第二章 メシヤ様の御経綸
4、地上天国の雛形の建設
① 神仙郷の建設
それでは、順を追って、まずは「山の天国」であり、「五」に当る箱根の地上天国の雛型「神仙郷の建設」から深く学んでいきたいと思います。
この前の項では、メシヤ様の御神業の進め方を学びましたが、この項では、その時、その時に応じて神的順序に従い、順序良く建設していかれた、メシヤ様の具体的な地上天国建設に向かう為の、雛型造りについて、学んでいきたいと思います。
「神仙郷地上天国の大いなる意義」
(栄216号 昭和28年7月8日)
「愈々待ちに待ちたる函嶺上の神仙郷地上天国の模型は完成したのである。言うまでもなくこの神苑は、日本は疎か外国にも未だあるまいと思う程の作品であって、これだけ高い山の上に、夥しい奇岩怪石を自由自在に駆使し、その峡々(ハザマハザマ)に数々の樹木、花卉、高山植物を遇(アシラ)い、処々渓流縫い、潺々(センセン)たる音を耳に自然美を心ゆくばかり味わう風情は、俗塵を離れ天国に遊ぶ思いするとは、見る人毎に口を極めて絶讃する処である。しかも錦上花を添えるが如く、絢爛たる美の殿堂も具(ソナワ)り、全体的に見て自然美と人工美をマッチさせた一個の芸術品として、誇るに足ると思うのである。
併し乍ら右は人間的に見ての感想であって、これを霊的に見れば想像もつかない程の、大いなる意味が蔵されているのである。今それを詳しく説明してみるが、これが分れば神の経綸の如何に深遠微妙にして、端倪すべからざるものであるか、人智を超越した偉大なるものかが窺われるであろう。
そうしていつもいう通り、神の経綸なるものは最初は極く小さく造り、漸次拡がって終には世界大となるという洵に神秘極まるものである。これは現界にも当嵌る。即ち人間が大きな物を造る場合、先ず模型を造り、しかる後始めるようなものである。故に今度出来たこの神仙郷地上天国にしても、将来に於ける世界的地上天国を暗示していると思えばいいのである。それに就いては何故箱根の山を選んだかという事で、この深い意味をかいてみよう。
抑々霊的に見て、世界の中心は日本であり、富士山は地球の大黒柱である。見よその形たるや世界に類のない秀麗な山容であって、昔から神山又は霊峰といわれ、外国人は日本のシンボルとしている位である等、其処に深い意義が秘めれらているのである。というのはこの国の将来は地上天国の中心となるべきもので、已に天地創造の時神定めに定められているのである。
見よ山水の美、草木の多種多様なる、気候の変化による四季折々の景観、風物の変貌等々。その天恵の豊かなる自ら天国的美を有しており、その昔彼の秦の始皇帝が東方蓬莱島といったのも宜なる哉である。又我国民性が特に美の感覚に勝れている事は、外国人も認めており、世界如何なる民族も比肩する事は出来ない程である。しかも日本には古き時代から世界各国の美術品が蒐集網羅されている事も不思議である。このように幸多き日本こそ惟神的に、已に天国の要素が具っているのである。私が常に日本は世界の公園であり、美術館であるというのも此処にあるのである。
以上の如く日本全土が世界の公園であり、中心であるとしたら、日本としての公園は箱根であろう。しかも箱根は日本の東西の中心に位し、箱根より東は関東、西は関西であるにみても明らかである。(中略)
以上の如く箱根こそ日本の中心であり、その又中心が強羅であり、そこから仰ぎ見る早雲山の奥に聳えているのが神山で、箱根連山中の最高峰を占め、真の中心である。としたらこの山が日本東西の分岐点になっているのは言うまでもない。これこそ洵に神秘であって、神山の名も相応しいと思う。
従って本当をいえば、神山の上に地上天国を造るべきだが、それは不可能であるため此処を選んだのである。私は強羅へ来た最初の住宅を神山荘と名付けたのも神山の型とした訳で、この日光殿の所を当時早雲寮と名付けたのも、右の如く早雲山の意味である。
次に面白いのは元々強羅を拓いたのは彼の登山電鉄会社で、最初この神仙郷の場所を日本公園の名で作ったもので、その下段である今の強羅公園が洋風公園としたのも神秘である。こうみてくると日本は世界の公園であり、日本の公園が箱根で、箱根の公園が強羅で、強羅の中心が神仙郷であるから、神仙郷こそ世界の真の中心という事になろう。
この意味に於て、今度神仙郷地上天国が完成したという事は、世界の中心に愈々地上天国が生まれた訳で、言わば地上天国の誕生であるから、世界肇って以来の一大慶事であり、未来永劫に亘っての世界の大祝祭日である訳で、この六月十五日は将来の地上天国誕生祭という事になるであろう。
処で茲に重大な事を告げたいのである。それは今日を契機として霊的活動が促進され、此処を中心に左進右退的リズムの大渦巻が、徐々として世界的に展開されてゆき、空前の大変化を齎すであろう事で、これこそ世界の立替立直しである。」
「ここから拡がって行って地上天国が出来る」
「(前略)日本は世界の公園になるのがその使命なんです。そして日本の公園はやはり東西の真中にある箱根であり、箱根の公園は強羅で、こゝは元日本公園と言ったんですが、その中心が今の観山亭なんです。ですから、こゝから拡がって行って地上天国が出来るんです。
(中略)箱根から東が関東であり、西が関西ですから、関東と関西を結ぶ真中は箱根であり、その中心は神山になるんです。この上の家を神山荘としたのはその意味であり、神山の前が早雲山でしょ、だからこゝを早雲寮としたんです。(中略)
箱根ってのは、言霊から言ふと、「八」は開く、火であり、「コ」は凝る、固る、「ネ」は根本といふ意味です。だから結局「火の固りの本」といふ事になるんです。そして箱根は火で熱海は水になり、その火と水が十国峠で結ばれるんです。十国峠は十ケ国が見えるから十国峠といふんだって言はれますが、本当は経と緯を十に結ぶ事なんです。(後略)」
(御光話録12号 昭和24年6月13日)
「御神業は本格的発展の段階に」
「(中略)右によって、大体神仙郷は完成するのであるから、其暁御神業は本格的発展の段階となるであろう。そればかりではない。熱海の方の造営も、飛躍的建設の順序となるのは勿論で、神は凡て順序正しく進まれるので、之が真理である。」
(「神仙郷神苑に就て」 昭和26年9月19日)
「神仙郷の霊界――特別な霊界」
「何時も美術館のお話をしますが、未だ霊的の話をしてないか窟ら今からします。神様の根本の目的は、神仙郷の霊界――之が特別に霊界が光つている訳です。そこで普通の人が美術館を観に来るとすると浄められるのです。浄められるという事は、神様に反対する色んな霊や何かはみんな副守護神ですから、その先生の力が強いから其人が神様を信じない様に思わせるのです。その副守護神の先生を弱らせるのです。それが一番なのです。弱らせるには、光の中に入ると弱りますから、そこで信仰の話を聞かせたら解る訳です。ですから信仰に反対する人をよくみると、解らないわけではない――解つていて解らない。腹の底は解つている。で、どうも好かない、面白くない――というよりか、何んとなくそういう気分がするのです。理窟は解つているのです。確かに御蔭や何かを見せられるのですから信じなければならない。信じていても入る気がしないというのは、副守護神が邪魔しているのです。それを弱らせなければならない。それには聖地の土を踏ませるのです。そうすると副守護神の先生が弱りますから、神様の方に入るという事になる。処で副守護神の先生がのさばつているのは偉い人達に多いのです。処が偉い人達が解るという事が一番肝腎なのです。ですから偉い人達がどうしても来なければならない様な方法をとる。という事が美術館になる訳です。(中略)」
(御教え集12号 昭和27年7月5日)
「神仙郷---霊界の天国---霊界で、之が拡がる」
「(前略)それで世界の中心というものは、先にも言う通り、此の神山(カミヤマ)なのです。之は日本の西と東の真中になる。それから日本は世界の型になつているのです。世界の型という事は、天国の型になつている。ですから日本は世界の天国としての小さいものです。
日本は世界の公園という事を私は言いましたが、世界の公園が日本なのです。それで日本の公園が箱根なのです。すると東西文明の中心なのです。箱根は東西の中心になり、更にその箱根の中心が神山なのです。で、神山の向うが静岡県でこつちが神奈川県なのです。神山の山の上に何か建てるわけにはいきませんから、其下の強羅が神山の型になるわけです。
それで私は「神山荘」と名前を附けたのです。「日光殿」も最初は「早雲荘」と附けたのですが、神山と早雲山の型になる。そうするとあの美術館は世界の真中の型になるわけです。此の神仙郷というのは中心になるから、此処が完成すれば霊界の天国が出来たのです。之が霊界で、之が段々拡がっていく--体的に拡がっていくと、間違っているものや汚いものは自然に無くなっていく。
だから破壊と建設が同時に出来ていくという事は、そういう事です。然しこっちで破壊していくのではない。間違っているものは自然にそうなるのです。そうすると大変な現界的な変化になっていくわけです。(後略)」
(御教え集14号 昭和27年9月16日)
「神仙郷---真善美の模型」
「今度神仙郷が完成し、美術館も出来たが、之は本教モットーである地上天国、即ち真善美の中の美の面の最初の小さな模型であるから、何れは此模型が段々育ってゆき、世界大となるのは勿論であって、一点の疑う余地などないのである。それから真と善も形はないが何れは具体的に表われる時が来るから其つもりでいて貰いたいのである。右の如く神様の経綸は眼には見えないが、霊界ではズンズン進んでいるのであるから、何れは三大目標が世界の表面に現われるとなったら、其時は何人も吃驚仰天、開いた口が窄(スボ)まらぬであろう。
そうなってから、アゝ俺は長い間飛んでもない誤解をしていた。メシヤ教こそ最後の救いであった事を知らなかった。何と自分は迂闊であったのであろう。といっても今更頭を下げて行くのも強腹だと、歯ぎしりする人も沢山出来るだろうし、而もそういう連中はインテリやジャーナリストの特別鼻の高い人に多いのだから、気の毒でもあり可笑しくもある。(中略)」
(アレヨアレヨ 昭和27年9月23日)
「破壊と創造が同時に行われる」
「愈々神仙郷も完成したのですが、之は何時も言う通り、つまり地上天国の模型が出来たわけです。之がこれから世界に拡がつて行くのです。霊界の方の中心は、もう地上天国が出来ているのです。之が段々現界に写つて世界的に拡がつていくのです。そうすると大変結構な事ですが、その代り立派な上等なものが出来て、拡がるに就いては汚(キタナ)いものや邪魔なものは除かれなければならない。ですから神様の方から言うと非常に結構な代りに、悪魔や邪神の方は大恐慌を来たすわけです。今迄安心していた処を取払いになるのですから――。それが世界的に段々現われて来ますから、悪魔の方は恐ろしくなるし、善の方は有難くなる――愉快になるというわけです。そこで破壊と創造が同時に行われるというのは、そういうわけです。創造が為(ナ)される為に、どうしても破壊が行われるというわけです。それが段々加速度的に速くなつて行く。ですから神仙郷というものは非常に大きな意味があるのです。」
(御教え集14号 昭和27年9月23日)
「世界の中心が神山」
「(前略)そういう様な工合で世界にも中心があるのです。で、中心というものは、今迄神様は人間に知らせなかつたのです。それが時節が来て、その中心が知れる様になつたのです。知れる様になつたと言つた処で、今の処中心が分るのは私丈なのですが、いずれは世界中に分る様になるのです。そうしてその中心は、この箱根の神山(カミヤマ)になるのです。之が世界の中心になるのです。今迄隠されていたわけです。丁度、夜の世界で、闇ですから見えない――まあ見せなかつたわけです。そこで神山のあんな高い処ではしようがないから、その麓の強羅が中心になつているわけです。(後略)」
(御教え集14号 昭和27年9月25日)
「世界の大掃除が始まる」
「(前略)ですから、この中心に神仙郷が出来たという事は、もう世界中が神仙郷になる様な時代が来ます。それが地上天国なのです。そうすると地上天国の模型が段々拡がつていくわけです。拡がつていくに就いては、之を拵えるにはどうしても――薮やでこぼこで石が其処此処に転つて、見る影もない汚(キタナ)らしさだつた。それを段々石を割つたり、余計な木や草を切つて、そうして綺麗にして了つたのです。斯ういう形に世界がなつていくのです。
そうすると、世界には雑草もあるし、邪魔な木もあるし、割らなければならない岩もありますから、その大清潔法――大掃除が始るわけです。で、つまり地上天国の模型が拡がるのと、掃除するのが一緒になつているのです。掃除が出来た丈づつは色々な家を拵えたり、庭の形を作つたりしてやつているのです。最後には美術館なんていう綺麗な美しいものが出来るという事になる。
ですから神仙郷が出来たという事は、兎に角地上天国がもう出来たのです。霊界ではドンドン拡がりつゝあるのです。それが今に現界に写つていくのです。そこでいわゆる破壊と創造が実現するという事になる。だから第三次戦争もあるでしようし、それから病気が非常に流行つてバタバタ人間が死ぬという事も出て来るでしよう。
で、それがメシヤ教によつて救われるのです。救われると言つても、みんな救われるわけではない。譬えてみれば、この中で残つた木は立派に手入れをして眺める様になりますが、反つて邪魔な汚い木は伐つて了います。そういう――木としての犠牲ですが、そういう事も現われるのです。或いは伐られる木の方が多いかも知れない。」
(御教え集14号 昭和27年9月25日)
「神仙郷の完成---神々もメシヤ教の為に働く」
「(中略)今度の秋の大祭は特に意味があるのです。この神仙郷が完成した最初の秋の大祭なのです。前にも話した通り此処は地球の丁度真中になるのです。中心なのです。(中略)此処が地上天国の模型で、模型が此処に出来て之が段々拡がつて行つて世界的になつた時が地上天国なのです。そういう意味とすれば、非常に重要な意味になるわけです。だからして、段々そういう風に拡がつて行くのですから、非常に結構です。然し良い方はそれで良いけれども、悪い方は――拡がるに従つて、汚(キタナ)いものは取除かれる事になるのです。ですから其結果戦争も起りましようし、それから原子爆弾なんかによるぶち壊しもあるでしようし、兎に角世界的の大掃除が始るわけです。それに就いて、いま多賀という人の奥さんに仏霊が憑つて来て、盛んに明主様に御詫して呉れという事を言つているのですが、之は本当なのです。色んな各仏教の開祖、教祖――それが、中には予期したのもありますし、予期しない霊もあつて、愈々仏界が無くなるというに就いて、今迄良いと思つてやつた事は大変な間違があつた。だから御詫して、どうか今度の地上天国の御神業――昼間の世界になる御神業を手伝わして貰いたいというのが続々と出て来るのです。(中略)最近は色んな神様が、御祝い御慶びに随分出て来ます。天照大御神様も御祝に来られたのです。それから月読尊、伊邪諾尊などです。天照大御神は日本では最高の神様としてますが、主神ではないのです。つまり太陽神です。宇宙というものは太陽ばかりではない。月もあるし星もあるし地球もありますから、その全体を握つているのが主神なのです。それで、私は主神の仕事をさせられているわけですから、そこでそういつた今迄の偉い神様も、之からこのメシヤ教の為に大いに働くわけです。そんな様な意味の事を頻りに言つてますが、そんな様なわけで之から本当に現界的に始つていくのです。現界的と言つても、現界の奥の方に始つていくのです。本当に現界に始るのは五、六、七と、それが揃つてからが本当の現界です。で、それに就いての第一段が之から始るわけです。第二段が熱海になるわけです。熱海の地上天国が完成すると本当の現界的になります。何時も言う通り、此処(神仙郷)が霊界になるのです。現界の霊界です。で、熱海は現界の現界です。」
(御教え集14号 昭和27年9月27日)
「神仙郷はチョン---宇宙の魂」
「(前略)ですからさっき言ったとおり、この地上天国の模型が中心になって、左進右退的活動が始まるという事は、これが真の力なのであります。つまり救世教というものは力の宗教と言ってもよいのです。この力が本当の神力です。経緯結んだ火と水の力です。「カ」は「火」で、「ミ」は「水」ですから、「カミ」の力です。この力を行使したという人は世界肇って以来ないのです。それで言霊から言うと「シン」の霊返しは「ス」になりますから「神力」は「主の力」とも言えます。
それで何時も〇・(ス)は丸にチョンと書きますが、チョンが火で、丸が水になります。太陽の黒点はチョンになります。(中略)この太陽の黒点のチョンが大変なものです。つまり宇宙の魂です。果物なら種です。それで今までの世界はチョンがなかったのです。丸だけだったのです。要するに空(カラ)だったのです。それでいよいよ私が世界にチョンを入れるわけです。この神仙郷はチョンなのです。ポチなのです。その意味において非常に重要なわけなのです。その始まりの今日は非常な意味があります。(後略)」
(御教え集23号 昭和28年6月15日)