第五章 霊的知識を深める

 

3、祖先と子孫について

 

⑤ その他

 

「子孫の義務---毎月、日を定め、一日だけ祭典を行なう」

「(前略)又、稲荷には二種の区別がある。一は古くから伝はってゐる祖先以来祀ってある稲荷で、それは祖先が狐霊となって子孫を守護しつつあるものであるから、身分相応の社を作り、鄭重(テイチョウ)に祀るべきで、毎月日を定め、一日だけ祭典を行はなければならないのである。それは祖霊を慰め敬ふ子孫の義務であると共に、その御守護に対し感謝の誠の表はれであるからである。(後略)」

 

                    (「神憑り」昭和18年10月23日)

       

「仏様を作る事と、御神体をお祀りする事」

「(お伺)生後二カ月頃旅行中急に発熱、脳症との事で、熱は二週間程続きました。其後医師にかかり、自然に頭が肥つて参り、脳水症と言われ、六カ月医療を続けましたが治らず、発病一年を経て本教を知り、御浄霊を戴き、母親も入信して御浄霊を戴いておりますが、頭は少しも小さくなりません。之は霊的で御座いましようか。又如何致しましたら宜敷いでしようか。尚仏壇は親の方のみで、お祀り致しておりません。御神体もお祀り致しておりません。御浄霊は何処を主に致しましたら宜敷いでしようか。


〔御垂示〕之は、浄霊許りじやない。ちやんとお祀りしなければ駄目です。それから、第一仏壇もお祀りしなければ駄目です。之は霊的ですよ。水死人の霊で、水の中に落ちるとか飛込むとかして、水を飲み乍ら逆(サカサマ)になつて死んじやつた。それで、頭の方に水がうんと溜つて膨れちやつた。それが憑いているんですよ。ですからこう言うのこそ、浄霊許りでは絶対治りませんよ。霊的で治していかなければね。先ず、仏様を作る事と、御神体をお祀りする事と、それをやらなければ救われないんだから、手放すかどつちかです。中途半端じや駄目です。」
                           

(御教え集6号 昭和27年1月17日)
              

「御屏風観音さん丈じゃいけない」

「(お伺)(二十二年入信。十歳)後頭部を強打失神致しました。体格も普通の子供より良い位で御座いますが、智能は二、三歳位の幼児と同じで御座います。家中入信、御屏風観音様は御祀りさせて戴いてをりますが、御神体は未だで御座います。


〔御垂示〕之は薬毒ではありませんね。薬毒でこう言う風にはならないですね。やつぱり、後頭部を強く打つて、その内出血が未だ固まつているんですから、智能的な機能が発育不能になつているんですね。ですから、後頭部を良く浄霊すれば良いんです――気長にね。そうすれば段々良くなる訳ですがね。丁度、やつぱり霊が憑つたと同じ様な症状になるんでしよう。で、御神体を御祀りしなければいけませんね。之が根本だからね。御屏風観音さん丈じやいけないですね。早速御神体を御祀りして、後頭部を浄霊すると治りますよ。二十二年に入信して居て、今以て御神体を御祀りしない様な事じゃいけませんね。その心掛けが、やつぱり御守護戴けないのですね。やつぱり何処迄も、やる丈の事はやつて――そうしてやらなければ、御守護が薄いですよ。 

 

            (御教え集7号 昭和27年2月7日)

          

「仏壇へのお供えの際のお祈りの仕方」
 
【問】観音様に毎朝食事を供へます場合大黒様にもお供へすべきでせうか。


【答】大黒様にも御供へしたらよい。然し観音様より簡略にせねばいけない。


【問】最近は御飯、味噌汁に「おしんこ」位しかお上げ出来ませんが――


【答】朝はそれで結構です。その場合大黒様は御飯と「おしんこ」だけにするとかして一段格を下げる事です。観音様と一緒だと大黒様は喰べられないのです。仏壇の御供へも観音様のより皿の数を減らすか又は量を少くする。入れ物を小さくするのは結構です。仏壇は「マゝゴト」の様な小さな入れ物でも差支へありません。御屏風の御観音様にお上げする積りでお供へすれば祖霊はお余りを頂くのです。             

(御光話録  昭和23年7月18日)


【問】観音様に毎日食物をお供へする場合、大黒様にも御供へすべきでせうか。


【答】大黒様にもお供へする方がよい。但し観音様より少くする事である。同じでは大黒様は食べられぬ。外の仏にしても、あまり丁重にすると食べられぬ。容れ物を小さくするのは極くよい。
  お観音様を中心に上げると、お観音様に上げるつもりで、そのおこぼれを祖霊が戴く事になる。観音様はお召上りにならぬ。
  観音様に上げたものはその家の人が食べるのが本当である。                                                

 

  (講話集補 S23・7・18)


【答】お供物に箸をつけるのは先祖―仏だけである。
  観音様は人間と同じでよい。裏面の目立たぬ場合は、観音様の方へ向けるべきである。神様には違ふ。
  お供は長く上げておくのは不可である。祝詞が終へて、すぐ下げてよい。
  お屏風をお祭りしてある仏壇のお供へも、御先祖に上げる意味で、お観音様に上げる意味はない。幽世大神は観音様の家来である。

 

                                        (講話集補 S23・6・28)


「先祖からの祀り方は変えないこと」

【問】今迄神道だった人が御道に入った場合、御先祖はどの様に御祀りすべきでせうか?


【答】御祀りはそのまゝで宜しい。先祖の代から神道ならいゝが途中から仏立講みたいに過去帳にすると先祖は怒りますよ。あれは非常に間違ってゐる。――霊友会では他人の先祖をよく祀るがあれはいゝですね。そういふ設備もあった方がよい。私の所でも他人の仏を大分祀ってます。

 

       (御光話録2号  昭和23年11月28日)

【問】本家は昔から真言宗だったのが最近霊友会へ宗旨替へを致しました。分家は本教信者となり、光明如来様を御祀りして居りますが、之はそのまゝで宜しいでせうか。


【答】いゝですよ。霊線を伝はる事によって今に本家も変って来ますよ。然しこんな風な宗旨替へをすると先祖が怒るから、この本家にろくな事はないですよ。先祖が腹を立てゝ何かやりますからね。それで気がつく様になって来るでせう。  

 

(御光話録11号  昭和24年)

 

【問】今迄神式で先祖を祀って参りました家で、御屏風観音様を御奉斎申し上げますには如何致したら宜しいでせうか。


【答】そのまゝお祀りして差支へありませんよ。観音様は神仏両方だから。
【問】今迄戒名なんかも別にございませんが……


【答】戒名なんかなくたっていゝですよ。


【問】御位牌は如何致したら宜しいでせうか?


【答】神式だったら位牌なんかないでしょ?


【問】何々の尊と書いたものでございますが……


【答】あゝ、あれはそのまゝで構ひませんよ。

 

     

(御光話録19号  昭和25年3月3日)


]「供養する人が多いほど向上する」

【問】養家先でも自分の実家の先祖の位牌を作って御参りする必要がありませうか。
        (勿論実家の方では兄が先祖は祭っておりますのですが)


【答】養家先でも位牌を作ってお祭りすれば結構だ。しないよりはズーッとよい。
      祀る人が一軒でも多い程祖霊は喜ぶ。供養する人が多い程向上するのである。                                 

 

(講話集補 S24.4.28)

                 

「仏壇のガラス張は悪い」

【問】仏壇のガラス張りの可否。


【答】仏壇にガラスは調和がわるい。一月に一ペン掃除する位でいい。おまけに先祖はガラスのない時代の人だ。

 

 (講話集補 年代不明)


                

「仏壇新設、坊さんは不要」

【問】新に分家で仏壇を作り、先祖のお祭りを致すのですが、別に坊さんをお願ひする必要はないでせうか。


【答】これでよい。坊さんを頼む要はない。霊によってはお経を嫌ふ。
      善言讃詞など希望している。           

 

(講話集補 年代不明)