4、地上天国の雛形の建設

 

この前の項では、メシヤ様の御神業の進め方を学びましたが、この項では、その時、その時に応じて神的順序に従い、順序良く建設していかれた、メシヤ様の具体的な地上天国建設に向かう為の、雛型造りについて、学んでいきたいと思います。

 

 

「光明世界の建設---築き上げて往くもの」

 

「(前略)しかしながら光明世界を建設せんとするには、天降り的に又は劇の暗転式に突如として成立つのではない。一歩々々築き上げて往くのである。それが万物化育の法則であるから、此の法則を外しては成立し得ないのである。そうして一歩々々築き上げて往くと云ふ事は、先づ我々自身が否我々の家庭から一歩づつ築き上げて往かなければならない事である。(後略)」

                               「真の宗教が有るか?」昭和11年7月1日)

  

 

「地上天国とは芸術郷」

 

「(前略)私の目的を一応お話しし度いと思います。私は天然の美と人工の美をタイアップさせた。一つの理想的な芸術品を造る目的でやっているんです、美術ばかりでなく---美術は人工の美です。人間がやるものですね。あとは天然の美ですね。で箱根で一番景色の良い中央に、見られる通りの庭園を造ったんです。之が小規模な地上天国です。地上天国とは芸術郷---そういったものです(後略)」      (「私の目的は地上天国の建設」昭和27年7月9日)

 

 

「楽しみ乍ら魂を向上させる」

 

「(前略)メシヤ教は天国を造るというんですから、飽迄(アクマデ)も天国的の行り方なんです。大変な異いさがあるんです。今迄とは逆です。それを認識しなければならない。その内の一つとしての此美術館です。美術を楽しみ乍ら魂を向上させるという訳です。(後略)」                   (御教え集11号 昭和27年6月15日)

  

 

地上天国の模型の建設」

 

「私は知らるる如く現在小規模ながら日本に於ける箱根、熱海、京都三箇所の風光明媚なる所を選んで聖地とし、地上天国の模型を造っている。その構想は内外の特長を調和したパラダイス、山水の美を取入れた大庭園、美術の殿堂、宗教的型破りの建築物等の外、医学、農業の革命的啓発に専念しており、又驚異的無数の奇蹟によって神の実在を万人に認識させる等、前人未踏の方法によって教線を拡げつつあるのである。勿論その悉くは如何なる宗教にも全然なかった処の物ばかりであって、これこそ真善美完き世界の重要なる基礎的経綸であるのである。」

                           (「平和の英雄」昭和28年3月11日)

 

 

「何事にも時期がある」

 

「(前略)大自然は人間に対し、時期の重要性を教えてをり、大自然のあるがままの姿こそ真理そのものである、従而人間は何事をなすにも大自然を規範としなければならない、それに学ぶ事こそ成功の最大条件である、此意味に於て、私が唱える神霊療法も無肥料栽培も、其他の種々の方法にしても大自然に従ふ事を基礎としてゐるから、殆んど失敗はなく予期の成果が得られるのである、故に私は何かを計画する場合決して焦らない、充分多角的に凡ゆる面から客観し、熟慮に熟慮を重ね如何なる点からみても正しく、社会人類の為有益であり、永遠の生命ある事を確認し、然る後準備万端を調へ時期を待つのである、処が大抵の人は此時を待つ辛抱がなかなか出来ない、時期末だ熟してゐないのに着手するから計画と時期とにズレを生じ思ふようにゆかない、あせる、益益ズレが大きくなる、終に失敗する-といふ順序になるのである、従而肝腎な事は時期来るまでの期間の辛抱である、物には必ず丁度好い時があるものだ、(中略)

処が右のような私の行り方に対し非常にまだるがる人が以前はよくあった、又種々の献策や希望をいう人もあったが、私はそれ等を採用すべく約束してもなかなか実行に移さないので焦れたり不思議がる人もよくあった、私としては、時期が来ないから手を出さないまでである、(中略)然らばその機運というものは何によって判断するかというと、先ず凡ゆる条件が具備し、機運からみてどうしても計画を実行しなければならないという勢が迸るようになる、そういう時こそ機が充分熟したのであるから、着手するや少しも無理がなく、楽々凡てが運んでゆく、そういう訳で更に力が要らない、自然にうまくゆく、要するに熟慮断行の四字に尽き、例えば重いものを坂から落す場合、閊えてゐるものがある、それを無理に動かそうとすると力が要る、そこを我慢して待ってゐると、障害物が石の重みで段々弱ってゆく、もう一息といふ時指一本で押すと訳なく転がるようなものである。(中略)

以上によって、時期なるものが如何に重要であるかを知るであらう、大本教祖のお筆先に曰く『時節には神も敵はぬぞよ』とあるが、一言に喝破し得て妙なりといふべきである。」

                           (「時期を待て」昭和24年6月25日)

 

 

「崇高善美な天国の型を示す」

 

「(前略)天国化の実現は、理想だけではなく、現在如実に驚異的成果を挙げつつあるのである、又経綸の一部として、現在最高地上天国の模型を企画し、熱海及び箱根の最も景勝なる地を選び、整地に建築設計に造苑に、建設を進めつつあり、之等完成の暁は、最高天国なるものは、如何に崇高善美なものかを世界に示すつもりである。(後略)」   (「昔の宗教と今の宗教」昭和24年7月9日)

 

「(中略)次に言いたい事は、今後に於ける本教の建設的諸般の事業であるが、これも最後迄の設計は私の頭の中に出来上っており、時を待つばかりになっている。といっても時の進むに従い、漸次具体化するのは言う迄もないが、それは想像もつかない程の大規模なものであって、言わば新文明世界の創造であるから、これにみても本教は宗教ではないので、適当な命名さえ出来ないのである。しかも今日まで神示通り運んで来たので、その正確さに私自身も驚いている位である。(中略)勿論今後と雖も神定のプログラム通りに進むに違いないと共に、何れは世界を舞台としての大神劇の幕が切って落されるであろうから、この事を考えただけでも興味津々たるものがあり、而も驚嘆すべき奇蹟も続出するであろうし、血湧き肉躍るような場面も展開されるであろうから、刮目して待たれたいのである。(中略)」

                          (「平和の英雄」 昭和28年3月11日)

 

 

「地上天国の模型---人間の品性を高める」

 

「(前略)本教は(中略)神命のまま独自の方針をもって進んでいる。(中略)今行っている事業にしても、医学や農業の革命は固より、凡ゆる文化の欠陥を指摘し、新文化の理念を指導精神としている。その具体化の一つが地上天国の模型や美術館の建設であって、これこそ第一線的のものであり、勿論この狙いは汚され疲れた魂の憩いの聖地であると共に、俗悪極まる今日の娯楽に対する一塊の明礬として、人間の品性を高める事でもある。(後略)」                     (「生きてる宗教」昭和28年11月4日)

 

 

「地上天国の模型の必要性」

 

「(前略)その最初として箱根、熱海、いずれ京都に地上天国の模型と美術館を造るのです。これが日本としての最も肝腎な事と思うからやっているのだ。

それでもう一つ肝腎な事は、人間というものは娯楽が必要な事は言うまでもないですが、娯楽と言っても、現在ある娯楽は人間の情操を向上させるというよりも堕落に導くものの方が多いのです。確かにそういう娯楽も必要ですが、もっとレベルを高め、人間の品性を高めるような娯楽と言いますか、楽しませつつ向上させるというものも少しはなくてはならない。そういう意味において地上天国を造ったのだ。

丁度公園というものは至る所にあるが、公園は大衆的で、憩いの場所という程度のものですから、それよりかもう一層高級なものを造る必要がある。それが人類に与える感覚というものは非常に大きなものだ。やはり一般はレベルの低いものを楽しみとしている。ただ楽しむだけで、それによって人間の情操とか品性を高めるという目的はない。

ところが私はそういった面においても地上天国は大いに必要だと思うから、日本では今の三カ所、それからハワイに私の方の宗教が発展しつつありますから、いずれハワイにも造ります。それからアメリカにも造るようになる。次は全世界ですが、ヨーロッパ、東洋というように造るつもりだと言ったところ、これにも大変共鳴してました。後略)」                          (御教え集28号 昭和28年11月11日)

 

 

 ここでも述べられているように、「メシヤ教は天国を造る」んだと、又「一歩々々築き上げて往く」んだとの事で、メシヤ様は、箱根、熱海、京都の神定めの土地を選び、その地に型として、モデルとして地上天国の模型の建設に取り掛かられました。

そこで、次項では、その建設が意味するもの、霊的な学びと共に、具体的に話された建設の概要について学んでいきたいと思います。

また、一方では地上天国建設に向かって、「先づ我々自身が、否、我々の家庭から一歩づつ、築き上げて往かなければならない」と、信者(会員)それぞれの自覚を促がされています。そうした意味に於いても、自分自身の地上天国へ向かう自らの建設とは、又家庭の建設とは、何をどのように受け止めて、日々何を目指していけばいいのでしょうか。

読者の皆さんに於いても、その辺りを自ら整理し明確にして、天国的に努力精進していただきたいと思います。