

「京都は地の天国」

 

「(前略)今度の旅行が終ってから、私は深い御神意の程が窺われたのである。というのは、いつも言う通り箱根は山の天国であり熱海は海の天国である。としたら地の天国が出来なければならない訳で、そこは平らな広い土地であらねばならない。としたら京都こそその条件にピッタリしており、即ち五六七で言えば七に当るのである。だから何れは京都に於ける頗る広い土地が手に入る事になろう。そうして今度観て熟々思われた事は、京都全体が一個の美術品であって、他の如何なる都市にもない特異性が多々あり、この地こそ一大地上天国が出来なければならない処である。従って私はこの地に美術都市のシンボルとして愧かしからぬ立派なものを作りたいと痛切に感じたのである。とはいうものの、現在の京都としての優れた時代美は遺憾なく具わっているが、現代人の感覚にアッピールする生々としたものは殆んど見られないのである。そこで私は二十世紀の今日、時代感覚にピッタリした素晴しい芸術境を造りたいと思うのである。庭園も、建造物も勿論、何よりも世界的一大美術館を建て、将来観光外客を吸収せずにはおかない程の力あるものを、この世界の公園として、日本の美術都市に出現させなければならないと思うのである。(後略)」                     

(「関西紀行」地25号 昭和26年6月25日)

 

「京都に地上天国を造らなければならない」

 

「(前略)何時かも話した通り、京都にも地上天国を造らなければならないんですよ。ですから京都は、熱海、箱根よりかもつと大きな規模になるだろうと思つてますがね。

(後略)                                        

(「御教え集9号」昭和27年4月6日)

  

 

「夏は箱根、冬は熱海、それで春と秋は京都」

 

「(中略)それに就いてもう一つは、つい最近京都に丁度良い土地が手に入る事になつたのです。之は何時も言う通り、箱根が五であり、五は火です。それから熱海は六で、六は水です。七は土です。土が京都になるわけです。ですから、箱根は火であり経であるからして一番高い。それから熱海は水があつて、ずつと低くなつている。で、京都の方は平になるわけです。ですから五、六、七でミロクの型が出来たわけです。之に就いては、昨年の春初めて京都に行つたのですが、其時に私が「いずれ京都に地上天国を造らなければならない。それには平な所で、池のある所でなければいけない」と言つたのです。そうするとあの時に釈迦寺に行つて、そこを出て法然院に行つて、途中で左側に大きな池があつて突当りに小さな山があつて、平で非常に工合が良い。此処は気に入つたなと思つて居た。併し売るか売らないかも分らないし、何の位の広さがあるかも分らないが、何んとなくそういう気がしていた。処が今年の春にあの辺に売物があるからと見に行つたのです。併し高い事を言つているので手が出せないので、いずれ神様がなんとかするだろうと放つて置いたのです。処が最近其処を譲りたい――譲りたいという事は去年から言つていたのですが、今度は本気になつて、割合に安く負けると言うので、聞いてみると割合安く、手が出るという様な値段なので、それではというので今取決めに行つてます。無論決ります。そんな様なわけで神様のやる事は、実に判で捺した様です。所は、広沢の池の所の地所です。嵯峨です。京都では嵯峨が一番良いのです。昔から――あれは平安朝時代の中心だつたのです。あそこに釈迦寺があるが、あれも非常に意味があるのです。あそこは、私は今から四十年位前に京都に行つて、嵯峨の釈迦寺に行つて天井の栖鳳の龍の絵を見た事があり、そんな事で非常に印象に残つている。其時にもう結ばれたのです。で、観音が五の彌勒、阿彌陀が六の彌勒、釈迦が七の彌勒になつている。そうすると、あそこに釈迦堂があつてお釈迦さんが毎日居られるという事はそういつた意味です。要するに七です。“嵯峨や御室(オムロ)の花盛り”と言つて、やつぱり桜が仏です。それで法然院が阿彌陀さんです。あそこには立派な阿彌陀さんがあります。丁度その真中が今度の地所なのです。まあ私は観音ですから――面白いのです。坪数は一万八千坪ですから、之もミロクになるわけです。で、後に非常に良い山があるのです。松ばかり生(ハ)えている山があります。横にもあります。それから広沢の池という大きな池がありますが、京都としてはあの辺が一番良いでしよう。(中略)

そんな様な意味で兎も角も五、六、七――ミロクの意味は、緒についたと言いますか、そういうわけです。で、名前は「平安郷」と附けました。それで良い家があそこに建つているのです。それを「春秋庵(シユンジユウアン)」――春秋(ハルアキ)です。それは京都は春と秋です。夏は箱根、冬は熱海、それで春と秋は京都です。昔は平安の都と言つたのですから、それで「平」という字が入らなければ面白くないのです。それに土ですから――。

あそこに造るのは純日本的なものを造るわけです。熱海は何処迄も西洋風のものを造るのです。だから今度の会館でも全然西洋風です。展望台とか美術館とか、みんな出来る丈新しい様式のものを造ります。今度の京都のは、出来る丈日本風のものです。処が京都という所は、つまり日本の美的感覚を非常に良く出してある様に思つているが、之は良くみると、案外京都には日本的の美はないのです。あるにはあるが――極く古い、奈良朝時代の仏教美術でしよう。どうも仏教美術というのは、一つの限られたる宗教的なものですから、大きな意味から言うと本当の美ではないのです。(中略)そんな様なわけですから、私は今度の京都の今の土地は、日本美術を――建築でも庭園でも今迄の時代々々に出来た物を綜合した、日本の趣味を出来る丈採入れた、日本の綜合美と言うかそういう物を造ろうと思つている。そうして京都としての本当の日本美術都市という様な、そういつた条件に当嵌る様な物を造ろうと思つています。それには水が必要なのですが、良い塩梅に大きな池がありますから、あそこの水を貰えば良いし、山も非常に良く、松ばかりの山があります。今度行けば分りますが、何んとも言えない良い感じがするのです。

それから今の嵯峨にも――平安郷ですが、其処にも美術館を造りますが、美術品は大いに仏教美術を採入れて――之は、あつちのお寺と連絡して、そういう物を造ろうと思つてますが、それに就いて霊界の各宗の開祖が大いに働き出しますから、それがみんな自分が作つた寺ですから、そこを良い様にやるに違いないですから、そう骨折らなくても、ちやんと良い物は集りますから面白いです。」

            (「御教え集14号」秋季大祭御教昭和27年9月23日)

 

 

「京都は「七」で仏界の型」

 

「(中略)それで京都は仏界の型なのですから、観音、阿彌陀、釈迦と、この仏界の中心がつまり嵯峨になるわけです。「サガ」と言う言霊も、やつぱり釈迦という事です。ですから仏界が開けるという始りになるわけです。で、仏界が開けるという事は、つまり仏滅になるのです。ですから京都にあれが出来ますと、そういつた仏教的の色々な変化があるでしよう。それで之を大きく言いますと、箱根が「五」です。之は山で火ですから五です。で、熱海は「六」です。之は、山も低くて海があるからです。それから京都は「七」になるから土です。

 で、斯ういう事になるのです。五は神様です――まあ神界になるわけです。それから六が物質界になるのです。要するに科学文化です。ですから今迄の世界は六の世界になるのです。つまり水の世界です。それから七が仏界です。そういう風に考えても良いのです。

 ですから京都は何処迄も七で、七というのは「地」で、平な所でなければならない。ですから京都という所はそういう意味になってます。ですから之で京都に地上天国が出来ると、箱根、熱海、京都で五、六、七になって、つまり三位一体でミロクの形になるわけです。ですから時期に応じて神様の方はちゃんと御計画通りキチキチと行っているわけです。(中略)で、名前は、其処の土地は「平安郷」と名附けました。京都は昔から平安の都と言つて、大体平安朝時代に一番開けたのです。それと、どうしても「平」という字が入らなければ面白くないのです。七ですから何処迄も平でなければいけない。それですから平安郷という之が一番適当しているのです。又そこに相当な家があるので「春秋庵」という名前を附けました。春秋(ハルアキ)――つまり箱根、熱海が夏と冬、あつちに行けば春と秋ですから、そこで春秋庵と附けたのです。ですから気候も、春夏秋冬が之で揃つたわけです。(中略)そんなわけで、今度私は、今の平安郷は日本の庭園と建築を、今迄の色々な部分的の良い処を採入れて、綜合的に一つの本当の日本の美術の感覚を出した様な物を作ろうと思つてます。(中略)そんな訳で今度は日本美術の新しい感覚を出そうと思つてます。ですから美術館もいずれ造りますが、箱根熱海の美術館とは全然異つたものを造ろうと思つて居ます。それには色んな計画がありますが、今は未だ発表するのは早過ぎるので、いずれ追々発表していきます。」   

(「御教え集14号」昭和27年9月24日)

 

 

「京都は純日本的にやる積り」

 

「今度京都の嵯峨と言う所に丁度適当な土地があつて、それを愈々契約丈しましたが、一万八千坪あるのです。大きさは丁度良いのです。もつと拡がるかも知れませんが、今の処は丁度良い位の所です。それで、箱根が「五」で、熱海が「六」で、京都が「七」になるわけです。ですから日本的に五六七という形が備わつたわけです。箱根が山で、それから熱海が海で、京都が土です。それで五六七です。ですから、土だからして京都は平なのです。之は私は極く平な所で池のある所というのを注文してましたが、丁度そういう所が決つたのです。之はどうせ神様がやつているのですから自由自在です。時期々々に於て現われて来るのです。その位置が丁度、釈迦堂――嵯峨のお釈迦さんを祀つてある所ですが、之は去年最初にお参りした所です。それから去年講話をした法然院は法然上人の住まわれたお寺ですが、法然上人は浄土真宗の開祖です。で、法然上人から親鸞上人になつて、それから蓮如上人となる。ですから日本に於る阿彌陀さんの本拠です。すると釈迦堂と阿彌陀さんの所との、其間が今度の土地ですから、私の方は観音さんですから、そこで丁度観音、阿彌陀、釈迦と、斯ういう形が出来たわけです。出来たと言つて、形になつたわけです。それで、昔から彌勒三会という言葉があるのです。彌勒が三人会うという事ですが、“彌勒三会の鐘の音(ネ)”とか“彌勒三会の暁”とかいう言葉があるのですが、彌勒三会になつて、それから彌勒の世が始るという事になつているので、その形が出来たのです。

大体京都という所は、つまり仏界になるわけです。元は神様の所だつたのですが、神様が引退されて仏の世に渡されたというのが今迄の仏の世ですが、その世が京都に出来ているわけです。そこで京都が仏界で、その仏界が愈々仏滅になつて、そうして今度の彌勒の世になるのですから、そういう意味が根本です。そういう様な意味が之から段々現われて来ますから、その積りで見て居れば分ります。で、今度は京都に、庭園でも建築でも純日本的にやる積りです。(中略)つまり日本的の、今迄出来た秀れたものを出来る丈活(イ)かして、欣然たる一つの二十世紀的のものを造ろうと、斯ういう理想なのです。何しろ神様が手伝つているから立派なものが出来ると思つてます。それで真善美が揃うわけですが、大体時期がそういつた様な処迄来たわけです。けれども日本丈ではない、世界を救わなければならないのだから、極く最初の一段階、一つの区切りと言つても良いですが、そんな様なわけで神様は、段々拡がり、形も整うという様な工合にいくわけです。そんなわけで京都は極力日本的に造ります。(中略)」 

                     (「御教え集14号」昭和27年9月27日)

  

 

「全世界隈なく救世教出現に対する準備をされた」

 

「(前略)そうして目下地上天国を造りつつある箱根、熱海にしても、今日迄の数々の奇蹟もそうだが、今度の京都の平安郷も最初の困難な条件を突破し、スラスラ短期間に手に入ったのを思い合せても、只々感嘆の外なく、而もその土地の位置といい、環境といい、京都第一という事が最近分ったので驚いている。勿論最初からそういう処を探したのではなく、全く自然にそうなったのである。というように神様は最初地球を造る時から、全世界隈なく救世教出現に対する準備をされた事で、之こそ一点の疑う余地はないのである。(後略)」      

(「私が神様を拝まぬ理由」昭和27年12月25日)

  

 

「罪を浄めて働けるようにするために」

 

「それで本当の目的は、神様の方から言うと京都、奈良は仏教の根拠地、仏教の元という事になっているのです。それでもういよいよ仏滅の時になって来たので、仏に関係のあるいろいろな昔からの、何々上人とか何々大師とか何々禅師という偉い坊さん達が霊界において、仏滅の来た事が良く分かって来て、最近に至ってはほとんど分かったくらいです。そこで大体仏様というものは神様の化身でありますから、仏の世が済んだので神様の方へ戻りたいのです。そうして救世教の為に働きたいと思うのです。(中略)なにしろ夜の世界であったためにはっきり分からなかったので、つい間違いを教えて来たのです。(中略)

 一方で良い事をしながら、一方で罪を作っていたのです。それでその罪の方を浄めて、無くしてしまわなければ、本当の神様になって働く事が出来ないというわけで、昔からの偉い坊さん達の罪を浄霊しなければならないのです。なにしろ沢山ありますから、そこでそういう人達を浄めて神様にして、大いに働くようにしてあげるという、そのために嵯峨に一つの地上天国のようなものを造るのです。」 

          

 (御教え集21号 昭和28年4月10日)

 

 

「平安郷で仏様を浄める」

 

「(中略)京都の平安郷に美術館を造り、殿堂も造りますが、そこで仏滅となり仏達を救い、救うという事は浄めるのです。仏の働きというのは神様の働きと違い、非常に間違った事もやったのです。しかしこれは間違った事をやらないわけにはゆかない点も大いにあったのです。そのために非常に穢れているので、それを浄めなければならないのです。浄めて初めて神様の資格になるわけです。それで平安郷でそういった仏様をみんな浄めるのです。そうして神様に戻るわけです。そういう意味があるのです。それで今度お寺をずっと廻ったという事は、主なるそういった仏様に、いよいよ君達は救われるという警告をすると言いますか、そういう意味になるのです。ですから神様の経綸というものはいろいろな事の、二つも三つもの経綸になるのです。そうしてそういった仏の霊が救われて神様になって、そうしてその仏像や仏画はカラッポになりますから、そこで美術品として美術館に並べて見せるという事になるのです。そうでないと中に魂が宿っている時にそうされると、仏様は非常に苦しいのです。つまり美術品扱いをされるという事は非常な侮辱をされるわけです。ですから嘘なわけです。(中略)」              

 (御教え集21号 昭和28年4月16日)