第四章 浄化作用と再浄化

 

4、浄化を乗り越えるために

 

⑥ そ の 他

 

「人を動かすには誠」

「(前略)耳の宣伝とは言葉によって本教に関する一切を知らせ、如何に本教が優れた宗教であるかを伝えるのである、そうして相手に対し、解らせる為には、此方も信仰的智識が豊富であらねばならない、何しろ聞く者は成程救世教といふものは実に立派なものだ、いい信仰だ、自分も是非入信したいといふ心を起させなければならない、そういふ場合よく自分は喋舌るのが下手だ、どうも巧く喋舌れないなどといふが、之は間違ってゐる、といふのはいくらうまく喋舌った処で、相手の心は動くものではない、いつもいふ通り人を動かすには誠である、此方の誠が先方の魂に触れる、つまり魂を揺り動かす、それだけである、喋舌る事のうまいまづいは二義的である。(後略)」 

 

 (「大いに神書を読むべし」 昭和25年11月29日)

  

「地位を上げるには浄まらなければならない」

「(前略)上に上って、ここは貧乏が大分楽な世界になるのです。ここ(更に上層)に行くと、もう豊な人の世界です。そういう様なもので霊界の地位の問題です。だからどうしても仕様がないのです。それで地位を上らなければならないのです。地位を上げるには浄まらなければならないのです。その為には自分が苦しむとか、人を助けるその手柄その働きによって早く上にあがって行くという事です。だからこの辺に行けば物質に恵まれ、良い事の世界なのです。又ここまでには時期が行ってないから、この辺(一寸下層)までは行けるのです。結局霊的状態、霊的地位が上るという事が一番です。


  (よく明主様が頭が悪いという事を仰言いますが)

 

  それもそうです。丁度山と思えば良い。ここよりもここ(少し上)に行けば良く見えます。頭が悪いという事は、ここ(下層)に居れば一寸しか見えないからです。ここ(最上部)に行けば何でも見えるから、頭が良いというわけです。(後略)」

                            (御垂示録16号  昭和27年12月1日)