第二章 メシヤ様の御経綸

 

 4、地上天国の雛形の建設

 

⑤ 瑞泉郷の建設

メシヤ様は、地上天国の模型、雛型の建設以外に、事業として「瑞泉郷の建設」を進めておられました。御昇天後、2代様によってこの事業は中止されると共に、その後の教団運営の都合上、数多くの土地が売却されてしまいました。これも破壊の一つの型でありますが、ここでは、メシヤ様のこの事業にかける思い、願いを学んでいきたいと思います。

 

 

「三つの事業を企画」

 

「(前略)本教団は今三つの事業を企画し、その中二つは既に着手しており、一つは計画を進めてゐる、それに就て解説してみよう。

右の二つの中の一つは無肥料栽培による農耕である、無肥料栽培とは読んで字の如く、金肥も人肥も全然使用せず、ただ堆肥のみを以て肥料とするのであるから、如何なる農作者と雖も到底信じ得られないであらうが、事実に於てその成果の素晴しい事は驚異に価する、(中略)この点に於ても吾等の無肥栽培は如何に国策に合致するかは論議の余地はあるまい、吾等の言を信じて数年前より無肥栽培によって大なる成果を挙げつつあるものに、中京地方の農村を始め全国各地方に及び漸次増加の傾向にある事実は大いに喜ぶべきであるが、なお一層拡充して日本全国に及ぼさん意気込みを以て実際的成果を世に示すべく、熱海より一里十国峠の口元に十余万坪の地を卜(ボク)し、農耕地を目下開発中である、そうして無肥栽培の理論と方法成績等は雑誌地上天国創刊号に詳細掲載されてゐるから参照されたいのである。

今一つの着手中の事業に、信仰を土台とする結核療養所である、本教浄霊に於る結核治癒率の卓越せる事は現代の驚異であって、忌憚なくいえば現代医療の効果が一とすれば、吾等の効果は十といっても決して過言ではない、而も機械も薬剤も全然不必要であるから経済的利益の点に於ても理想的である、然し此文を見ただけでは恐らく信ずる事は出来得まい、私は決して大言壮語するのではないが、実をいえば日本の結核問題解決は吾等の手によらなければ絶対不可能である事を断言して憚らないのである。その成果は何れ統計によって社会に発表するつもりである、それに就て所長として某医学博士が快諾、其任に当る事に決定して居り医学的にも科学的方法による治病効果を證明すべき其の手段を目下考究中である。

次に今一つの計画中のものに頗る新機軸なものがある、それは実行さるべくして未だ試みた事のない施設であるが、何かといふと日本美術国際紹介所ともいふべき最も新しい企画であって、(中略)飽迄も日本固有の美的要素を充分発揮させたるものを陳列し紹介する事こそ、今後の国策上最も喫緊なる問題である、 (後略)」 

                 (「本教団の事業」昭和24年4月18日)

 

 

「瑞泉郷構想」

 

「(前略)本当に社会同胞を救はうとするには、理論だけでは間に合はない、どうしても直接民衆生活に突入し、信仰即生活といふまでに溶け込まなければ駄目である。私は之を称して行動宗教といふのである。然らばその行り方はどうするのかといふと、例えば今最も日本の悩みとしてゐる処のインフレによる生活苦や、その原因である食糧政策、又それに関聯する労働問題、其他犯罪の防止、政界の浄化、結核問題等々、実に早急に解決しなければならない問題が山積してゐる。吾等は之等に対して宗教的批判の鋭いメスを揮ひ、生きた行動によって解決しようとするのである。

此意味によってわが教団の今現に行ひつつある事業も、之から大いに行はんとする計画も、此線に沿ふて進んでゆくつもりである。先づその具体化として最近手を染め始めたものに、熱海より十国峠へ向って約一里の地点に、気候温和にして風光明媚なるなだらかな起伏に富んだ、高燥なる約十万坪の土地である。水も豊富で電力設備も完全である。之は某篤志家から無償で借受け開発に着手したのであるが勿論信徒のみの労力奉仕によるものであって、大体此事業の目的は二つある。

一は無肥料栽培による食糧増産で、理論よりも実際成績を天下に示す事であり、之によって食糧問題解決の一助たらしめんとするのである。そうして当農園は現在三町歩に渉って水田畑作等の耕作をしてをり、乳牛も数頭あり、高い山は遠く離れてゐるから日当りがよく、熱海の海浜は一眸(イチボウ)の下にあり、而も檜三十万本、杉七万本あって、何れも二三十年を経て居るから、将来如何程の建造物に対しても事欠かぬといふ特点がある。又将来は果樹園、花卉栽培、養鷄、牧畜、酪農、綿羊等、出来るだけ多角農業の計画を樹ててゐる。

次に今一つの目的がある。それは虚弱者、病後の要静養者、特に軽度の結核患者に対する神霊放射能による、信仰療法である。之によって今最も重大視せられてゐる結核問題解決の一助に資せんとするものである。勿論右療法の結核に対する治癒率の素晴しい事、療養費を一銭も要せざる事、結核は絶対に感染せざる事等の吾々の理論を如実に示し、従来の誤れる結核療法の蒙を啓かんとするのである。(後略)」     

                       (「理論宗教と行動宗教」昭和24年4月20日)

 

 

「現世のパラダイスでありユートピア」

 

「現在、熱海の西南、梅園の奥数町の地点に約四万坪の土地を選び、地上天国の模型を造りつつあることは、既に発表した通りであるが、此地を開発するに従ひ、実に何万年前より神が準備されたといふ深い仕組が犇々(ヒシヒシ)と感ぜらるるのである、それは全体の地形の神秘景勝なる事は、専門家も驚歎する処であって、最近八重葎(ムグラ)や潅木茂れる地帯を切拓いた処、それまで音のみ聞えていた渓流が眼前に展開されたのである、そのすばらしさ、奇巖怪石が見渡す限り到る処に畳々(ジョウジョウ)としてをりその間を縫ふ幾条ものせせらぎや鞺鞳(トウトウ)たる大小の瀑布あって、さながら深山幽谷に在る如く、杖を曳きつつ石を飛び小橋を渡り行く裡に、時の移るを知らず、熱海近郊に斯の如き幽境ありとは誰か想ふべき、土地の人さえ恐らく未だ知らないであらう。

(中略)その他、日本式の庭園や洋風花壇、支那風の景観、桜並木、梅花の丘、躑躅(ツツジ)山、牡丹園、菖蒲畠、藤棚等々頗る多彩な花の天国は漸次造らるるであろうから、その都度発表するつもりである。

以上の如く大規模にして、現世のパラダイス的構想は、恐らく空前の企画といってもいいであらう。」   

 

(「瑞泉郷の梗概」昭和24年5月31日)

 

「(前略)本教が宗教団体でありながら、最先に此点に着眼し現在実行に着手しつつあるのが、本教のモットーである地上天国の模型である、そのため熱海を選択したのであって、今や如実に建設の歩を進めつつあるのである、言ふまでもないが、此熱海こそは山あり、海あり、島あり伊豆の海岸線遠く、川奈辺まで幾条の岬の遠望の明媚なる左に真鶴岬の景観あり、気候の温和、温泉の清き、又天下の箱根にも近く、東西両都の中間に位し、交通の至便なる実に天与の理想的観光地である、(中略)以上の意味に於て、本教が目下開拓中の熱海市に近くして程よく離れたる東端と西端の景勝地に一大ユートピアを建設中で、将来熱海発展のための礎石たることを確信して憚らないのである。(後略)」                       

 (「熱海の天国化」昭和24年6月25日)