第二章 メシヤ様の御経綸
4、地上天国の雛形の建設
② 瑞雲郷の建設
この項では、「海の天国」であり、「六」に当る熱海の地上天国の雛型「瑞雲郷の建設」について、深く学んでいきたいと思います。
「神の経綸」
(栄109号 昭和26年6月20日)
「我救世教は、如何に深遠微妙にして、偉大なるものであるかをかいてみるが、之を読んだらどんな信者でも、驚嘆して口も利けないであろう。
抑々、神様の御経綸なるものが、人智を以てしては、到底想像もつかないものである事を知らなければならない。というのは今熱海に造営中の地上天国にしてもそうである。
之は信者諸君も常に観らるる如く、土木工事が段々進捗するにつれて山の形状、樹木の位置、建物の予定地等は固より、遙か目に映る全景の美観といい、周囲の様相といい、観る度に変りつつある事に気付くであろう。特に石垣の多い点は、先ず日本一と言ってもよかろう、処がそれに要する石は、一個所から無限に出てくる。いくら掘っても尽きる事を知らない有様だ。斯んなに石の集積している処は、熱海中何処を探しても見当らない。実に不思議で、誰も驚かない者はない。此事だけにみても、神様は何万年前、已に計画され準備された事は一点の疑う余地はあるまい。
又現在天国の周囲を取巻いている景色を見ると、色々な樹木のあり処、山の形状など、調和美がよく表われていて恍惚とする。そうして必要な土地は次々手に入ってくるから不思議だ。それも飛び飛びではない。隣から隣へと順々に広がってゆく。而も時もそうで、必要に迫ってくると売りたいと言ってくる。全く思い通りに運んでゆく。それから私が時々行って見廻るが、其度毎に新しい企劃が自から浮んでくるから、考える必要などない。楽なものである。
茲で最初に曰った驚嘆すべき、大経綸とは何であるかというと、熱海という日本一の景勝地の意味であるが、之はいつもいう通り、山水美、気候、温泉、交通の至便等々、凡ゆる条件が具備している。恐らく之程の景勝地は日本中何処にもあるまい。とすれば之は如何なる訳かを深く考えてみると、斯ういう事が判ってくる。
即ち造物主が地球を創造された時、永遠な計画の下に設計をされた事である。恐らくそれは何百万、何千万年前の事であろうが、地球を御造りになる時、将来日本という世界的公園としての、パラダイス的土地を定められ、其条件として気候、風土、自然美等を、夫々申分なく具備され、時を待たれ給うたのである。勿論それが我熱海であり、次の箱根もその意味であり、富士山もそうであろう。特に熱海に至っては、最高最美の理想境を目標とされたものであろう。そうしておいて物質文化の進歩の程度が漸く天国建設に適するような状態になったので、茲に私という者を生れさせ、種々な経路を経て、熱海に住むようにされ、茲に御目的である地上天国の模型の建造に、着手されたのである。
私は瑞雲山に立って、いつも風景を眺め乍ら思うのである。それは最古の時代私が神様であった時、将来の計画を立て、設計したものに違いない。見遙かす盆石の如き初島や大島、五つの岬、真鶴の突端、十国峠の山並、湖水と見紛うばかりの鏡の如き海原、特に熱海の山の美しさ、之が最高の神技でなくて何であろう。そうしておいて、二十世紀の今日、自分が人間に生れて、最初の計画通りのプランを実行するようになったのであるから、前述の如く奇蹟が多いのも当然と言えよう。
従って私の行っている事は、独り此小地上天国の事ばかりではない。他の色々な事業も、悉く万物を造られた時から準備されたものである事は想像され得るのである。
それに就ての、今一つの、重要事をかいてみよう。之は自画自讃ではあるが、私が文字をかいた紙を御守にすると、素晴しい治病力を発揮する。之はみんな知る通りであるが、此御守は、一時間に五百枚はかけるから、七秒で一枚という事になる。此七秒で出来た紙と墨の作品で、何千何万の人の命を救うのだから、其偉大なる神力は、何と説明していいか分らないのである。之は私が偉いのではない。私に其力を与え給う大神様の、素晴しい神力であろう。」
「熱海こそ理想的最優秀地」
「(前略)日本の使命は芸術国家であるとして、日本の自然美と人工美とをタイアップしたところの渾然(コンゼン)たる一大芸術品を造るにあるので、それにはまず位置の選定が肝腎である。その為日本中を踏査(トウサ) した結果、熱海こそ理想的最優秀地である事を知ったのである。言うまでもなく気候温和にして温泉あり山あり海あり島(初島及び大島)あり、海岸線の紆余曲折変化に富める景観は他に比すべきものがない。しかも交通至便なる関西と関東との中間に位し、国立公園たる箱根伊豆半島に隣接している等々、実に申分ない天与の勝地である、しかも熱海中の最も風景絶佳な土地二万有余坪を次々手に入れたのである。(後略)」
(「世界的名所としての瑞雲郷」昭和25年2月11日)
「熱海の建設の概要」
「(前略)こうした時代でもあるから一さいムダな華美を捨てゝ、建築は質素にして優雅なものとする、様式はコルベジュヱのフランス風で、白亜の塗り、熱海では最初の様式で、ちょっとモダンなシックな感じがする、数千人を収容できるし、信者以外の一般の結婚式場にも充てたいと思う、本教団はこんにちまで、この建造のために莫大な費用を投じてきたのであり、これが竣工さえすれば本教の真髄が必ず納得ゆくと確信している、どうも日本人は何か眼で見える一つの物体をつくり上げないうちはいろいろなセンサクをするので弱る、これが大衆の眼前に現れると成程と解ってくるであろう、聖堂の他、信者の宿泊所、温泉場、展望台、それに外客に開放予定の一大美術館もできるから、国際親善にも大きな役割を演ずることともなる。(後略)」
(「本紙一年を記念して 自観教主感懐を語る 聖堂近く竣工」昭和25年3月11日)
「熱海は体で表面に現わる」
「(前略)箱根は霊界で、ここが完成すると非常に発展の力が出る。それに熱海が出来ると凄い事になる。熱海は体で表面に現われて来る。やはり順序ですからね。そう言う順序にならなければならない。そう言う準備をすると言う事を予め考えておく。全て考えですから。こんなに一生懸命にやっているのに、もっと発展しなければならないとか言っているが、本当に分ると良いが、一生懸命にやるのは結構ですが、そう言う様な悩みや煩悶が起らないから楽になる訳です。それで、一寸話した。(後略)」
(御教え集1号 昭和26年8月25日)
「私がつける名前には意味がある」
「(前略)私がつける名前はちやんと意味があります。熱海は瑞雲郷と言うでしよう。「瑞」は「水」です。月の水で、熱海は「月の都」ですからね。あつちは、神仙郷――日光殿と言う、火と水になつている。やはり相応しなければならない。(後略)」
(御垂示録3号 昭和26年10月1日)
「神様が準備された聖地」
「(前略)右の如き絶景を一望に収むるこの地点が、瑞雲郷中央の景観台であって、ここは位置といい、山の高さといい、全景観の眺めには最も好適で、ここに身を置く時宛然(サナガラ)この世の天国にある思いするとは、誰もが絶讚する処である。全く天地創造の時神様が準備された聖地であり、神の大芸術品でなくて何であろう。(後略)」
(「私の仕事を邪魔しないで呉れ(上)」 昭和26年11月21日)
「熱海は現界的に拡がる」
「(前略)本当に変化するのは熱海の瑞雲郷が出来上って、それから現界的になる。神仙郷は何時も言う通り霊界なのです。それで神仙郷が完成したという事は霊界に地上天国が出来たわけです。今度熱海が完成すると現界に出来るのですから、今度は汚い物が崩壊して、本当のミロクの世の建設が現界的に始るわけです。で、熱海が完成するのは大体再来年でしょう。すると、再来年を過ぎると、今度は素晴しい変化を起します。それは非常に近寄っているのです。之は色々神秘な事がありますが、追々話していきます。(中略)」
(御教え集14号 昭和27年9月16日)
「(前略)そんな様な意味で、神仙郷が出来たという事は、やはり世界の最初の――何時も言う通り、地上天国の模型が出来たのです。之が段々拡がつていつて世界的になつた時が、つまり地上天国になるわけです。そうすると此処が拡がるに従つて、今度は体的に――此処は霊の中心になるのですから、之が熱海に写るのです。此処が霊界の経綸で、熱海は現界の経綸になるのです。ですから熱海が出来て、それから段々拡がるのに、現界的に拡がつていくわけです。(後略)」
(御教え集14号 昭和27年9月26日)
「熱海は現界の現界」
「(前略)そんな様なわけで之から本当に現界的に始つてです。現界的と言つても、現界の奥の方に始つていくのです。本当に現界に始るのは五、六、七と、それが揃つてからが本当の現界です。で、それに就いての第一段が之から始るわけです。第二段が熱海になるわけです。熱海の地上天国が完成すると本当の現界的になります。何時も言う通り、此処(神仙郷)が霊界になるのです。現界の霊界です。で、熱海は現界の現界です。(中略)
それから熱海は、之は全然西洋式なのです。今度の会館、展望台、美術館と、日本的の物は殆ど無い位です。火水土と言いますが、外国――西洋は水になるのです。水の文化です。だから熱海はそれになるわけです。つまり六です。火水土のうち、水が西洋になつて、火が日本になるのです。土が東洋になるわけです。それで箱根は元になりますから――中心になるから、此処は西洋風と日本風と両方出来ているわけです。(後略)」
(御教え集14号 昭和27年9月27日)
「救世会館は将来芸能専門の処にする」
「(前略)私はあれ(救世会館)は将来芸能館と言うか芸能専門の処にするつもりです。従って宗教的の本山という意味のものではないのです。救世会館という宗教的な名前ではありますが、将来は劇場的なものにするような考えでやっているのです。たとえば外国の有名な音楽家に演奏させて大いにいいものを聞かせるとか、すばらしくよい映画を写すとか、日本の第一流の芸能人にあそこを使わせるとかするつもりです。つまり絵とか彫刻ではなく芸能的の芸術家に、環境のいい、景色のいい処で、建築もごく新しい立派な所でやらせるというのが将来の計画です。(後略)」
(「竹内四郎氏外との御対談(一)」栄193号 昭和28年1月28日)
「メシヤ会館建設---破壊が始まる」
「(前略)それから救世教の方は建設が始まるのです。ですから、メシヤ会館がこれから出来るということは建設の第一歩です。何時も言うとおり、箱根は霊界ですから、現界への響きはあんまりないのです。熱海は現界の型になりますから、メシヤ会館が出来るという事は、破壊と創造の、創造の方がこれから出来ていくわけです。そうすると世界の方は破壊が始まるというわけです。破壊と創造が同時に行われるという事を、私は前から言ってますが、そういうわけです。(後略)」
(御教え集19号 昭和28年2月5日)
「箱根---熱海---箱根の順序」
「(前略)箱根が出来て熱海に移り、熱海が出来て今度は又箱根に行く、という順序なのです。それで私のやっている事は肝腎な経綸ですから、ちょっとでも順序が違うと直ぐに神様からやられてしまうのです。これは古い信者の人はよく知ってますが、とても面白いのです。」
(御教え集26号 昭和28年9月23日)
「熱海の方は世界的---神様の事は総て型で行く」
「何時も言うとおり箱根は霊で熱海は体、箱根は経で熱海は緯ですから、どうしても箱根の方は日本的ですが、熱海の方は世界的という意味になるのです。それで熱海が出来ると、日本は無論ですが、外国の方まで発展するわけです。つまり熱海は体ですから、どうしても体的に拡がってゆくわけです。本年ハワイからアメリカの方に進出しましたが、丁度この救世会館が建築に取掛る頃からハワイ、アメリカとなって来ました。会館が出来上るとアメリカの方へ素晴しく発展するという段取(だんどり)になるわけです。
それで神様の事は総て型で行くのですから、型が出来ただけずつは霊界でそのとおりに拡がるというわけなのです。この点が人間の仕事と非常に違うのです。ですから順序と型です。それを見ていると分るし、それから又私はそういうようにやっているわけです。それですから別に心配する事もいろいろ迷う事もないわけです。神様の方の設計順序がチャンとありますから、そのとおりにやっておればドンドンうまくゆくわけです。実に不思議な事です。それでこういう事は人間が始まってから未だないのですが、それは今までは夜の世界ですから、全部月のやり方です。今度は太陽が出たのだからまるっきり違うというわけです。ですから反対な事が多いです。それは日と月とでは反対になります。つまり月の方は右廻り、日の方は左廻りです。」
(御教え集27号 昭和28年10月16日)
「熱海が外国の型」
「結局日本の地上天国が出来て、それから外国にだんだん行くのが順序です。それでさっき言った箱根が日本の型、熱海が外国の型という事はそういうわけです。それで神仙郷の地上天国が今年出来上って、これからだんだん熱海になるのですが、そうすると、まず日本の地上天国のごく小さい型、それから熱海に外国の地上天国のごく小さい型と、だんだん拡がってゆくわけですから、神様はその型を着々としてやられているわけです。(後略)」
(御教え集27号 昭和28年10月17日)
「御神業というものは凡て型でやる」
「(中略)しかも秋には会館と展望台の上の水晶殿が出来上りますから、又大いに世間の注目を引くと共に、教団も発展するわけです。何時も言うとおり、箱根は霊で熱海は体ですから、熱海が出来上るという事は体的に大きくなるというわけです。御神業というものは凡て型でやってゆくのですから本元が出来、又形が大きくなるという事は、全体的にそうなるわけです。熱海は体的ですから、会館が出来るという事は、丁度やはり建築のような工合に御神業の方もしっかりした様相になって、大きさも目立つように大きくなるわけです。こういう訳になるのです。支部などでも、建物を少し拡張すると、それだけ教線が拡がるものです。(後略)」
(御教え集29号 昭和28年12月27日)
「熱海の地上天国は世界の型」
「(前略)今度出来る地上天国は、そういったような、一つの戦争、武力をもって自己を擁護(ようご)するという意味とか、一つの宗教を弘めるというのでなくて、ただ多くの人世界中の人が、美を楽しみ、美によって魂を向上させるという、純粋(じゅんすい)の平和的のものです。(中略) 霊的にも熱海の地上天国は世界の型になっているのだから、これが拡がれば世界的になるのです。霊的から言っても、そうなるのが当り前です。」
(御教え集30号 昭和29年1月2日)
「岡田茂吉研究が始まる」
「(前略)そういうようなわけで、熱海の地上天国が出来てから、だんだん世界に知れるようになると、結局、“救世教は大変なものだ”“一体誰がやっているのか”“岡田茂吉という人間だ”“岡田茂吉という人間は今まで新宗教の教祖だったが、ではどうしても研究してみよう”という事になって、“岡田茂吉研究”という事になり、“それには奴の書いた本を読まなければならない”というので、そこで私が書いたものが大いに売れ、みんな読むだろうと思います。それがこっちの大いに狙う所です。そうすれば医学とか自然農法……大体医学ですが……そういう事が自然にすっかり分るという事になると、前には色眼鏡をかけて見たのだからしてどうしても色眼鏡の色に見えますが、今度は今のように余程色眼鏡が薄くなるからはっきり見えるというので、本当に考え出すという事になりますから、そうなると少し分り出すと大変な発展をする事になります。神様はいろいろな手を打ちますが、人間の考えと違って、奇想天外です。地上天国や美術館がそういうような効果を生むような事になるという事は思いもつかないわけです。そうでないと、一人々々病気を治して、そうして知らせるとしたら、何時の事になるか分りません。この地上天国の出来上ってからというものは一ぺんに世の中に知れますから、この地上天国の完成という事は大変な大きな意味になるわけです。
(後略)」
(御教え集30号 昭和29年1月5日)