第二章 メシヤ様の御経綸
4、地上天国の雛形の建設
④ 本山建設
続いて、メシヤ様は世界的に救いを拡げる為、箱根に大変重要な本山を建設する予定でいらっしゃいました。その事についてこの項では学んでいきたいと思います。
「(前略)実に順序良く、隣から隣へと次々いつている。ああ言うのにも非常に順序がある。「神は順序なり」と言つてね。順序を乱したりしているから今の世の中は非常に乱れている。そう言う事を知らないんですね。そう言う訳で、ここが出来なければ熱海は出来ない。それから、ここも将来大きな本山にする処を買つてありますが、それも順序があります。ここが出来て、熱海が出来て、それから又ここが(本山)それからは小田原に出来るか、京都が先になるかも知れないが、そう言う順序になる。之は大きい順序です。(後略)」
(「御教え1号」 昭和26年8月28日)
「本山の準備---「光明台」に」
「(前略)今度は、ケーブルの向う側に広い地所が買つてありますから、本山の準備をしなければならない。一万坪あるんです。(中略)それは、不思議な程良い具合になつてます――山がね。(中略)あの山をくずして、くずしてと言つても楽なものです。神仙郷の様に岩はないしね。土許りですからね。そんなに高い山じやない。ふつくらしているんですからね。けずれば良いんです。それで後の杉林を残して平にして、やはり椅子席にして、之は一万人位入れる様にしようと思う。(中略)勿論鉄筋で、一万人位収容出来ると思います。(中略)
其処の山ですが「光明台」と言う名前を附けて置きましたがね。それで光明台に行くには、神仙郷の方から行くのに、ケーブルの線路が邪魔になりますからね。今、あそこを通ろうとすると危なくて――道のない処を行くんですからね。どうしても駄目なんです。それには、ケーブルの下を地下で行こうと思う。(中略)丁度ケーブルの方は高いですからね。それで光明台の方は低いですからね。地下道には極く良い処です。それで地下道を作つてその土で、自動車の低い処を埋め様と思う。近いですから奉仕隊の連中丈で出来て了います。(中略)」
(「御教え8号」 昭和27年3月16日)
「本部、本山を造る」
「(前略)それから神仙郷は地上天国の模型なんで、宗教的の本山と言う意味じやないんですけれども、本山の出来る間日光殿で間に合わしているんです。日光殿も狭かつたので、拡くしなければならないと言うので、約倍位に拡くしますがね。今盛んにやつてますがね。二千人以上は入れます。だから二、三年はそれで済むかと思いますがね。将来は本山を使わなければならないのです。処がケーブルを越えて半町程行つた処に、大抵知つているかと思うんですが、ホーロクを伏せた様な山で、あれが約一万坪あるんですよ。之は三、四年前に手に入れたんですがね。その時分は非常に安かつた。今は高くなつた。そんな訳で、丁度強羅の中央になつていて実に良い山です。それで両方に谷川がある様になつていて、ふつくらしていて、廻りが杉林になつていてね。それは神仙郷が済んだら、平の処を作つて――之は岩や何かないから簡単です。で、平な広場を作つて、其処に本山――本部ですね――そう言うものを造る予定ですがね。之は椅子席で一万人入る様になるんです。(中略)
それで、今話した本山ですね。その殿堂を造るんですが、其処の名称は――土地の名称は「光明台」とつけて置きましたがね。ですから、之から光明台で話します。そこに建てる建物は「光明殿」ですね。何時も言う通り、箱根のあそこが、東と西の丁度間になるんですからね。兎に角十字で結んだ真中になるんですね。其処に光明が現われると言う訳ですがね。やつぱり、霊的に非常に意味があるんです。(後略)
(「御教え8号」 昭和27年3月25日)
「地上天国建設を急ぐのは生きた人間を救うため」
「(前略)それからこう言う事もあるんです。箱根の地上天国丈は今年出来ますがね。熱海の方は大体来年一杯に拵える積りですが、之が出来ると、世の中がうんと変っちゃうんです。それから教団もうんと発展するんです。之が、世界--と言っては大き過ぎるから、日本としておきますが、之が出来ると、之丈教団の教線が広がるんです。之が段々大きくなるに従って、ずっと広がって、こっちの勢力がそう言う風になるんですよ。やっぱり霊許りじゃしようがないから、霊許りでなく生きた人間を救わなければならないから、そう言った状態になるんです。そう言う様な意味ですから、そこで地上天国の建設を急いでいるんです。地上天国が出来たら--何時かも話した本山が出来ますね。本山が出来ると世界的になるんです。地上天国丈じゃ日本的ですね。本山なんかも、大体形でも何んでも、すっかり頭の中に出来ているんです。唯、時の問題ですね。ですから、之から非常に早くなります。色んな神秘な事がありますが、段々にお話をしましょう。(後略)」
(御垂示録8号 昭和27年4月25日)
「(前略)丁度夏あたりから会館の建築に掛つたり、それから又箱根の本山ですね。光明殿と言うんですが光明殿に来年は是非掛りたいと思つているんです。(後略)」
(「御教え集9号」昭和27年4月6日)
「光明殿---白亜の十字形」
「(前略)いずれ造る光明殿――あれも目に見える様に写つてしようがないです。あれは白亜の十字形になつて、何段にも角(カド)があるんです。真白でね。之も世界にないですね。」
(「御垂示10号」 昭和27年6月1日)
「光明会館はずっと先---熱海が出来た後」
「(前略)それから二、三日前に光明台に行って、大体地面の設計だけはしました。三十分くらいで、すっかり言いつけてしまいました。これはどうしても三年ぐらい先になりましょう。丸い家が建ちます。大体建築は三千坪ぐらいで、一万人収容の予定です。それから家の外の廻りに立てるのが二万人くらいのつもりです。大体形やいろいろな事はすっかりできましたが、なにしろ一万人の人間が、四角のでは遠過ぎてとても駄目ですから、そこで、そう遠くならないようにしなければならないのです。それには円形より仕方がありません。丁度外観は前の国技館というような形になりましょう。そうして大体全部丸いのでもなく、半円形でもなく、三分の二くらいの丸さです。そうしてそれは扇形、末広形になります。というのはこれ(扇)形は末広がりで、非常に発展する形なのです。富士山は末広と言います。それでここに要(カナメ)がありますが、ここに非常に神秘があります。それはいずれ話します。要というのは大変な意味があります。大体今度の光明会館はそういったような形になるわけです。それはずっと先の事で熱海が出来た後の事です。それで神様は総て順序ですから、チャンと順序が合わないとスラスラと行かないのです。だから何んでもやってみてスラスラと行かない事は、みんな何処かに、霊的に間違ったところがあるからです。そこに気がついてやり直し、計画を変えるという事が肝腎です。そうするとスラスラと行きます。だから楽に行く事でなければ、うまく行くものではありません。苦しむようでは決してうまくは行きません。箱根が出来て熱海に移り、熱海が出来て今度は又箱根に行く、という順序なのです。それで私のやっている事は肝腎な経綸ですから、ちょっとでも順序が違うと直ぐに神様からやられてしまうのです。これは古い信者の人はよく知ってますが、とても面白いのです。(後略)」
(「御教え26号」昭和28年9月23日)
「扇子形で一万人入る殿堂」
「(前略)それから、ついこの間光明台に設計に行ったのですが、大体一万人入る殿堂を造ろうと思ってます。今までは長方形に造りましたが、そうすると多人数は入りません。入れれば入らない事はないが、それではあんまり遠くになって実用になりません。私が話しているのを双眼鏡で見るような事になって、それではいけません。そこで今度は円形にします。つまり末広形(スエヒロガタ)にすると一万人ぐらいは差し支えなく入ります。そこで半円形でもなく、三分の二くらいが丸くなる扇子形です。この形は末広がりで発展する形です。この末広というのは大変な意味があるのです。よく目出度い時に白い扇子を持つという事はそういう意味なのです。ですから婚礼の時には白扇を持ちます。いろいろに使いますが、末広がりと言って、この形がよいのです。それで三分の二ぐらいに椅子をおきますが、そうすると一万人ぐらいは何んでもなく入ります。それで地形などもすっかり設計ができたので命じました。一番先にケーブルの下を通るトンネルをやりますが、それを言いつけました。(中略)それから一万人入る殿堂の廻りに、二万人の人が立つだけの広さのものを造るつもりです。今では大きすぎますが、だんだんに丁度よくなります。それも熱海が出来てからでなければ順序がつかないのです。熱海は、会館と展望台は一緒に出来、その後に美術館が出来て、それから光明会館――或いは光明殿とするかもしれませんが――にかかりますが、大体そういうような計画です。これは霊的には大変な意味がありますが、それはだんだんに話をします。(後略)」
(「御教え26号」昭和28年9月24日)
「水晶殿---美術館---光明会館」
「(前略)それから熱海の方も大分進捗しつつありますが、今やっている「救世会館」は来年の春という事になってましたが、どうも神様の方では余程念を入れて、あんまり急いでやって欠点のあるようなものになってはいけないというので、なかなかゆっくりされるのです。それで間違いのないところ秋に開館式になるというようなわけです。景観台のガラスの家は訳なく一緒に出来るでしょう。その次に美術館ですが、美術館は勿論此処のより大きい事と、総ての点において、此処の見本で分りましたから、一層良いものを造るつもりです。それから今度は箱根の光明台ですが、其処の敷地もこの 間行って土地の設計だけはやりました。これは丸い家ですが、半円形ではなく、円形がもっと多く三分の二くらいの円形にして、外観を見ると丁度昔の国技館というような形になります。つまり末広形です。なにしろ人数は一万人を入れるつもりですから、長方形や四角ではうまくありません。そこで円形にして、此処に私が坐って、廻りに丸くゆくと大勢入れるし、話もよく聞けるわけです。こういった四角なのは間抜(マヌケ)なのです。椅子も直線にしてますが、これが丸くなると遠くからも放射状的に向い合えますから、これに限るのです。今まで世界でもそういうような建て方はあまり見ないが、尤もそんなに大勢入れるつもりもないのでしょうが、これも新しい企画だと思ってます。それには何んと言っても向うに突き抜ける道が先の問題ですから、そこでケーブルの下のトンネルをこれからやるつもりです。(中略)
それで殿堂には一万人ですが、多くなった時には、テントを張って二万人ぐらい入るような広さにするつもりです。約五千坪ありますが、家が二千五百坪か三千坪です。約半分くらいで出来ます。そういう計画で、これから土地を作るのですから、建築はどうしても三年ぐらい先になりましょう。又丁度その時分にはそのくらいのものが適当するような情勢に神様がされるでしょう。なにしろ神様の計画は大体出来上っているのですが、ただ時期です。時期が来ると私にそういう指図をするというようなわけですから、何時も言うとおり、甚だ気楽な話です。(後略)」
(「御教え26号」昭和28年9月26日)