第五章 霊的知識を深める

 

3、祖先と子孫について

 

③ お盆について

 

「お盆には亡くなった知己、親戚という者が仏壇に来られるのでございましょうか」


  来られます。


「それはどういう意味でございましょうか」


  あれはお釈迦さんが仏界をつくった時に、そういうようにしたのだから、どんな地獄に苦しんでいる者でも、一年に一度ずつは娑婆に出してやるというわけで、許されてあるのです。


「そういう事とは別に、姻戚で無縁になっている霊が沢山あり、又私共の場合、教会の信者で亡くなった者がある場合に、自分の家の仏壇で供養してあげたいという場合にははいって来るものでございましょうか」


  祀ればはいって来ます。


「その場合はどういう名前で作りましたら宜しいのでございましょうか」


  しかし作らなくてもよいでしょう。あなたの方のごく関係した者だけでよいです。何となれば、その人の遺族が祀るのが本当なのです。それでそういった無縁になってしまっているのは、一々救うとしたら大変です。昔からとなると何億、何十億とあります。それを祀るとしても、みんなは来れないかもしれません。だから良いとか悪いというよりも、そういう必要はありません。仏立講でやってますが、それをやっている仏立講が最近は大変な苦境に陥ってます。                                    

 

(御垂示録23号  昭和28年8月1日)

【問】お盆の意味に就てお伺ひ致します。


【答】釈尊の大慈悲から盂蘭盆会といふものを作り、毎年一回日を決めて地獄にゐる霊を子孫の家へ還らして下さるのである。その日は地獄の釜の蓋が開くといふが、兎に角地獄の祖霊も仏壇へ招かれ子孫に供養される。地獄の霊もそれを知つてゐて待つてゐるのである。
  元来祖霊は常に全部仏壇にゐる訳でなく、平常は選ばれた留守番の霊がゐるだけで子孫が拝む時だけ仏壇に集るのである。その際仏壇には或程度救はれた霊だけしか来られない。つまり八衢以上のものが来られるので、地獄にゐる霊はお盆の時以外は来られないのである。
  お盆には種々の儀式を行つて霊を迎へるのであるが、「おがら」を焚くのはこゝからお入り下さいといふ目印である。之は今迄夜の世界だつたため霊界も暗いので燈りを見せないと霊がまごつくからである。
  茲で注意したい事がある。それは仏事はどんな古い先祖でもする程よい。又長男だけが祖霊を祭り、次男以下は祭らないのがあるがこれはよくない。霊界人となつてもやはり現界と同様親子兄弟の情は同じ事で、自分の子供のどの家へでも行ける様にありたい訳だ。従而、次男も三男も全部祭るべきである。
  位牌が多くて始末に困る時は面識のある祖霊はそれぞれに位牌を作り、面識のない祖霊は先祖代々にまとめてよいのである。        

                          

 (地上天国2号  妙智之光  昭和24年3月1日)

【問】御彼岸、御盆の霊的意味に就て御伺ひ申し上げます。


【答】彼岸の時は太陽が冬至と夏至の真中を廻る時で、丁度いゝ時なんですね。で、この丁度いゝといふ事が天国、極楽になるのです。つまり理想世界の事ですね。彼方の岸といふのは「理想郷」の意味でせうね。で、その時御墓参りをするといふ事で、別にはっきりした意味はないのですが、まあ丁度いゝ時に先祖を祀るといふ訳で之は理窟なしにいゝ事ですね。御盆の方は、地獄にゐる霊が始終苦しんでゐて可哀想だから一年に一度帰らせるのです。彼岸も御盆も釈迦が作ったのでせう。


【問】地獄の霊だけでせうか?


【答】地獄以外の霊は何時でも帰れるから、御盆は主として地獄の霊を慰めてやるんです。この時だけは思い切って沢山御馳走を喰べられるのであって、迎火をたくのも霊が来る目印のためです。
【問】彼岸以外に新に仏壇を買求めると、新しい仏が出来るからいけないと申しますが如何でせうか。
【答】こんな事はありませんよ。それから寺や墓を立派にする事もいけないと言ひますがそれもありません。最近、私は或寺の再興のため寄進しました。もう直きに出来上る筈ですが、別に私はあの世の仕度をしてる訳ではないんです。(笑声) 

                                            

 (御光話録5号  昭和24年3月8日)

                       

「地獄の釜のふた」

【問】霊が地獄に落ちた場合、地獄の釜に入れられ、ふたをされたまゝで何千年の間出られないと申しますが如何でせうか。
【答】これは形容ですよ、本当の釜の中に入れられる訳ぢゃありませんよ。お盆には地獄の釜のふたが開くなんて言ひますがね。これは何でせうね、地獄の中でも極くひどい所の事を指すんでつまり密閉されてる様な恰好になるんでせう。釜ってのも、ふたをされてる様なっていふ形容でせうね。だから、字にとらわれないで、たゞ地獄の事だと思へばいゝんですよ。

 

(御光話録17号  昭和24年)
                           

 

「彼岸等の善言讃詞」

【問】お盆、彼岸及命日に御仏前に善言讃詞を奉唱させていただいてよろしうございませうか。


【答】斯ういふ時にはよい。                      

 

(講話集補S24・7・9)

                      

「お盆の墓詣り、拝殿での踊り」

【問】お盆には精霊を自宅へ御迎へする様に思って居ますが、お墓へ提灯、香華等を持ってお参りしますが、霊界から現界へ精霊が出て来られるのなれば自宅でもお墓でも喜ばれると思いますが、自宅へ来られるのなればお墓は留守の様に思います。お墓参りの意義を御教へ下さい。又盆おどりを村の氏神様の拝殿で踊る村がありますが、神仏同体と言ふ意味でせうか。盆おどりと祖霊との関係も御教へ下さいませ。


【答】地方によると斯ういふ所がある。お墓詣りは御丁寧な訳だが、そんな必要はない。それまでしなくともよいと祖霊は思っているであらう。神社の拝殿で踊るのは差支えない。ただ神の格による。祭神の資格が上の神様では拝殿では具合がわるい。
                                                          

 (講話集補S24・8・25)

 

 

「お盆の送迎へと墓参」 

【問】土地の風習にもある事と存じますが、お盆に先祖を御迎へ申す時、お墓にお詣りをして御寺から御迎へ致し、御送りする時は、海又は河へ御供物と共に御送り致します。御迎へはお寺から御送りは海へと、異った方向へ御送りしますが、之は単なる習慣で御座いますか。判らぬ儘に今迄続けて参りましたが、何か深い訳でも御ありでせうか。御伺ひ致します。


【答】之は習慣で、御丁寧にやったものであるから悪い事はないが、本当は家だけでよい。玄関まで送るのを、遠方の門まで送る訳で、祖霊は丁寧すぎるよりは普通を喜ぶ。   

 

 (講話集補S24・8・18)

 

                      

「祖霊の送迎(霊の速さ)」

「そんな要はない。直接家庭の方へ来られる霊は移動も早く、判りも早い。霊は軽い重いがあるが、大阪から岐阜位三分かかり、東京まで五分位かかるという。観音様など一秒の何千分の一か判らぬ。瞬間である。送迎は失念してはいけない。誠を以て迎えるのを喜ぶ。」

                         (講話集補S23)

 

                  

「先祖供養の諸事項(位牌と墓地)」

【問】先祖供養等に就て――。
  一、位牌の順序正しい並べ方を御垂示下さい。又右の順序中、目下の者が先に死亡して居る場合どちらが上位でせうか。多数の位牌を止むを得ず同段に並べる場合は如何にすべきでせうか。
  二、先祖の位牌の誌し方に「何々家先祖代々之霊」或は「何々家先祖累代之霊」と書いてありますがどちらが正しいでせうか。
  三、私の地方では先祖代々の位牌として位牌堂を用ひますが差支へないでせうか。差支へないものとしましたら其の順序は如何にしたら宜しいでせうか。
  四、位牌の塗色、型状は如何なるものが正しいのでせうか。
  五、時により一般に大小まちまちの位牌が出来て安置してありますが、其れは差支へないでせうか。
  六、二ケ所の墓地を一ケ所の墓地にまとめる事の可否を御垂示下さい。又、世間よく多数の墓を一つの墓にまとめる場合、又は墓を移す場合は小量の墓土を持って来ると申しますが、其の場合、骨は其のままにして置いて差支へないものでせうか。


【答】一、二、先祖代々を真中に、後面識のある霊は一人一人戒名刻み一緒でよい。父は左、母は右、事情により並べられぬのは致方ない。次に祖父母、後は兄弟、従兄弟と常識的にすればよい。一杯になったら古いものから整理し、先祖代々とか累代にする。どちらでもよい。
  三、四、位牌堂は仏壇の中に祀ってあってもよい。ただお屏風を祀ってあればよい。昔からある通りでよい。金字に黒は極上等、位牌の大中小は順序だけ正しければ作った方がよい。
  六、止むを得ぬ事情あればよい。祖霊にお願ひする。極古いものはいいが新しいのは置いた方がよい。霊界は几帳面で、霊はよく気にするものである。

 

               (講話集補 年代不明)

                        

「位牌と墓標の軽重」

【問】祖霊を供養する場合、墓標と位牌の何れを重視すべきで御座いましょうか。御教えを御願い申し上げます。


【答】位牌の方が上である。位牌は家の中で、祖霊は毎日来られる。
      墓は家の外で、お詣りの時だけ来る。     

 

(講話集補S23・11・11)