4-②,既存医療について

鍼(はり)療法

「(中略)鍼療は、灸と同じく、神よりの賜り物へ、傷を付ける業であるから不可なのは言ふ迄もない事で、又その効果も体的療法であるから一時的であって、根本治療にはならないから不可である。(中略)」      
                       
(「灸、電気、鍼、按摩、手術」医講  S10.)

 

「(中略)は、矢張り浄化作用を一時止めるので、薬剤に由る毒素療法と同じ意味なのであります。血管の太い所へ鍼を打つと其部の筋が脹れる。其為血液の流動が妨げられるから浄化作用が停止する。それで一時的苦痛は緩和されるといふ訳でありますが、其腫れが引くと、再び元通りになって悩むのであります。(中略)」 

                           

   (「各種の治病法」療講  S11.7.)

 

「(中略)次に鍼療法なるものは、血管を傷つけ、内出血をさせ、其凝血によって、一時的浄化作用停止を行ふものであるから、根治療法ではないのである。」  
                                 
(「鍼灸療法」明医二  S17.9.28)

 

「(中略)只灸点、鍼、吸瓢(スイフクベ)だけは右と異ひ、刺戟によって浄化中の毒素を患部へ誘引し、一時的苦痛緩和を狙ったもので、勿論治るのではないから、灸など毎月というやうに定期的に据えるのは其為である。此様に今日迄の凡ゆる療法は浄化停止であるから、病を治すのではなく、結局治さない方法でしかないのである。(中略)」       
                             (「固め方法と溶かす方法」医革 S28.)
4-②,既存医療について        
 
灸 療 法
「(中略)灸治法は、確かに相当の効果はあるものであるが、それ以上に不可なる理由が在るのである。それは、人間の肉体は、神の最高芸術品であるから、その曲線、皮膚等の美は、飽迄保たす様努めるのが本当であって、愈々その若さを保たすべく、些かも、汚さざる様になすべきが本当であって、之が、造物主対し奉り、報恩感謝であり、大神心を安んじ奉る、人間の心構えであらねばならぬ。それに何ぞや、婦人等の艶麗珠の如き、雪の膚に見るも惨(ムゴタ)らしき、焼処の極印を、大中小羅列するに至っては沙汰の限りである。(中略)之を思へば、灸治の如何に、間違って居るかが肯かれるであらふ。

 

故に、灸治に依って、病気治癒の目的は達せられたとしても、神へ対し奉り、冒涜の罪は免るる能はず、何時かは必ず、其罪の清算に依って、相応の苦しみは脱れる事は出来ないのである。(中略)」
                     
(「灸、電気、鍼、按摩、手術」医講  S10.)
           

灸治法には、古来からある艾灸(モグサキュウ)と、近来相当行はれてゐる温灸との二種であるが、是等は、薬剤療法よりは確かに効果はあるのであるが、之も体的が主であるから、完全療法ではなく、一時的の場合が多いのである。(中略)」                            

(「灸治法」医書  S11.4.13)

 

「(中略)灸点すべて治療といふ事は、病気は汚い物が溜るんですから、水で洗ふか火で焼くか、どっちかの方法であって、灸は一時-火で焼く意味でありますから、相当の効果はあるのであります。然し勿論、体的燃焼であるから、治るとしても一定時であって根本的ではないのであります。且又、灸は体の火であるから、非常に熱いといふ苦痛があるから、理想的ではないので、真の治療法とは快く治ってゆかなくてはならないのであります。(中略)」
                     
(「各種の治病法」療講  S11.7.)  

 

「(中略)近来流行するものに灸点療法がある。多くは西洋医学に愛想を尽かした人か、又は嫌ひな人が受療するのであるが、之は無害で幾分の効果はある

 

灸療法の原理は、人体は火傷をすると大抵は化膿するがそれと同様の理である。即ち大火傷では苦痛だから、小火傷を分散的に行ふのである。それによって病原である深部毒素が、小火傷部に分散的に誘致されるから、病苦は軽減するのである。

 

然しそれは一時的で再び還元するから、灸を据え始めたら毎月か一個月おき位に持続しなければならないといふのはその為である。之に就て弘法灸といって特別大きな灸を据えるが、之は毒素を多量に吸引するから効果は大である。(中略)

 

然し困る事には灸療法は皮膚に醜痕を貽(ノコ)す事である。元来人体は造物主の最高の傑作品で、美の極致である。特に女性の如きはその皮膚美の魅力は他に比すべきものはあるまい。(中略)それに対して人為的に火傷の痕を残し、一生涯消えないといふ事は皮膚の不具者となるのであり造物主に対する冒涜の罪は免れないと思ふのである。(中略)」           
(「既存療法」天  S22.2.5)

 

「(中略)灸点と温熱方法であるが、これも一時的熱の刺戟によって、その個所へ毒素を誘導させるので楽にはなるが、時間が経てば元通りになるから何にもならない(中略)」
                       (「病気とは何ぞや」ア救  S28.1.1)

 

4-②,既存医療について          

 

按  摩

 

(中略)按摩は、之丈は確かに保存すべきものである。何となれば、人間は、就中、都会人は、腕と脚の運動が平均しないものである。如何なる人と雖も、腕を使用するより、脚を使用する方がずっと多いのであるから、腰部より脚部にかけては、良く血液が循環するのであるが、腕より肩にかけては、自然血液の循環が、非常に悪いのは当然である。それが為、欝血して、肩や首筋が凝る結果になるから、之を補ふべく、按摩の必要があるのである。故に、平常出来る丈、腕の運動をする方がいいのである。」         

(「灸、電気、鍼、按摩、手術」医講  S10.)

 

「(中略)民間療法例へば鍼灸、按摩、マッサージの類、指圧、掌療法、霊気術、精神療法等、夫等は自然治癒妨害ではなくて、多少援助の方法であるから、無いに勝れる事は勿論である。が然し、之等と雖も医する術ではなくて、治療の補助でしかないのである。唯西洋医学の如に、治癒を妨害しない丈安全である訳である。(中略)」

                

(「医術なるものは一つもない」  S11.6.14)

 

「(中略)肩を柔らかくするのに、よく間違える事があります。というのは肩をもむという事を言いますが、もんで柔らかくするのは按摩です。ところが肩をもむほど余計固くなるのです。ですから按摩を始終やっている人はだんだん肩が凝るようになります。これは私も若い時分に経験がありますが、私は按摩が好きで始終もましてましたら、だんだん固くなって、普通の按摩ではきかないくらいになったのです。(中略)

 

その時分は分らなかったのですが、今考えると体的にやるから駄目なのです。それで信仰をするようになってからそういう事が分ったので、ごく柔らかい按摩をしました。家の奉仕の若い女の人の素人もみをやりました。そうしているとだんだん柔らかくなって来たのです。それで浄霊を知るようになってから、浄霊でよくなって来て、この頃はもんでもらっても簡単にちょっとやるくらいで、それにいい気持でなくなって来ました。ですからもうじきもむ事もいらなくなるわけです。(中略)」                          
(「御教集24号」  S28.7.25)

 

「(中略)。按摩の方は気持がよかったらしていゝですよ。私は気持がいゝから、それでやらせるんです。凝った時にはいゝ気持ですよ。で、そのあとで浄霊して貰へばいゝ。(中略)按摩は治すっていふ意味からするんぢゃない。按摩と浄霊とごっちゃにしちゃいけない。違ふんですよ、揉むのと治すのとはね。」
(「御光話12号」  S24.6.3)

 

差支えない。未だ薬毒があるから、揉むと良い気持である。(中略)按摩は強いから、揉みつけるとよけい強くなるから、普通に揉ます方が心地よい。(中略)」                          
(「講話集補」  S24.6.19)