概 論

 

4,医学の誤謬

 

1,薬の害について

 

   湿 布 薬 及び 膏 薬

「(中略)勿論冷す事も温める事も、膏薬を使用する事も不可である。(中略)」    
(「腫物とその切開に就て」明医二  S18.10.5)

 

 「(中略)次に、湿布薬及び膏薬に就て説明してみよう。之等も皮膚から薬毒を滲透させるので、その部面の浄化作用を停止するから、一時的苦痛は軽減するが、その薬毒が残存して種々の悪影響を来すのである。(中略)

 

 例を挙げてみよう。背部が凝るので、数年に渉って或有名な売薬の膏薬を持続的に貼用(チョウヨウ)した患者があった。然るに、その薬毒が漸次脊柱及びその附近に溜着して、凝りの外に激しい痛みが加はって来たのである。これは全く膏薬中毒である事が明かになった。又或患者で顔面に普通のニキビより稍々大きい発疹が、十数年に渉って治癒しないで悩まされてゐたのがあった。之等も最初、普通のニキビを治そうとして、種々の薬剤を塗布しそれが浸潤してニキビが増大し、頑固性になったのである。

 

 次に又、最初一局部に湿疹が出来それへ薬剤を塗布した為、その薬液が浸潤し薬毒性湿疹となり、それが漸次蔓延しつつ、遂には全身にまで及んだが、それでも未だ気づかないで、医療は塗布薬を持続するので、極端に悪化し、皮膚は糜爛(ビラン)し、紫黒色さへ呈し、患者はその苦痛に呻吟しつつ全く手が付けられないのであって、私は、医学の過誤に長大息を禁じ得なかったのである。(中略)」

                                         (「既存療法」明医二  S17.9.28)

 

 「(中略)次に湿布である。之は皮膚による呼吸を閉止し、又は薬毒を滲透させ、その部面の浄化停止を行ふのであるから、一時的苦痛は軽減するが、その方法及び薬毒の残存が、種々の悪影響を及ぼすのである。(中略)」                                      

(「既存療法」天  S22.2.5)

 

 「(中略)次は塗布薬であるが、之も仲々馬鹿にはならない。塗布薬の毒素が皮膚から滲透して、種々の病原となる事がよくある。以前斯ういふ患者があった。最初身体の一部に湿疹が出来た処、医師は悪性として強い塗布薬を塗ったので、段々拡がり二、三年の内には全身に及んで了った。それまで有名な病院に掛かってゐたが、もう駄目と曰はれ、私の所へやって来たのであるが、私は一目見て驚いたのは、身体中隙間もなく紫色になっており、処々に湿疹が崩れ、汁が流れてをり、痒みよりもそれを打消す痛みの方が酷いそうで、夜も碌々眠れないといふ始末なので、流石の私も見込ないとして断ったが、それから一、二ケ月後死んだそうである。

又斯ういふ面白いのがあった。此患者は肩や背中が凝るので、有名な或膏薬を始終貼ってゐた処、長年に及んだので、膏薬の跡が背中一面幾何学的模様のやうになって了ひ、いくら洗っても落ちないといふ事であった。それは膏薬の薬毒が皮膚から滲透して、染めたやうになって了ったので、而も絶へず相当痛みがあるので、私も随分骨折ったが、余程強い毒と見へて、一年位で大体治ったが、高が膏薬などと思ふが、決して馬鹿にはならない事を知ったのである。(中略)」               

(「薬毒の種々相」文創  S27.)

病気が、薬剤に依って治癒するものと一般は思ってゐるが、之が大変な謬りである。薬剤なる物の力は、苦痛を緩和させる丈の働きである。然るに実際の治癒から言へば、前項に述べたる如く、苦痛其物が病気治療の工作であるから、その苦痛を緩和するといふ事は治病の延期になる訳である。(中略)

特に注意すべきは、小児の発育不良、慢性下痢等である。是等は殆んど、薬剤中毒である事は勿論、も一つ恐るべき事は、嬰児の発育停止である。折々見る所であるが、非常に発育が悪く一年を経ても、歯が生えないとか、目方が増えないとか、殆んど発育停止の状態なのがある。此原因は医師に判らないといふ事をよく聞くが、私の診断では、矢張り、薬剤中毒である。

生後間もない嬰児には、乳以外他の何物も不可なのである故に、薬剤服用が非常な悪作用をするのである。故に、そういふ嬰児に、薬剤使用を禁止するに於て、漸く普通の発育状態に還るにみても間違ひのない事である。」                             
(「薬剤中毒」医講  S10.)

薬剤は、病気治癒を妨害するものである理は、屡々述べた通りであるが、何故に妨害するかと言ふと、それは逆作用をするからである。逆作用とは、薬剤を用ひる目的と反対の結果になるのである。

例えば、胃の悪い人が、消化薬を嚥(ノ)むとする。成程、一時は快くなり、病気が治癒される様に思ふが、何ぞ知らん、それは、胃の力ではなく、薬の力に依ってであるから、其為に胃其物は、活動が鈍るのである。それは、薬剤が働くから、胃自身の活動は、一時停止の状態となるのである。

随而、服用すればする程、胃は益々怠惰となり、益々弱るのである。故に、最初、胃を強健にしたい目的で、服用する薬剤の、其結果は、反って反対に、胃を益々衰弱させるといふ結果になるのは当然なのである。」           
(「薬剤の逆作用」医講  S10.)

「(中略)薬剤は肉体的には多少の効果ありとするも、霊体に向っては全然無力であるから、肉体へ顕出した現象を、外部から停止さすに過ぎないのである。而して、霊体の曇が移行した結果である患部は、汚物停滞であり、それが自然浄化によって、体外に排泄さるるその行程が病気であるから、病気其ものの苦痛が病気治癒になるのである。

故に、薬剤や其他の方法によって、病気現象を停止せんとする事、それが取不直、自然治癒の妨害をする事になるのである。

  人間の血液は、絶対清浄を保つべきもので、血液清浄なれば決して病に侵されないのである。即ち、霊体の曇が血液の汚濁となり、其浄化作用が病気であるから、如何に霊体は清浄でなくてはならないかと言ふ事が判るのである。

黴菌に対し、浄血は殺菌力が旺盛であるといふ事は、他面から言へば、人間の血液の掃除夫である黴菌が浸入するも、汚濁が無ければ、掃除の必要がないから、繁殖出来ないで、衰滅する訳である。

  故に、薬剤の作用は治癒を妨害すると共に、其余燼(ヨジン)は血液中に吸収されて、血液を汚濁させるのである。此事実は長年に渉る薬剤服用者の皮膚を見れば、瞭らかである。其皮膚は蒼白にして、光沢及び弾力なく、若くして老人の如くである

是等の患者へ対し、薬剤使用を停止さするに於て、時日の経過による自然浄化が、薬剤中毒を消滅さすから、生気を増し、皮膚は光沢を呈し、健康を快復するのであって、斯事に専門家も患者も、今日迄気が付かなかったといふ事は、実に不思議である。


 次に、薬剤の逆作用の恐るべき事である。それは、薬剤使用の目的と反対の結果になる事である。例えば、胃の不消化へ対し、消化薬を用ひると、一旦は非常に良く、消化の効を顕はすので、之によって胃は健全を増し、不消化症は治癒するのであると、医師も患者も誤信するのであるが、何ぞ知らん、一時的効果の次は、反って不消化の度を増すのである。(中略)

薬剤が食物を消化すれば、胃は労作の必要がないから、自然、胃の活動力は衰耗退化してゆくのは当然である。故に、胃薬服用を連続すればする程、胃は退化の度を増すから、益々不消化になり、其不消化を補ふべく胃薬を用ひる。それが又、不消化の度を増すといふ循環作用によって、遂に重症となるのである。私が実験上、食欲不振や不消化の患者に対し、胃薬服用を廃止さすに於て、其病的症状は漸次消失し、患者は其意外に驚くのである。又、それ以外に重大な事がある。

それは消化薬は食物を柔軟にし、溶解するのであるが、食物丈ならよいが、胃壁に対しても同様の作用をするので、之が最も怖るべき事なのである。即ち、消化薬連続服用に由って、或程度柔軟化した胃壁は、僅かの固形物が触れても亀裂するので、其亀裂によって血液が浸潤し、それが吐血、血便、痛苦の原因となるので、之が即ち胃潰瘍である。故に、胃潰瘍とは、胃薬の連続服用が原因であるに係はらず、胃潰瘍を薬剤によって治癒せんとする、西洋医学の誤謬は、実に恐るべきものである。

 次に、便秘も其他の疾患に対しても、右と同一の理であるから略する事とするが、要するに、薬剤の逆作用の如何に恐るべきかを知らなければならないのである。特に生後間もなき嬰児の如きは、薬剤の注射や服用によって、発育遅滞又は発育停止の症状さへ起すのである。それは薬剤使用は、一種の不純物を注入する訳であるからである。此事は最近、一部の医家は発見し、嬰児に限り薬剤を使用せず食餌療法のみを応用するといふ報告に接し、大いに喜ばしく思ってゐる。」
(「薬剤の害毒」医書  S11.4.13)

「(中略)薬剤の服用及び注射は副作用に依って血液を汚濁させる事である。即ち、或病気を治癒する以上に健康上不利な薬毒の害を残すのである。(中略)」
       (「結核撲滅の大方策と健康日本の建設」健一号  S11.6.15)

「(中略)その方法として第一に薬剤を用ひる。元来薬剤なるものは全部毒素であって、昔漢方の其大家は「薬は悉毒である。故に薬を用ひて病気を治すのは毒を以て毒を制するのである」と言ったが洵に至言である。

 即ち薬といふ毒物を用ひるから体内の機能を弱らす、機能が弱るから浄化作用が停止されるのである。(中略)」 
(「病気の真因」明医一  S17.9.28)

「(中略)医学は、浄化停止であるから、医療を加へるほど病気は悪化する。わが子女である以上、熱心と、能ふかぎりの療法を行ふ。勿論、薬剤も高級薬を選ぶであらう(高級薬ほど、薬毒が強烈である。)から、結果はわるいに定ってゐる。然るに、他人に於ては、普通の療法を行ふから悪化の程度が少い。それで、治癒率が良いのである。(中略)」             
(「非科学的医学」明医一  S18.10.5)
「(中略)薬剤がその量によって毒となり、薬となるといふ事は、私の解釈によれば、薬となる限度とは浄化停止の限度をいふのであり毒となるといふ事は、浄化限度を超えるといふ意味に外ならない。故に、浄化停止の力あるほど、目的の病気には効いても、それだけ体内何れかに悪影響を与へる訳である。(中略)」
          (「医家の観たる医薬」明医二  S18.10.5)

「(中略)人間の消化機能なるものは、人間の食物として自然に与へられたる物以外は、全部消化し終るといふ事は出来ないやうである。従而薬剤即ち洋薬漢薬も天与の飲食物ではないいはば、非飲食物であり、異物である。(中略)」         
(「異食物に就て」明医一  S18.10.5)

「(中略)元来浄化作用なるものは、体力旺盛なる程発生し易く、又強烈でもあるから、之を停止せんとする場合、体力を弱らせなければならない。其方法として唯一のものとされてゐたのが彼の薬剤である。元来薬なるものは無いので全部毒物である。

薬剤の服量を定めるといふ事は毒であるからであって、之は医学も認めてゐる処である。即ち毒作用によって身体は衰弱するから浄化作用は停止される訳である。此結果、浄化作用発生以前の固結状態に還元する。それを治癒したと誤ったのであるから、医家に於ても病気を治すとはいはない。固めるといふのである。

  故に、右の如く薬毒によって、浄化を停止するのであるから、真の治癒ではなく擬治癒である。従而、時日を経るに於て、再び浄化作用が起るのは当然で、それを復停止するといふのが今日迄の方法であった。然しそれだけならいいが、右の如く繰返す結果、その都度薬毒の溜積が増すから、漸次発病毎に悪性となるのである。

之に就て医学に於ては薬毒は自然排泄消滅するものとしてゐるが、之は甚だしい謬りであって、人間は人間の食物として定められたる以外の総ては異物であるから、決して消滅はせず体内に残存する事は、私の幾多の経験によって明かである。(中略)   
(「結核と薬毒」結正  S18.11.23)

「(中略)痛苦の原因は悉く薬毒に因るのであるから、多種多様の痛みは多種多様の薬剤があるからである。(中略)」
                  (「痛苦」天  S22.2.5)

「(中略)病気とは人間保有毒素の排除作用の苦痛を名付けたものである事を知らない医学は、苦痛を悪い意味に解し、それを緩和させるのを可とする。その手段とした唯一のものが薬剤である。勿論薬剤の本質は毒物で、それによって毒素排泄の力を弱らしめて苦痛を緩和させる。それを病気治癒の方法と錯覚するのである。

 従而、折角排除されようとする毒素を押えて、一時的苦痛緩和を図るのが医療の使命と思ふのだから如何に誤ってゐるかである。(中略)」 
(「現代医学で病気は治るか」  S25.4.20)

「(中略)其外脳に対する鎮静剤、点眼薬、含嗽薬、利尿剤、毒下し、温め薬、強壮剤、増血剤、風邪引かぬ薬、咳止、痛み止等々凡ゆる薬剤は、悉く病気増悪の原因となっても、病気を治し得るものは一つもないのである。それに就て種々な実例を示してみるが、先づ頭痛に用ひる鎮痛剤など、一時は一寸効果を見せるが、遂には癖になって、不知不識の裡に其余毒が溜り、種々な病原となる。

又点眼薬は最も不可で、目星などでも固めて了ふから、反って治り難くなる。又世人は知らないが、点眼薬はトラホームの原因ともなるから注意すべきである。之は点眼薬にもよるが、事実は眼瞼の粘膜へ薬毒が滲透し、年月を経て発疹となって出ようとするからである。

又悲しくもないのに常に涙の出る人は、点眼薬が時を経て涙に変化したものであるから、出るだけ出れは自然に治って了ふ。処が医学は涙嚢の故障などといふが、見当違ひも甚だしい。又目脂は前頭部の毒素又は眼の奥の浄化によって排泄されるものであるから非常にいいので、何よりも如何なる眼病でも目脂が出るやうになれば必ず治るのである。

 次は鼻薬であるが、鼻薬の中、特に恐るべきはコカイン中毒である。よくコカインを吸ふ癖の人があるが、一時爽快なので止められなくなり、長い間に脳を冒して、夭折する人も少なくないが、特に芸能人に多いやうである。

  次に含嗽薬であるが、之は極く稀薄な毒ではあるが、始終用ひてゐると、口内の粘膜に滲透し、毒素となって排泄する時、粘膜が荒れたり、加答児を起したり、舌がザラザラしたり、小さな腫物など出来たりするから廃めた方がいい。特に咽喉を使ふ芸能人には最も悪い。

又一般水薬に就ても同じ事が言える。長い間にヤハリ粘膜から滲透した薬毒は右と同様になるが、薬が強い為悪性である。而も意外な事には舌癌も之が原因である。処が医学は薬で治そうとするから、病を追加する訳である。又薬入り歯磨なども、歯を弱める事甚だしいのである。(中略)」                          (「薬毒の種々相」文創  S27.)

「(中略)それは有名な仁丹で、此中毒も相当なもので、之は幾人もの例で知った事だが、仁丹常用者は消化機能が弱り、顔色も悪く病気に罹り易くなる。今日問題となってゐる麻薬中毒の軽いやうなものである。(中略)」                      
(「薬毒の種々相」文創  S27.)
「(中略)最も不可であるのは、薬剤と氷冷である。元来薬剤とは如何なるものであるかといふと悉く毒物である。にも拘はらず何故毒物を薬剤として用ひるやうになったかといふと、今迄に説いた如く、浄化作用停止に最も効果があるからである。(中略)」       
(「肺炎と結核」文創  S27)
「(中略)体に発生する濁血とは何であるかといふに、之こそ実に意外千万にも医療の王座を占めてゐる処の彼の薬剤であるのである。といふのは本来薬といふものは此世の中には一つもない。現在薬とされてゐるものは悉く毒であって、其毒を体内に入れるとしたら、それによって濁血が作られるのは当然である。何よりも事実がよく証明してゐる。それは病気が医療を受け乍ら長引いたり悪化したり、余病が発るといふ事は、薬毒によって病気が作られるからである。(中略)」     
(「霊主体従」文創  S27.)
「(中略)之は丁度人間の膿と同じなんです。万物は理窟は一つなんですからね。だから、全体に――身体に毒がありますね。それが結晶して処々に固まりが出来る。それが段々固まると、丸で骨みたいになるんですね。(中略)だから、よく腎臓結石とか胆嚢に結石が出来ますがね。人間の膿でさえ石になるんだからね。(中略)膿の因(モト)は薬ですからね。水薬なんてのは、結局人間の身体にやると石になるんですからね。(中略)」 
(「御教集9号」  S27.4.7)
「(中略)そこにいくと西洋の薬は、顔色は割合に悪くなりませんし、漢方薬ほどに命にはいきません。しかし西洋の薬も、近頃は漢方薬に負けずになって、ペニシリンとかやってますが、これがずーっと行くと、一時寿命が延びて、それから先になると縮んで来ます。だからこれからはそういう新しい薬が恐ろしいのです。効くという事は、つまり毒が多いのです。(中略) 
(「御教集19号」  S28.2.17)

「(中略)薬毒は直ぐにはなくならない。二代か三代ですね。三代位ですね。三年位からやつと肥毒が抜けるのと同じですね。薬は三代経つたら殆んど抜ける。(中略)」                                                 
(「垂示3号」  S26.10.5)